少女の白い華奢な肩の細かな震えがようやく収まってゆく。提督私室のベッドの上で顔と小さな裸身を提督の方に向けて瑞鳳は呟く。
「……いよいよ明日だね」
大規模作戦出撃前夜。自分の方に横臥して無言で頷く提督に瑞鳳は小指を曲げて差し出す。
「私、必ず帰ってくるからね。指切り」
提督が小指を瑞鳳のそれに絡める。ふたりの確かな約束、夜は更けていった。
艦娘たちが作戦海域から帰投する。
「整備兵、担架こっちに回せ!」
「瑞鳳、大破状態を確認!」
あるものは傷つき、あるものは血を流し、損害を受けた艦隊が岸壁を進む。あるものは自分の足で、あるものは僚艦に支えられて。大破した瑞鳳は担架に乗せられ整備兵に運ばれていた。
艦隊を迎える提督は何も言わずに瑞鳳に近づく。その姿を虚ろな瞳で見上げ瑞鳳は弱弱しく微笑む。
「提督、私帰ってきたよ」
その言葉にも提督は無表情を貫く。その巌の姿に瑞鳳は続ける。
「もう一度提督に逢いたいと思ったの。……だから、私なにも怖くなかったよ」
瑞鳳から目を外し、提督は後ろに控える整備兵に問う。
「大破艦は他には?」
「駆逐艦・朧!以上!」
「そのふたりを入渠ドックへ運べ。残りの艦の修復優先度を決める。艦娘の被害状況を調べろ」
「はっ!」
整備兵が身を翻して駆け出していくのを追うように提督もその場を離れる。その姿を瑞鳳は目で追うが、提督は振り返らぬままだった。
それから月日は過ぎ、瑞鳳の姿が提督執務室にあった。
「軽空母瑞鳳、修復を完了いたしました」
きれいな敬礼ひとつ捧げる瑞鳳に提督はひとつ頷く。一瞬の沈黙の後、提督の傍らに控えていた大淀が口を開く。
「提督、私は事務局に」
「ああ」
恋人同士に気を使ったのだろう大淀が扉の閉まる小さな音を立ててその場を離れるのを待つと、提督は瑞鳳に言い放つ。
「瑞鳳、俺はお前に謝らない」
傷つくことも任務のうち、恋人であれどその原則は平等、そう言外に告げる提督に瑞鳳は応える。
「提督は、正しいと思うよ」
「何が正しいものか」
瑞鳳の言葉に被せるように提督は椅子に座り直して言い放つ。
「この戦争は間違っている……俺は、間違っている」
恋人を死地に送り込み血を流させ、そのことを平然と受け止める。そんな日々がいつまで続くのか、そんな終わらない時はいつまで続くのか。砕けそうな心抱える提督の言葉にならない痛み受け止め瑞鳳は言葉差し出す。
「正しいか間違っているかよりも、私は提督のいる世界に笑顔が溢れていてほしい」
小さな言葉、瑞鳳は続ける。
「だから私は戦える。それが私の生きる理由なんだと思う。……だから提督、泣かないで」
その言葉を向けられた提督の表情は冷たいまでに平穏だった。涙を流しているのは瑞鳳だった。一筋の涙瑞鳳の頬を伝い、床に落ちて小さな染みを作ってゆく。
「泣いているのはお前じゃないか」
「泣いてない」
「泣くな、瑞鳳」
「泣いてない」
きゅっと目を閉じて涙を堪えようとする。止められぬ涙、ぽろぽろと零れる。提督は椅子から立ち上がると机を回り込み瑞鳳の前に立つ。
そのまま、瑞鳳を抱きしめる。瑞鳳の小さな柔らかな身体が提督の胸に収まる。ふたりの鼓動が重なってゆく。提督の心臓の音に耳を寄せ、瑞鳳は呟く。
「提督が、聴こえる」
提督の胸に身を寄せ、瑞鳳は呟きを続ける。
「この音があるから、私は帰ってこれる。たとえ、海の上で聴こえなくても。たとえ、遠く離れていても。私は、どこからでも帰ってこれる」
自分の小さな身体を提督にすりつけるようにして瑞鳳は言葉紡ぐ。
「ねえ提督……指切り、したよね?私、必ず帰ってくるって。……私、これからも提督に帰ってくるから。いつか、静かな海を取り戻そう。いつか、これで良かったと思えるように」
返事を言葉にするのは野暮だと思った。だから提督は、瑞鳳を抱きしめる腕に力を込めた。瑞鳳が縋り付いてくる。ふたりの鼓動がさらに近づく。
いつか、これでよかったと思えるように。いつか、世界が笑えるように。ふたりのその想いが、空に、海に、広がってゆく。どこまでも青い空に、どこまでも青い海に。
青く、青く、どこまでも
了