ある日の午後、椿鬼は書庫で読書に耽っていた。幼い頃から部屋に閉じこもりがちだった彼女は、外界と触れ合えない代わりに、多くの書物を読み漁り、膨大な知識を身につけていた。彼女の知識は、まだ人間の世界について詳しく知らないとはいえ王族であるエリックにも引けを取らないほどだった。
その日、書庫から自室に戻ろうとした椿鬼は、廊下の曲がり角で、エリックと王国の宰相が真剣な面持ちで話し込んでいるのを見つけた。
「………しかし、王子。魔道具職人たちからの不満は深刻です。材料にかかる税金が高すぎると、このままでは職人たちが廃業してしまうかもしれません。」
宰相の声は、困り果てた様子だった。
「宰相、それは分かっている。しかし、国の財政は逼迫している。税収を減らせば、軍事費や公共事業に回す資金が不足してしまう。」
エリックの声にも、焦燥の色がにじんでいた。
二人の深刻な話に、椿鬼は思わず足を止めた。王国の財政難。そして、魔道具職人たちの苦境。王国は、国の財政を賄う為の税金を、最も儲かっている魔道具職人からとっていた。しかし、その税金は重く、魔道具作りという繊細な作業には見合わない収入で暮らさなければならない状況だった。里では知る由もなかった、人間族の社会が抱える問題だ。
(魔道具職人……彼らが困っている……)
椿鬼は、エリックが「この国の主要な輸出品」だと話していた魔導具のことを思い出した。彼らの不満は、やがて国の経済そのものを揺るがすかもしれない。
「王子、宰相。どうか、お話を、聞かせていただけませんか?」
椿鬼は、意を決して二人に話しかけた。エリックは驚いた顔で椿鬼を見たが、宰相は、椿鬼が王城にいることすら知らなかったため、一瞬、呆然とした表情を浮かべた。
「ああ、椿鬼。どうしてここに?……それに、この方は我がアトライエ王国の宰相だ。」
エリックは、慌てて椿鬼を宰相に紹介した。
「初めまして。椿鬼と申します。」
椿鬼が頭を下げると、宰相は困惑しながらも、恭しく一礼を返した。
「……どうして、君がこの国の財政難に興味を?」
エリックが尋ねると、椿鬼は書庫から持ってきた本をそっと抱きしめた。
「最近書物で、この国の経済について少し読んだことがあります。魔導具は、王国の生命線であると。もし、よろしければ、私も何かお役に立てることがあればと……」
エリックは、彼女の話を聞くことにした。しかし宰相は、いぶかしげな表情を浮かべたままだった。
「実は、魔道具の材料にかかる税が高すぎて、職人たちが困っているのだ。税収を維持するためには、この税を下げることが難しい。君に、何か良い案はあるか?」
エリックがそう尋ねると、椿鬼は少し考えを巡らせた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「魔道具職人からの税金が高すぎると、彼らの生産意欲は下がります。それは、結果的に国の生産力と税収の減少に繋がります。」
椿鬼の言葉は、宰相も頷くほど的確だった。
「はい、その通りでございます。しかし、魔道具の材料税が国の税収の大きな柱となっているのが現状で……」
「でしたら……その税を、小さくしてみてはいかがでしょうか?」
椿鬼の提案に、宰相は眉をひそめた。
「しかし、そうなると、国の財政が……」
「いいえ。その代わりに、城下で商いをする全ての人々に、ごく少量の税金を課すのです。例えば、パン屋、仕立て屋、宿屋、露店……。魔道具職人からの税金が一点集中しているからこそ、彼らが苦しむのです。しかし、城下で商いをする人々は、魔道具職人に比べれば何倍も多い。一人一人から徴収する税金は少量でも、全体で見れば、魔道具職人から得ていた税収を上回るのではないでしょうか?」
椿鬼の言葉に、エリックと宰相は目を見開いた。宰相は、今まで思いもよらなかったその発想に、驚きを隠せない。
「……な、なるほど。魔道具職人からの税金は小さくなるため、彼らは生産意欲を取り戻すでしょう。一方で、徴税の対象を広げることで、税収も安定する……。」
「はい。これにより、魔道具の流通が活発になり、結果的に城下全体の経済も潤います。そして、経済が活性化すれば、将来的な税収増加にも繋がるのではないでしょうか。」
椿鬼の言葉は淀みがなく、その理論は完璧だった。
エリックは、椿鬼の隣で、ただただ感動に打ち震えていた。
(すごい……。彼女は、これほどまでに聡明だったのか……。)
彼は、ただ儚く、庇護すべき存在だとばかり思っていた椿鬼が、国の未来に関わるような、素晴らしい知恵を持っていることに、改めて心を奪われた。
