Interview with the Lynx   作:羽純

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Interview with the Lynx. 03

 ―――ただ、命令に従った。それだけの事だった。

 

 英国、ノーサンバーランドの山裾(やますそ)に小さな町がある。今となっては名前すら胡乱(うろん)な、本当に小さな町だった。地図で見ても都市部からはかなり離れており、軍の駐屯地からも遠い。

 世の混乱からも傍目には縁遠く、慎ましやかに林業を営んでいた町だ。鬱蒼(うっそう)とした林を背に、あとは農地といくらかの民家――その程度の町なのだと聞いた。

 

 そんな町の郊外にある、古くから続く貴族の屋敷の守衛(ガード)――と祖国から拝命した時、王小龍(ワンシャオロン)は自分の耳を疑った。

 これは軍人の、しかも仮にも士官たるものに下される任務ではない。

 軍人崩れの退役伍長が、小銭を得るために請け負うような――と、当時の王小龍は憤っていたはずだ。

 

 当時、経済不安や度重なる国家間戦争により、支配基盤としての国家の権威は失墜、治安は悪化の一途を辿っていた。先進国の大都市はまだ秩序を保っていたが、それでも社会全体に極めて強い緊張感が漂っていた。

 情勢に敏感な者は、既に“その後”の事を考え始めていたようだった。

 この別荘の持ち主も、自分の財産を守るために早々と軍に助けを求めた、ということなのだろう。

 だが、どれだけ当てにされても国家軍にそんな余裕はなかった。いくら貴族の当主の頼みとはいえ、都市部にはどこも地下反抗組織がのさばっていたし、治安維持軍は市民の激発を抑えるのに手いっぱいだ。

 

 だから、私か――と、王小龍は嘆息した。急造したはいいが、使いあぐねていた外国人部隊のお飾り少尉。依頼してきた貴族の面目を潰さず、大して使い物にならない兵員の有効利用を――。なるほど、この使い方を思いついた上官はそれなりに頭が回るやつだったのだろう。

 

 田舎の貴族の屋敷の見張り番。世界を変えてやろうという、若く愚かな問題児の意思を挫くには十分な任務だ。くだらない、勝ちも負けもない、有限の時間を浪費するだけの――。

 

 ……だが、それでも命令は命令だった。

 

 実際に町に赴いてみて、王小龍の気はいっそう重くなるばかりだった。道すがらわずかにすれ違う住民たちには、世界がひっくり返ろうとしているという危機感はない。ただうっすらとした、形のない閉塞感ばかりが立ち込めている。

 寒々とした薄曇りの空は、そんな気配をいっそう強調しているように感じた。

 

 軍支給の自動二輪車(オートバイ)で大通りを外れ、町を脅かすように屹立(きつりつ)する林を縫って小路へ進む。バイクを降りてさらに歩く。何度うんざりすれば――と王小龍はぼんやりと考えていた。

 

 林の奥に続く道には、風で鳴る葉の音ばかりが聞こえていた。数十分ほど歩くと、ようやく目的の屋敷が見えてきた。古びた装飾の外門以外は鉄柵で庭ごとぐるりと覆われている。さして広くない庭の奥には、古い屋敷が忘れられたように佇んでいた。

 

 外門は錆びつき、庭を囲う石壁は所どころ黒ずみ、苔に覆われている部分すらある。屋敷への小路に落ちた小枝は拾われず、枯れ葉は誰かに踏まれた形跡もない。手入れが行き届いていないことは明らかだった。

 かつてはそれなりに名のある貴族の別邸だったのだろう。門扉の装飾と、敷き詰められた石畳がその名残をかすかに伝えていた。頭上に掲げられた家紋を思わせるレリーフが、今も威厳だけを保とうとしているようだ。

 貴族が権勢を失うと、おおよそこのようになる――という見本のようなありさまだった。

 

 王小龍は屋敷の扉の前に立つ。立派だがくすんだ色合いの外扉に見えるインターホンの呼び出しボタンを押し込んだ。

 

「陸軍十一師団、外部歩哨局(がいぶほしょうきょく)の者です」

 

 応答はない。王小龍はもう一度インターホンを推すか束の間迷った。その精神の間隙を縫ったように、幼い女の声が突き刺さった。

 

「――誰?」

 

 

 

 Interview with the Lynx. 03

 

 

 

 正門から裏手へと続く小路に、少女が立っていた。燻る灰のような影――そのような印象の少女だった。

 髪も衣服も黒だったが、それ以上に纏う空気そのものが黒く(もや)ついている。そして、私を射抜いてくるこの目の温度は何だ。

 互いに異物を見定めようとする数舜が過ぎた。

 

 王小龍は事前に上官からこの屋敷に暮らす主は十四歳の少女だと聞いていたのを思い出し、彼女を値踏むのをやめて姿勢を正した。

 

 

「英国陸軍、王少尉です。屋敷の護衛に着任いたしました」

「そう」

 

 肯定を含む相槌の後、彼女は私に興味を失ったようだった。妙な異人種の、見知らぬ男。その正体が割れれば、それは異物ではなく路傍の小石であるとでもいったようだ。

 屋敷の扉の前で立ち尽くしている王小龍の横を通り抜け、少女は屋内へと消えていった。

 

「入って、左」

 

 ただ立っていた王小龍に、屋敷の奥から声が返った。さきほどの少女の声だった。王小龍が意味を測ろうとする前に、もう一度声が届く。

 

「守衛室」

「ああ――はい」

 

