堰界忘失古伝 アマラーヴァティ 〜もしLB4が前後二部構成だったら〜   作:ladybug

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いつかのきみにもわかること

 神に間違いはない。

 

 たとえ罪を犯し呪われたとして、神の罪は過ちならざる罪である。

 常がどうであれ、その時ばかりは罪を犯す行いこそ尊ばれるもの。

 神々の摂理に背き呪われ謗られてでも、罪を犯すことこそが正しい行いなのだ。

 故に、神の行いに間違いなどあり得ない。

 

 

 ならば、あの時はなぜ。

 ────なぜ、(オレ)は間違えたのだろうか。

 

 

    ◇

 

 

「改めて、まずは自己紹介といこうかのう」

 

 胡座をかいて草原に座し、竜尾の女は言った。失神から回復したばかりであるためか、その様子はいくらか気怠げだ。

 

「わえはヴァルナと呼ばれるもの。気軽にルナちゃんとでも呼ぶがいい」

「わかったよ、ルナちゃん。私は藤丸立香、藤丸でも立香でも好きに呼んでください」

「待て待て。もうちっと躊躇ってはどうかの。一応冗談なんじゃが」

 

 女は呆れ顔で制止する。

 その様に初接触時の覇気や威圧感はない。

 また、千切れた竜尾を除けば傷もほぼ癒えており、おどろおどろしい雰囲気とて随分と軽減されていた。

 今の彼女ときたら、殺気も害意も感じさせず、なんなら自ら戯けてみせるほど。妙に人懐こいあたり何か裏がありそうでもあり、単に元々人好きのする性格なだけのようにも見える。

 そんなわけで、現状、彼女はただ見目の美しい女であった。あくまで見た目の上だけの話だが。

 

 反応に困る立香を助けるかのように、通信を通じてホームズが問いを投げかける。

 

『ヴァルナ様……いや、ヴァルナ神とお呼びすべきか。一つ伺ってもよろしいですかな?』

「許す。だが、畏まるでないぞ。面倒じゃ」

『ありがたいお言葉です。ところで、その御姿には何か理由がおありで?』

「ああ、これか。なに、単なる気まぐれじゃ。我らは元来そういうものよ。違うかのう?」

『────成程。理解しました』

 

 立香は表情筋を維持したまま、二人のやり取りに耳を傾けていた。

 聞き流すわけにはいかない。軽い質問とはいえ、経営顧問かつ解析担当のホームズ(名探偵)が探りを入れているのだ。

 それの意味するところはすなわち、この場に解き明かすべき謎があるということに他ならない。

 それも、カルデアの今後に大きく関わるであろう謎が、だ。

 

 警戒を気取られぬように気を配りつつ、隣に座るマシュへと立香は囁く。

 

「ね、マシュ。ヴァルナってこの辺りの偉い神様の名前だったよね。合ってる?」

「はい。ヴァルナ神は古代インド神話の最高神です。天空を支配し理を預かる司法神でもありましたが、時代の変遷と共に役割や地位を変えられ、現在は水を司る神と言われていますね」

「そっか。ありがとう」

 

 囁き合う少女達を見つめ、ヴァルナが目を細めた。彼女は立香へにじり寄ってしなだれかかり、蠱惑的な唇を笑みの形に歪める。

 

「内緒話かの。わえも入れてはくれんか」

「近い 離れる。迅速(とっとと) 推奨(はやく)

 

 剣呑さをむき出しにした哪吒に矛先を向けられ、ヴァルナは大袈裟に嘆いてみせた。

 

「おお、なんと心の狭い。これが仲間となろう者へ向ける態度かのう」

「仲間……? 協力って、ルナちゃんが直接仲間になるって意味だったんですね」

「いかにもそうじゃが待て。本当にルナちゃんと呼ぶつもりか?」

「ルナさんの方が良かったらそう呼びますよ」

 

 ヴァルナは面食らったように仰け反り、一拍おいて笑い出す。まさに呵々大笑、大袈裟に膝を叩いての大爆笑であった。

 

「これは良い! 不敬も不敬、蛮勇よ! 力量の差が分からんでもあるまいに、なかなか気骨のある娘じゃな」

「ルナさんから言ったんでしょ。私発信みたいに言わないでほしいな」

「きっひっひ! すまんすまん、わえが間違っていた。おぬしの言う通りじゃ」

 

 笑いの残滓に肩を震わせながらヴァルナが言う。

 

