俺達が追っていた声の主はあまり予想と変わらない容姿をしていた。
筋骨隆々のいかにも脳味噌の中に血管の代わりに筋繊維があるような短髪の大男と、死ぬかもしれない現場ではなめているとしか思えないショートスカートの浮気な女。…近所のコンビニの駐車場でタバコ吸ってたカップルに似てる組み合わせだ。とりあえず仮に男の方を『トシくん』とでも…そういえばヨアレスって呼ばれてたな。
「俺が誰かなんて、大した問題じゃないだろ?」
「なんだよその態度は!さっきまで俺達をこそこそ後を着けて来た奴の言葉かッ!バレバレなんだよッ!」
それを聞いたフルトーさんは『お話にならないな』とあきれたかのように少し俯いてから、
仮面の目の辺りを人差し指と中指で叩く仕草をした後に「なんでそんな喧嘩腰なんだよ? 俺は自分の行動がおかしくないと思っているからこそ、今ここに立っているんだぞ? だから俺自身は然程に妙な態度とも思わないし、違和感もない。極当然なもんだろ」と返答した。
実際にそんな音が聞こえる訳じゃないし、聞いたこともないけど、何かを噛締めている様な彼の表情と漏れてしまった裏返った声色で今この場でヨアレスの頭が"プッツン"したのが判った。
「てめェ!―」
「それともなにかッ?『背後まで気を配れるなんてスゴイねぇ』なんて誉めて欲しかったのかッ!?」
いざ立ち会うと彼らは同格とは言い難いように思えた。
俺は日本人としては平凡な170cm程で、フルトーさんはそんな俺より頭一つ分とちょっと高いので180後半と推測する。そしてヨアレスはそのフルトーさんより一回りは大きい。俯瞰してみると彼は巨人と形容してもおかしくない身長だ。それを示すようにフルトーさんも彼を見上げていた。
けれど何故だか不安は感じなかった。
恩人だからというのもあるが、そもそものレベルが違うように見えたのだ。その安心感はたとえ相手が
「死ねェ!」
眼前にも関わらず大きく振りかぶられ、ヨアレスの大斧は力強く振り下ろされた。鞭のように空気を切り裂く音を伴っているそれはきっと尋常の鎧だったら絹豆腐を箸で押した時のように、簡単に真っ二つになってしまうだろうと思われた。
…勿論、思うだけが全てではない。
「良い勢いだったぞ。但し、目の前の相手に対してここまでの長い隙を晒しておきながら、更に相手が無抵抗という仮説をしてでの攻撃なんて―無意味以外の何物でもないがな」
当然のようにフルトーさんはその一撃をいとも簡単に―ペン回しをする時のように三本の指で掴み、完全に勢いを殺していた。
「本当に
そう言うと彼は白刃取りより余裕を持ったその防御から一歩退いて、掴んでいた大斧の刃の掴み方を変えて、刃を六時を指す長針のように地を向くように下ろした。
相手が自覚しているだけ、ヨアレスは余計に神経を逆撫でにされるだろう。そして彼は自分がわざわざ相手の話に耳を傾けている非合理性に気付いたのか、血管浮き立つ丸太のような腕に再び力が入るのが判る。
「俺に説教すんなッ!」
今回の攻撃がどんな威力だったのか、所詮物陰からの盗み見ている俺にとってそれを知る事は出来なかった。しかしこういう理詰め相手の逆上に効果がある場合なんて、大抵はないものだ。
下から上の、強力だが単調な動きは少し蹴られただけでなんてことなく軌道を逸らされ、ヨアレスは目の前の鹿の仮面を着けた追跡者に当てられなかった。ただ、その結果は狭い故に崩れた
「説教は嫌か? なら言い訳だけをした方がっ…」
優位だった筈のフルトーさんの身体が突然震え、何故か彼が血を吐いた時、俺はそれを信じられなかった。
そんなの、信じられる訳が無かった。一撃だって喰らってないのに、そんな事あってはならない。そう思ったけれど、事実は決して変わらずに、鎧を着ているせいでぎこちない機械人形みたいに震える彼はそこに居続けた。
「…成程、手段は理解出来た」
俺が彼に異変が起きていると判るより先に本人はヨアレスの斧を蹴ったついでに後退していたので、吐血直後に追撃を喰らう事はなかった。だがそれでも吐血は止まらず、丸で彼の中で何かの栓が抜けてしまったのかと疑う程だった。
「だから言ったろ? 格上の言う事は大人しく聞いとけよ、俺が相手なんだ―この《剛拳のヨアレス》に突っかかって来た時点で生きて帰れる算段が通じると思うな!」
ヨアレスは余程勝利を確信したのか、さっきまでの激昂した様子は薄れ、ムカつく程絶対的に勝ち誇った表情をしていた。
彼は大斧を手に、弱者をいたぶるように、手負いの獣をしとめる為に巣穴に潜るようにじりじりと距離を詰める。
まさか負ける?
