生粋のE.G.O.I.S.T   作:ペスト医師団

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T-03-k88『その全貌が明らかにされることはなく、ついに観測は打ち切られました。』

 

「…………ハッ!」

 

 気づくと、俺はなぜか安全チームにいた。管理作業をしていたはずなんだが……。

 

「アスカ! ……大丈夫?」

 

「ん? だいじょ……あっ」

 

 近づいてくる足音と声に顔を上げると、周りには福祉チームや安全チームの人が、武器を持ってこちらを見ていた。これってもしかして……。

 

「驚いた。キミって普通にパニック起こしたりするんだね」

 

「……またパニック起こしたんですか俺。えっと、皆さん、回復させてくれてありがとうございました」

 

 俺はWHITE武器を持った周囲の職員さんたちに頭を下げる。

 

 鎮圧を終えて安全チームの人たちがもともとの業務に戻っていくと、バレルが近づいてきた。

 

「大丈夫か? ずっとそこら中走り回ってたんだぜ、アスカ」

 

 徘徊性パニック、侵蝕は起きなかったのか……それなら良かった。でも、またパニックを起こしてしまうとは。気をつけなきゃな。

 

「……アスカ。パニックになる直前、自分がなにしてたか覚えてる?」

 

「えっと、新しく抽出されたアブノーマリティの観測を始めて……それっきりだな」

 

「T-03-k88が原因か。作業に失敗して攻撃されたんだろう。けっこう危険レベルの高いアブノーマリティだったのかもね」

 

「……なるほど」

 

 観測記録を書こうとしたけど、パニックして走り回ってるときに落としたのか、鉛筆がなくなっていた。

 

「すまんクロイー、鉛筆を貸してくれないか」

 

「……えっ? ああ、いいよ。はい」

 

「ありがとう」

 

 俺の言葉に一瞬驚いたような顔をするクロイー。チーフがいなくなってからずっと上の空なんだよな。

 

 俺も正直、けっこう動揺してる。俺は仕事に集中してなんとなくそれを誤魔化してるけど、チーフと仲良かったクロイーは仕事にも身が入ってない。

 

 まあ、そりゃそうだよな。俺は聞こえないようにため息をつく。

 

「初回観測、ダメージタイプは精神的WHITEか侵食BLACKダメージ……。推定危険度レベルは……」

 

 チーフがいたときは初回観測をチーフがやってくれて、俺はある程度の情報を知った状態で観測を始めることができていた。だけどチーフのいない今、最初から俺が観測を始めてる。

 

 最初から観測をやるの、キツすぎる。不意討ちも食らったみたいだし……いなくなってからありがたみに気づくとは。

 

 同じ気持ちのクロイーを慰めたいけど、前のクロイーみたいに背中のギフトをからかったら「え? うん」みたいな微妙な反応が返ってきて、ただ俺が傷心の人をからかうヤなやつになった。けっこう気まずい。

 

「ありがとう、これ今日一日借りていいか? すぐ返すから」

 

「あぁ、いいよ。……どこに行くつもり?」

 

「一応検査に行っとく。感染するタイプかも知れないから」

 

 ふうんとつぶやくクロイーにありがとうと言って、それから俺はふと、首を傾げる。

 

「そういえば今気づいたけど、みんななんか黒くない?」

 

 なぜか、みんなからどっと笑いが起きた。

 

 

 

 福祉チームの方で検査と簡易的な除染をしてから、また収容室に戻ってきた。さっきパニック起こした相手だから緊張して少し足踏みしてると、珍しい人がこちらに近づいてきた。

 

「よう」

 

「え……こんにちは部門長。どうしてここに?」

 

「君がパニックになったって聞いたから来たんだよ。仕事もちょっとは暇ができたところだしな」

 

 その人は福祉チームのハリー部門長だった。なかなか福祉チームの部門長室から出ない人だから、ここ、中央本部に来てることすら珍しい。

 

「体調は?」

 

「いまは問題ないです。おかげさまで回復しました」

 

「なかなか難度の高いアブノーマリティと会ったらしいな」

 