「そう拗ねるな。そして、安心するがいいぞ。罰も下さん。罪なき者を裁いてはこの名が泣くやもしれんからの」

「それはどうも。ははーヴァルナ様、ありがたき幸せ、とか言うべき?」

「もう、笑わすでないわ。腹が捩り切れたらどうしてくれる」

 

 立香の額を指で突き、ヴァルナは胡座を組んで座り直した。笑い乱れた髪を後ろへ払い、愉快そうに口の端を歪める。

 

「おぬしらは本当に驚かんのじゃな。その様子ではこの名の意味するところも知っておろうに」

「慣れてますから」

「きひひ、慣れときたか。それはそれは、なんとも都合の良い」

「そう。どんな都合か聞いてもいい?」

「がちがちに畏まられては面倒という話よ。下手な敬語も使わずともよい。ほれ、見ての通り、わえは親しみやすい方じゃからの」

 

 冗談めかして答えるヴァルナだが、その目は油断なく立香を見据えていた。

 月を蕩したような蜜の瞳がゆるりと瞬く。

 

「さて、改めて挨拶といこう。わえはヴァルナと──否、ルナちゃんじゃ。これより貴様らの力となるありがたき存在よ」

「よろしくね、ルナちゃん。約束を守ってくれてありがとう」

「なに、感謝はいらんぞ。わえはただ、約束を守っただけにすぎん」

 

 抵抗一つみせず、差し出した手を握り返して嘯くヴァルナ。軽い握手を経て離れていく美しい指を見つめ、立香は確信した。

 

 嘘だ。

 

 おそらく敵ではない。協力する気もある。確かに戦力として共にあろうとはしてくれている。

 だが、ヴァルナの言葉には嘘がある。

 ただ、その嘘はカルデアへの加害を目的としたものではない。

 感じられるのはもっと別の気配。警戒、あるいは疑心。そして、僅かな期待。

 彼女は裏切りや騙し合いに慣れた者の目をしていた。

 

 仕方がない。

 こちらの目的も問わずに助力を快諾する時点で何か魂胆があるのは間違いないのだ。危害を加える気配がないだけ穏当だろう。

 だが────

 

 嘘はつかないと言ったくせに。

 

 内心恨みがましく思いつつ、立香は思考を切り替える。

 

「私達はこの辺りを調査してるんだ。ルナちゃんが助けてくれるのは嬉しいけど、それでも、手分けする場合を考えると人手が足りないの」

「わえだけでは不足、と。そう言うておるのか」

「そうだね。せめてもう一人はほしい」

 

 ヴァルナは特に気分を害すでもなく目を伏せた。何やら葛藤している様子だ。一通り悩んだ末、彼女は自身の隣へと視線を傾ける。

 

「戦力、か」

 

 そこには未だ眠ったままの男がいた。

 男の傷もまた、ヴァルナと同じくその殆どが癒えている。要は彼を戦力と数えるか否か、そういう話なのだろう。

 

「これが使い物になればな」

「これって。随分と素っ気ないね」

「素っ気なくもなるわ。期待外れどころの話ではないからの」

「そうなの? 負傷をおして戦って、私達を脅迫して、見ず知らずの人間への協力を許して、そうまでして助けたい人なんだと思ったんだけど」

「……行動だけみればその通りじゃが、改めて言葉にされるときついものがあるな。できれば二度と言わんでほしい」

 

 げんなりと肩を落とし、ヴァルナは言った。その表情は不本意だと如実に物語っている。

 

「とりあえず、全く使えんわけでもなかろう。現にわえの傷も癒えておるしな」

「その人が元気になるとルナちゃんも元気になるってこと?」

「まあそんなところかの」

 

 随分とおざなりな答えである。深く探られたくないらしい。

 

 さて、当の男はといえば随分と健やかな寝息を溢し、背中を丸めて眠り続けていた。立派な体躯に似合わず寝相が胎児型だ。

 妙な親近感を抱く立香だが、知己であろうはずのヴァルナはといえば白けた様子で彼の寝顔を見つめている。

 

「あの、私からも質問を。いいですか、先輩」

「いいよね、ルナちゃん?」

「かまわん。言うてみよ」

 

 頷く立香と鷹揚に促すヴァルナを見比べ、マシュが小さく喉を鳴らした。

 

「ヴァルナさん達は────」

「ルナちゃんじゃ」

「……ルナちゃん達は、いつ、どこで、あのような大怪我を負われたのですか? 何かトラブルでもあったのでしょうか」

 

 おお、いきなり切り込むなあ。

 

 大胆不敵な後輩を見つめ、立香が呑気に感心していると通信が割り込んでくる。絶妙に震え上擦った声、ゴルドルフ新所長だ。

 

