忌み嫌われて
白い肌に、紅い瞳。さらさらと流れる雪のような――それでいて髪先に少し紅色を残した白髪は、風になびくたびに頬を優しく撫でた。左の額からは一本の美しい角が生えている。しかし、右の額には、かつて角があったことを示す小さな瘤だけが残っていた。椿鬼――それが、この鬼族の姫の名前だった
鬼族の里は、深い森に囲まれた山奥にひっそりと佇んでいた。瓦屋根の屋敷が立ち並び、四季折々の自然と調和しながら、彼ら独自の文化を脈々と受け継いでいた。鬼族は、この世界において圧倒的な力を持つ種族だ。二本の角は、鬼にとっての力の象徴であり、誇りそのもの。実際に、鬼族の力の源は角に宿るとされ、角の有無が個々の能力を大きく左右する。
だからこそ、椿鬼のような角が一本しかなかったり、角が一本もなかったりする鬼は、この里では異質な存在とされており、「カタヅノ」や「ツノナシ」と呼ばれ、忌むべき存在とされてきた。彼女が生まれてきた時から、屋敷の者たちの視線は冷たかった。鬼族が本来持つ圧倒的な力も発揮できず、成長も遅い。おまけに病弱で、少し無理をするだけで熱を出すことも珍しくなかった。
それでも、彼女は鬼族の姫。当代最強の鬼と称される鬼族の長である父、暁鬼(あかつき)と、由緒正しい先代の長の娘である母の霜月鬼(しもつき)の間に生まれた娘だ。流石に公然と虐げることは許されなかった。だが、その待遇は「姫」という立場に見合わないものだった。屋敷の端にある、火の当たらない小さな部屋を与えられ、使用人たちは、椿鬼が近づくと露骨に顔を背け、囁き声が聞こえることもあった。「あれがカタヅノの姫か」「見るに堪えない」――そんな言葉が、幼い頃から椿鬼の心を深く抉(えぐ)ってきた。
両親は、椿鬼の存在を「一族の恥」と見なしていることを隠そうともしなかった。
「椿鬼、お前は本当に忌々しい娘だ。なぜ、お前だけ角が片方なのだ!」
父・暁鬼は、その太い眉をしかめ、幾度となく椿鬼を罵った。
母・霜月鬼は、冷ややかな視線を椿鬼に向け、感情のこもらない声で言い放った。
「せめて、政略結婚でもできればと思ったが……このままでは嫁ぎ先すら見つかるまい。一族の面汚しだ。」
そんな椿鬼にも、ようやく婚約の話が持ち上がったのは、彼女が十六になった年のことだった。相手は里の中でも指折りの名家の子息で、顔立ちも整った青年だった。
「椿鬼、これはお前にとって最後の機会だ。この婚約を破談にすれば、お前にはもう居場所はないと思え。」
父の言葉に、椿鬼は震える声で答えた。
「はい……お父様。」
この婚約が成立すれば、ようやく里での立場が安定するかもしれない。そう信じて、椿鬼はひたすら耐え忍んだ。常に頭巾を被り、角を見せないようにした。鬼族の姫が「カタヅノ」であるなどと知られたら、長の権威に関わる。椿鬼のことは、常に隠し通していたので、婚約者である貴族の青年は、椿鬼が「カタヅノ」であることを知らないはずだ。彼は椿鬼に優しく接してくれた。少なくとも、婚儀までは………。
婚儀が間近に迫ったある日のことだった。
婚約者との顔合わせのため、着飾って屋敷の広間へと向かっていた椿鬼は、廊下の曲がり角で不意に足をもつれさせた。病弱な体は、すぐにバランスを崩してしまう。
「あ……!」
咄嗟に手をついた瞬間、大切にしていた頭巾がずり落ち、隠していた右の額が露わになってしまった。
そこには、無残に抉られたかのように、角の根本だけが残る醜い瘤が晒されていた。
廊下の向こうから歩いてきた婚約者が、その光景を目にする。彼は、それまで見せたことのない、ぞっとするような表情で椿鬼を見た。
「……貴様、やはり『カタヅノ』だったのか!」
彼の声は、怒りと嫌悪に満ちていた。
「な、何を言っているのですか、貴方様……っ!」
椿鬼は慌てて頭巾を元に戻そうとしたが、彼の腕がそれを阻んだ。
「醜い!醜すぎるぞ!こんな忌み子を娶(めと)るなど、私の一族の恥となる!今すぐにでも婚約を破棄させてもらう!」
彼は吐き捨てるように言い放ち、椿鬼を突き飛ばすと、そのまま足早に去っていった。
その日のうちに、婚約破棄の知らせは里中に知れ渡った。椿鬼の絶望は、言葉にできないほど深いものだった。両親の屋敷へと戻ると、そこには怒り狂った父・暁鬼と、冷たい眼差しの母・霜月鬼、そして憎しみに満ちた顔の兄・錦鬼(にしき)が待ち構えていた。
「この役立たずが!お前は、この一族の、鬼族全体の恥だ!」
暁鬼の怒声が、屋敷中に響き渡る。その声は、椿鬼の心を打ち砕くには十分だった。
「せめて、隠し通せるとは思っていたが……期待した私が愚かだったわ。」
霜月鬼の冷ややかな声が、椿鬼の全身を凍り付かせる。
「出て行け!二度とこの里に顔を見せるな!お前のような欠陥品は、もはや鬼族ではない!」
兄・錦鬼の言葉は、椿鬼の心を完全に折った。
使用人たちも、まるで穢れたものを見るかのように椿鬼から視線を逸らし、誰一人として彼女を庇おうとはしなかった。彼らにとって、椿鬼はもはや「姫」ではなかった。ただの「カタヅノ」の忌み子だ。
その夜、椿鬼は震える体で身支度を整えた。わずかな食料と水、そして旅路の服。それだけを荷物に詰め込み、人目を避けるように屋敷を抜け出した。夜闇に紛れて里の門をくぐり、深い森の中へと足を踏み入れる。
「ああ……」
冷たい夜風が、椿鬼の白い髪を吹き乱す。頬を伝う涙は、すぐに冷えて乾いた。
どこへ行けばいいのか、誰を頼ればいいのか、椿鬼には分からなかった。鬼族の里の外は、鬼族が敵と見なす人間族が支配する世界だ。弱く、病弱な自分では、生きていけるはずがない。
失意と絶望の中、椿鬼はただ森の中を彷徨い歩いた。足元はふらつき、呼吸は乱れる。時折、獣の遠吠えが聞こえ、そのたびに心臓が跳ね上がった。疲労は限界を超え、体は鉛のように重い。
どれくらい歩いただろうか。意識は朦朧とし、視界がぼやけていく。
「もう……駄目だ……」
地面に倒れ込む寸前、最後に目にしたのは、夜闇に輝く、まるで星のような光だった。
次の瞬間、椿鬼の意識は完全に途絶えた。