『エジソン』
綾小路と真澄さんがモニターの向こうに映し出されている。正真正銘、これが最後の戦いだ。これに勝てればAクラスの勝利。そして負ければCクラスの勝利だ。ここまで3勝3敗。互角の戦いであった以上、勝敗の最後の責任は彼女の肩にのしかかっていることになる。
もし負けてしまっても責めるものはいないだろう。だが勝利に越した事は無い。負けるよりも、勝つ方がずっといいはずだ。どこまで綾小路がやれるのか。それを見るためにもこの戦いは必要だった。
ホワイトルームは一生分の教育をしているという。だがはっきり言ってそれは不可能だ。全世界の知識を全て叩き込もうとするならば、一生かかっても無理だろう。この多極化する社会の中で、全てというのは不可能の代名詞である。であれば必ずどこかで切り捨てている分野が存在するはずだ。私はそれを芸術系や歴史系であると踏んだ。
ホワイトルームの目的に古文書を読めることや美術品の鑑賞は無いはずである。ならば、彼女にも勝ち目はあるのではないか。これまで私が教えてきたのは勉強そのものだけではない。そのやり方、記憶のつくり方も教えてきている。それを元にして、かつ趣味の力も加われば勝てる可能性は十分にあるはずだ。
開始の合図がなされて、両名がペンを動かしている。それを我々は黙って見るしかない。真澄さんの回答を見た限り、間違いは存在していない。このまま黙って見ているしかないというのは何とももどかしい限りだ。それでも信じるしかない。結局、試験を受けるのは生徒であり、教師は代わりに試験を受けてあげることは出来ない。教師役として、見守るしかないというのはいつも口惜しいものだ。
生徒の勝利を、合格を、常に信じてはいる。それでもこの世界に絶対などなく。だからこそどうしても時の運、物の弾みで変わってしまう事はある。負けに不思議の負けは無いが、勝ちに不思議の勝ちはあるのだ。
「堀北さん」
「……何かしら」
「ありがとうございました」
「まだ終わってもいないのだけれど」
「いえ、勝利宣言とかそういうのではなく。私の心が穏やかなうちに言っておこうと思いまして。こうして戦えたのは非常に嬉しいことだと思います。どんな結果になろうと得るものはありました。Cクラスの成長を見ることができ……なりより貴女の力を知る事が出来た。例え負けたとしても、それは今後に活かせることでしょうから」
「…………私もありがたい対戦カードだったと思っているわ」
「おや、そうですか。それは光栄ですね」
「あの無人島。結果発表を私は自室で見ていた。そして、あの時の衝撃は未だに残っている。そんな相手を私はどこかで恐怖と、そして神格化に近い対象と見ていた。絶対に勝てない相手なんじゃないのかってね」
「そうでしたか」
「けれど戦って思ったわ。あなたも意外と普通の人なのね」
「それはまぁ、またなんともコメントし辛い感想ですね。私だって普通の人間ですよ?嬉しい事があれば笑い、悲しい事があれば泣き、ムカつくことがあれば怒る。そんな人間のつもりです。しかし、またどうしてそんなことを?」
「だって、今までのあなたはずっと冷静な顔をしていた。どんな勝負になろうと、どんな結果になろうと。焦っている私とは対照的にずっと落ち着いていた。けれど今……気付いている?あなた、さっきからずっと手を握ったままよ」
指摘されて初めて気づいた。私はずっと手を固く握って拳を作っていた。爪が食い込んで、皮膚からは軽く血が出ている。
「私に話しかけておきながら、目は片時もモニターから離れていない。だから知れたわ。諸葛孔明にも余裕綽々じゃない時があるって」
「これは一本取られたかもしれませんね。参ったな。今後の試験で堀北さんの後手に回る事になりそうだ」
「いえ。そうはならないでしょうね。どんな結果でも、私は綾小路君や他の生徒に支えられている。もしそうでなかったとしても個人的な能力ではあなたに遠く及ばない」
「私だって支えられて生きていますよ。そうでなければ……此処にはいないでしょうから」
気付けば試験時間は残り数分にまで迫っていた。時間というのはあっという間に過ぎてしまう。私の自由な時間も後2年。2年経ったらまた昔に戻る。もうここまでくるとこの生活はまるで胡蝶の夢なんじゃないかとすら思えてくる。だとしても、胡蝶の夢だとしてもだ。夢だからこそ全力で生きて行かなくてはいけない。夢で全力になれない奴が、現実でそうなれるだろうか?夢なんて、何でも出来る場所だと言うのに。
