F-02-k49『ほら、蝉時雨が聞こえる……』
「アスカ、疲れてそう?」
「ああ……うん。昨日バレルと一緒に敵対組織と戦ってさ……」
「なにその状況?? せっかくの休日なのに」
「フィクサーとして勉強にはなったよ……」
「というかアスカ、作業開始前に教育チームに行かなきゃいけないとか言ってなかったか? 適性訓練しなきゃいけないんだろ?」
「……やばい、忘れてた。じゃあ二人ともまた後で」
急いで去っていくアスカを見送る。忙しないな。
作業開始時刻までまだ余裕はあるから、多分間に合うだろう。
「……行ったね」
アスカの後ろ姿を見届けてから、私はバレルの装備に視線を向けて、笑顔を作る。
「バレル、防具の方も強くなったみたいだね。そっちも『焦燥』?」
「ん? ああ、そうそう。前に武器を変えてたってこと、アスカから聞いたのか?」
「うん。いきなりHE装備なんて勇気あるよねー」
「勇気? ……ああ、だからお前
「へっへー、可愛いでしょ?」
私が着てるEGO防具は『額縁』。肖像蛇から抽出されたものだ。
他の防具と違ってアーマーでもない、ただの変わった見た目のスーツなんだけど、今まで着ていた懺悔のアーマーより防御性能が高いらしい。
不思議だし未だに半信半疑だけど、先輩たちもそういう防具ばかり着ているし、効果はほんとなんだろう。
でもバレルの言うみたいに、実はもうちょっと格の高い装備を着ることもできた。
それなのにこれくらいの防具にしたのは……。
「アスカを見てると、自分も侵蝕しちゃわないかって怖くなるよね。バレルも少しはそう思ったから、最初は武器だけグレードアップしたんでしょ?」
「……あえて否定はしねえ」
私とバレルの同期、アスカ。
短くまとめるとトラブルメーカー。そんなのでよくこの会社でまだ生きていけてるな。
「さっきなんか言ってたけど、アスカってもう外に出て大丈夫なんだっけ?」
「実際外出てたしそういうことなんじゃねえの。侵蝕も起きてなかったし。まあ良かったよ」
バレルはアスカとけっこう親しい。彼はよくアスカのことを心配してる。
ウソかマコトか、組織の長とか言ってたし、面倒見の良いところがあるのかもしれない。
私は……中立かな。私が助けられるうちは助けるけど。
「今日の業務はなにかなぁ。先週は自主的にいろんなアブノーマリティのお世話したから、作業にはかなり慣れたと思ってるんだよね」
「お前、愛着作業ばっかやってそうだけど、それで大丈夫なのか?」
「えーなにその偏見。ちゃんと他の作業もやってるよ、一応」
「一応かよ」
「もー、分かったって、心配性なんだから。もっと慣れてきたらちゃんといろんな作業やるからさ」
お喋りを続けていると、クリフォト制御機の稼働音とともに、管理時間の開始を告げるベルが聞こえてきた。
「あ、始まったね。……そういえば『焦燥』って『蝉時雨』ってやつのEGOだったよね」
「そうだが……それがどうした?」
「いや、今日暇だったら、私も『蝉時雨』に作業しよっかなって」
「良いんじゃねえの。翼がそんなに社員を自由にさせとくものかは知らねえが」
『コントロールチームから作業指示の通達を行います。指示された職員は指定された作業を開始してください。情報チームデリラは『T-01-k68』に抑圧作業。懲戒チームリアは『O-03-k03』に愛着作業。福祉チームアナスタシアは『O-02-k40』に本能作業。福祉チームクロイーは『T-02-k43』に洞察作業。抽出チーム……』
あ、呼ばれちゃった。また肖像蛇の作業か……。
まあいいや、仕事を手早く片付けて空き時間を作るのも、デキる社会人の能力でしょ。
……それで、見事十分な空き時間を作った私は、『蝉時雨』の作業をするために収容室に入った……はずだったんだけど。
気がついたらこんなところにいた。私は周囲を見渡す。
そこかしこの木から聞こえるセミの鳴き声。照りつける日差し。あまりにも青い空。空に膨れ上がった入道雲。
どこ、ここ?
