異常な光景も、いつかは慣れる。慣れないでいるということにも、慣れる。出撃から帰還した艦隊が帰投する。ある者は僚艦に肩を支えられて。ある者は担架に運ばれて。
「整備員!担架、こっちだこっち!」
「秋月、大破状態を確認!」
整備兵たちが駆け回る中、艦娘たちが亡霊のように足を引きずって入渠施設を目指す。その隊列と逆流するような進路で提督は足早に歩を進め、艦隊旗艦の大和に近づく。提督の姿を認めた大和がかろうじて姿勢を正し提督に敬礼を捧げる。
「提督、第一艦隊帰投しました。後ほど報告を……」
「報告は後回しでいい」
制服は破れ、艤装はひしゃげ、血を流す恋人の姿に提督は胸を痛めるが表面上は平静を保つ。一刻も早く彼女を癒してやりたいとの思いを抑え込み提督は大和に告げる。
「入渠施設が満杯だ。開くまで、待機所で待機しろ」
敬礼を捧げたままひとつ頷く大和の視線を受け止める提督の表情からは内心の動揺は感じ取れなかった。
それから数日、癒えた身体で鎮守府本館の中庭を散策しながら大和はここしばらくの戦況に思いを馳せる。深海棲艦の活動は活発化している。戦況は、やや押され気味だ。ともすれば弱気になる思いを振り払おうと大和はおでこに指をあて首を軽く振る。と、向こうから提督が歩いてくるのが見える。敬礼を捧げ立ち止まり、提督が近づくにまかせる。
「大和、身体の調子はもういいのか?」
「はい、おかげさまで」
微笑んで大和は手を下ろす。ふたり、しばし見つめあう。ふたりの空気が流れる中、その空気を割るように子供の声が響き渡る。
「あ!司令と大和さんだ!」
その声の方角にふたりが顔を向けるとこちらに駆け寄ってくるのは海防艦の佐渡と平戸。ふたりの海防艦は近くまで来ると大和に人懐っこい笑顔を向ける。
「大和さん、もう身体の具合はいいの?」
「ええ、おかげさまで」
「この間の作戦では多くの艦娘が傷つきましたから……出撃しなかった艦娘はみんな、心配してたんですよ」
「ありがとう」
佐渡と平戸が口々に労りの言葉を向けるのに大和は穏やかな微笑で応える。と、佐渡が視線を足元に落としいつもの快活さを忘れたかのような沈んだ声を出す。
「……いつまで、こんなことが続くのかな」
その声につられたように平戸も視線を落とす。言葉の続きを待つ大和の見守る前で佐渡は言葉続ける。
「いつ、戦争は終わるんだろう。みんないつも傷ついて、血を流して……」
「そう長いことじゃない」
凛とした声が佐渡の言葉を終わらせる。顔を上げるふたりの海防艦と自分の方に顔を向ける大和の視線を受け止めながら提督は佐渡を真っ直ぐに見つめ告げる。
「深海戦艦の動きは、徐々に沈静化している。出現個体数も、減少傾向にある。戦争が終わるのも、そう遠いことじゃない」
最後に微笑んで見せる提督に誘われたように、佐渡の顔に大きな笑みが浮かぶ。「うん!」と元気よく声をあげて佐渡は平戸を連れその場を走り去る。その背中を見送る提督に大和が遠慮がちな声を向ける。
「提督、深海棲艦は……」
「活動を活発化させているな。個体数の増加も、報告されている」
先ほどとは真逆の提督の言葉。真実を告げる言葉。その言葉を受け止め、大和は静かに提督に言葉向ける。
「あのふたりに告げたのは、きれいな嘘だと思います」
「醜い嘘だ」
提督の言葉が、大和の言葉をはじき返す。瞳震わせる大和のことは直視しないまま提督は言葉続ける。
「世界を護るために戦っているつもりだったが……深海棲艦を生み出したのも、世界なんだよな」
言葉を失う大和の視線を受けながら提督は更に言葉を継ぐ。
「世界は我々の味方か……それとも、悪意を向ける存在なのか」
大和は答える術を持たない。なにか言おうとして、それがなにか分からないまま大和は言葉を呑んだ。
夜の帳が鎮守府を覆う。夜の波が埠頭に押し寄せる。その埠頭にひとり立ち、提督は全てを呑み込むかのような漆黒の海見つめる。
後ろから人が近づく気配に、提督はゆっくりと振り向く。視界に入ったのは、こちらに歩み寄ってくる大和の姿。
「提督、探しました」
「よくここが分かったな」
「考え事をするときは、いつもここにいることを思い出したんです」
そうか、と一言応え提督は顔をまた海に向ける。その背中をしばらく大和は見つめていたが、やがて静かな声紡ぐ。
「提督、やはり昼間海防艦のふたりに告げたのは優しい嘘だと思います」
提督の背中は動かない。その背中に大和は更に言葉継ぐ。
「そして、提督は嘘を本当にできるお方です」
大和は、足を提督の方に進める。物言わぬ提督に向け、大和は言葉を紡ぎだす。
「時の進まないような戦線の中……それでも、私たちは戦っている。世界は時に残酷だけれど、それでも世界は美しい。いつか、世界がその姿を取り戻す時が来る。提督、あなたがもたらしてくれる」
提督の隣に立ち、提督と同じ夜の海見つめ大和は告げる。
「空も海も信じられなくても、提督……あなたのことは、信じられる」
しばらく、無言の時が流れる。波音だけが、埠頭に響く。やがて、提督はひとつ息をつく。
「そうだな、誰も、世界すらも信じなくても俺は未来を信じなくてはいけない。ひとりでも、未来をもたらさなくてはいけない」
「ひとりではありません」
静かな、はっきりとした大和の言葉。その言葉に顔を向ける提督の視線耳のあたりに受けながら大和は言葉放つ。
「大和が……大和たちがおそばにいます。いつも、いつまでも。この心音が、続く限り」
夜の風が、ふたりを撫でる。ふたりの心音が、夜の海に届く。微かな熱が、ふたりを包む。未来に届く熱が、ふたりから放たれる。
やがて、夜は明け朝が来る。陽光が、ふたりを包み込む。
了