『それだ! 戦力補強に失敗した今、別の騒動の種まで持ち込まれては身が保たんわ! 今回はご破算ということにしてだな!』

『司令官の言い分は言い過ぎかもだが、私も気にはなっているんだ。尋常ではない大怪我だったと聞いたよ。最低限、情報の共有はしてほしいな』

 

 いつもの調子の司令官はともかく、ダ・ヴィンチの指摘は尤もだ。

 ヴァルナに視線を向ければ、彼女は特段気にした様子もなく肩を竦める。

 

「当然の問いじゃな。むしろ、何故問わんのかと思うておったわ。怪我の原因は無論戦いよ。太古より、我らの力を狙う不届者は絶えんものじゃからのう」

『ほれみたことか! 藤丸、元の場所に返してきなさい。狙われると分かっている者を内にはいれられんからね!』

「待たんか。話は最後まで聞け。というか、貴様はこやつらの長であろう。胆力の一つもみせるべきではないのか」

 

 表情筋全てを使って辟易を表現するヴァルナへ笑顔を向け、立香はふるりと首を振った。

 

「新所長には別の良さがあるんだ。適材適所ってやつだね」

「そんなものか? まあ、わえが気にすることでもないがの」

「そうそう、気にしないで。それで、戦いがあって、どうなったの?」

「……まあ、見ての通りじゃな。負けた。負けて逃げ延びた。食い残されたとも言えるか。今となっては全盛期の小指ほどの力も残っておらん」

 

 ヴァルナはあっさりと敗北を認め、自身の掌を見つめる。

 

「貴様らの使い捨てぶーすたーとやらがなければとうに死んでおる。まったく、待った甲斐があったわ」

「ちょっと待ってください。待ったとは? あなたは我々がここに来ることを知っていたというのですか?」

 

 語気を強めたマシュと無言で槍を構え直す哪吒。二人の警戒に反して当の発言者はのんびりとしたものだ。大きく伸びをし肩を鳴らしながら、ヴァルナが答える。

 

「いいや、知らん。わえが待っていたのは貴様らではなく機会よ。神の手を経ず雷電を喰らう機会を待っていた。そこに偶々貴様らが現れたというわけじゃ」

『神の手を経ず、というのは? 自然発生の雷ではいけない理由があったのかい?』

「念には念を、じゃ。世界に検知されない方法をとる必要があった。詳しくは語らんがの」

 

 牽制だろう。短く言葉を切った彼女は立香へ向き直り、話を続けた。

 

「随分と待った。正直、死ぬかと思うたわ」

「確かにひどい怪我だったもんね」

「怪我もあったが、それよりも退屈で退屈でもうたまらなくてのう。退屈すぎて死ぬかと思ったほどじゃ」

「……へー、そうなんだ」

「なんじゃ、その目は。『大したことなかったんだな』みたいな顔をしおってからに」

「だって、退屈っていうからさ。本当は余裕綽々だったわけでしょ」

 

 白い目を向ければ、ヴァルナは不機嫌を顕にしてぼやく。

 

「なんと心無いニンゲンじゃ。わえがどれだけ苦しんだかも知らずに。ざっと五千年くらいは我慢したんじゃぞ」

「────ごせんねん?」

 

 言葉は聞こえているのに意味を受け止められない。聞こえた音をそっくりそのまま繰り返し、立香はぽかんと口を開いた。

 反応の薄さにいじけてしまったのか、ヴァルナは口を尖らせ両掌で地面を叩いて抗議してくる。

 

「五千年! もっと長かったかもしれぬ! わえ達にとってはそう長い時でもないが、それは何かしら楽しみがある場合だけじゃ! なーんもせずにじーっと五千年引き篭もる辛さと言ったら!」

「待って待って。五千年って、五千年だよね」

「そうじゃ。ヒトの単位で言っておるぞ」

 

 きょとんとされても困る。

 立香とマシュが絶句して顔を見合わせ、哪吒もつられて矛先を下げた。シャドウ・ボーダー内でも何事かを囁き合う気配がしている。

 当の本人、あるいは本神かもしれないが、当事者はじたばたと足を投げ出し可愛らしく暴れていた。まるで遊びをお預けにされた子どもである。

 

「身体は痛いし気に食わん奴も匿わねばならんし無駄に動けば死ぬから何もできん! おまけに機会を逃さぬよう神経を張りっぱなしで疲れる! それよりなによりなーんにもできん! 無理!」

 