「ああ、また誰か来たんだ」
「……あなたは?」
幼い声に振り返ると、中性的な服を着た子供が私の後ろに立っていた。
その顔は人間の顔じゃなかった。なんというか……コガネムシ? みたいな。人間の頭があるべき場所に、虫がそのままついている。
「うん、自分の名前は繝偵∪繝ェだよ。あなたは?」
「……いい名前だね。私はロボトミーコーポレーションK社第二支部の管理職員……」
「ああ、いつものところの人だね。自分はずっとあそこにいることになるのかなあ」
「ずっとって……君は『蝉時雨』なの?」
「多分そうなんじゃない? ここに来る人はいつも自分のことをそう呼ぶよ。自分の顔はどう見てもセミではないだろうにね」
子供はすんなりと認めた。……こんなに流暢にしゃべる
「ここはどこなの?」
「確かそっちは別の世界なんだっけ。ここは██だ。ちょうど夏休みになった頃だね」
「に、██……?」
「やっぱり、まだそっちに██出身の化け物は来てないんだ。いずれ来るって言っていたのに」
……とりあえず、ここは収容室の中でもないってこと? こんな場所を作り出すなんて……アブノーマリティもHEになったらこんなことすらできるのか。
それとも別の場所にワープさせられたんだろうか。どちらにせよ、どうやって元の場所に……。
管理作業そっちのけで帰る方法を考えていると、蝉時雨が私の手を握った。
「まあまあ、難しいことは考えないでよ。せっかくの夏休みなんだからさ」
「夏休みって?」
「ずっと遊べるってこと! ほら、行こう?」
蝉時雨が私の手を引いて、どこかへ連れて行こうとする。
「君が分からないなら、自分が、夏休みの遊び方を教えてあげる!」
……それからの時間は、正直楽しかった。
海まで泳ぎに行ったり、虫採りに行ったり、当たりが出るまで駄菓子屋でアイスを買ったり。
アスカやバレルにはああ言ったけど、私も休日を目いっぱい休めたわけじゃないんだ。それどころか、こんなに遊ぶなんて、何年ぶりかもわからない。
すぐにここを出なきゃいけないのに楽しくて仕方なくて、すぐにここを出なきゃいけないことを誤魔化すためにもっと遊んだ。
「今日は自分のお家に来ない? お母さんがきっと良いお菓子を出してくれるよ」
最初に会った林道で、蝉時雨がそんなことを言った。青々としげった木々の枝葉が風に揺られて、蝉時雨のコガネムシのような頭を隠す。
なんとなくそれが、取り返しのつかない質問だと分かった。
林を抜ける道の先に、一軒家が見える。あれが蝉時雨の家だろう。蝉時雨が先導して歩いていくが、私は立ち止まった。
「行かないの? ここはきっと楽しいのに」
「これ以上は……ダメだよ。会社に戻らないと」
作業時間ももう終わっているはずだ。これは……愛着作業ということになるんだろうか。
努めて、そんなことばかり考えようとする。でも、蝉時雨は分かっていた。
「そっか……君もアリを飼ってるんだね」
隠れていた蝉時雨の頭が、再び見えた。その見た目はさっきとは違って、色が少し黒くなっている。
その黒の正体は、アリだった。その頭を覆うように大量のアリが行進していて、コガネムシの穴という穴、隙間という隙間を出入りしている。
「それでも、夏休みは楽しかったでしょう?」
「うん、楽しかった」
夏休みではない日が、とても恐ろしくなってしまうくらいに。
「ここはみんながあの日、心の中に作った秘密基地だ。みんながここで休む、みんながここで遊ぶ」
林道を駆け回るたくさんの人が、私たちを通り過ぎる。それは、変な統一感のある服を着た人たちだったり、ロボトミーのスーツを着た人だったりもした。
「だから、いつまでもここで遊んでいいんだ。大丈夫、
風が吹いて、木々のざわめきが焦燥を煽る。
ここから出なくてはならない。だから、ここから出るのが恐ろしくて仕方ない。義務感が焦燥になって、焦燥は外への恐怖になった。
ここから出たくない。蝉時雨が聞こえる。遊び続け……
『お姉ちゃん!』
……突然、昨日のことを思い返すように、聞き慣れた声が聞こえた。
少し、驚いたけど……。
私は少し笑う。目が醒めたみたいだ。それさえ思い出せれば、私には十分みたい。
正面から蝉時雨を見る。
「やっぱり私はここを出るよ、蟬時雨」
「……どうして?」
『どうして』か。どうしてだろう。上手く表現できる気もしないし、自分の中でもまとまってないけど……ピッタリの言葉があった。
