『ジョージ・オーウェル』
私が体育館で大演説を行ったその日、Aクラスの生徒40人中34人が学力B-以上ないしはあとちょっとでB-なC+の生徒とペアを組むことが出来た。これは非常に僥倖なことである。上位層から中の上と言える層のほとんどを我々は奪い取った。残りのクラスは僅かな層をめぐって熾烈な争いを行うだろう。その上、私に対する信頼、Aクラスに対する信頼も植え付けられたのではないだろうか。
しかし懸念事項も存在している。七瀬の情報通り、Dクラスの生徒は誰一人として姿を現さなかった。驚きはないものの、厄介だという事に変わりはない。しかも相手は理知的というより非常に暴力的、いわば龍園強化版(暴力マシマシ)みたいな存在なのだろう。負ける負けないの話ではなく、そういう手合いが面倒だという話だ。ともあれ向こうから接触してこないのには理由があるだろうし、こちらから出向く用事もない。内情は全て筒抜けだ。
そう思い、この日はこれで終わらせた。ペアは決定してしまえば解除できない。決まった生徒はしっかり勉強だけしていればいいのだから安心だろう。ホクホク顔で帰っていく自クラスの生徒。残りは自分でどうにかできる、或いは多少相手の学力が落ちても上位にいられる面子だ。少しずつやっていこう。そう思っていたが……予想外の事態に直面する。
「方針転換?」
画面の向こうの部下は私のオウム返しに頷いた。
「今更どういうことだ」
「昨年度のデータを基に、内部構造の把握がある程度完了。後はアレンジでどうにもでもなる。今後は設立目的と設立関係者である坂柳一族、鬼島総理、与党の前幹事長などに関する情報収集を進めたいとの指令を閣下の御祖父様より頂いております」
「何かあったのか?」
「直江幹事長の様態がよろしからずという事で、政局に変化の兆しがあったからと推察できます」
「ここの中からでは出来ることは少ないが?」
「しかし月城常成はここの理事長代理を行っており、綾小路篤臣はここに多く接触しています。下手に外にいるよりもここの中で高度育成高等学校・ホワイトルーム等を取り巻く重要人物を観察した方が得策、という事でしょう」
「綾小路清隆に近いから、という事か。まぁ確かにその通りではあるが」
「閣下の御報告と我々の調査によってホワイトルーム・高度育成高等学校の問題点と利点は大きく見えてきました。まだ党には報告しておりません。御祖父様は、これは高度な外交的利点になると考えているようです」
「恫喝外交にはもってこいだろうな。人権問題で一気に西側諸国に優位に立てる。日米関係の悪化も可能かもしれないからなぁ。まぁ良い。向こうの事情は分かった。今後は綾小路清隆に注視しろ、ついでに月城代理にも注視しろ、という事だな?」
「はい。それ以外にも自学年以外のデータはいらないと」
「根拠は?」
「綾小路清隆という特別な存在に合わせてこの学年は構成されているだろうから、という事だそうです。尤も私の私見としては下学年も綾小路清隆専用カスタマイズの可能性を考えますが……」
「では1年生に関しては好きにしていいという事でいいな?」
「まとめるとその通りです」
「分かった。君たちは引き続き仕事を果たしなさい」
「了解!」
政局は面倒だ。そもそも非人道的組織を運営し反社会的組織とつながりのある人間を抱えている民主主義国家の与党幹部とはどうなっているんだか。我が国じゃあるまいし……。とは言え、与党も票田を確保するには仕方ないのか。不動産バブルの長かったこの国では、地上げなどを行う彼らと政治家は密にもなるだろう。