フルトーさんが?
こんなに油断し切ったような相手に、彼が負けるのか?
なら助けないと!一人じゃない利点を活かすべきだ!
…なんでだ。
なんで、あと一歩踏み出せば彼に協力できるのに、この手が俺と彼らを遮る岩壁を掴んで離さない。松明を持つ手はこの場から逃げたがって、その灯を今にも地面に擦り付きそうな程低い。
今にも煙草に火を灯した後、マッチを踏み潰すように―もう俺は、この炎を用済みだと思っている…?
…いや、考え方を変えろ。俺が加われば二対二とは言えだ。数の有利が出来るとはいえ、俺が場に入れば寧ろ彼の脚を引っ張るだけだ。
落ち着け…無駄な事をしようと思うな。フルトーさんを信じろ、俺は俺にしか出来ない事を考えろ。
…俺はきっと彼らに気付かれていない―だからこそ出来る事がある筈だ。
「おらァ!」
俺がなにも出来ないまま、ヨアレスは彼にもう一度大斧を振り下ろした。
フルトーさんも無抵抗なわけではなく、回避こそするが、防御なんて出来そうもないあり様なのは変わらない。大振りの一撃だから、止めた時と同じ要領で避けはしている。けれど同時にまだ吐血した時の体の震えが止まっていないので、その反応速度や体の動きは鈍っていき、とうとう紙一重…
「…!」
そして遂には退く場所もなく、背中がぶつかってしまう程に岩壁に近くなってしまった。もう、一歩たりとも退けない。
「後がねぇなァ?」
「…そうだな」ヨアレスの問いに何も言い返せず、ただ自虐的に―痛いしく聞こえる状況報告だけだった。
しかし何故だか、着実に追い詰められて、絶望的な状況になっている筈なのに…どうしてか俺にはただの状況報告が、現状を噛締めて何かの準備をしているような―無意味にこうなっているようには思えなかった。
「あぁ、全く以てその通りだな」フルトーさんは虚勢を張るように、体の震えなんてなかったように、背をぴんと張ってヨアレスと立ち向かった。
「お前の敗因は簡単だ。お前は、俺に相手した」
トドメと言わんばかりに息を整えて、より殺意の籠った目でフルトーさんを捉えた。
ヨアレスは地を蹴って、フルトーさん目掛けて一直線に強攻を放った。その一撃に込められた力は、勢いだけで蹴られた地面の岩が抉られ、削り飛ぶ程だった。
その一撃で終わるわけもなく、大斧の猛撃な嵐のような攻撃は隙もなく続いた。
威力といったらもはや人の出せるものとは到底思えず、この第十八階層ひいてはこの『帯』が―いや
たった二人の戦いなのに、
土煙が晴れ、こんな地震のような攻撃を直に受けているであろうフルトーさんの姿がはっきりしてきた。クロッキーに過ぎなかったぼやけていた輪郭は次第に綺麗な線になり、その線が成した姿に色づくのに時間はかからなかった。
「…なんだよ、終わりか?」
そしてその絵に実感を与えたのは、彼らしい不屈の声だった。
「ああ、てめぇごときにとどめなんて刺さねぇよ」
遂に終わり…
そんな訳あるか、やっと意味が解ったんだ。
この胸の奥にちゃんとあった、失えなかった
「ちゅー!」
「ねずみ!?」
そう、一匹のねずみ。たった一匹のねずみが落ちてきただけだ。おそらくこんな揺れに驚いて逃げて来たってところだろう、しかしそれがきっかけだった。
俺の耳に入った驚く声はヨアレスのものでも、アェイラのものでもない女の声―つまりは
「やっぱり、魔法だったか」
土煙の中でもプラズマのように道筋を描く―魔法の軌道もよく見えた。フルトーさんはヨアレスの気を引いている、俺は…俺はこいつを止める!