試験終了の合図がなされ、真澄さんがペンを置く。修正できるのは1問だけ。堀北はもう分からないようなので介入はしない事にするらしい。私は一瞬だけ躊躇したが、間違いを探す。果たして相手はどれだけ間違えているのだろうか。それを考えてしまう。満点か、それとも。
問題の難易度は相当高い。その証拠に、綾小路も最後の最後まで問題を睨み何度も修正していた。真澄さんも同様である。私にも分からないというか自信を持って解答できない部分がある。なかなか無い体験だった。だが1問だけ明らかなミスを発見したのでそれだけ修正する。他にも微妙なところはあるが、これでどこまで行けるのか。
綾小路は間違いなく本気で来ている。だが我々だって本気だ。その証拠を見せてやりたい。事前の模擬テストではコンスタントに満点や高得点を取っていた。坂柳を実験台にもしてみたが、その坂柳よりも点は高かった。つまり現状この2人が学年において美術史というごく狭い範囲ではあるが、トップという事になる。
堀北は祈りの姿勢に入った。綾小路と真澄さんは微動だにせず、結果を待っている。私は――――。どうするべきか。一瞬だけ悩んだ。そして、人生で初めて祈った事などない神に祈りを捧げる。私の名誉やクラスの勝利などもういい。ホワイトルームだってどうだっていい。だから、だから彼女のために、彼女の努力をたたえるために勝たせてくれと、心の底から祈った。
そして――――――――。
「Aクラス、神室真澄96点。Cクラス、綾小路清隆、98点。よって勝者、Cクラス」
無情な結果は坂上先生の口から語られる。1問2点の計50問。そのテストで2点差。つまり、1問によってこの勝敗は決した事になる。実際の試験とよく似ていた。入試だって1問の差で合否が決まる事はよくある。だから、これは入試でもよくある事なんだ。そう自分に言い聞かせる。
だが、それでも……。
「悔しいなぁ……」
そんな言葉が口から不意に飛び出した。一番悔しいのは真澄さんのはずなのに。その彼女は結果を見つめ、唇を噛んだ後綾小路に向かって一礼して部屋を後にした。綾小路もそれに対して礼をしている。彼らはお互いに無言。だがそこには敬意があるように思えた。
堀北は放心している。CクラスがAクラスに勝利したのだ。それはかなりの衝撃。堀北からすれば目標に勝ったという意味でも大きなものだっただろう。自分たちの土俵に引きずり込んで勝つ。それは甘い観測に過ぎなかった。私としたことが、不覚を取った。これは全て私の責任だ。敗軍の将は兵を語らずと言うが、敢えて語るなら私のミス。それに全て尽きるだろう。
綾小路でも特殊な範囲なら。そう思った私はホワイトルームを些か舐め過ぎていたのかもしれない。仮にも我の父が関わった組織がそう生温いモノであるはずがないと私だって良く分かっていたはずなのに。負けた原因はいろいろ出てくる。自省の言葉も色々出てくる。
だが、今やる事は感傷に浸る事じゃない。自省は結局慰めだ。言い訳をして、自分を正当化しようとしている愚かしい行為である。ここのところ負け知らずであった為に中々堪える。
感情はめまぐるしく心を渦巻くが、それでもやはり一番に来るのは――――悔しい。私が負けたこともだが、何よりも彼女を勝たせてあげられなかったことが悔しい。私の責任だった。私の教え子なんだから。彼女を勝たせるのは私の責任だったはずなのに。生徒の不合格を聞くのはつらいことだと、長らく忘れていた。これは私の責任だ。
彼女は努力していた。それは間違いない。決して怠けてなどいなかった。であれば、これは私の努力不足、能力不足だ。彼女に謝らないといけない。その努力を活かしきれなかったのだから。それとクラスメイトにも。私の引退も考える必要がある。勝利で以て私は指導していた。私を信じて、など言っておいてこれでは合わせる顔も無い。
が、今までの人生負けていることの方が多かったじゃないかと心を立て直す。彼女にみっともない姿を見せる訳にはいかない。司令官として、敗戦処理をする責任もある。まずは今後のクラス順位に関してであるが……。
「坂上先生、BとDの対決はどうなりましたか」
