僕のヒーローアカデミア ヒノカミ英雄譚 作:枝那
ワン・フォー・オール フルカウル ブレススタイル
「アレって…全集中の呼吸だよな?火神?」
異質な雰囲気を身に纏う緑谷を見て、上鳴が縁壱に尋ねた。
今緑谷の身に起こっている変化、その要因を彼らは知っていた。
全員が彼に視線を向ける。食い入るように二人の戦いを見ている爆豪を除いて。
「ああ。上鳴の言う通り、今の緑谷は全集中の呼吸を使用している」
「でも、まだ俺達には使えないって前に…」
「確かに、俺が皆に教えた呼吸は未発達の体に合わせた未熟なものだ。それは緑谷も同じ」
「だったら、なんで」
「だが、そもそも全集中の呼吸の本質は増強された肺によって酸素を大量に取り込むというものだ。そして、緑谷の“個性”は単純な身体強化」
「恐らく、今の緑谷は“個性”で肉体を強化することで呼吸の力を強制的に引き出している状態にある。本来ならば数年かけて辿り着くはずの境地に、彼は足を踏み入れたのだ」
「マジかよ……」
上鳴が信じられないといった口調で呟いた。他のクラスメイトたちも緑谷の急成長に驚きを禁じ得ない。
「だが、それはとても危険なことなのではないか?」
「そ、そうだよ!全集中の呼吸って前教えてもらったやつでもすっごいキツかったよ!?なのに“個性”を使いながらなんて……デクくんすっごい無理してると思う!」
常闇の指摘に続けて、麗日も慌てた口調で捲し立てるように言った。その言葉を聞いた他の者たちもハッとなって再びステージに視線を移す。ハラハラと、手に汗を握りながら緑谷を見つめる。
「ああ。体への負担は相当大きいだろう。緑谷は、超短期決戦で勝負を終わらせるつもりだ」
(凄い……全身に力が漲るのを感じる……これが、全集中の呼吸……!)
大量に取り込まれた酸素が、血管を通して彼の全身の隅々まで行き渡る。ステージの冷え切った空気とは裏腹に、それが気にならないほど身体が熱い。気を抜けば力が溢れて爆発してしまいそうだ。
(突然雰囲気が変わった)
震える体を抑えながら、轟は緑谷を凝視する。
(さっきの音…コイツ、土壇場で全集中の呼吸を使いやがった…!)
緑谷は動かない。
恐らく、呼吸と“個性”との掛け合わせという未知の領域に慣れていないのだろう。
隙だらけ。しかしながら、轟は緑谷から発せられる肌を突き刺すようなプレッシャーを前に無意識のうちに一歩後ずさる。
想起する。その姿はまるで――
(ッ、なぜ今
左手で自分の頬を叩き、思考を切り替える。今は他のことに気を取られている場合ではない。再び緑谷を見据える。
覚醒した緑谷に攻撃させるのは危険だと判断し、先手必勝で轟は“個性”を発動する。
分厚い氷の塊が、その場で佇んでいる緑谷に向かって突進する。
轟は何も考えず緑谷を観察していたわけではない。冷気で弱っている今の体で、いつでも“個性”を発動できるように準備をしていた。
序盤に繰り出された氷結と遜色ないそれが、緑谷を呑み込まんと迫りくる。
ソレを緑谷は避ける仕草すら見せず、腰を落として右肘を引いている。
フゥ、と白い息を吐く。右腕に力がこもる。
「デトロイト…」
轟の氷結は今の緑谷の“個性”の許容上限では破壊することは不可能。それは轟が弱体化した今でも同じ。圧倒的物量攻撃を前に、緑谷は為す術なく場外へと押し出されるだろう。
かつての緑谷であれば。
「スマァッシュ!!」
引いていた拳を、勢い良く正面に向けて突き出す。遂に氷壁と彼の拳がぶつかり合ったその瞬間、ガラガラと重い音を立てながら氷の破片が辺りへ散らばる。
「――な、」
『なんとォ!緑谷、轟の氷結を真正面から粉!砕!!』
轟が再び目を見開いた。破られることのなかった自身の砦が、いとも容易く破壊されたことに衝撃が走る。
にわかにプロヒーローたちが騒ぎ出すなか、緑谷は轟が生み出した氷の壁を砕きながら進み始める。我に返った轟は、即座に追加の氷を作り出し、緑谷を押し出そうとする。
しかし。
『緑谷、轟の氷結をものともせず破壊していくゥ!!突然のパワーアップに見ているヤツらはワクワクが止まらねェ!!』
拮抗していたのは最初だけ。轟がいくら氷を作り続け、その道を阻もうとも、緑谷は止まらない。それこそ薄氷を割るかのように、緑谷は氷の城壁を壊して、壊して、壊し続ける。
緑谷出久の“個性”『
緑谷は『OFA』で強化した身体機能を以て、縁壱から教わった『全集中の呼吸』の力を無理やり引き出していた。そして同時に、呼吸で強化された肉体は今の彼に許される『OFA』の天井を打ち破った。これは緑谷にとっても予想外のことであった。8代に渡って継承されてきた”個性”と全集中の呼吸の組み合わせは、縁壱ですら気付き得なかった相乗効果を生み出したのだ。
氷を砕き続けた果てに、緑谷は辿り着いた。轟まで1メートルもない。勢いそのままに、彼は轟の顔面に向けて、その拳を突き出して――
(………え?)