 そりゃ確かに何もできないだろうし無理だろうけれども、二度も言わなくてもいいのでは。

 

 だめだ。

 ひねりのないツッコミしか浮かばない。

 

 ただ呆然とする立香であった。

 

 

    ◇

 

 

 ヴァルナ曰く、彼女が襲撃に遭ったのは五千年以上前。命からがら逃げ出した後は、彼女の権能でもってその身を隠したそうだ。

 襲撃者だけでなく、時空その全てから。

 

 五千年を経たことで状況も変わり、追撃の危険もなくなった。

 つまり、行動を共にしても問題ない、と。

 ヴァルナはこともなげに語る。

 

 北欧でも同じことを思ったが、神々のスケールは桁違いすぎて現実味がない。立香は半笑いになりながらもヴァルナを慰める。

 

「酷い目にあったんだね」

「気持ちがこもっておらんぞ」

 

 恨みがましく睨みつけてくるヴァルナがため息をつき、未だ眠りこける男へと視線を移した。

 話の流れからして、『匿わなければならなかった気に食わん奴』が彼なのだろう。

 

 改めて見ると美しい男だ。

 白絹ような髪、人にはない暗色の肌、引き締まった肢体。瞼の奥に隠された青灰の瞳は神秘的で、強い意志を宿し輝いていたように思う。

 立香達が殺されそうになった時、死の淵にありながらも全霊をとして制止した彼。

 まあ、気絶する前は人が変わったかのように、尊大な態度で軟派な台詞を口走っていたのだが。

 

 ところで、ヴァルナと男の関係性が分からない。『気に食わん』というわりに、先の戦闘時、男へと向けられるヴァルナの言葉には熱が籠っていた。また、男が記憶を失っていると知った時の彼女は、ほんの一瞬、まるで迷子になってしまったような惑いを見せていたようにも思う。

 そして、現在。

 胎児のように身体を丸めて眠り続ける男。その横顔を眺める彼女はどうかといえば、一目でわかるほど完全に白けていた。

 

「目を醒まされませんね……」

「わえの苦労も知らず寝汚い奴じゃ」

「あの大怪我でしたし、雷の影響もありますから、多少は仕方ないのでは」

「仕方なくない。おい木偶よ、試しにその槍でこやつの尻を刺してみてくれんかの」

「断固拒否。絶対 嫌」

 

 困り顔のマシュと表情も変えず拒絶する哪吒。二人の反応をにやにやと楽しみつつ、ヴァルナが鋭い爪で男の頬を抓る。容赦ない一撃だ。

 くっきりと跡が残っているからには痛みもあるに違いなく、それでも起きないところを見ると、相当に眠りが深いのだろう。

 当然とも言える。初遭遇時、ヴァルナはまだ動けていたが、男は瀕死の状態で引き摺られるばかりだったのだから。

 

「あのさ、ルナちゃん。この人、まだ起きないみたいだし……記憶がない、かもなんだよね。先に名前を聞いておいてもいい?」

「適当にアレとかソレでいいのではないか。実際、名の通りの戦力は期待できんからの」

「うん? それはどういう意味で受け取ったらいいのかな」

「記憶がないならば中身もない。中身がのうては力も引き出せんじゃろうて。ただの容れ物、ガワだけ残ったみそっかすじゃ」

「みそっかすってひどいな……ともかく、一緒に歩くなら、私は名前くらい知っておきたい」

 

 立香は言葉を選びながら意志を伝える。その迷いと配慮をどう感じたのか、ヴァルナは薄く目を細めた。

 

「ヒントは邪竜退治。貴様らならば察しがつくのではないか?」

 

 立香とマシュは顔を見合わせた。

 マシュはもちろん答えられるだろう。立香とて必要最低限の知識くらいは身につけてきた。

 ましてや、この地は“()”の生きた地なのだ。

 

「蛇、あるいは竜退治の伝説は各地に残っています。ですが、この地において最も有名な邪竜退治といえば、やはり堰界竜ヴリトラと雷霆神インドラの逸話でしょうか」

「うーん、ルナちゃんが匿うとしたら神様の方だよね。じゃあ、その人はインドラ様ってこと?」

 

 立て続けにビッグネームが登場し、マシュと立香は目を見張る。あまり表情の動かない哪吒ですら興味深げに耳を覚ましていた。

 

 真顔となったヴァルナが低く呟く。

 

「貴様ら、これがインドラと思うのか。この程度の男が、神々の王と」

 

