孤島の丘に建つヴィクトリアン様式の屋敷にたどり着いて、これまで歩んできた道を振り返った
大西洋は荒々しく波を立て島の端を削り取っていく。その遥か奥、水平線は霧に
この孤島が、すべて一人の老人の持ち物であるという事実に、私は思いを
行く先に視線を戻して屋敷を見上げると、赤みがかったレンガの外壁には
屋根の急な勾配と煙突のシルエットが、まるでこの島の孤独を象徴するように、空に鋭く切り込んでいた。
私が訪うと、
屋敷仕えの従者であるという彼に案内され、よく手入れされた屋敷の廊下を進む。やがて彼が足を止め、私はその部屋に足を踏み入れた。病室という言葉とはとうてい結びつかない
オーク材の床にペルシャ
海の見える窓が老人の病床を照らす。
彼は半身を起こし、深緑のベルベットガウンをゆったり羽織っている。
ベッドの脇にはまるで私の訪問を予期していたかのように、
老人は水平線を遠く見渡して、感情を一切伺わせない表情のまま黙っている。
従者に促され室内を進むと、従者が一礼する気配がして、部屋のドアが締められた。その音に反応したように彼の視線が窓から外れ、わずかに私を捉えた。
私は思わず息を呑んだ。
閉ざされた空間に、二人きり。
ーーなんということをしてしまったのだ。
束の間後悔さえした。張り巡らされた蜘蛛の巣に、何も知らず足を絡めとられた蝶のように。
……このような場所に、来るべきではなかった。そう思わされた。
私は緊張に固まる自らの所作を気取られないように努め、よろしくお願いします、とようやく言った。記者の挨拶としては、それはやや不適切だったろう。
私は私に向けられた彼の視線に、すべての立場を奪われてしまったように感じた。お前は何者だ、と言外に問われた気がした。
私はようやく彼に名を告げ、いつも取材対象にそうするように、手を差し出した。
握手。かつては宗教の関係でそれを
彼はやや苦労するように腕を上げ、私の手を取った。握り返してくる力はあまりにも弱い。これがかつて数多の敵対者を表裏問わず葬り去ってきた……時代の変革者、
そのような感情を察したのか、彼は少し顔を傾け、再び私を視線で捉えた。
「こちらこそ、よろしく」
弱々しい手の力とは違い、彼の言葉には力があった。そして視線には射られるような鋭さも。
「……もと
彼の発する相対するものの心根を測るような気配に耐えながら、私はようやく持ち込みを許された手帳を開いた。
企業連による
事実、ORCA事件の終結以降、彼だけでなく、生き残った
だが、私には秘策があった。
私にならば、きっと彼は会うといってくれるだろうという秘策が。
この身体に巡る血によって、私は彼に会うことができるだろう。
……そしてそれは功を奏した。取材許可が下り、彼の居住するこの孤島への立ち入りが許されたのだ。
もちろん容易にではない。凄まじい量の事前契約と執念的なまでのボディチェック、掲載記事の自由検閲契約などの条件をすべて飲んで、ようやく彼の前に立つことができた。そう思えば、一種の感慨深さのようなものさえ感じる。しかし、これでようやく入口に立てたというだけの話だった。
電子録画機器のたぐいはすべて没収されていた。私はようやく持ち込むことを許されたメモ帳を開く。
「光栄です。時代の英雄……しかもその始祖たるオリジナルの貴方とお会いできるとは」
私の言葉にさして興味も示さず、彼は弱々しく呼吸した。そして私の言葉を遮る。
「君が何を求めるのかは知らないが――」
私を測るような視線。
「あまり期待はしないでくれ。何しろ、このような身の上だ」
「いいえ、紛れもなく、時代を作った方です、あなたは」
彼の鋭い目の光にも、少し慣れてきたようで、私は冷静さを取り戻しつつあった。もしかしたら、それも彼の思い通りだったかもしれない。
「そうかね。まあ、それでもよい、別に」
リンクス戦争。そしてORCA事変とそれに付随するいくつかの戦争。それらは今を生きる我々にとって未だ“過去”になりきれない、生々しい人類の傷だった。
管理資源戦争の終結、宇宙開発の再開、衛星軌道紛争、ORCA残党討伐、そしてコジマ粒子の除染技術の確立――。
それら目前の“未来”に忙殺され、皆が皆、あえて目を逸らしている。だからこそ私は。世界にはいま、彼の言葉が必要だと思った。
「退役の条件として、私は命以外のすべてを差し出した。……筋力の大半。AMS接続のための人工端子。そして、記憶。いくらかの金と、この屋敷は残ったが」
戦争後期、
財団どころか、企業連、カラード……複数の組織の闇に身を置き続けてきた彼の退役について、公式な情報は驚くほど残っていない。
多くの軍事記者は、退役とはすなわち暗殺だろうと噂した。
かくいう私も、その可能性を見ていた。軍籍を抜け、退役将校扱いで隠居している、という情報を得た時の驚きを今も覚えている。
そんな彼に退役条件として突きつけられたのが“記憶封鎖処置”というのはいかにもBFFらしいと思えた。殺すには顔が知られすぎ、生かすには都合の悪い内情を知られすぎている。
AMS接続端子の埋設処置は、万が一にも他社に接続者として利用されないためだろう。老体には危険な処置なのだという。
「何を訊く? 私に」
彼の問いに、私は居住まいを正す。これまでの苦労の対価として、王小龍と向き合わねばならない。
――かつての戦争の主役は誰か。
戦争の英雄として人々の口の端に上るのは、まずふたつ。
リンクス戦争で数多の接続者を葬り去った、立志伝上の英雄、アナトリアの傭兵。そして身を懸けて革命を志した、マクシミリアン・テルミドール。
そしてクレイドル市民をORCA旅団から守るために抗った英雄、レイテルパラッシュのウィン・D・ファンションとマイブリスのロイ・ザーランドなどが挙がるだろう。
しかし、私の見解は違う。そうではない、と私は思う。
個ではないのだ。個人ではなく、塊として、世界を動かした存在。そういう目で過去を見渡すと、見えてくるものはまるで変わってくる。
ORCAでいえば、メルツェルと名乗った参謀。最後のORCA、ストレイドの
リンクス戦争でいえば、砂漠の狼・アマジーグ。あるいは、フィオナ・イェルネフェルト。
――そして。
それらすべての英雄の影の影……そこには、ある
それは今、歴史の上から葬られるように、ただ「居た」とだけ記されようとしている。「そのような者も居た」と。
何か、大いなる力によって。
私は息を整えて、彼に向き直った。冷えた炉に火を入れるように、祈りにも似た気持ちで。
「――真実を。あなたの眼に映った真実を、訊きにきたのです」
Interview with the Lynx. 01
続く