モノクロームの世界。八つの影。それは第一回戦、心操の洗脳を受けた時に見たものと同じだった。
『それ以上はダメだよ』
時間と時間の狭間で、その影の一つが緑谷に手を差し出す。
音にならない音が、彼に向けられる。
何を言っているのかは彼には分らなかった。けれど、その眼差しはとても優しく、慈しみを持ったものに見えて――
「―――ハァ!ハァ!ゼェ、ハァ……!!?」
緑谷の拳が轟に届くことはなかった。彼はその場に倒れこみ、陸に打ち上げられた魚のように呼吸を荒くする。観客たちが唖然とする会場に、喉を掻き切るような痛々しい呼吸の音が鳴り響く。
肘をついて上半身を起こしながら、緑谷は先程の現象を考える。
(さっきの影は歴代OFA継承者の…!また助けてくれたのか!?)
体の震えが止まらない。それは冷気によるものではなく、全集中の呼吸とOFAを併用したことの跳ね返り。心臓の鼓動がうるさい。脂汗が滝のように流れ、顎を伝って地に落ちる。
「――どうして」
呆然とする轟の口から不意に漏れ出た、「なぜ」という問い。
その拳があと数センチメートル先に伸びていれば自分は負けていた。自分を上回るほどの実力を発揮してみせた姿はもはや見る影もなく、緑谷はボロボロになって倒れ伏している。
どうしてそんな状態になってまで戦うのか。轟には理解できなかった。
荒い息を徐々に落ち着けながら、緑谷は口を開いた。
「勝つ、ためだよ……」
「そんなの、皆…」
「勝って!期待に応えたいんだ!」
限界の近い体を無理やり立ち上がらせる。
「カッコいいヒーローになるために!僕は勝ちたいんだ!!」
ふと脳裏に過る母との会話。轟の体が一瞬硬直する。
「だから!皆全力でやってる!」
ふらつきながらも、OFAで肉体を強化し、轟を殴りつける。その弱弱しい勢いからは想像もつかないほどの力に、轟は弾き飛ばされる。
「なのに君は、半分の力だけで勝って、完全否定する!?ふざけるなよ!」
「うるせぇ……!」
耳障りな言葉を黙らせるために、轟が氷結を発動しようとする。だが、冷気に侵された体は、それ以上の”個性”の使用を拒んでいた。
「だから、僕が勝つ!君を超えて!」
一進一退の攻防が繰り広げられる中で、轟の幼い頃の記憶が鮮烈に蘇る。
ついに限界を迎えた母に煮え湯を浴びせられたその日から、一日たりとも忘れることのなかった父への憎悪。父を完全否定するために、轟はここまでやって来た。
その原動力が、揺らぐ。
「親父をーーー…」
「君の!力じゃないか!!」
緑谷の祈りにも似た叫びが、体の最奥にまで響く。いつの間にか忘れてしまっていた、母との会話。父への憎悪の内側に隠されていた、轟焦凍の『
『なりたい自分になっていいんだよ』
轟焦凍の凍てついた心が融ける。
ゴォォオオオ!!