ともかく大事なのは綾小路清隆を観察すること、そして立場が微妙な月城をどうにかすること。そして自学年のみのデータを引き続き渡し続けることだ。1年生の分は瑞季がやる手はずになっている。つまり、1年生はどのようにしても良いという事か。ここで1つの目標を定めることにした。方針が私に都合よく転がってくれたのならば、活かさない手はないだろう。
「本日はご苦労様」
「ホント。1年生の相手、メッチャ疲れるんだけど」
「そんなに?」
「何か目をキラキラさせてて……疲れるわよ」
「まぁまぁ。これで大まかな目的は達成できた」
疲れ切った顔の真澄さんは夕食の席で疲労困憊の様相を見せている。多くの1年生が彼女の元に集まっていた。輝いて見えたのだろう。事実、彼女は結構な成績アップを果たしている。成績中堅者には希望の星だろう。
「今回限りのことだ。次回以降のテストは自分たちで何とかしてもらうしかないだろう」
「なら良いけど。……ちょっと気になってたんだけど、あの冊子、私たちの頃より簡単になってない?」
「あぁうん。そりゃそうだ。だってそういう風に作っているんだから」
「なんで?今回の試験、難しいんでしょ?」
「そういう話だったな。無論、今回は高得点を獲れるような設計にしてある。次回以降は知らん。そもそも我がクラスのテスト対策教材は特別製だし、君用の教材はなおのこと特別設計にしてある。学校の授業をなぞっているだけでは終わらない……というより受験に足りない」
「受験?Aクラスなのに受験するの?」
「万が一、という事がある。君はセンター試験、もうすぐ名前が変わるんだったか?まぁそれはともかく、センター試験の日程を知ってるかね?」
「1月の真ん中らへんの土日でしょ」
「その通り。では、その日3年生は何をしていた?」
「何って……学年末試験の準備でしょ」
「では私大入試本番並びに国公立入試のある2月は?」
「同じく?」
「では合格発表や手続きのある3月は?」
「特別試験本番……あ」
「気付いたか」
元々冬休み明けの林間学校からおかしいとは思っていた。センター試験の日も注視してみたが、誰も出かけている様子は無いし学校で受けている様子もない。私大入試も同様。国公立も言わずもがな。つまりである。この学校、Aクラス以外は学年末試験のせいでまともに入試が出来ない。
「え、何それ……。でも先生は去年の春に進路相談には乗るって……」
「あぁ。浪人生の進路相談には乗ってくれるんじゃないか?」
「えぇ……」
「そもそも教科がガバガバすぎる。5教科10科目を普通の学校は全部やらない。後、化学と物理はあるが生物と地学はどこへ行った。地理と公民は?数学Ⅲはいつやるんだろう。そんな疑問を1年生の時に抱いていた。1年間で歴史を終わらせるのかと思いきやそうでは無いし、そもそもそれはカリキュラム的に無理がある。それに気付いた5月。だから毎回のテストで冊子を配り、受験レベルに進度を合致させている。君の授業は外の進学校よりも先取りのペースでかつ最高難度で進めているから絶対に志望校に受かるようになっている。全ては万が一Bクラス以下で卒業になった際の保険だ」
「そんな前から?」
「『これは必ず、将来のお役に立つはずです』と私は最初の冊子を配る際に言ったはずだ。大丈夫。私の教えの通りにやっていればBクラス以下になっても必ず受かるし、Aクラスのまま卒業しても卒業後に必ず役に立つ」
真澄さんは余計に疲れた顔をした。この学校は前々から思っているように、実験室の意味合いが強い。政府の思惑は文字通り実験台なのだろう。ホワイトルームの劣化版みたいなものだ。だからこそ、周りを削ぎ落して数少ない成果物を輩出したことにしている。実際はその成果物も彼らの望みには届いていない可能性が高いが、少なくとも世間体は作れる。