「……」
「坂上先生?」
「あ、ああ。すみません。先ほど終わりました。結果は5対2でDクラスの勝利となっています」
「なるほど、ありがとうございます」
つまりクラスポイントの推移はこうなる。
最終特別試験前
A……1417
B……889
C……568
D……326
↓
最終特別試験後
A……1384(7戦中3勝4敗)
B……799(7戦中2勝5敗)
C……698(7戦中4勝3敗)
D……516(7戦中5勝2敗)
という感じだ。クラスの変更はない。Bクラスが負けてくれたおかげで我々は辛くも地位を守りきれた。これは先のクラス内投票の際にDクラスに肩入れした甲斐があったというべきだろう。だがそれは慰めにしかならない。敗戦は敗戦だ。
確かに我が太祖・諸葛亮も敗戦は経験してる。その主・昭烈帝劉備玄徳も幾度となく敗戦してきた将軍だ。それでも最後は蜀漢を立てた。その最後は夷陵からの白帝城と秋風五丈原な訳だが。だが歴史的事実で自己を正当化する訳にはいかない。この敗走を受け止め、次回に繋げなければ。尤も、次回があればの話だが。
先輩の中には綾瀬のように負け続けてもリーダーだった存在もいる。だが、私にそこまでの人望はあるのだろうか。絶対的権力などなく、民主制によって成り立つ我がクラスにおいて敗戦の原因となった指揮官は用済みの可能性だってある。そうなったら……おとなしく身を引いて葛城に任せることにしよう。彼なら出来るはずだ。
「以上を以て今回の最終特別試験を終了します。結果は4勝3敗でCクラスの勝利でした。おめでとうございます。Aクラスも大健闘だったでしょう」
坂上先生の言葉で試験が終了する。戦いは終わった。
「まさかAクラスが負けるなんてなぁ……。でも、最初から配られたカードがこれなら仕方ない、か」
「星之宮先生」
「冗談ですよ、冗談」
坂上先生の注意を受ける星之宮先生の顔は笑っていない。心の底から冗談だと言うつもりは無いようだった。
「カード、ですか」
「おっと、諸葛君怒っちゃった?でもしょうがないと思わない?Cクラスにはジョーカーが混ざってる。Aクラスにも強いカードがたくさん。そしてそれをもう1枚のジョーカーが率いてる。トランプにはジョーカーは2枚入ってる事もあるからね。この学校でそうであってもおかしくはないけれど……。大富豪みたいなものでしょ、結局」
「大富豪?」
「知ってるでしょ?あの3が一番弱くて、2が一番強い数字になるゲーム。先生たちもそれをやってるみたいなものだから。少なくとも私はそう思ってる。配られた手札で3年間を戦う。真嶋君のクラス、Aクラスは13とか1とかが揃ってる。中には2もいる。一方でDクラスに行くと3や4のカードが多い」
「中々興味深いご意見ですね」
「それ、褒めてないでしょ」
「ええ。まぁ。この学校が大富豪なのだとしたら、本物のそれと違う点があります。それはカードが強化されることです。極論、全部のカード、つまりは生徒を2にすることも出来る。ある特定の場面ではジョーカー級に育てることも出来る。その時点でだいぶ恵まれていますよ。そして、それをするのが先生方の仕事では?」
「……」
「それに、不平不満があるとしてもそれを生徒の前で言わないでいただきたい。同僚の先生方と飲み会の愚痴で言ってください。加えて言うのであれば、ジョーカーは最初からジョーカーだった訳ではありません。私が切り札たり得るかはさておき、先生の指しているもう1人、つまりは綾小路君ですが彼だって最初から今みたいだった訳では無いでしょう。好む好まざるはともかく、血のにじむような努力の末に今の能力を手に入れています。それを隠すのも自由、使うのも自由。みんな努力してるんですよ。それを、あたかも天才が元々与えられた能力で暴れてるみたいに言わないでいただきたい。それは綾小路君にも、彼と対峙した私にも、堀北さんや真澄さんにだって失礼でしょう。努力した成果を発揮するのを先生が牽制しないで下さい」
「そこまでです。諸葛君の意見にも賛同する部分はありますが、仕事ですので」
「すみません。些か出過ぎた真似をしました。もう帰っても?」
「構いません」