「椿鬼……君は、本当に……!」
エリックは、感動と誇らしさで、椿鬼の肩を抱きしめた。
宰相は、信じられないというように、何度も何度も椿鬼の言葉を反芻していた。
「……王子。これは、ぜひ国王陛下にご提案するべきかと存じます。このアイデアは、我が国の財政難を解決する、まさに天恵かもしれません!」
椿鬼の提案は、エリックと宰相に大きな衝撃を与えた。宰相はすぐにそのアイデアの革新性と実現可能性を確信し、その日のうちに国王アルフォンスに謁見を求めた。エリックは、自らも同席を願い出た。
宰相は、会議の場で国王アルフォンスに、魔道具職人の税金と国の財政難について説明した。
「……現在、職人たちは材料費の高騰に苦しんでおります。このままでは、彼らの生産意欲は低下し、我が国の主要な輸出品である魔導具の生産が滞り、結果的に国の財政はさらに悪化するでしょう。」
宰相の言葉に、アルフォンス国王は眉をひそめた。
「それは由々しき事態だな。では、どうするつもりだ? 税金を減らせば、軍事費が賄えなくなる。かといって、このままでは職人たちが去ってしまう。」
その時、宰相は一歩前に進み出た。
「陛下。実は、この状況を打開する、一つのアイデアがございます。これは、とある聡明な方の発案でございます。」
「ある聡明な方、だと? それは誰だ?」
アルフォンス国王は訝しげな表情で宰相を見つめた。その視線は、隣に控えるエリックにも向けられる。
エリックは、父の視線を受け止めると、毅然とした態度で言った。
「父上。このアイデアは、鬼族の娘、椿鬼が考えたものです。」
その言葉に、国王の表情が一気に険しくなる。
「なんだと、エリック! あの人質に何を期待しているのだ!? 所詮は鬼族の娘。何の役に立つというのだ!」
国王の怒りが、再び謁見の間に満ちる。パトリックは、その様子を満足げに見ていた。彼はすでに宰相がエリックと話し合っていることを知っており、何らかの動きがあると察していたのだ。
「ですから、父上。どうか、彼女の言葉に耳を傾けてください。彼女は、鬼族でありながら、私達の国に尽力しようとしてくれている。」
エリックは、決して引かなかった。
宰相は、間に入って国王をなだめた。
「陛下、ご安心ください。私は、彼女の言葉を聞き、その斬新な発想に驚嘆いたしました。彼女はこう提案したのです。魔道具職人にかかる税金を減らし、その代わりに、王都で商いを営む全ての人々から、ごく少量の税金を徴収する。そうすれば、職人たちの負担は減り、生産意欲は向上し、徴税対象が広がることで、国の税収も安定する、と。」
宰相の言葉は、淀みがなく、その理論は完璧だった。
国王は、宰相の言葉を聞き終えると、深い思案に沈んだ。彼は王国の財政に詳しく、宰相の言葉が理にかなっていることを理解した。しかし、それが鬼族の娘の発案だという事実が、彼のプライドを傷つけた。
「……本当に、その娘が考えたのか?」
国王は、疑わしげな視線をエリックに向けた。
「はい。彼女は、書物から多くの知識を学び、この国の経済に精通しています。私や宰相にも、思いつかないような斬新な発想でした。」
その時、パトリックが口を開いた。
「父上、お待ちください! 所詮は鬼族の詭弁にございます! 我々から見れば知恵に見えるかもしれませんが、鬼族には鬼族のやり方があるはず。奴らにとって都合のいい、何らかの裏があるかもしれません!」
パトリックは、エリックの功績を認めず、椿鬼への不信感を煽ろうとした。
「パトリック。口を慎め。」
国王は、しかし、彼の言葉を制止した。国王は、宰相がこれほどまでに絶賛するアイデアを、鬼族の発案だからという理由だけで却下することはできなかった。
「……宰相。その策、一度試してみる価値はあるだろう。」
アルフォンス国王の言葉に、エリックと宰相は安堵の表情を浮かべた。
「しかし、もしこの策が失敗に終わった場合、責任は全てお前たち二人が負うこととなる。そして、その鬼族の娘は、人質として、ただでは済まぬと思え。」
国王は、厳しい言葉で念を押した。
「承知いたしました、父上。」
エリックは、国王に深く頭を下げた。
パトリックは、その場に立ち尽くし、悔しさに顔を歪めていた。
「……ちっ! 忌むべき鬼め、この私を出し抜くとはな……!」
彼は、二人の功績を認められることが耐えられなかった。そして、そのアイデアが、自分が最も見下している鬼族の娘から出たという事実に、屈辱を感じていた。パトリックは、日に日に椿鬼とエリックへの憎悪を募らせていった。