「そうなんですよ。それに、初回作業から観測をするのも初めてなので……けっこう難しいですね」

 

「そうなのか? 君には観測を担当させたつもりだったんだが……ああ、最初の観測だけアナスタシアが代わりにやってたのか?」

 

「え……はい。部門長は知らなかったんですか?」

 

「ああ、僕が指示したわけじゃない。アナスタシアが勝手にやってただけだ。全く、相変わらず優しいやつだよ」

 

 目を見開く俺に、部門長は笑ってため息をついた。

 

「それで……もう一度作業するのか? こいつの危険度WAW以上だぞ」

 

「え……そうだったんですか」

 

「かなり脱走圧が強かったからな。クリフォト過負荷をかける必要があった」

 

 あれ脱走するのか……。動くところも想像できないくらいだけど。

 

「作業してもまたパニックになるだけじゃないか? 無理なら別の職員に担当させるが……」

 

「それは多分大丈夫です。これを付けてきたので」

 

「へえ……、考えたな。それなら問題ないかもしれないな?」

 

 俺の手を見て、部門長は笑みを深める。でも、それはいい。そんなことより……。

 

「部門長、チーフの死因を聞かせてくれませんか? 俺、聞かされてないので」

 

「いまのチーフはメイベルだけどな。……すまないな、僕の口からは言えない。察しろ」

 

 

 

 釈然としないまま収容室に入る。

 

 この収容室には、生き物のようなアブノーマリティがいるわけじゃない。ただ、壁にガラスの板が嵌め込まれていた。ちょうど窓みたいな感じだ。

 

 ガラス窓なんだからそれを通して収容室の壁が見えるんじゃないかと想像してしまうが、ガラス窓を通して見えるのは、ただ『黒』だけだ。

 

 ガラスが黒いわけでもなく、ガラスの奥に見えるものがただ黒い感じ。

 

 そして。

 

「相変わらずでっけー……」

 

 そしてそれは、見上げるくらいには、大きい。縦横ちょうど4mくらいか。

 

 それを収容できるようにと、収容室自体も広かった。外から収容室を見たときより明らかに大きい。空間拡張技術だろう。なんとなく分かってたが、収容室自体にもいろんな技術が使われてるんだな。

 

 さて。この窓がアブノーマリティってことらしいが、全く適切な作業がわからない。パニックになったときは窓の掃除をしたんだが、同じことをするほどの勇気はちょっとないな。

 

 さっきのはアブノーマリティに直接触れて掃除をしたから……たぶん本能作業ってことになるんだろう。今回は洞察作業にするつもりだ。

 

 俺はかき集めてきた洞察作業用の道具箱を置く。掃除……ただの窓が収容室内の掃除について嬉しがるのか? まあやってみるか。

 

 部屋の拭き掃除や掃き掃除をしてみる。元々使われていない収容室だったからかなり埃が溜まっていた。

 

 とはいっても、掃除をすれば必ずアブノーマリティが喜ぶわけじゃないんだけど……少なくともこのアブノーマリティは少し落ち着いてる気がする。

 

 だけど、まだ観測の済んでいないアブノーマリティ、どうしても不機嫌にはさせてしまうみたいだ。

 

 強烈な視線、そしてうなり声のような、地響きのような轟音が収容室を揺らす。精神に圧力がかかる。精神的WHITEダメージ……それもかなり大きな。

 

ゴゴゴゴ……

 

 これだ。まるで、巨大なものが声を上げようとしているかのような。そして、巨大なものに睥睨(へいげい)されているような感覚。小さい虫が自分よりはるかに大きい人間に感じるような本能的な恐怖が、頭を満たす。

 

 目をつむった俺は息をゆっくり吐いて、自分の指と、そこにはめられた指輪に、意識を集中した。指輪といっても……それはツール型、欲の指輪だ。

 

 欲の指輪はゆっくりではあるが、傷ついた精神力を回復させてくれる。精神が落ち着くまで待ってから、作業を再開した。うん、これならパニックも起こさず観測を続けられる。

 