 神の名を呼ぶその声には、明らかな怒りと憎しみがこめられていた。空気が冷たく張り詰めるのを感じ、立香は息を飲む。

 しかし、緊張は長く続かなかった。

 ふと立香へ視線を向けたヴァルナはため息を吐いて、凍りついた空気を霧散させるように両手を振ってみせる。

 一気に弛緩した雰囲気の中、彼女は眉間の皺を押し伸ばして肩を竦めた。

 

「悪いのう。奴は王といっても族長のようなものだが、それでも侮られては困るのじゃ。ひいてはわえの沽券にも関わるゆえな」

「侮ったつもりはないよ。事情があって、ほんの少しだけ勝手に身近に感じてたんだ」

「神々の王を身近に感じるとは、おかしな事情もあったものよの」

 

 乾いた笑いを一つ零し、ヴァルナは空を見上げる。澄み渡る蒼穹はただただ遠く、彼女は金の瞳を眩く細めた。

 

「解放者にして簒奪者。かつて邪竜を討ち取りし英雄神。未来永劫どの時空においても邪竜を殺し、永久に謳われるもの。それがインドラじゃ」

 

 緩く弧を描いた唇が紡ぐのは歌の一節にも似た言葉の連なり。

 

「あれがこの程度であってたまるものか」

 

 白け、輝きを失っていたヴァルナの瞳に灯火が灯る。それは熱情。怒り。そして渇望。焦がれる娘のように、あるいは飢えた獣のように、彼女は熱い吐息を溢し、空へと両手を伸ばした。

 しかし、その指が求る何かを掴むことはない。

 ぱたりと音を立てて落ちた自身の腕を見下ろし、ヴァルナは静かに目を伏せる。

 

「こやつはな、インドラの置き土産よ」

「置き土産……?」

「そう。神の罪、神の恐れ、神の刃──かつては従属神共が担っていた機能じゃが、色々あっての。あやつが一時吸収し、無理矢理形にした」

「じゃあ、この人はインドラ様じゃなくて、別の神様の機能部分が人の形をとってるってこと?」

「いや、一度は吸収したんじゃ。別の神ではなく、インドラの一部ではあるのだろうよ」

 

 ヴァルナの美しい指が男の前髪を梳き、左瞼を撫でて頬を滑る。その軌跡は稲妻に似た痣をなぞって辿り、名残惜しげにゆるりと離れた。

 頼りなく彷徨う手をおもむろに握り込み、ヴァルナは苦笑する。

 

「神の神ならざりし願いの残滓、と言ったところか。一片の後悔も感じさせぬ間抜面をしておったが、あれで迷い程度はあったのやもしれんのう」

 

 呟く声は愚かさを嘆くようでいて、堪らなく懐かしい記憶に触れたように掠れていた。立香達には分からない、溜め息にも似た独白だ。彼女の言葉には、警戒していたマシュや哪吒ですら思わず矛を下げそうになるほどの寂寞がある。

 五千年の間、守り続けていた相手が全てを忘れてしまっているという事実は、あるいは神の身であっても堪えるものなのかもしれない。

 

 かける言葉などあるわけもなく、立香は未だ眠る男へと視線を傾けた。

 

「うーん……つまり、インドラ様だけどインドラ様じゃない……?」

「まあ、インドラではあるがの。とはいえ、中身すっからかんのこの状態をインドラと呼ぶわけにもいかん」

「結局、どう呼べばいいんだろうね」

「従属神らについては武器に近い運用をしておったはずじゃ。奴らの機能を引き継いだならば、便宜上、ヴァジュラとでも呼ぶが相応しかろうな」

 

 ヴァルナがあげたのは武器の名だ。

 ヴァジュラ、あるいは金剛杵。インドラの武器の名であり、また同時にその手で下す雷電そのものでもある。

 立香からしてみれば神も神の武器も等しく脅威だ。だがそれ以前に、雷だか武器だか分からないものが健やかに眠っている状況そのものがいまいち飲み込めず腑に落ちない。

 すっきりしない表情となった立香、そしてマシュを眺め、ヴァルナが肩を竦めた。

 

「だから言ったであろ? アレとかソレで充分じゃ。ほぼ機能だけしか残っとらんし、ヒトでいう人格なんぞあってないようなものじゃからの」

「人格がないにしては癖のある言動だった気がするんだよなあ」

「知らん知らん。病み上がりで頭が茹っておったのじゃろ。ほれ、いい加減に起きんか!」

 

 ヴァルナが苛立ちも顕に共に男の額を叩く。さすがに覚醒が近いのか、男はむにゃむにゃと呟きむずがっていた。

 寝返りを打ち再び胎児の形になって背を丸める男を見つめ、ヴァルナがぎりりと奥歯を鳴らす。

 