「ともあれ、私たちは今まで通りにやっていくしかない……と言いたいところだがこのままでは今後の1年生とのコミュニケーションに障害が出る」
「障害?あぁ、宝泉のこと?」
「そう。A~Cクラスは少なくともある程度は生徒の自主性に任せている。にも拘らずDだけ異質だ。加えて宝泉は非常に暴力的であると聞く。龍園の強化版みたいなものだ。これは危険分子以外の何物でもない」
「まぁ、そりゃそうだろうけど……。でもアンタは龍園を結局退学させなかったじゃない」
「私にはなるべく同学年を退学にさせてはいけない事情がある。加えて対南雲戦線で龍園には利用価値がある。だから残した。彼自身も成長し無差別に暴行しないだろう。クラスメイトに危害が加えられる可能性は低い。だが南雲はこちらへの攻撃を宣言している。クラスメイトを巻き込まないと言っていたが私は絶対的に彼を信用していない。そして宝泉はクラスメイトに危害を加える可能性がある。クラスメイトを守るためには、潰せそうなところから叩く」
本国での方針転換は大変ありがたい。話の通じなそうな暴力野郎には消えてもらわないとクラスメイトとなにより真澄さんの安全を確保できない。下手に首を突っ込まれても困る。
「排除する、もっと言えば退学させるってこと?」
「それも方向性の1つとして採用する。それにだ。七瀬はこちら側。Dクラスの中心はこちら側の方が良いだろう?」
「まぁ何でもいいわよ。私は言う事を聞くだけ」
「やる気がないなぁ。君を守る為でもあるんだぞ?」
「大丈夫じゃない?だって……守ってくれるんでしょ?」
これは一本取られたかもしれない。少しだけ苦笑しつつ答えた。
「勿論」
そして、事態が私にとって好ましい急展開を迎えたのは翌日のことであった。
「ここからは他クラスの様子を伺いつつ着実にペアを決めていきましょう」
「一気に昨日の段階で決定しなくてよかったのか?」
「やり過ぎるとまた敵を増やしますから。全部のパイを奪われたが故に我々を一致団結して叩き潰すよりも、残った数少ないパイを争い合う方に意識を向けさせた方が得策です。私たちをどうこうするより、自分たちのクラスの生徒をどうにかする方が優先である。指導者は皆そう思うはずです」
「なるほど。だからこそ他クラスの動きを待つのだな」
「その通り」
葛城は腕を組みながら頷く。彼もまたまだペアの決まっていない人間の一人だ。しかしその成績を考えるに、一年生からもアプローチをかけられることが多いだろう。生徒会、というのもプラスに働くはずだ。Bクラスが得るはずだったコネクションなども全部持って行っている。これ以上を望むのは高望み。ある程度の所で止まっておくのがベストと考える。どの道Bクラスは積極策には出てこない。
基本方針は変わらず、他クラスは団子状態にして争わせ、我々はその上で政局をかき回しながら台頭する勢力が出ないようにコントロールする。ある程度先が見えてきたと思った時である。
「何やってんだ!」
廊下から大きな声が響いた。声から判断するに、Dクラスの石崎であると思われる。葛城が眉をひそめている。見てくると告げて廊下に出た。大体何があったのかは予想がつく。昨日、1年Dクラスはもぬけの殻だったという。加えて私の会にも来なかった。七瀬の情報を基に推論すれば、宝泉という男は自身が仕切りつつ機会をうかがっている。全く接触せずということは考えにくく、また他クラスと接触したという情報は入っていない。つまり、どこかのタイミングでインパクトを残す必要がある。
その最短方法が殴り込みでは無いのか。そういう想定は、いくつかある未来予想の中の1つとして存在していた。それが実行された可能性は高い。そして綾小路退学レースみたいなのが行われている現状、彼が接触を図るのは当然Cクラスになるという寸法だ。