ステージから延びる天まで届くような炎の柱。全員が目を剥く。
「勝ちてぇくせに…ちくしょう…敵に塩を送るなんて、どっちがふざけてるって話だ…」
今まで氷の力しか使わなかった轟が、ついに炎を解禁した。
その顔には父への憎悪など欠片もなく。
「俺だって、ヒーローに……!!」
ヒーローに憧れていた少年の、晴れやかな笑みを浮かべていた。
「焦凍ォオオオ!!」
エンデヴァーが身体から放出している炎を噴き上がらせて雄叫びを上げる。
「やっと己を受け入れたか!!そうだ!!良いぞ!!」
「ここからがお前の始まり!!」
「俺の血をもって俺を超えて行き、俺の野望をお前が果たせ!!」
エンデヴァーの妄執に囚われた声援が会場に木霊する。
けれども、父の言葉は彼には届かない。
血やしがらみなど関係なく、今はただ目の前にいる好敵手を凌駕したい。
その想いだけが、轟焦凍の中で燃え盛っている。
『エンデヴァーさん急に“激励”…か?親ばかなのね』
「凄……」「何笑ってんだよ」
ようやく解放された轟の本気を目にして、緑谷は引き攣った笑みを浮かべる。
「どうなっても知らねぇぞ」
轟が左の炎の勢いを強めると同時に、右から氷を形成する。
それを見た緑谷は力を全身の隅々に行き届かせる。
余計な小細工など不要。自身の全身全霊を以て、この戦いを終わらせる。
(ありったけを…出来るだけ近くで……!)
腕に込められた力は文字通りの100%。緑谷自身も無事では済まない暴力が轟に向けられる。
「緑谷」
向かってくる緑谷に、轟は左腕を突き出す。
自身が忌み嫌っていた炎の力を惜しげもなく炸裂させる。呪縛から解き放ってくれた存在への、心からの感謝と共に。
「ありがとうな」
ズドォォオオオン!!!
力の奔流がぶつかり合う。
凄まじい轟音と共に、爆風が会場に吹き荒れる。
『何今の…お前のクラス何なの…』
『散々冷やされた空気が瞬間的に熱され膨張したんだ』
相澤が冷静に解説する。
ぶつかり合った二人の全力。セメントスが防壁を作って直撃を防がなければ、被害はこんなものでは済まなかっただろう。
プロヒーローたちは戦慄する。プロですら、この規模の攻撃を出せる者はそういない。
やがて白煙が晴れる。お互いの持つ全てをぶつけ合ったその結果は。
「緑谷くん、場外……」
息を呑み、手に汗を握る観客たちの目に映るのは、会場の壁に叩きつけられ気絶している緑谷の姿。そして。
「轟くん、第三回戦進出!!」
息を切らしながらも、しかとステージの上に立っている轟の姿だった。
歓声が沸き上がる。
二回戦第一試合勝者――轟焦凍。
◇
「緑谷のヤツ、エンデヴァーさんの息子に食らいついていたぞ」
「終盤の覚醒マジやばかったな」
「途中で限界が来なければなぁ…」
惜しくも敗れ去った緑谷に、プロヒーローたちからは拍手とともにその実力への賞賛の声が贈られる。
気絶した緑谷は医務室へ運ばれる。轟も会場へと戻っていく。
――医務室。
緑谷は右腕にギプスをつけ、リクライニングベッドの背もたれにもたれかかっている。
「右腕の骨折。粉砕骨折なんてことにならなくてよかったよ」
幸いなことに、緑谷の怪我は最後に放った100%による反動だけで済んだ。全集中の呼吸の負荷は体に残っているものの、それが後に悪影響を及ぼすことはない。
「ポンポン体を壊すことをしなくなったのは褒めたげる…でも、最後のは看過できないよ」
「はい……分かってます」
緑谷が遅れてやってきた痛みに悶えながら、申し訳なさそうに言う。
「
「面目ありません……」
ペコペコと弱弱しく頭を下げるのは痩せた姿のオールマイト。詳細は省くが、彼は自身が負った大怪我によりこのような姿に変わり果てたのだ。
リカバリーガールの説教が始まろうとしたその時、医務室のドアをコンコンとノックされる。
「どうぞ」
『失礼します』
入って来たのは麗日・飯田・蛙吹・峰田、そして縁壱である。
部屋に入ると、縁壱は座っているオールマイトの方にちらりと目を向ける。
「…怪我の調子はどうだ?緑谷」
(知らないフリしてくれた!ありがとう火神少年!)