「やってられん! わえも寝る!」

 

 そう言うがいなや、ヴァルナは大の字になって寝そべってしまった。止めるもなく寝息が聞こえ出し、立香は唖然とする。

 

「あのさ、マシュ。神様って、なんでこう」

「先輩、いけません。言葉にすると少しせつない気持ちになってしまいます」

「神々 不条理。是 摂理。嗚呼無情」

「哪吒さん、しっ! 駄目ですよ、本当のことを言っては」

「そこまで言ってたら一緒じゃない?」

 

 半笑いでツッコミをいれた立香だったが、振り回される立場としては実に笑えない話だ。

 人の身から言わせてもらえば神々とはとかく身勝手であり、往々にして理解し難い条理を敷いている。ヴァルナは神にしてはかなり気安く接してくれるものの、一方で結構な気分屋にも思えた。今は眠る男とて起きたそばから厄介そうな片鱗を見せていた気もする。

 

 ボーダー内部でも侃侃諤諤の議論がなされているのだろう。詳細までは聞こえないにしても、通信越しですら騒がしい。ゴルドルフの震え声と一時ボーダーに帰還させたフォウの飛び回る音だけが癒しだ。

 

 今考えても無駄であると悟った立香は一つ溜息を落とし、改めて辺りを見回した。

 

 絢爛に咲き誇る花々と無限に広がる草原。青々と茂り優しい木漏れ日をこぼす大樹と、その袂をゆるりと流れる清らかな水。大らかに晴れた青空を一筋の雲が流れ、大地に影を落としている。

 

 ヴァルナの襲撃で焦土と化していたはずのそこは、何事もなかったかのように元通り、穏やかな姿を取り戻していた。

 手持ち無沙汰に指で触れた草花は瑞々しく、柔らかでありながらも逞しい。

 

「痛っ」

 

 人差指にわずかな痛みを感じた。

 葉で切ったのだろうか。指先に血の珠が浮き、ぽたりと落ちる。しかし、血の跡はたちどころに消え、怪我をしたはずの指ですら既に快癒し傷痕一つも残っていない。

 草原も立香の身体も同じ。

 例の、インド異聞帯特有の効果により強制的に回復しているのだ。

 

 何が何やらわからない。

 立香は思考を放棄し、ヴァルナに倣って草原に寝転がる。

 

 鼻先をくすぐる土と草の匂い。大地の下を流れる水が火照る身体を冷やしてくれる。肌を包む花弁の柔さに思わず頬が緩んだ。

 

「マシュと哪吒もおいでよ。気持ちいいよ」

「先輩……ヴァルナさんのことを言えないです」

「いいからいいから。ルナちゃん達が起きるまでは何もできないんだし。せめてボーダーの話し合いが終わるまで休んでよう」

「熟睡は 非推奨(よくない)。昼寝日和」

「哪吒さんまで。あっ、先輩の右隣は私が!」

 

 形ばかりの小言を瞬時に切り上げるあたり、マシュも大概図太くなってきている気がする。良い傾向だ。

 右手側にマシュ、左手側に哪吒。二人に挟まれて寝転がり一息ついた立香は、流れる雲を目で追いながら呟いた。

 

「それにしても、インドラ様か」

 

 空から雷を連想したのか。

 あるいは、澄み渡る青に面影を見たか。

 

「少し縁を感じてしまいますね」

「どうしてもね」

 

 マシュの囁きに頷き返し、立香は目を細めた。

 

「……会いたいな」

 

 意図せず溢れた言葉は思いの外寂しげに響く。

 マシュが右手を強く握り、哪吒までもが何気なく身を寄せてくれるものだから、立香は思わず苦笑してしまった。

 

 “()”との再会をひどく渇望していたわけではない。別れはしっかりと済ましていたし、白紙化に巻き込まれてからは懐古の余裕もなかった。

 

 だが、それでも。

 ふとした瞬間に思い出すのだ。

 

「先輩、大丈夫ですよ」

「うん」

「根拠はありませんがきっと会えます。もうすぐ会えると……いいえ、アルジュナさんに会いたいと、私もそう思っています」

「うん、そうだね」

 

 心の隙間に寄り添うように、マシュが肩を寄せてくれる。柔らかな感触、人の熱。

 じわりと伝わってくる優しさに甘え、立香は目を閉じた。

 

 

 人理焼却に立ち向かう最中、立香とマシュのそばにいたサーヴァントがいる。

 