廊下に出れば、押し倒されたような状態になっている須藤といきり立つ石崎の姿が見える。遠巻きにしている中に真澄さんがいたので話を聞くことにした。お手洗いの帰りに遭遇したのだろう。
「これ、今どういう状況?」
「宝泉が殴り込み。堀北と論争。先輩に対し不敬な態度に須藤がキレる。イラつく須藤に宝泉が胸を押して挑発。石崎が代わりに激怒。そして現状の状態」
「大変分かりやすくて結構」
「暴力行為って、なんのルール説明も受けてないの?でも……」
「あぁ。想定通りという事だろうさ」
廊下で揉めている一団を遠巻きに眺めながら小さな声で話す。宝泉はこちらに気付いてないようで、堀北たちもそれどころではないようだ。手で動画を回すように指示する。有利になる状況を作る、或いは相手に対して優位に立つためのデータが手に入る可能性が高いからだ。相手が暴力的なのは大変結構。法治国家ではそれがどういう意味を持つのか。しっかり考えてもらおう。
それにしたって非常に素晴らしい。天佑神助とはまさにこのこと。自分たちに望ましい状況がこうも簡単に転がり込んでくるとは。大方綾小路の偵察に来たのだろうけれど……それが仇となった。
「次から次へとゴキブリみたいに湧いてきやがったぜ」
宝泉が面白そうに笑っている。隣には七瀬がいた。なるほど、ある意味参謀役、というより抑え役に回っているというのは本当のようだ。
「宝泉君。話し合いに来たはずです。暴力を振るうために来たのであれば私は帰ります」
「暴力だ?こっちは猫を撫でる様な気持ちで触っただけだぜ。悪かったなぁ、須藤」
二年生を呼び捨て。実に挑発的だ。
「バカにすんのも大概にしろよ、オイ!」
石崎が激怒しながら胸倉を掴むべく腕を伸ばす。その瞬間、宝泉の口角が僅か上がったような気がした。カツカツと後方より足早に近付く音がする。その足音の主は石崎に向かって声を投げかけた。
「死にたくなきゃ止めとけ、石崎」
龍園の声だ。彼は廊下を歩いて石崎に近寄る。その時に私の横を通ったが、チラリとこちらに視線をやるだけで何も言わない。しかし目は口程に物を言う。その目は確かにお前はここでどう動く、という風に問い掛けているかの如き視線であった。しかし死にたくなければとは物騒な話。学校生活では、特に対人関係ではそうそう出てこない言葉な気がする。
「ど、どうして止めるんですか!?」
石崎は龍園の言動に疑問を投げかける。
「あんたが止めるなんて、どういうつもり?」
あとからやって来た伊吹も戸惑いを見せている。この手のもめ事は龍園からすれば大歓迎。嫌いなタイプではない。監視カメラがある無しに拘わらず実行するのは皆が知っていることだ。やる時は迷わず突き進むタイプだと。その行動力の高さは私もかなり評価しているつもりである。
「今度はお前が相手か?そこの須藤ってバカよりも弱そうだなぁ、オイ」
確かに龍園は大柄ではない。とは言え、その雰囲気は決して弱者のそれではないはずだが。
「お前のことは良く知ってるぜ。宝泉つったら地元じゃちょっとした有名人だったからな。まさかここまでバカそうな顔をしてるとは思いもしなかったけどなぁ」
「し、知ってる奴なんですか龍園さん」
「龍園だと?」
名前を聞いて宝泉の顔が変わる。そしてその顔は益々愉快そうな顔になった。大きく口を開けて大笑している。
「おいおいなんだよ。まさかの巡り合わせだな。お前の噂は嫌ってほど聞いたぜ、龍園」
「人の名前を覚えておくだけの知能はあるみたいだな」
龍園完全復活……という感じが伝わってくるよりも、2人が知り合いとまでは行かずとも近しい地域の出身者であることが驚きだった。人の縁というものは中々に侮れない。
