カタヅノの鬼姫   作:ありす(旧名:紅茶・ルミエール)

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不穏な動き

王城での椿鬼の生活は、穏やかに過ぎていくかに見えた。エリックの隣で、彼女は初めて安らぎと幸福を知った。しかし、その平穏は長くは続かなかった。王宮の奥深くでは、不穏な動きが静かに進行していたのだ。

 

第一王子パトリックは、近頃のエリックの行動を訝しんでいた。これまでも、エリックが和平を唱え、他種族との融和を図ろうとする姿勢には反発してきた。しかし、ここ数週間の弟の動きは、単なる理想主義に留まらない、何か具体的な、そして王国の安定を脅かしかねないものを感じさせていた。

「エリックの奴、最近妙に私室に籠りきりだと思ったら……。」

彼は、自身の配下である情報収集の専門家たちに、エリックの周辺を探るよう密かに命じていた。そして、その捜査は、驚くべき事実をパトリックの元にもたらした。エリックが、王城の離れに一人の「娘」を匿い、その娘が王城の奥深く、エリックの私室の隣に移されたというのだ。

 

「それが、この絵姿にございます。」

側近が差し出した一枚の絵には、白い髪に紅い瞳、そして一本の角を持つ、見慣れない少女の姿が描かれていた。

「……鬼族、だと?」

パトリックの表情が、見る間に凍り付いた。彼は根っからの多種族を見下す性質だ。鬼族など、彼にとって、ただ力任せの野蛮な存在に過ぎない。ましてや、それが王城の、それも弟の傍に匿われているとなれば、怒りは頂点に達する。

「しかも、これは……『カタヅノ』か。」

彼は王族としての豊富な知識を持っていた。鬼族の角が力の源であること、そして「カタヅノ」が本来の力を出せない病弱な存在であることも熟知している。

「なるほど。あのエリックが、これほどまでに執着するのも頷ける。無力で、利用価値の高い人形といったところか。」

パトリックの口元に、冷酷な笑みが浮かんだ。彼の視線は、絵の中の椿鬼の美しい顔立ちに注がれる。

「しかし、まさか鬼族の娘を王城に匿うとは……エリックめ、よほど気が触れたか。あるいは、何か企んでいるのか。」

彼は、椿鬼の存在が、エリックの理想主義的な和平論を加速させる道具になる可能性を危惧した。そして、同時に、彼女の美しさに、ある邪な考えが芽生えた。

「ふん、どうせまともに力も使えぬ欠陥品。だが、これほど整った顔立ちであれば、使い方によっては面白い駒になるかもしれんな。エリックの理想を打ち砕き、私自身の支配欲を満たすために……。」

パトリックは、冷たい瞳でそう呟いた。

 

 

 

 

その日の午後、椿鬼が自室で書物を読んでいると、突然、扉が乱暴に開かれた。いつものローランやセシリアの無邪気な訪問とは違う、荒々しい気配に、椿鬼は顔を上げた。

そこに立っていたのは、エリックとよく似た金色の髪と碧い瞳を持つ男だった。しかし、その表情は冷酷で、椿鬼に向けられる視線は、鬼族の里で浴びせられた蔑みと、それ以上の嘲笑に満ちていた。

「見つけたぞ、鬼族の忌み子め。」

男の声は、部屋に響き渡るほど大きく、椿鬼は思わず体が震え上がった。

「貴方は……誰ですか……?」

椿鬼が震える声で尋ねると、男は嘲るように鼻を鳴らした。

「私を誰だと? ふん、エリックの寵愛を受ける『客人』とやらも、随分と世間知らずのようだな。私は、この国の第一王子であり、おエリックの兄、パトリックだ。」

第一王子を名乗る男の言葉に、椿鬼の顔から血の気が引いた。エリックが最も隠したかった、そして最も警戒していた人物が、まさか直接、自分の部屋に現れるとは。

「エリックは、お前のような存在を王城に匿おうしようとしているらしいが……随分と甘い夢を見ているものだ。」

パトリックは、椿鬼の額にある、頭巾で隠された右の瘤に視線を向けた。その視線は、椿鬼の心を深く抉る。

「『カタヅノ』か。なるほど、鬼族の欠陥品め。見るに堪えぬ脆弱さだな。」

彼は、椿鬼の細い腕を乱暴に掴み上げた。その力強い指が、椿鬼の華奢な手首に食い込む。

「だが、その顔立ちだけは評価してやろう。鬼族の女にしては、随分と整っている。」

彼は、椿鬼の顔を無理やり持ち上げ、品定めするように眺めた。椿鬼は、恐怖で身がすくみ、声も出ない。

「どうだ? エリックの愛人などという曖昧な立場ではなく、私に仕えないか? お前のような『カタヅノ』では、まともに力も出せぬのだろう? 王族として、この国の仕組みも、鬼族の弱点も知り尽くしている私に、膝を折るのだ。そうすれば、この王城での身の安全は保証してやろう。奴隷としてな。」