 アーチャー、アルジュナ。

 かのインドラ神の息子だ。

 

 マシュが立香の隣に立って彼女を守り続けたのと同じように、かの英雄は二人の少女の前に立ち、向かいくる全てを薙ぎ払ってくれた。

 人の未来を切り拓く英雄として、若き少女らの願いを守り抜く守護者として。

 そしてただ、かつて自らの人生を生き抜いた一人の人間として、彼は全霊を賭して立っていた。

 

 立ち止まりかける度に容赦のない叱咤を。

 堪らず走り出せば心からの激励を。

 共に歩み、同じ日々を過ごし、時に語らい、時に争って、そうしてずっと傍にいてくれた。

 

 白紙化以来、再召喚の目処も立たず、彼のいない日々にも慣れてきたはずだったのに。

 

 いや、違う。

 本当は少し期待していたのだ。

 彼と縁のあるこの地であればあるいは。

 現地召喚のただ一時でも、と。

 

「うん、大丈夫。気長に待つよ」

「はい、私も一緒に待ちます」

「先に事態を解決するくらいじゃないと呆れられちゃうかも」

「むしろ何故早く呼ばないのかと叱られ、その後ですぐに戻れなかったことを謝られてしまうような気もします」

「確かにね。想像つくや。勢いすごそう」

「アクセル全開ですね」

 

 少女達はそれぞれの記憶に残るかの英霊の姿を思い起こし、小さな笑みを浮かべる。

 二人が囁き合う様を横目に、哪吒が義体を軋ませ伸びをした。

 

「父子 複雑。帝釈天と あるじゅな 関係良好?」

「会ったことはあるらしいよ。ただ、仲の良し悪しとかは聞いたことないかも。アルジュナって武具も宝具も別の神様由来のものだし、実は仲が悪いとか?」

「想像できません。アルジュナさんが親御さんと歪み合う姿……?」

「仲良くまではいかなくとも歪み合ったりはなさそうだよね。アルジュナだし」

「あっ、お洋服はインドラ神からの賜り物のはずですよ。華麗に着こなしておられましたし、確かお気に入りの服でしたよね」

「いやいや、アルジュナだよ? 誰から貰った物であれ大事にするし、わりと際どい服でも謎に着こなせちゃう人だよ、あの人」

 

 アルジュナのそつのなさと貰い物への姿勢、そして着こなしのセンスに根拠不明な信頼をおく二人である。

 哪吒が小さく笑った。

 

「帝釈天と あるじゅな 関係不明。でも (ますたー)達と あるじゅな 親密確定(とてもなかよし)

「ごめんごめん、話が逸れちゃった。まあでも、仲が悪いってことはないと思うんだよね」

「何故? (ますたー) 確信。理由 知りたい」

 

 笑いながら謝れば、哪吒が興味深そうに首を傾げる。父子の間で色々あったらしい哪吒としては気になる事柄なのかもしれない。

 立香は哪吒の方へと身体を向け、悪戯っぽく囁いた。

 

「アルジュナってね、雷が好きなんだよ」

「雷 好き?」

「そう。嵐の晩とか雨の強い日とかにね、窓の外をじっと眺めてるの。何かを待ってるみたいに窓辺に座ってさ。雷が鳴ると少し嬉しそうだった」

 

 立香はアルジュナの姿を思い出す。

 

 嵐がくると決まって、窓辺に腰掛け硝子戸に身を預けていた彼。雨音に耳を澄ませる姿は静謐さをたたえ、黒の瞳は敬虔な祈りを宿してゆるりと伏せられていた。

 青白い光が走れば、彼は視線を僅かに擡げ、ただ静かに空を見上げるのだ。

 窓に映る横顔の穏やかさ。緩む口元を恥じて掌で隠すその様を、立香は覚えている。

 

「だからさ、アルジュナはきっと────」

 

 立香が続けようとしたその時、草花が小さな音を立てた。物音に反応して身を起こした三人の視線の先、色とりどりの彼岸花が揺れる。

 

 そこにいたのは目覚めたばかりの白髪の男。

 彼は身体を起こした姿のまま、ぼんやりと自身の掌を見つめていた。

 

「なぜ、(オレ)は……」

 

 そよ風にすらかき消されるほど小さな声で呟き、男は茫洋と視線を彷徨わせる。そうして何も見つけられないまま、両手で顔を覆い、何かを堪えるように背中を丸めてしまった。

 

 何か思い出したのだろうか。

 それとも、どこか痛むのだろうか。

 

 声をかけようと口を開きかけた立香を片手で制し、男はくぐもった声で囁く。

 

