捌くから待ってろ、そう言われて何分経ったろう?
消した焚火を再び灯して、隠し扉を閉めて。落ち着くと汗がどっと不快に感じたので素早く作業着を脱いで、汗の染み込んだインナーも…
「あっ…構わないよ」
「ごめんなさいっ!」
そうだよなぁ、いくら異世界だとか言ったって、別の世界観価値観で生きてると言ったって、人間だし…女性だし。それを相手にそんな社交的な振る舞いができるかと言えば…現実見ろって感じだ。
「鍵要るか…」
絶え間なく手際よく狩った
「鍵…?」
どこだろう、全く心当たりがない。
ここは元々薬品倉庫らしく、それだけで置いておく棚があるくらいの恐ろしいくらいの一部屋構造。でも今はもう空になった棚と一面が汚れきった木箱くらいしか…いや待てよ、『もう空になった棚』って言ったよな? でもそれはちょっと違う気がする。
いや別に特別否定や肯定する根拠が用意できている訳ではないけど…なんかちょっと…解毒薬みたいな青い何かが入った瓶を見た気が、そのラベルを解読しようと試みた気が…
あ、そうか! この服を取りに行ったあの部屋!
確か場所は…
一旦この部屋の構造を整理してみよう。
部屋は言うなれば逆"L"字 ―
で、東西南北は曖昧だけど例えれば ―
南に出入りしている隠し扉と換気口があり、
東には今フルトーさんが解体している場所で、木板で閉ざされているけどそこそこの大きさの木の扉がある ―多分こっちが正規の入り口なんだろう。
んで北には取り外されてるけどまだ壊れていない棚があって包丁とか食器とか、あと油の入った壷と水の入った壺がある。その壺の蓋がなんだか笑っている人の顔のように見えて、不気味だった。更にベットとか椅子代わりにしている木箱があって、昨日はそこで寝た。
ここが"」"の字の出っ張ってる部分に相当する。
西は取り外されずに棚があって、板が突き刺さったようなテーブルのようなものがあるくらいで、リールスが地べたで座っているように特筆すべきものはない。
「…」
あの部屋の扉を除けば、だけど…
今いるのは隠し扉を背面にして焚火に向いている位置。そしてドアの位置は…と互いの位置を確認出来たらその方に目を向ける。警戒心を解いたのか隅で座っていた彼女は少しまどろんでいて、その彼女に汗で濡れた不快感に耐えられなくなった俺自身の哀れな姿を見られずに済んだのは最大の成果と言えるだろう。
さて、頭に血が回って朝よりはある程度冷静になれた今この部屋を見てみると、どこよりも倉庫らしいというか、案外整理整頓されているのというが第一印象だ。
左右の棚には空白が多いけれど並べられている薬品は効果毎にある程度整列されていて、乱雑になっているように思えた山のように置かれた剣や杖などの武器や、傷は多いが駄目にはなっていない防具も、よく見れば状態によって分けられている。刀身が欠けているものと折れた杖は近く、穂が酸かなにかで溶かされた槍は同じように溶かされた胸当ての傍に置かれている。
ただ場所を取って生活しているように思えたけれど、そうか、フルトーさんこういう生活長いもんな…そりゃこうも慣れたような生活感がある訳か…
「…さっさと着替えよ」
肩に乗っていたちゅーたを薬品棚の空いているところに座らせてから作業着を脱いで、そこらへんに置いていた彼から渡された箱に入れ替わるように、入れていたシャツと着替えた。
脱いだそれは、どうせまた着る事になるだろうからと焚火の近く ―色々ある北側の壁に使えそうな物がないか探して、干そうと考えた。
兎にも角にもと用事を終えると手間取る事なくその倉庫から出た。
「それ、そのままだと次使い辛くなっちゃうよ?」
びくんっ、と背筋を震わせるように反応してしまったその声の主は言うまでもなくリールスだった。
「そりゃ分かってますけど…洗う水もないでしょ?」
目配せするように黙々と解体しているフルトーさんの方に視線を向けるが、他の視覚的情報と合わせても、案の定という結果しか見い出せなかった。
「任せて、魔法って便利なんだよ?」
「えっ、ちょっと!」
それほど強く持っていなかったとはいえ、彼女は紙ナプキンを取るように滑らかにさっきまで着ていた作業着を自分の右腕に乗せ、俺を引き離すように走った。