「しかしあの龍園がこんな貧弱そうな身体をしていやがったとは……意外だぜ」
「お前の方はイメージ通り脳まで筋肉で出来てそうだな」
「何度か遠征した時にぶっ殺してやるつもりだったが、会えなかったのは俺にビビってたからなんだろ?兵隊ばっかりに仕事させて逃げ回ってたのか?」
「クク、巡り合わせに救われたな、宝泉。俺と会ってたら今頃そんなデカい態度ではいられないだろうよ。運よく、未だ負け知らずってか」
「俺はてっきりしっぽ巻いて逃げまどってたとばっかり思ってたぜ。そうじゃないってんなら……今ここで白黒つけるか?」
宝泉は拳をバキバキ鳴らしている。龍園を敵に回したくないと考えているという事は相応に自分の身体的な才能、或いは頭脳に自信があるという証左だ。確かに、彼のクラスはDクラス。しかしDクラス=頭脳がお粗末という訳では無いことを綾小路や堀北が証明している。龍園は脳筋と言ったがただの脳筋ではないだろう。こういう手合いは面倒だと過去の経験やデータより良く分かっている。
「遠征ってなんです?軍隊でも持ってたんですか?」
「不良用語でしょ。仲間でつるんで他校の代表格とかを叩きに行くの」
「あぁ、そういう」
生憎日本の不良界隈には詳しくない。胸ポケットにスマホを入れて撮影中の真澄さんに小声で問いかけた。遠征と言うから軍事遠征みたいな何かなのかと思っていたが当たらずとも遠からず。というか、東京ではそんな事やってるのか……。やくざの抗争みたいなことを学生、しかも中学生がやっているのは中々治安が悪い。私の地元四川にも確かに不良みたいなのはいた。過去形なのはまぁ、一掃されたからなのだが。
「やめとくぜ。見返りの無い状態でゴリラとやり合うのは得策じゃねぇ。引き上げだ」
「あんた、1年に舐められたままでいいわけ?」
伊吹が思わずといったような顔でそう問いかけていた。
「ハッ。決着なんざ幾らでもつけられるからな」
龍園は動じず、静かにそう返す。以前なら強引に退いていただろうがしっかり理由説明をしているのは成長の証かもしれない。というより、奴は対南雲戦線の特攻兵器だ。無能では困る。
「そっちの女はお前の兵隊か?」
「ま、そんなところだ」
「はぁ?誰が?勝手にあんたの兵隊にしないで」
「女でも兵隊に使うんだな、龍園」
「そっちこそ随分と可愛げのある兵隊連れてるじゃねぇか」
「こいつは兵隊じゃねえよ。ま、そんな事はどうでも良い。遊ぼうぜ龍園」
「やらねえって言ったはずだぜ。耳でも腐ったか」
「そうかよ。だったら――」
食いついてきた龍園に面白くなさそうな顔を向けていた宝泉だが、その視線がゆっくりと隣にいる伊吹に向けられる。ぬっと腕が伸び、伊吹を目指す。軽く払いのけようとした彼女の反応速度を超えるスピードで伸びた腕は彼女の首を掴んだ。
「ッ!?」
声にならない声を出した彼女は、危険なシグナルが脳から発せられたようで必死に引きはがそうともがく。けれど鋼鉄のような腕は全くびくともしない。振り返った龍園は締め上げられた伊吹を見て軽くため息を吐いた。彼女は必死に抵抗し、手足を全力で動かしているが宝泉に動じる様子は無い。
「ハァッ。抜けてみろよ。それか、そこで見ているお前ら全員かかって来ても良いぜ」
殺人未遂の現場はバッチリ映像に残った。何か問題行為、犯罪行為を行う可能性を考えて待っていた甲斐がある。そろそろ動かないと伊吹の顔が苦しそうになってきている。人は首を絞めてもそう簡単には死なないが、意識を失うと脳障害の恐れもある。首の骨を折るのが確実なのだが、流石に殺人をやらかす気はないだろう。だがこの挑発行動。過去の経歴。殺意アリとみなされても文句は言えない。どっちにしろ暴行罪だ。