坂上先生の制止で言葉を止める。ここで逆らってもいい事などないだろう。堀北の方を見れば、若干不快そうな顔で星之宮……先生を見ている。彼女は自分がカードの強い方にいると思っているだろうし、それは真実だ。だが、ジョーカー云々の話をされて不快になるのは分かる。何故なら状況に合わせ手札を動かし、最後に勝ったのは彼女の力だったからだ。もちろん綾小路を使ったのは事実だが、じゃあそれが堀北の実力ではないかというとそうでは無い。与えられた札でどう動くか。それだって立派な実力だ。
戦争で手札が違うなんてことはザラだ。それでも勝たないといけない。そこに文句を言っている間は勝てるものも勝てないだろう。
多目的室を後にする。空はすっかり午後になっていた。教室に帰りたくないなぁという思いがあるが、そういう訳にもいかない。堀北は戦勝の立役者だ。誇らしく凱旋するだろう。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「……」
「何か?」
「次は勝ちますので、そのつもりで」
「負け惜しみかしら」
「ええ、そうです」
「次も貰うわ。そしてBクラスに上がる。そうしたら、あなたのいる場所が見えてくるから」
「待っている、とは言えませんね。そうなる前に叩き潰し、下の方で3クラスでむきゅむきゅやっていてもらいます。その間にサッサと上に抜け出してみせましょう。その戦略は変わっていませんから」
だいぶいい目をするようになった。春は焦りと色々な負の感情で濁っていたように見えた目だが、今はだいぶマシになっている。私に対する勝利がその純化を加速させているのかもしれない。これで調子に乗ってくれればいいのだが、そんな都合良くはいかないだろう。握手をして別れる。廊下の陰にシルエットが見えたからだ。堀北も気付いているようだが、見ないふりをして教室へ戻ってくれた。
「よう」
「……」
「負けちゃったな」
「……ゴメン」
「真澄さんが謝る事じゃない。よく頑張ってくれた。私のゴリ押しで採用した種目だ」
「それでも、それでもあとちょっとだったのに……!」
「悔しいか」
「悔しい……!悔しいよ……!」
彼女の目には光るものがある。私がそれに気付いたことを察したのか、彼女は拭おうとした。しかし、そうする度にもっと大粒の涙が零れ落ちている。私の罪悪感が募っていく。私がもっと上手くやれれば彼女にこんな思いをさせずに済んだのに。
うぅぅ……、と声にならない嗚咽を漏らしながら、彼女は私の胸元に顔を押し付けて号泣し始めた。少しだけ戸惑うが、今は彼女も感情がぐちゃぐちゃ何だろうと思いなおす。彼女は泣いている。悔しくて、泣いている。ならまだ頑張れそうだ。まだ彼女の心は折れていない。だが今はそれを言うべきではないだろう。黙って受け入れるべきだ。それが私のなすべきこと。
そう思い、私の制服に涙を付けながら泣いている彼女を慰めるように頭を撫でていた。
「もう大丈夫か?」
「……ごめんなさい」
「良いから。制服とかは気にしないで。それより、君こそ目が真っ赤になってるから、洗うか何かしてくると良い」
返事は無いが、彼女は無言で頷いた。
「取り敢えず教室には戻らないといけない。私にはその義務がある。君はどうする?」
「……行く」
「そうか。では、そうしよう」
会話は無い。敗軍の将と敗軍の兵だ。これはもう失脚粛清コース待ったなしかもしれない。坂柳なら勝てていたんじゃないのか、とかそんな感想まで頭の中を駆け巡る。無言の行軍が続き、そしてやがて教室へと辿り着いた。扉に手をかけ、重苦しい感情を持ちつつ開く。試験は既に終了していたが、教室内には全員(停学中の坂柳を除く)が揃っている。これにはやや驚いた。
私を見つめる視線を受けながら、教壇に立つ。
「……皆さん。申し訳ありませんでした。今回の試験、我がクラス初の敗北となります。これはひとえに私の責任という他ありません。皆さんの期待に応えられなかったこと、痛恨の極みです。しかしどうか果敢に立ち向かった方々を責めないでいただきたい。全ての責任は私にあります。恨むのであれば、私を恨んで欲しいのです。どうか、お願いします」
深々と頭を下げる。謝る以外に私に出来る事は無いのだ。勝利すると約束したのだから、負けた人間は謝るべき。それは当然のことであるように思っている。