「そのまま続けろ」

「……はい?」

「先程の続きだ。雷霆を好む人間の話」

 

 視線が合わないどころか、前髪に隠れた瞳を見ることすら難しい。だが、その声は霧雨のように温かで、同時にどこか哀しい響きを伴っていた。

 

 話しぶりからして記憶が戻ったわけではないのだろう。

 ヴァルナ曰く、そもそもがインドラなのやらそうでないのやら曖昧な存在である。何が刺激になるのか、もとい刺激していいものかすら不明だ。

 

 だが、何故だろう。

 話の続きを待つ姿に既視感を覚えた。

 

 マシュ、そして哪吒と顔を見合わせた立香は、迷いながらも話し出す。

 

 英雄としての武勇。神代を歩んだ先達らしい剛毅さと、意外にも荒っぽく雑な一面。屹然とした立ち振る舞いに、時折みせる素朴な笑顔。

 アルジュナの在り方。

 彼と歩んだ道。

 

 当初はぽつりぽつりと話していたはずが、マシュや哪吒を交えるうちに熱中してしまった。

 思い出にはしゃいだり記憶に引きずられて湿っぽくなったり、立香は忙しく笑いながら密かに鼻を啜る。

 

 男はといえば、自分から話をねだっておきながら対話に混じることはなく、相槌一つも返さない。彼は片膝を立て、目を閉じたまま耳をこちらに傾けていた。

 ただ、唇だけがゆるく弧を描いている。

 

 

 ふと気付いた。

 

 

 少し離れた場所で目を伏せ、微かに口の端を上げる笑い方。

 愛し愛されることを知っている者の笑み。

 視線に気付き、掌で表情を隠すその仕草。

 

 

 ああ、似ている。

 

 

 そう思ったら、もう駄目だった。

 胸の奥が温かく、苦しくなる。

 律した心を置き去りに愚かな言葉が溢れてしまいそうで、立香は口を引き結んだ。

 今ここにアルジュナがいれば、彼は立香を嗜め、背筋を伸ばすように諭してくれただろうか。あるいは笑ってくれたかもしれない。

 だが、彼はいないのだ。

 マシュに腕を摩られ、立香は目を閉じる。

 

 泣いてはいない。

 泣く理由もない。

 それでもやはり少し、どうしても寂しくて、同時にそう感じてしまう自分が情けなかった。

 

 たくさんのことを教わったのに。

 歩き方も走り方も踏ん張り方も、彼や他のサーヴァント、カルデア職員の皆から学んで、自分なりに編み上げてきたはずなのに。

 別れはいつも突然で、だからこそ覚悟もして、しっかり笑顔でお別れをしたのに。

 

 それでもまだ、共に歩みたいと願ってしまう自分がいる。

 

 このままでは弱音が漏れてしまうだろう。

 だからこそ、立香は大きく息を吸った。

 

「本当にもう、会いたいなあ!」

 

 顔を上げ、大声で叫んだ。

 

 願いは空に響き渡る。

 突然の大音声に驚いたのか、唖然とした顔でこちらをみるアルジュナの父。そして跳ね起きるヴァルナ。

 慌てた様子で互いを視認し合う神々を放置し、立香は眦に浮ぶ涙を拭った。

 

 泣いてなどいない。

 泣くわけがない。

 何故なら、絶対に再会するので。

 

「よし、センチメンタルタイム終了! 藤丸はハグを希望します!」

「え!? は、はい! マシュ・キリエライト、失礼します!」

 

 立香の唐突な要請に応え、マシュが飛び込んでくる。両腕を広げて彼女を迎え入れたらば、容赦ないハグもといタックルを喰らう羽目になった。

 

 まずい。

 踏ん張りきれない。

 

 倒れ込みそうになる立香の背を哪吒が支える。サーヴァントということもあって、嫋やかな見た目のわりに剛力だ。

 結果的に二人に挟まれプレスされた立香は堪らず醜い呻きを溢した。

 

「ぐえっ!」

「先輩、大丈夫ですか!?」

(ますたー) 呼吸困難。技あり 一本」

 

 のんびりとボケをかます哪吒と慌てて背を摩るマシュ。息を吸えずに喘ぐ汎人類史最後のマスターに、彼女達を珍獣でも見るように遠巻きに眺めている敗残の神々。

 

 新たな大地の探索は前途多難の様相を示し、待ち人来ぬまま、今日も空は青く遠い。

 インド異聞帯攻略作戦は数多の謎と問題を抱えたまま、なんともしまりなく始まるのだった。

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