「お兄さん……ごめんねェ…。
いやさ、間違いなら申し訳ないんだが……
アンタの持ってるバッグ…
被害届の出ているものと一致してる気がして――――――――。」
人々の行き交う大通り。ティータイムを決め込む客でごった返した喫茶店の前。
腰に括り付けた手錠をじゃらじゃらと鳴らして、痩せこけた警察官は真っ赤なバッグを持った男に近づく。
バディであろう、もう一人の警察官はのんきにコーヒーから湯気をくゆらせていた。
男はそれをチラリと横目で見る。二重顎にビール腹。以前レストランで出された、豚の丸焼きを思い出していた。
男は奇妙な――――奇抜な恰好をしていた。少なくとも日本ではお目に掛かることができないだろう。
紺の学生服をぴっちりと身に着けた、小さな少年はその様子をちらりと横目で見ていた。
彼は今しがた、荷物も何もかもをすっかり失くしてしまった直後だった。
金髪をクルクルと巻いた、背の高い、クソッタレな泥棒を探している最中だった。
少年はこの出来事に対して興味も持たず、すぐに去ってしまう。彼にとっては他人の職務質問よりも、今日の寝床を取り戻すことの方が遥かに重要であったのだ。
さて、警察官に声を掛けられた男
――――淡い地中海のような色のTシャツを、左脇腹から右胸のすぐ下あたりまでアーチ状に切り落とし、チーズのように無数の穴を開けた真っ黒なズボンを履いており、それぞれの穴からはもう一つ下に着た真っ赤な薄着が顔を覗かせていた――――
彼はぐるりと警察官に振り返ると、だらりと見下したような目で、警察官の腰の拳銃を見つめながら口を開く。
「バッグ……ですか??
このバッグは友達に貰ったものでェ……。
いや友人が盗んでいるのなら
話は別なんですがねェ~~~~~~っ
少なくとも僕は関わっていないというか――――」
「お兄さん。」
男はのらりくらりと尋問を避け、その場から立ち去ろうとする。が、いつの間にかもう一人の警察官が男の背後へ回り込んでいた。
「悪いけどよォ……
俺達も仕事だから、見逃すってのはできないワケよ。
わかる?
身分証出して?」
「ですからぁ……
僕この後映画見に行くんですよォ~~~~っ
『ゲロスパゲッティ』の最新作
知ってます?
個人的には2がオススメ――――」
瞬間。
豚の丸焼きは目の色を変えて、その奇妙な男に詰め寄った。
「テメエよォ――――ッッ!!
さっきからゴチャゴチャと
いいから全部話せって言ってんだよッッ!!
いいか?
オメーは『市民』で
俺は『警察官』だッッ!!!!
『NO』って返事は許可されてねーんだよッッ!!」
丸焼きはそのまま男の胸倉を引っ掴み、レンガ造りの壁に背中を打ちつける。
彼は続いて口を開こうとするが、それよりも早く男が丸焼きの手首を掴んで、
「…そう、ですよね
…………
いや、申し訳ないことをしました。
身分証、ですよね?
ええ、出しますとも。
どうぞ、バッグの中も改めて下さい」
警察官二人は、思わず後ずさった。男の言葉遣いは数秒前までよりも遥かに丁寧で、態度も澄んだ水のようだった。
しかし、彼の目の奥に。
何か得体の知れない――――嵐の前に吹くさりげないそよ風のような、大山が火を溜めている胎動のような、どことなく胸の奥を逆立てさせるモノを感じる。
しかし彼らは、今更後に引けなかった。
「最初からそーしろよ、こンのガキが――――ッッ!!」
ひったくるように鞄を奪い、丸焼きと痩せた警官は中身を確認し始めた。
「免許証――――『ミラ・ベルテ』、19。
……ン?」
丸焼きともう一人は訝しんだ。免許証には赤髪を綺麗にカールさせた、どう見ても『女性』の写真が映っていた。
しかし目の前にいるのは、黒髪を短く揃えた、『男』だった。
「バカめッ!!