「……待って!この人を責めないであげて。今回全体で負けたのは、私が負けたから。他の種目は複数人だった。でも私は1人で行けると思ってやって、切り札として出て、負けた。それは私の責任。私の能力不足。責めるなら、私を責めて」
「君は努力していただろう。私の教える能力に問題があった。つまりこれは私の責任だ」
「たとえどんなに優秀な教師でも、生徒がダメだったら結果なんか出るわけないでしょ。つまり私が悪いの」
「いいや、それは違う。少なくとも今回は司令塔である私の責任だ」
「それじゃ、アンタが責任取らされるかもしれないじゃん。このクラスに必要なのは、私じゃないでしょ!」
「君がいないなら私はすぐに辞めてやるさ!」
「……両名、一度止まってもらっても構わないだろうか」
謝罪をするはずだったのに、どういう訳か売り言葉に買い言葉で真澄さんと喧嘩してしまった。呆れ顔半分、苦笑半分と言った感じの顔で葛城が我々を仲裁するように立っている。
「その話はまた後にしてもらうとして、まずは俺たちの声を聴いてもらってもいいだろうか」
「すみませんでした。それで……どういったお話でしょう。どのような責でも負うつもりです」
「そのことだが、お前たち2人は決定的な勘違いをしている。Aクラス内にお前たちを責める者はいない。皆、今回の結果は悔しく思っているが、それを諸葛や神室に押し付けるつもりなどないぞ。我々もそこまで落ちぶれてはいないからな」
葛城の言葉に多くの生徒が頷く。
「勝敗は兵家の常とも言うのだろう?それに、俺たちの中にも常勝Aクラスという慢心があったのかもしれない。向こうの土俵で戦う事も多かった。その中で皆懸命に役目を果たしたと思っている」
「もし神室さんを責めるとするならば、バスケで敗戦した僕たちも責められるべきだ」
葛城に続くように町田が言う。鬼頭と橋本も同意見のようだ。
「誰のせいかって言うより、次だぜ次。絶対倒してやるぜCクラス!」
戸塚の声に男女を問わずそうだそうだ、という声が上がる。かつて、2つに割れていたクラスの面影はない。すっかり1つにまとまり、そして精神的にも大きくまとまっていたようだった。これは私が失礼だったかもしれない。私を責めるかもしれないと考えること自体が、彼らに失礼な思考だったと思わざるを得ない。自省することばかりだ。
だが自省は学びにつながる。私は、このクラスが私の予想などよりもずっと素晴らしい空間であることを知れた。それは今までの人生ではあまり得ることの無いモノであった。団結力なら味わったこともある。だがそれは平和ではない空間で、死と硝煙の香りがするものであった。普通……とは言い難いかもしれないが、学校での団結というものを味わえたのは私の人生における財産だ。もしかしたら、これが私の欲しかったものなのかもしれない。
「ありがとうございます」
「今回の敗戦は俺たちも学ぶべきところが多くあった。誰もまだ諦めてなどいないし、お前を信じている。これまで俺たちを率いてくれたことに感謝こそすれ、責めるなどしない。クラス1人1人の夢に関して真剣に考えて、どんな相談にも乗って、成績の向上だってしてくれた。俺たちに先生方以上に向き合って、夢や将来に真剣に向き合ってくれた。俺たちはその恩を返していない。だからこそ、今その座を降りてもらっては困るんだ」
「葛城君……敗軍の将にまだ兵を語れと仰せですか」
「敗軍の将だからこそ、言えることもあるだろう。今この場で聞いてしまう。来年度も諸葛がクラスを率いるのに賛成の人間は挙手してくれ」
クラスの誰もが手を挙げる。葛城の言う通り、敗戦の責を問おうという者はいなかった。誰もがピンと手を張っている。もしかしたら心中では面白く思っていない者もいるのかもしれない。だが、そういう者も敢えて逆らおうとするほど私に恨みを感じている訳ではないのだろう。
「分かりました。皆さんの意志、信頼、そして信任、大変ありがたく思います。これを受けて引責辞任など出来そうにありません。敗軍の将ではありますが、どうか来年度も皆さんの代表として振舞う事をお許しください」
下げた頭に拍手が応える。真澄さんが窓に寄りかかりながら温かい目でこちらを見ていた。
「そして次は必ず、堀北さんを泣かせます!」
クラスをどっと笑いが包んだ。