宝泉とは接触を持つ必要があった。積極的にかかわりたい相手ではないが、相手を知るには百聞は一見に如かずである。
「そこまでにしておくことをお勧めします。さもなくば、私は伊吹さん救出のため貴方に対し緊急措置を取らざるを得ません」
「あぁ?何だてめぇ……あぁ、お前が諸葛孔明か。写真で見たぜ。学力最高位がどんな奴かと思って実際に見て見れば、とんだ優男じゃねぇか。みょうちきりんな髪型もしてやがる。しかもいけ好かない顔だ。お前が龍園やこの女の代わりに俺と遊ぶか?」
「自己紹介が省けたようで何より。それよりも再度警告します。直ちに手を離しなさい。私も同学年の人間が凶行の犠牲になるのは見たくないのです」
「いう事聞かせたければ、実力でやってみろよ」
「そうですか。……残念です。では、お望み通り」
一瞬怪訝そうな顔をした宝泉。廊下は凶器で満ちている。特に蛍光灯と窓ガラス。教室内にも色々あるが、やはりガラスは使いやすい。とは言えここで奴を殺す訳には行かない。あくまでも緊急措置として伊吹を解放させるために最低限の手段を行う必要がある。余り手の内を見せるのは得策ではないが……彼というある意味龍園よりも暴力的な人間に危機感を覚えさせないと我がクラスメイトが犠牲になりかねない。もし手を出したらヤバいという印象を植え付けて安全保障に繋げるためにはやむを得ないだろう。
私がゆらりと横に倒れるような動きを見せる。彼の目線が私の動きを追うように斜めにずれる。時間はそれだけあれば十分。
抜き放った簪1本を持ったまま近付き、首筋に突き付ける。この間にかかった時間は数秒。もう少し早く動ける想定だったが身体が鈍っているのか何なのか。修業しなおしかもしれない。宝泉の目が泳いでいた。何が起こったのかを認識するのに時間がかかっているようだった。確かに暴力性は一級品。しかし場数が少ない。危機を知らざる者は、想像も出来ないところから足をすくわれる。
「最後の警告です。手を離しなさい」
宝泉の顔が青くなったり赤くなったりしている。だが最後には少しでも動けば簪の先端が首に刺さる現実を受け入れたのか、手を離した。ゲホゲホと伊吹が咳き込む。幸い首に少し跡が残ったくらいか。簪を彼の首元から離した。この行動もよろしくないが、圧倒的に宝泉に問題がある為緊急措置という事で多めに見てもらおう。その為の動画や音声なのだし。
「素直に交渉に応じてくれたのは感謝しますよ」
「お前は……」
「お前?先輩に対する態度がなっていませんねぇ。私の意思でここから先、君の人生はどうにでもなるのに」
「何だと?学校にでもチクるつもりか?」
「はははは」
いきなり笑い出した私を不気味そうな目で宝泉は眺める。七瀬は一歩引いた位置で事態を観察しているようだった。他クラスの生徒も私を不審そうな目で見ている。確かに学校に言う。それも一つの措置だろう。とは言えだ。それは甘すぎる想定と言わざるを得ない。
「生徒会長は多少の喧嘩なら容認と言ってたぜ?生憎だが、お前が何をしようと……」
「生徒会長?あぁ、彼には頼りませんよ。それに、首を絞めるのが多少の喧嘩に入るという認識は一般常識と乖離していると思うのですが、どうでしょうかね。この場にその認識を持っている人間がいるのならば是非名乗り出て欲しいものですが」
誰も名乗り出ない。当たり前である。
「この場にいるのはザっと10名ほど。しかしそのほぼ9割が君の意見に賛同していません。統計の母数が少ないですが、一般常識ではないと言っていいでしょう。それにどの道多少の喧嘩であっても暴行罪、決闘罪などに該当する可能性が非常に高いですがね。まぁそれはともかく。生徒会長なんかに頼りませんよ。君の行為は立派な犯罪なのですから、警察にご登場いただかなくては。真澄さん、通報の準備を」