狭いこの部屋の中でも動きは軽やかで、流石暗殺者をやっているだけあり、時々死角に入って目で追う事すらできない。
「そんなにですか!?」弄ばれるように彼女は姿を消し、最早居場所の手がかりすらないのでみっともなく狼狽えてしまった。ツッコミでもある、疑問から来る。
「まぁまぁ、任せてって」
狼狽えも空を切って響かなかったように静寂の中からスッと上から現れた彼女はそっと俺の肩を撫でると、どこで拾ってきたか枝をハンガーの要領で作業着をかけてみせた。
「えぇ…」正直不安だった。さっきも目の前で目撃したとはいえ、火花とか出てたし…燃えんじゃないの? たぶんそれ綿製だし。
「まぁまぁまぁ」
根拠を一切示さないまま無駄に自信にあふれた顔でそれの袖を掴み、見覚えのあるプラズマが短く流れた。あまりに気軽にされたので、AEDを連想してしまっていた俺は『きっとも体にこんな感じのが流れんだろうな』と少し戦慄した。
不安がったし、戦慄の気持ちはまだ存在感を主張していたが、それでも好奇心はあったので目を閉じる事なく直視した。褒めてほしい。
するとどうだろう、もう染み込んでしまっていた汗などがぷつぷつと表面に浮き出た。かと思えば元に戻ったり吸収される事なく、なにかの法則を無視してそれらは雨粒のように地面に落ちていった。
「触ってみれば?」
「はぁ…」
渡されたそれは紛れもなく俺の着ていた作業着だ。紛れもなく ―湿気と一緒に汚れも流され、何故だか仄かに梅雨に咲く花の匂いがした。
…マジックか何かで入れ替えられたとか、そういうのではないようだ。
「すごい…」
もう感心とか不安とか超えて、自分の中で考えるベースのようなものが ―思考の根本がいじくられる気がした。
カン、カン、カン。
まな板代わりの滑らかで平たい岩と短剣が使い主の溜息を代弁するようにそう音を立てた。
「あぁー…終わった終わった」
背伸びをして腕をピンっと張ったら、腕と肩を一つを一直線にまとめてから倒すように後ろに移動させて、肩の動く限り一周させる。
「んぁっ…」
首を右回り、左回り。はぁ、と息を吐き、邪魔だからと外していた仮面を再び被る。
誇らしげにほくそ笑む彼女と変に困惑している俺を一瞥し、
「飯の時間だ」と優し気な声をして。
新調して心なしか少し光沢の見える鍋を
焚火を上から被せるように、円に四足歩行の足が生えたような台座に設置する。手の内側についた錆だか煤だかがついてしまわないように、指を使うと意識して鍋をその台座の上に載せる。
台座との対比もあるのか、新調して新調して心なしか少し鍋に光沢があるように見える。
北側にあった油壷を持ち上げ、その鍋に注ぐ。あまり底が深いとは言い難いので八割を満たしても使われた量は少なく、熱されるのは早かった。
「何にするんです?」
「素揚げ」
こんなに油使ってるんだから揚げ物とは思ったが、素揚げか…衣、ないと寂しいかな。
「とは言っても素材そのままじゃないけどな」
そう言って彼は何か肉団子のようなものをバチバチと音のする黄色いそれの中に放り込んだ。
「
もう思うと餅巾着みたいなものだろうか?…揚げ餅巾着を想像できないから、この考えはここでおしまいだったけど。
《本日の食事》
~『ロヴァトーカとゴグウンの
感想:話によればどうやら
「そういえばですけど、何の油使って揚げたんですか?」
「足りなくなる度に適当に混ぜてるからこれといって何の油ってのはないが…最近混ぜたのだと氷鯨の一種だな。商人と物々交換だったから本物じゃない可能性も充分にある」
一応は鯨油か。だったら油が黄色かったのも分かる。…
「氷鯨…近くだと第二十層の『月呼びの湖』にいる
「あの小さい奴か?…ぼられたか」
湖あんの? 地下なのに? …まぁ、今日も溶岩洞とか行ったし、今更湖とかって感じではあるけど…いやねぇわ!流石に湖はないし、鯨はもっとないわ! 何この以上空間、怖くなってきたんだけど…
怪訝そうな顔をしてもしょうがないと、気を抜いてそこらに目を向けてみると、冷静に考えるとおかしな点を見つけた。
「フルトーさん、仮面外さないんですね」
「…そうか、着けたまんまだったか…」
もしかして気付いてなかったの? そんな頭すっぽり覆える骨を着けといて?