 それからは掃除をしたり、音楽を切り替えて収容室にかけるのに適切な音楽を探したり、空気清浄機を稼働したりと洞察作業を続けた。まあ、おおむね良い結果が出たんじゃないか。

 

 ちなみに音楽で一番反応が良さそうだったのは、深海で録音された自然音の音声だった。海関連のアブノーマリティなのか? そうは見えないけど……。

 

 ただ、作業中に変なことがあった。黒かったガラス窓が一瞬だけ、別の色に変わった気がしたんだ。上下から閉じて開く……まばたきのような動きで。

 

 まあ、流石に気のせいか。窓の大きさは4m×4m。その全部が一つの黒い目だっていうなら、あまりにも大きすぎるし。

 

 でも俺はやはり背後に視線を感じながら、作業を終わらせて収容室を出た。

 

 

 

「今朝渡された書類の形式初めて見たんですけど、あれなんて書けばいいんです?」

 

「そうですね、あれは……」

 

 オフィサーのナンシーさんと談笑しながら目的地に向かってる。ナンシーさんは俺と違って事務職員で割り当てられた業務こそ違うが、事務作業をする机が隣合わせなので、こうしてけっこうおしゃべりすることがある。

 

 ちなみに喋るようになったきっかけは肖像蛇のときの一件だったりする。

 

「ん……?」

 

「どうしました?」

 

「いや、いまなんとなく違和感が……」

 

 その瞬間、左の壁が……一瞬にして黒くなった。

 

「なっ……!?」

 

 自分の目を疑う。

 

 見回してみると、廊下の壁が一面黒くなっていた。扉があった部分も、へこみがあった部分も、すべて。塗りつぶされたように、ただ、黒い。

 

 すぐに、スピーカーから聞こえるアナウンスが事態を伝えた。

 

『T-03-k88が脱走しました……』

 

 アナウンスはそれ以外にもいろいろ言ってたけど、その情報だけで十分だ。

 

 これがあの黒いガラス窓か。しばらく前に初回観測をしたけど、流石にこの支部で一番危険度レベルが高いWAWを意図的に脱走させる許可は降りなくて、脱走時観測はしてなかった。

 

 確か部門長がそういうことを言ってた気がするけど、ほんとに脱走するんだな……。

 

「アスカさん」

 

「ええ! 俺は鎮圧に移るので、ナンシーさんは逃げてください」

 

 俺は額縁のメイスでガラス窓に殴りかかる。すると微かに、地揺れと轟音が廊下に響いた。

 

ゴゴ……

 

 さすがWAW、手応えがない。しかしさっきの地響きによるダメージも小さな精神的WHITEダメージだったから、攻撃を続けることはできた。

 

 ただ、俺の『体質』は警鐘を鳴らしていた……なんでだ?

 

「アスカ! 鎮圧に来た。この黒いのを倒せば良いのか!?」

 

「バレル! ああ! こいつを割れ!」

 

 懲戒チームが増援に来て、ガラス窓への攻撃を始める。俺の勘が間違ってるなら、これですんなり鎮圧できるはずだ。

 

 だけど……やっぱり違和感は残る。

 

ゴゴゴ……

 

「ダメージがだんだん上がってきたな……パニックの恐れがあるやつは先に戻れよ!」

 

 向こうのチーフが懲戒チームの面々にそんな指示をしたのが聞こえる。それで、気づいた。

 

ゴゴゴゴ……

 

ゴゴゴゴゴ…………

 

 大きくなっている。いや、音が、地響きが、近づいてきていた。

 

 俺は叫びながら、廊下の出入り口へと向かう。

 

「全員、この廊下から出ろぉぉおおおお!!!」

 

「な!?」

 

 驚いた声からしばらくして、後ろから遠ざかる足音が聞こえる。良かった、警告は伝わったらしい。

 

 彼らは反対側の扉から出たんだろう。だけど、逃げ遅れた人もいた。俺の行く先に、ナンシーさんが見える。ここの廊下は長い。まだ出られてなかったのか。

 

 ナンシーさんの手首を握って、出入り口の扉まで走る。

 

「ナンシーさん、速く逃げないと!」

 

「アスカさん、危険なんですか!?」

 

「はい! 俺の勘だけど、これからこの廊下全体が攻撃を受けるはずです。それもかなり大きな!」

 

ゴゴゴゴゴゴ…………

 

 走ってる間でも、音はかなり大きくなっている。マズい、早く出ないと。

 

「ナンシーさん、怪我したらすいません。急ぎますよ!」

 

「だっ、大丈夫です!」

 

 ナンシーさんの身体をまるで引きずるように引っ張って、走る足を速める。

 

ゴゴゴゴゴゴゴ!