 それきり無音になった屋敷に足を踏み入れ、彼女に示された左に進むと、やがて守衛室の札がかかったドアにたどり着く。手入れは必要最小限――よく解釈してそれだ――に留まった守衛室の椅子に腰かけ、王小龍は大きく溜息をついた。静寂の室内に、それは思ったより大きく響いた。

 

 

 

 新たな勤務地で何日か過ごすうち、ぼんやりとこの屋敷の全容も窺えるようになってきた。主であるあの少女は、この屋敷に一人で暮らしているようだ。何人かの侍従(メイド)を雇っているようだが、この屋敷で寝泊まりしている様子はない。早朝に屋敷を訪れて家の管理を済ませ、夕餉(ゆうげ)を整えて帰っていく。そういう距離感は、彼女が意図的に作り出しているのだろう。

 少女は侍従たちと最低限の会話はするようだが――王小龍に何かしら言葉をかけることはない。無論、護衛の任を果たすにあたり必要な会話はあり、いくつかの質問をする機会はあった。

 彼女が自分を測っているような気配があったのも最初の何度かだけで、それ以降は――興味を失ったように、無用な接触を拒んでいた。

 

 屋敷の巡回をし、監視カメラの映像を注視し、時には庭の外にまで巡回の足を延ばす。念のため侍従たちが持ち込んだ買い出しの中身をチェックさせてくれ、と申し出た時に多少訝しがられたものの、それも拒まれることはなかった。

 彼女がどこかに出かけるというのなら――それは“屋敷”の警護ではないのだが――自分も同行して身辺を守っただろうが、一向にその様子はなかった。

 屋敷の庭の境界が、彼女の行動範囲のすべてだった。誰かに禁じられたのか、自分から戒めているのかの判断は難しい。

 

 少女は基本的に自室にいるか、天気のいい日は庭でぼんやりしているかのどちらかで、尋ねる友人もなく、打ち込む趣味があるようにも見えなかった。

 巡回中に庭の隅でじっとしているだけの彼女を見かけるたび、出会った時に感じた、彼女の胸の内に潜む何かしらの「温度」を思い出していた。

 

 くだらない仕事だ、という消し難い思いはある。だが、そのくだらない仕事を怠けてしまうのは――なんというか、耐え難い。

 誰に評価される仕事でもない以上、せめて自分くらいは自分の仕事を認めてやらねば、どこまでも人は堕落していけるのだと、王小龍は思っていた。

 

「つまらなそうに生きてるのね、お前」

 

 日々の仕事にも慣れ、業務を効率化していくうちに、ついにこの日、やることが早々になくなった。あまりに暇なので荒れた庭の手入れや、屋敷の細かな修繕もやっていいかと少女に尋ねたところ、無表情のままそう言われたのだった。

 

「そう見えますか」

 

 会話らしい会話をしたのは、それが初めてだったと思う。

 

「直すのも壊すのも、好きにしたら」

「ありがとうございます」

「……お前の暇が、それで紛れるとは思えないけれど」

 

 そういって、彼の幼い主は自室へと戻っていった。侍従や給仕への当たりはもう少し柔らかかった気がする。無理もない。

 一人暮らしする娘を心配した親が勝手に送り込んできた、どこの出身かもわからない軍人なのだ。毛嫌いされたり、あからさまに拒絶されたりしないだけマシなのだろう。

 もともと、人に好かれるようなタイプでもないのだし――。

  

 

 

 業務の片手間に一人でやるにしては、屋敷や庭の荒廃は手に余る――。やりはじめてから後悔もするのだが、かといってやめてしまっても暇になるだけだ。何事も適当にはこなせない己の性分を呪いながら、庭の枯葉を掃き集めていた。いずれ世界を動かすような軍人になったとき、伝記を飾る賑やかしにくらいはなるだろう――などと、自嘲的に考えながらだ。

 庭の面影がようやく伺えるくらいに整えられた頃、ふと屋敷を見て、二階から自分を見下ろす視線に気づく。

 自室の窓から、少女が自分を眺めている。王小龍の見返す視線に気づいても、彼女はじっと王小龍を見定めているようだった。

 やはり、あの目は。王小龍は彼女を見るたびに感じ取る「気配の強さ」に、一瞬息をのんだ。

 

 同年代の少女に比べてやや背が高く、不健康な色白の肌。長い黒髪。外見だけで見れば、特段特徴のない――やや不健康な少女だった。上等だがやや古い年代の黒のワンピース姿のことが多い。

 

 ある日の夕暮れ、少女が薄着で庭に佇んでいて、王小龍を驚かせた。ノ―サンバーの冬の日である。風邪をひくから、と屋敷に促そうと声をかけようとして、不意に視線が絡んだ。その時も、目の奥に潜む、なにか恐ろしい気配に驚いたのを覚えている。

 怒りのようでもあり、野心のようでも、全てを諦めたような絶望のようでもある。彼女の奥底にため込んだ感情が何であったか、若かった自分には読み取ることはできなかった。興味がないではなかったが、そうする必要性も、感じてはいなかった。

 おかしな子供だ、といつも思っていたような気がする。

 

「ねえ」

 

 ――この時もそうだった。

 

「お前、銃は撃てる?」

 

 いつもより、少し上擦った声。庭の手入れをしていた王小龍が振り返る。

 

「教えなさい。私に」

 

 覆いかぶさってくるような怖気。圧力。その奥に僅かに感じる、小さな決意。

 

 自分に、何かひとつだけ特別な才能があるとしたら、あの瞬間、それを読み取ることができたということなのかもしれない。

 

 

 ……私は答えた。

 

 

 つづく

 

 

 

 

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