「ははっ、よくあるよくある! わたしの兄さんも入浴中なのに眼鏡着けっぱなしで『なんで外さないの』って思ってたなー…慣れちゃうよね、そういうの」
「必需品なだけに、あるのが当たり前だからな。…しかし冷静になると食べ辛いな。外すか」
あるあるネタはこの世界でも共通らしく、そこだけは安心できる。
蝋か何かを塗られているのか普通の骨よりも一層白い仮面が外され、しかし、そこから現れたのは人のものとは思えない目が眩む程の純白。その骨の鹿が生前そうであっただろうように神々しさと間違う程に別格凛々しく、整えられたそれは黄金比ともいうべき完成された美の一大傑作。史上いつを探してもそれを一部でも形容できる言葉はないだろうという確証を持てるそれを既存の分類では不足が過ぎる、勇ましくもあり美麗でもあり、強いて言えば"絶対的な美しい系"だろう。
人間という題材に於いて完成され尽くした神の耽美の粋ともいえる人外の…自分で言ってて馬鹿馬鹿しくなる程、別の生物感がするからこそ妬みも羨ましさの類も感じない。
APP19はSUNチェック対象だろ、普通。
「…流石に着けすぎたか」
「こんな地下で物々交換とかするくらいなのに、よくそんな容貌でいられますね…リールスもそう思わな―」
そうして視線を彼女の方に向けると、どこか気の抜けて ―魂を意識でギリギリ繋いでいるだけであるかのように浮世離れしたのほほんとした彼女の表情は完全に変わっていて、それに内包された感情は崇拝とでも呼ぶべきものだった。
―お前もか。あんたも充分綺麗だけどね!
「リール…」
「貴方!」
名前を呼び切る前に彼女は視界から消え、声が背後で聞こえるだけだった。
「わたしとッ! 子供作らない!」
はいっ!? 身を乗り出して何を言うかと思えば、今それ!? そんなにですか!?
ホントに美しいって罪だな…人からこんなに冷静さを奪ってしまうなんて。
「貴方の遺伝子があれば、わたし達の子孫は末代までそれだけで食べていける!」
―冷静でした。冷静におかしくなってました。
「そんな恩恵あんの…?」
「君は侮ってるね! 人間見た目の美醜が十割、そこで成功しなきゃ世の中全ての人が関わる物事に失敗するも同然よ! 世の中醜い者がほとんどよ、美しい者は美しいというだけで求められるの!」
「心が醜いからかなっ!?」
俺自身は決して容姿が優れているとは言えないから、なんとも聞くのに辛い話だ。
「そうかも…でもね、実体験がそれを否定できないんだよ…」
戯ける雰囲気も一変、彼女の語り口はどこか感傷的なものになった。
明るい日の差す小麦畑の一か所を切り取って、それを染料にして色を付けたような金髪が揺れ、一瞬翡翠色の光が俺の目にも映る。
どこを向いていたのかは判らない。
彼女の持つ皿に残った黄色い油はそれを現像してくれない。
彼女の見る炎は答えてくれない。
彼女の声しかない。
「世の中、美しくなくても充分に生きられるよ。努力とか才能とかそういう次元でなら、うん、それは確かだよ」
腰に差した短剣を引き抜き、膝の上に置くと子猫か何かを相手しているように撫でてみせた。
「わたしだって色々したんだよ? 君がどう思ったかは分からないけど、色々工夫してみたんだ…魔法陣を彫ってみたり…胸の間と腰の後ろと、あとお腹ね…我ながら三つもよくやったと思うよ」
自嘲するように口角を上げて気持ちを取り繕ったが、見えない筈の瞳は素直だった。
短剣の柄のあたりにはなにやら文字が刻まれていて、長さからして文や詩ではない。かといって単語かといえばそれは短すぎる。きっと名前だろう ―職人か、きっと送った者の名だ。
「…話がずれたね…色んな手段で実力をつける事は出来る、ただそれは"ただ強くなる"だけよ。最高になるには美しくないと ―英雄譚は謳われ、語られるに足るものでなければならない」
この言葉達は目的語を持っていない。話されて、手離されても、それでも目的地が設定されていないから、ただ放されただけだから自分のところに帰ってきてしまう。そういう類の話だ。
「美しくなくても生きられるし、強くもなれる、それは確かだよ。けど、それと同じくらい美しくないと最高になれないのも確かだよ」
正直俺にはピンとくるものではなかった。彼女の言ったそれは『いくら努力しても美しくなくては出来ない物事がある』という内容だ。なら、釈然としなくて当然だ。
第一に俺はこれといって努力と呼べる研鑽をしていない。
自分で言っててどこかが痛くなるが、それでも事実実を結ぶような努力はしてこなかったのは事実だ。
そう思うと、俺なんかが"工夫"までしたリールスと話していいのか ―俺にそんな資格があるのか判らなくなってくる。
この話はきっと、俺よりフルトーさんに刺さる話だろう。
彼、特に美麗ではあるけど実力は"才能よりも経験"の努力型だろうし。