パトリックの言葉は、椿鬼の心をさらに深く突き刺した。鬼族に「忌み子」と蔑まれ、人間には「奴隷」になれと告げられる。どこまでも、自分は利用されるだけの存在なのか。

「嫌……です……!」

椿鬼は、震える声で精一杯抵抗した。

「ほう? 拒否するのか? 所詮、鬼族の欠陥品ごときが、この私に逆らうなど……笑わせるな。」

パトリックは、椿鬼の細い腕をさらに強く握り締め、力任せに引き寄せた。椿鬼は、痛みと恐怖で顔を歪め、必死に抵抗しようともがいた。

「嫌……離して……!」

しかし、病弱な椿鬼の力では、彼の強大な腕を振りほどくことなどできるはずもなかった。

「貴様の意思など、どうでもいい。これからは私の意のままに動く駒となれ。そうすれば、エリックも無駄な理想を追うのを諦めるだろう。」

第一王子は、冷たい笑みを浮かべ、椿鬼をさらに引き寄せようとした、その時だった。

 

「兄上! 何をしているのですか!」

怒りに満ちた声が、部屋の入り口から響いた。

扉の向こうに立っていたのは、執務から戻ってきたばかりのエリックだった。彼の碧い瞳は、激しい怒りに燃え、眉間には深い皺が刻まれている。

「エリック様……!」

椿鬼は、エリックの姿を目にすると、安堵と恐怖が入り混じった感情で、彼の名を呼んだ。

第一王子は、エリックの出現にわずかに顔をしかめたが、すぐに嘲笑を浮かべた。

「ほう? ちょうどいいところに現れたな、エリック。お前の秘蔵の『客』とやらを、私が見つけてやったぞ。」

彼は、椿鬼の腕を掴んだまま、挑発するようにエリックを見やった。

 

「手を放せ、兄上! 彼女に指一本触れるな!」

エリックの低い声は、凍えるような怒気を孕んでいた。彼は一歩踏み出し、第一王子へと歩み寄る。

「放さぬと言ったらどうする? この女は鬼族だぞ? お前が愚かにも匿っていた敵種族を、私がどうしようと勝手だろう。」

第一王子は、あくまで椿鬼を「敵」として扱い、エリックの行動を咎めようとした。

「彼女は敵ではない! 私が保護した客人だ! 兄上には関係ないことだ!」

エリックは、そう言い放つと、迷わず第一王子に詰め寄り、彼の腕を掴んだ。

「っ! 無礼な! この兄に向かって、何をするつもりだ、エリック!」

第一王子は、エリックの予想外の行動に驚き、掴んでいた椿鬼の腕を離した。椿鬼は、自由になった腕をさすりながら、エリックの後ろへと身を寄せた。

 

「無礼なのは兄上の方だ! 弱い者を力で弄び、何が王子か! 兄上の行いは、王族の恥だ!」

エリックの声が部屋に響き渡る。和平を唱える彼が、これほど感情を露わにするのは珍しいことだった。それは、椿鬼を危険に晒されたことへの、純粋な怒りだった。

「ほう? 弱い者を弄ぶだと? 冗談を言うな、エリック。この世は弱肉強食だ。鬼族など、我ら人間族の支配下に置かれるべき存在。ましてや、角が片方しかなく、まともに力も使えぬ『カタヅノ』など、奴隷にでもなるのがお似合いだろう。」

第一王子は、嘲笑を隠そうともせず言い放った。彼の瞳には、多種族への明確な差別意識と、エリックの理想を愚弄する響きがあった。

「……貴様、それでもこの国の王族か……っ!」

エリックは、怒りに震える拳を握りしめた。彼の「各種族が対立する世界はおかしい」という信念は、まさに目の前の兄のような存在によって阻まれているのだ。

「ふん。お前ごときが、この私に説教をするな。しかし、まさかお前が、これほど醜い『カタヅノ』を庇うとはな。失望したぞ、エリック。」

第一王子は、冷たい視線を椿鬼に向け、再び嘲笑を浮かべた。

「その『カタヅノ』の忌み子が、この王城にいること。そして、お前がそれを匿っていたこと。全て父上に報告させてもらう。この国の秩序を乱す、お前の愚行をな。」

そう言い残すと、第一王子はエリックに背を向け、威圧的な足取りで部屋を後にした。彼の言葉は、椿鬼とエリックの心に、深い絶望と、これから始まるであろう嵐の予感を残していっ。

 




パトリック………、最低な男ですねぇ。
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