「もうしてる」
真澄さんはそう言うと、宝泉に向かって携帯を突き出した。そこには大きな字で110と移されている。後はダイヤルボタンを押せばかかる仕組みだ。この学校から支給される携帯は外部に繋がらない。しかし緊急通報の類は別だ。110の警察、緊急通報ではないが117の時報、118の海上用の緊急通報、火事・救急の119は繋がる。多分児相のダイヤルも繋がる……と思われる。ともあれ、NTTの3桁番号の電話は繋がるのだ。よって通報も可能ということ。
「君が首を絞める様子等々全て録画済みです。この後どういう判断が下されるかは分かりませんが……龍園君、君の情報を基礎にして推察すると彼は中学時代随分と荒れていたようですね」
「あぁ。そりゃもう凄いもんだぜ?噂の数々は枚挙にいとまがないと言ってもいい」
「やはり。つまりその問題行動の数々、そして当然目立っていたんでしょうねぇ。警察にバッチリ名前は覚えられてるでしょう。補導履歴とかあるんじゃないですか?そういう人間が加害者となれば……どういう判決になるのか。最悪殺意アリとみなされて殺人未遂で少年院行きですかね。そちらの……」
「七瀬、七瀬翼です」
「そうですか。その七瀬さんも証言下さいますか?」
「分かりました」
「お前ッ!」
思わぬ裏切りに宝泉は大変動揺している。私はクラス間闘争はくだらないと思いつつもやるならやるで好きにすればいいと思っているのだ。しかしそこに暴力を持ち込むのは反対だ。ここは紛争地帯でも戦場でも軍隊でもない。頭脳戦で戦うならばいざ知らず、法的に問題な行為を、しかもバレる形でやるのは三流以外の何物でもない。他の生徒は感覚が麻痺しているかもしれないが、街中で人の首を絞めれば間違いなく通報される。
私の態度に龍園は面白そうな目で見ている。石崎などは目を白黒し、堀北は動揺しつつも私の意見に一定の筋を見出したようだった。同じく見物している綾小路は特に感情を示さない。私の行動の推移を見守っている風だ。
「私の生徒に害なす危険分子には早々に退場していただきたいのです。伊吹さん、通報した際には是非証言を。男女差はこういう時強いですよ。龍園君も私も、危険な存在を排除できるとあれば喜んでお金を出しますとも。そうですよね、龍園君?」
「ククク、面白れぇ。このゴリラとやり合わないで済むってんならこんなに楽な話はねぇな。あの宝泉が何もできずに退学ってのも面白い。おい伊吹。もしこの軍師野郎がマジで通報すんなら証言してやれ」
伊吹は戸惑いながら頷いた。
「そういう事です。私はどうも、誰かを退学にしない方針と思われているようですね。実際にその通り。ただそれは自学年だけの話。君の事は……どうでも良いのです」
パチンと指を鳴らす。真澄さんがコールボタンを押した。沈黙が場を支配する。数コールもかからずに電話は繋がった。真澄さんはそのまま人気のない場所へと向かっていく。他の生徒の声が入ると電話がし辛いからだろう。この学校に警察が介入できることは佐倉のストーカー事件で発覚済み。あれがまさかここで役に立つとは。であれば、今回の件も大事に出来る可能性が高い。行きつく先は……退学だ。
「さて、君の敗因は3つ。1つ、この学校を治外法権と思ったこと。1つ、学校の事件に警察を呼ばないと思ったこと。1つ、説明を受けたにも拘わらず暴力行為に走った事。以上です」
「な、な……てめぇッ!」
「てめぇ、ではありません。改めまして私の名前は2年Aクラス諸葛孔明。民主的投票の結果、代表を務めております。残り短い時間ですが、どうぞお見知りおきを」
私は遠くからサイレンの音がするのを聞きながら、ゆっくりと慇懃に頭を下げた。