彼女の心境とは異なり、俺の心はあまり響かずに、それでもなにかを考えようとして無理と解っていながらも無暗な悶懐が頭をノイズのようにぐちゃぐちゃな…幼稚園の時何を言われてるのかも判らずに適当に描いた曲がった線ばかりの雑な模様が生まれる。
だから、もうこの話は終わらせなきゃ。そうしないと、考えてばかりじゃどうにも出来ない ―自分がそういう人間だと知ってるから。
「…場違いかもしれないですけど、俺からしたらリールスもフルトーさんも、充分に綺麗だと思うんですが…エルフってそういうもんですか?」「ん?…まぁ、そうだな」
真剣に聞いていたのか、それとも抑々聞いていなかったのかフルトーさんの反応は咄嗟だった。
「…いや、今の答えじゃ因果が逆だな」
「逆?」
「歴史的に言えば
因果が逆ってそういう事ですか…歴史的に言えば、か。
まずその歴史知らないんだよな。
「どういう意味? リールス」
「…ごめん、わたしそういうの学んでないんだ。抑々学校行ってないし、本を読もうにも読み書きとか出来ないし」
耳打ちを求めてはみたものの、どうやら人選ミス。さっき涙目っぽかったし、そりゃ当然。
…まいったな、もう消去法的にちゅーたに訊くしかないじゃん ―とはならない。ネズミのちゅーたが求めている意味を知っていたとして、俺はネズミの言葉が解らないから教えられても解らない。つまりは無意味だ。だから正解は普通に分からないとフルトーさんに正直に訊くべきだ。
ネズミに縋るか、縋らざるか。ここが正気と狂気の分水嶺…は言いすぎか。
「…どういう経緯でそうなったんですか?」
そう訊かれたフルトーさんもまいったというような表情をして、目の間あたりを人差し指と中指でコンコンと叩くと「あまり上手じゃないが…」と前置きしてから話を始めた。
「宮歴や塔歴が始まるよりも前の時代、まだエルフがこのシンス・ピーリス大陸のかしこに村があったような時代に或る戦争があってな。今から考えると小規模なんだが、当時としては未曾有の規模の戦いで、森の奇妙な精霊紛いの異種族という認識エルフも参戦させられた。その戦争で彼らの居た陣営は敗北し、生き残った一部が奴隷として市場に流れる事になった。大規模な戦争で、記録からしてエルフの参戦人数も多く、直接戦闘をしなかった者を含めても三万人はいたらしい。だが抑々生命力がある種族じゃないし、終戦時に生き残った者は極めて少なかった。だから市場に流れたとは言ってもその希少性から買えたのは一部の大領主か王くらいのもので、結果的に『エルフの奴隷を所持する』するというのは上流階級の特権性を可視化する結果にもつながってだな…」
「…」
完全においてかれました、話に。
多分基礎的な知識 ―平安時代の事件を語ってるくらいなんだろうけど、生憎俺はこの世界の平安時代を知らない。宮歴とか塔歴って何? 如月とか弥生とかその感じ?専門用語が二行に四つ以上あると不適切とはよく言ったものだ…誰が言った言葉だっけ?
「まぁ、つまり『大昔に権力の象徴として特別視されてた』ってのが理由とされてる」
そういう…なるほどね、まとめられればある程度は納得できる。
言い方はあれだけどジャガイモが普及したようなもんか。マリーアントワネットに花を身に着けさせるとか、名前は出てこないけどあの王様よくやったもんだ。…この場合は彼のとは違って意図したものではないだろうけど。
「お開きだな…なぁリールス―」
「分かってる、口外は厳禁だよね?」
「あぁ、そうだよ。…他の依頼人とかと同じく、守秘義務で頼む。こっちも色々あってな」
帰り支度でマントを羽織って緑一色の姿となった彼女は隠し扉の前で立ち止まり、なにかを求めてこちらを振り向いた。
改めてみると、結局その悲し気な表情がどうしてなのかとか、彼の依頼人らしいヨアレスの言っていたローリルとは知り合いなのかとか、解らない事は多かったと思う。
「…ねぇロゥ君、わたしは君がどういう道を歩むのかは判らない」
感傷的な風で、そうでもない様子で、真意を悟らせない暗殺者らしい面持ちでそう云った。
「彼と一緒に過ごして、もしわたしや彼と同じような道を歩むのだとしたら ―君を仮にも同業者として尊重して、わたしなりの後輩への助言を言うのなら『《
「はい…?」
「釈然としないよね…!」
自嘲気味な言葉ではあったが、その浮かべられた笑顔は屈託のないものだった。
少なくとも、そう思えた。
歯車が動き、隠し扉が閉まった。
朝と同じ状況だ。俺とフルトーさんとちゅーた、その三人。
「…」
一瞬だけだった。けれども、彼女の残したものは存外大きなものだったと思う。
今更になって彼女に見せられなかった首の傷がびくびくと動くような気がする。
彼女のいなくなったこの部屋が、こんなにもがらんとしているように感じるなんて―
助けられたな、と思った。
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