クラスの人から口々に慰めや次回への奮起を告げられ、あっという間に夕暮れ空になってしまっていた。随分と長く拘束されたが、彼らも多く思うところがあったのだろう。それでもまだ闘志は皆の目にあった。これならば次こそ勝利を得ることが出来るかもしれない。だが、南雲の個人主義的な政策によればもしかしたらクラスの団結より個人の能力が優先されるかもしれない。それでも出来ることはあるはずだ。もし個人主義になっても、このクラスに無能はいない。きっと大丈夫だろう。
放課後の茜色に染まった教室には、私と真澄さんしかいない。
「ねぇ」
「なんだ」
「私を慰めて、クラスを慰撫して……ずっと誰かの感情をどうにかするように動いてたでしょ」
「まぁな。それが私のするべきことだ」
「どうせここには私とアンタしかいないんだからさ、聞かせてよ。本音」
「本音?」
「色々あるんでしょ?鋼みたいな自制心で押さえつけているだけで、責任とか色々取っ払った感情がさ」
「まぁ……あるにはあるが」
「じゃあ出せばいいじゃない。貯めててもいいことなんてないでしょ」
「だがなぁ……」
「私、泣き顔見られたし、弱いところ見せちゃったからなぁ~。そっちの弱いところも見たいなぁ~」
「……分かった」
責任とか取っ払った本音、か。そんなもの、昔は出せる場所など無かった。部下の前で弱いところは見せられない。何があろうと、理想であり続けた。しかし今は弱いところを見せるのが、本音を言うのが望まれている。ならば応えるだけだ。
「クッソ悔しい。なんだよ綾小路のクソ野郎!反則じゃねぇかあんなの。堀北とまとめてぶっ殺してやる!……とか?」
「なにそれ、言い慣れてない感じ丸出しじゃん」
大笑いしながら彼女は言う。我ながら語彙力が小学生みたいになってしまっている自覚はある。何とも恥ずかしいものだ。しかし、意外とスッキリするものである。吹っ切れた感じはある。まだ策は残っているのだ。それにこれから幾らでも立てられるだろう。
携帯が鳴ったので見てみれば、メールが二件。片方の差出人は坂柳。文面は「負けちゃったら私復活できないじゃん!」という内容が色々書いてあったが、最後の最後に「お疲れさまでした」と書いてある。何とも回りくどい奴だ。性格が悪いともいえるかもしれない。
そしてもう片方は差出人不明。文面は「良い戦いでした。次戦にも期待しています」とだけ書いてある。匿名のメッセージだが、なんとなく相手は分かった。この微妙な上から目線は生徒じゃない。それに、生徒だとしたらこれを送れる人間は限られている。上級生はまだ結果を知っていないだろう。
堀北は送る理由がない。綾小路もそうだ。連絡先を持っているし、文面と彼の立場もいまいち一致しない。龍園や一之瀬はありえない。前者は連絡先を持っていないし、後者はそんな事言っている場合じゃない。教師でも無いだろう。直接言えばいい。つまり候補は1人に絞られる。月城だ。彼ならば観戦していてもおかしくはない。
坂柳への返信は後にすることにした。月城へは……良いだろう、しなくても。元々彼も期待してはいるまい。今日は気持ちを切り替えて別のことをすることにした。少しくらい良いだろう。こういう学生っぽいことをしても。
「真澄さん」
「なに?」
「これまで節約してきたのでお互いに結構ポイントは貯まってると思うのだが」
「まぁ、そうね。それで?」
「やけ食いしたい」
「プッ……アハハハハ!何それ。でも、悪くないかも。何食べるの?」
「身体に悪そうなジャンクフードをたくさん」
「お菓子も追加でOK?」
「もうこの際何でもいいさ」
「じゃ、そうしよっか。残念会ってことで」
帰り道のハンバーガー屋で大量購入し、コンビニでカップ麺やらお菓子屋らジュースを購入しまくる。明日は休みだ。多少羽目を外しても問題ないだろう。そんな思いを抱きつつ、勉強も特別試験も忘れて、私たちは飲み食いして一夜を過ごした。
凄まじくしょうもない行動。本国の部下に知られれば呆れられてしまうかもしれない。それでも、それでもこれが私の欲しかった平穏。欲しかった普通。疲れ切って寝てしまった真澄さんをベッドへ運び、布団をかけながらそう思う。
「ありがとう」
ありがとう。私に、欲しかったものをくれて。眠りこけている彼女に聞こえないだろうから、敢えて今言う。感謝しながら、私は床で寝る準備を始めた。不思議な多幸感に包まれながら――――。