足音は立てるな、余韻とはいえまだまだ戦闘中だ。斧が振られる範囲には間違っても指一本も触れないように、気を遣え。慎重に、素早く、無理をしろ、安全択なんて有効になんてなりゃしないんだ!わざと冷静になれ、死の淵を彷徨え、間違えるな、
「どけッ!」
もう無駄な事は考えている時間は無い。上手にトチ狂おうとした結果、そんなに上手いようにはならなかった。ただ、今はこうでいい。一刻も早く。なら何が何でも使うまで、だから俺はヨアレスを蹴って片足だけでも勢いを強めた。
あと一瞬、それで届く!俺の武器を考えろ、あるのは手元の松明だけだ…充分じゃないか。人は、燃えれば死ぬんだから。
無駄なあがきでもいい、低く構えろ。悟らせても見せるな。俺だけの為の炎じゃない、俺達の為の炎だ。決して絶やすな、変える分にも、灯は必要だ。
「うぉぉぉぉ!」
「…!」上手に意表を突けたなんて思わないが、無事彼女の隙は突けたようだった。
さっきヨアレスがそうしたように、下から上へ。極めて単調な動き、だがそれでいい。
低く構えていた松明の炎は、無事隠れていた彼女の服へと引火させられた。
結果だけで言えば、彼女の服装が
「…君、中々ガッツがあるんだね」
「えっ…」
特に作戦があったとかそういう訳じゃないけど、何か動きが制限できればと思って彼女に馬乗りになっていたので、彼女の顔がよく見える。
負けを認めた訳でも、勝機を失っていない訳でもなく、ただ興味なさげだった。なんて冷ややかなんだろう。俺にかけた言葉も何の意図もなく、単に感想が口から漏れてしまったようで…拍子抜けした。
「君には気付いてたよ、けど出てくるとは思わなかったな。冒険者には必要な素質だよね…わたしは持ってないから、よく解るよ」
フルトーさんのようにエルフの血が混じっているのか、絵画のように美しい顔立ちだったが冷ややかな表情は変わらずに、けれども口調だけは悲し気なものだった。
「…ねぇ、君。多分あっちも決着つくよ…君の関係は知らないけど、わたしの一応雇い主だし、ちょっと見たいかな」
俺も彼らの決着は気になるけど、彼女の誘導かもしれないので、念のためにいつでも絞殺できるように首の上に手を置いて生殺与奪の権利はこちらにあると僅かながら主張した。
両者一歩も動いてはいなかった。けれどそこに静寂もなかった。
「
あれだけの攻撃をストレートに喰らっても、フルトーさんは傷一つ負わずに、そこに立っていた。
「…てめっ!―」
流石に自慢の連撃を繰り出しても何一つ目立ったダメージは負わず、しかもまた彼の嫌いな説教臭いセリフが待っていたのだから、相対するヨアレスは一瞬怯んだ。けれども流石は脳味噌の中に血管の代わりに筋繊維がある男、すぐさま切り替えて再び切り掛った。
…まぁ、上手くいく道理も既にないのだが。
「ヴォゥラァ!」
勢いよく勇んだ突撃は当然の如くフルトーさんに片手で静止させられ、流れるようにもう片方の手で彼の顔を圧し潰すように頭をガチリと掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた。
「最初に、言ったよなァ?『俺は自分の行動がおかしくないと思っているからこそ、今ここに立っているんだ』って…こういう事だ。
フルトーさんは彼から視線をずらさずに、抵抗しようと斧を掴みかけていた手を手刀で叩き、警告するようににらみを利かせた。
「だからこそ、相手を知るんだよ。こそこそとねずみに紛れようが、全身を泥沼に沈めようが、血を頭から被ろうが、何をしようが何がなんでも相手を少しでも多く知るんだよ。だから、追跡すんだよ、用心すんだよ、どんな馬鹿なのか」
彼は話に一区切りつけると、姿勢を多少整え、手の力を抜いた。
それに対してヨアレス一瞬安堵し、表情に緩みが出て来た瞬間に彼は股間を蹴られ、アェイラが寄りかかっていた方の岩壁まで飛ばされた。
「解り辛れぇか……お前の言葉で言うのなら、『お前の敗因は簡単だ。お前は、俺に相手した』―そういうだけの話だ」
侮蔑するようにただ一瞥すると、残ったアェイラと暗殺者の二人に目で『とっとと去れ』と言い放った。
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