自分から尻尾を掴ませやがって――――」
二人が顔を上げるが、男はニタニタと笑っていた。
「どーせテメーらはすぐ忘れることになるがよォ――――――」
二人はその瞬間、男の輪郭に何かを見た。しかし、それが何かははっきりとはわからない。
ただ、漠然とした、『何か』を感じた。
「これはどうやら生まれつきのモノらしいぜ。
才ある作曲家がラトルよりも先にピアノを触るみてーに……
稀代の小説家が話すよりも前に原稿用紙を埋めるみてーに……
俺が小さい頃から無意識に使っていた。」
男が言葉を紡ぐ度に、警察官の頭からは、彼の顔や体の記憶が薄れていった。
いや、正確には顔や体が全く違う別物になっていった。
全身は薄く丸みを帯び、骨盤がどっしりと広がる。シルエットが逆三角形から、正位置の三角形へ。髪は燃えるような赤髪へ。
そして、二人は最初から男が『そうであった』と自然に感じていた。
「どうやら俺は、モノ同士を
それも変形や変身なんてチャチなもんじゃねえ。
それが『自然』になる。
初めからそれが『当たり前』であったように……」
今、目の前に立っているのは『女』だった。
免許証にはっきりと映ってあった通りの。
バッグに被害届など出ていなかった。
初めからその女が買ったのだ。
(実際に二人が訊いたわけではないが)鞄屋の店員の記憶にも、初めからその女に売ったと記憶されていた。
「最近になって、俺にも『視える』ようになってきた。
力がはっきりと形になった」
警察官二人には到底見えないものだったが、一部の者が同席していれば、はっきりと見ることができただろう。
男の横に、ぴたりと張り付くように立っている人影を。
鍛え抜かれた鋼のような肉体を深紅のマントで包み、頭に銀の輝きを放つ王冠を携え、
絵札のキングを彷彿させるような煌びやかなオーラ――――
一つ違う点は、その頭は平らな瞳孔を精一杯に広げた、ヤギの頭をしていたことだ。
「俺はこの能力をこう名付けた―――――『
男――いや、女がバッグを警察官から取り返す。
その手は男のごつごつとした岩のような手ではなかった。
するりとした、絹織りのような女の手だった。
「すみませェ~~~~~~ン。
この後映画を見に行くんですけどォ~~~~…
もういいですかァ~~~~??」
警察官はしばらく固まっていたが、かろうじて
「あ、ああ。呼び止めて悪かった。」
それを聞くと、女は腰を突き出すような、滑らかな歩みで立ち去って行った。
………
…………
大通りからしばらく離れた路地裏で、黒髪を短く刈り揃えた、奇妙なファッションの男が真っ赤なバッグを漁っていた。
「クソッ!!
あれだけ苦労したってのによォ~~~~~っ!!
たった一週間分かよッ!!」
悪態を吐き、彼はバッグをそこらへ投げ捨てた。
幾枚の金をポケットに乱雑に突っ込むと、男はどこかへ歩いて行ってしまう。
異臭を放つリンゴに、黒い虫たちがサワサワと蠢いていた。
この男の名は、どうやら『レヴィア・ルーフェイ』というらしかった。
このコソ泥が、数日のうちに世界の危機を食い止めることになるとは、まだ誰も知らない。
余談だが、あるところに『ミラ・ベルテ』という女性がいた。
彼女はどこにでもいる、至って普通の女性だった。
しかしある日、ほんの数分だけ奇妙な出来事を味わった。
その日は買ったばかりの真っ赤なバッグをひったくられ、警察に届け出を出して、一日の半分を潰した、何とも口当たりの悪い日だった。
残り半日を堪能しようと、午後にレストランでゆっくりと食事をしていた時のこと。
突然全身が、まるで80を過ぎた老婆のようになった。身体中の肉は堕落し、重力に従う。
しかし数分後には、すっかりハリのある少女の体に戻っていた。
そして、食事の手を止めて数瞬、思考した。
「どうして私は、こんなにイライラしていたのだろう?
まるで、今日の間に
それ以前にもそれ以降にも、この出来事は起こらなかった。
彼女の人生で最も奇妙な、そして最も恐怖した出来事である。
最近ジョジョランドを読んで触発されました。
ジョジョランド面白い。