私は小さく笑って、蝉時雨に手を振る。
「まだ、夏休みの宿題が残ってるからさ」
その言葉を最後に、蝉時雨が寂しそうに笑ったような気がして、その世界は、私の視界から消えた。
何も見えない。目を閉じているからだ。私を心配する声が聞こえたけど、妹たちの声ではなかった。
男の子の声。最近よく聞いてる……。
「……クロ…………、………ロイー……!」
はあ、うるさいなあ。聞こえてるってば。
「……んぅー、もう、なに?」
目を開けると、アスカが私の肩を強い力で揺さぶっていた。私が起きたのを見て、アスカは心底安堵したかのような表情を浮かべる。
その表情に動揺してると、アスカが声を上げた。
「クロイー! よく正気に戻った!」
「……正気って。私、パニックでもしてた? というか、なんか顔についてる……?」
顔についたものを取って、指を見てみると。
「うわあっ! アリ!?」
「力強い悲鳴だな」
「ねえ、意識してみたら身体中に何かついてる気がするんだけど! もしかしてこれって……」
「……早く除染室に行こう。付き添うから」
「うそでしょー!?」
身体中からゾワゾワと這い回るような感覚がする……。本当に気持ち悪い。
それのせいか、それともなんらかの後遺症か、腰が抜けてしまった。
「まあ……ドンマイ」
アスカに肩を貸してもらって、福祉チームの除染室まで向かう。道中で、『蝉時雨』の収容室を通った。
アブノーマリティが見える。窓から見えるのは、子供でもない、人型でもない、ただの緑色の大きなコガネムシだった。
「脱走したこいつは、懲戒チームの人が鎮圧したって」
「そっか……。ねえアスカ、繝偵∪繝ェって人、知ってる?」
「えっ? いまなんて言った?」
「あれ。……分からない。忘れちゃった」
確かに聞いたはずのあの子の名前が、思い出せない。一緒に遊んだあの子。
そもそもあの子は、一体なんだったのだろうか。分からない。分からないことは考えないに限る。
「ああ、ゾワゾワする……。早く除染室行きたいぃ」
「それでもマシな方だよ。さっきまで口とか目とかにもアリが出入りしてたんだから」
「え。ええええっ!? ちょっと、余計なこと言わないでよ! ……ん? ていうか、それって」
「うん。『蝉時雨』の作業結果が悪かったときに起きることだ。さっきまでアリに寄生されながらフラフラ歩いてたんだぞお前」
「えぇ……うそぉ」
「いままでの記録では、その状態から正気に戻った人はいなかったんだけどな。……本当、助かってよかったよ」
アスカは、小さく安堵の笑いをこぼした。やっぱり私はその表情が不思議で、目を丸くしてそれを見ていた。
私はさっきの、夢の世界での出来事を思い出す。あのとき聞こえた妹たちの声を。
「……ありがとうね、アスカ」
「えっ? 俺が助けたわけじゃないよ。助かったクロイーが凄いんだろ」
「そうじゃなくて……心配してくれて、ありがとう」
「……どうしたクロイー? らしくないぞ。って、おいやめろ! EGOで殴るな!」
ほんとに心配そうにそんなとぼけたことを言うから、私はアスカを小突いた。
そういう心配はいらなかったかなぁ!
それから目を逸らしたかった。
今日は楽しかったな。明日はどんな遊びをしよう?
山にひみつ基地を作ろうか。あの子の家までお出かけするのもいいな。少しだけ夜更かしもしちゃおう。
ぼくたちは狂ったように遊んだ。狂ったように走った。後ろから追いかけてくるなにかを見ないようにして。
きっとこの楽しい時間も、いつかは終わりをむかえるのだろう。
そんな小さな絶望は、見ない間にどれだけ大きくなったのか。
ひみつ基地にだれも来なくなって、走っているのはぼく一人になった。
ふり向くことを忘れて、ただ背中にいる怖いものの気配を感じる。
他の子はどこへ行ったのだろう? 追いつかれちゃったのかな。
いまは逃げきれているぼくも、いつかは追いつかれるのか。
でも、アリはいつしか追いかけるのをやめて、内側からぼくの身体をむしばんだ。
絶望がぼくのこころを満たす。
そんなこと、きっと忘れてしまおう。
楽しかったら、アリがしきりに話す言葉も聞こえなくなるんだ。
だいじょうぶ。明日はもっと楽しい遊びをするから。
ほら、蝉時雨が聞こえる……。
F-02-k49 『蝉時雨』『生き急ぐセンチコガネ』観測完了。