 

 音と揺れが限界まで大きくなって頭が痛くなりながら、それでも出入り口に着いた。扉を開いて、廊下から出る。

 

 ふぅー……と、ナンシーさんの手首を掴んだまま、息を吐く。

 

「良かった……逃げられましたね、ナンシーさ……」

 

 俺は後ろを振り返って、絶句した。掴んだ手首がだらんと下がる。

 

 さっき開いたままの扉の先、廊下の景色は、ナンシーさんと一緒に黒く塗りつぶされた。まるでそこに黒い巨大な何かがいるかのように、廊下は何も見えない。

 

 ギリギリ腕だけ間に合ったのか、俺は肩の部分が引き千切られたナンシーさんの腕を持っていた。肩のなくなった腕は支えをなくし、いまは床にだらんと垂れ下がっている。

 

 いや、こんなの間に合ったと言えるものか。

 

ゴゴゴ……

 

 ドップラー効果のように音の高さを変え、音と揺れと、黒い何かは通り過ぎる。廊下の景色も見えるようになって、ナンシーさんの姿を探してみるが、小さな血溜まりしか見つからない。

 

 食われたのか、押し潰されたのか、存在ごと消滅させられたのか。死因すら分からない絶望的な殺し方。

 

 もっと早く気づけていたらナンシーさんも助けられた。……次こそは。

 

 俺が決心していると、アナウンスが聞こえた。

 

『T-03-k88が移動しました。場所は……』

 

 俺はその方向へと向かう。同じ悲劇を生み出さないために。

 

 

 

 

 

 今日の休みはぼくの大好きな水族館!

 

 毎月来ても小さい鯨や人魚ショーを見るのは飽きないし、人食いヒトデの子供や提灯ザメと触れ合うのも大好き!

 

 でも、最近はこの水槽を見るのにハマってるんだ。

 

 それは青くて大きな大きな、巨大な水槽。明かりはついているのに、水槽の奥は暗くて見えないんだ。

 

 いくら走っても向こうの端っこには着かないし、首が痛くなるくらい上を向いても天井が見えないくらい、その水槽は大きい。だけど、いつもその水槽には魚がいっこも見当たらなかった。

 

 最初は『深海を模してるのかもしれない』と言って一緒にこの水槽を訪れていたパパも、飽きたのかもう来ない。『水槽じゃなくて、ただの壁なんじゃないか?』とここに来るぼくを引き留めようとする。

 

 でも、一度だけぼくは見たんだ。

 

 水槽の中、ぼくの足元の水族館の床よりも低い、深い場所。底なしに見える水槽の底をガラス越しに見下ろしたとき、チラチラと動く小さな影を。

 

 パパの言ってることは間違いだ。普通の壁はこんなにひんやりスベスベしてないからこれはガラスだし、あの影はきっと魚なんだ。きっと深海魚だから、水槽の底にいるんだろう。

 

 大人になったら、今よりも身長が高くなれば、もっと底が見下ろせるようになる。そしたらきっとあの魚がまた見れるんだ。

 

 その日を心待ちにしながら、今日もまたあの水槽を見る。

 

……

 

 大人になって、僕は気づいた。あの黒い影は瞳孔だ。いままでの青色は……虹彩。

 

 水槽の深いところにあったそれは、いまや目の前にある。全身で、その巨大な何かと目が合っていた。

 

 僕は未だそれの、巨大な『目』しか見ていなかったのだ。

 

 青い水槽は、いまや黒い水槽になった。

 

 

 

T-03-k88『黒い水槽』観測完了。

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