「あ、うん、大丈夫。皆、試合は……?」
「ステージ大崩壊のためしばらくの間補修タイムだそうだ」
カクカクと腕を動かしながら飯田が説明する。彼らは傷だらけの緑谷を心配そうに見つめている。
「腕、大丈夫かよ…?」
「勝つためとは言え、何度もそんな風になるのは感心しないわ」
「ほんとゴメン…心配かけさせて」
緑谷は皆からの心配の声に苦虫を嚙み潰したような顔になる。すると、縁壱がベッドに近付いて彼に話しかけた。
「体は大丈夫か」
「あ、うん。でも、後になってドッと疲労が……」
「そうだろう。“個性”と全集中の呼吸。どちらも不完全な状態から無理やり力を引き出したのだ。体に負担がない方がおかしい。このようなことを本番で行うのは褒められた行為ではないな」
「ごもっともです……」
縁壱の正論に緑谷はうなだれる。
「体育祭が終わったら、俺が個人的に稽古をつけよう」
「え、いいの……!?」
バッと縁壱の顔の方を向いて目を丸くする。同行している者たちも驚いている。
「ああ。今のお前には、全集中の呼吸の手本が必要だ。“個性”を伸ばすのも重要ではあるが、お前の場合は呼吸の稽古も“個性”の成長に繋がるだろう。もっとも、俺に出来ることはそう多くないが」
「そんなことないよ!また火神くんの特訓を受けられるなんて、めちゃくちゃラッキーだ…!」
興奮し、痛みが走る右腕を咄嗟に抑える。
「緑谷ちゃんだけずるいわ。私にも訓練をつけてちょうだい」
「わ、私も!」
蛙吹が盛り上がっている二人に平坦な声で横槍を入れ、他の者たちも彼女に同調するように言う。それを見て緑谷は苦笑いを浮かべた。
「とにかく今は休むといい。呼吸の負担は完全には抜け切ってない。リカバリーガールもよろしくお願いします」
もうすぐステージの修復が完了する頃合いだろう。次の試合が始まるからと、皆医務室を後にする。最後尾にいる縁壱はふと扉の前で立ち止まると、緑谷の方に顔を向けてこう言った。
「最後に、一つだけ。確かに今回は残念な結果に終わってしまった。けれど、お前は轟との戦いで彼を縛り付けていたものを打ち壊すことができた」
「凄いよ、お前は。目先の勝利ではなく、轟の心を救うことを選んだ」
「そんな、僕はただ……」
縁壱からの称賛の言葉に、緑谷は照れくさそうに俯く。
「言いたいのはそれだけだ。しっかり体を休めろよ。…失礼しました」
そう言い残して、縁壱はパタリと扉を閉じた。
「…本当に立派だよ、あの子は。あんな目に合ったってのに」
縁壱が部屋を出た後の扉を見つめ。リカバリーガールはそう小さく呟いた。
「…ごめんなさい」
彼らが退室してしばらく経ったあと、緑谷はオールマイトに謝罪の言葉を述べる。
「約束、果たせなくて……」
「………」
ぽつりぽつりと自分の思いを吐露する。その言葉からはオールマイトの期待に応えられなかったことへの罪悪感がひしひしと伝わってくる。
「火神少年の言う通り、君は轟少年を縛り付ける何かを壊そうとしたんだね」
「…確かに、轟くん…悲しすぎて…余計なお世話を考えてしまった…。でも違うんです。それ以上にあの時僕はただ、悔しかった」
余計な口出しをせず、あのまま勝つこともできただろう。だが、彼は本気を出していない轟に勝つことなど到底納得できなかった。
「周りも先も見えなくなってた…ごめんなさい……」
クラスメイトの前では取り繕っていたが、その実彼の心は轟に勝てなかったことへの悔しさに満ち溢れていた。オールマイトは言葉を紡ぐ。
「確かに残念な結果だ。馬鹿をしたと言われても仕方のない結果だ…」
「でもな」
「余計なお世話ってのは、ヒーローの本質でもある」
「ーーーッ!!」
涙が溢れそうになる。
左手で頬を伝う涙を拭いながら、緑谷はオールマイトの言葉をしかとその胸に刻み付けた。
ぽこあポケモンマジで面白すぎて時間がいくらあっても足りない……