野郎リンカネーション~スケベ淫魔の転生冒険者学園日記~ 作:風見ひなた(TS団大首領)
一度直で湯のみを掴んだらとんでもなく熱かったので、グレンは制服の袖の下から湯のみを掴み、ちびちびと緑茶を口に運んだ。
いちいち仕草がクッソあざといのはどういうことなのか。
(まあ、大体わかったけどね)
リンネアはお茶でいったん喉を潤してから、口を開く。
「これからの話をしましょう」
その声に含まれる真剣な雰囲気にグレンが湯飲みを置き、背筋を伸ばす。
リンネアは小さく頷くと、言葉を続けた。
「さっきここに来るまでに、貴方は……茜川春夢は冒険者学園に入学するためにこの国へ来たと説明したわよね」
「うん」
「ただ、貴方が……グレンが必ずしもその通りにする必要はない、と私は思う。冒険者を目指すというのはあくまでも前世の記憶を取り戻す前の貴方の意思でしかない。この世界に帰ってきた貴方には、暴力や争いのない平和を満喫して人生を過ごすという選択肢がある」
「…………」
「グレンはずっと言ってたわね。世界を平和にしたい、無用の争いで命を失う人をなくしたい、そのために俺は戦うんだって。
「そう、なのか……」
「ええ。だから、もう貴方は戦わなくていい。勇者グレンは、500年前に死んだのよ。そのうえで……貴方はこれからどうしたいの?」
「俺は……」
春夢は湯飲みの中をじっと見つめる。まだ残っているお茶の表面には、うっすらと年若い少女の顔が揺れていた。
「それでも、俺は剣を取りたい。いわれなき理不尽に苦しむ人がいたら、俺の剣で助けてやりたい。たとえ前世のように重い剣を握れなくなったとしても、その知識が俺にまだ残っているなら、どんな形であっても剣を振るい続けることが俺の意味だと思う」
「そっか……」
小さく、しかし力強い春夢の呟きに、リンネアは微笑みを返す。
「グレンならそう言っちゃうんだろうなって、わかってた。でもね」
「いや、皆まで言うな。世話になった、リンネア。俺はこれから武者修行の旅に出ようと思う……!」
「んんっ?」
春夢は迷いが晴れたようなスッキリとした顔に、爽やかな笑顔を浮かべる。
「これから俺は大陸を巡り、剣を磨きながら冒険の旅に出るよ! なーに、戦争は終わったといっても盗賊やモンスターがいなくなることなんかないからな、退治依頼なんていくらでもあるだろ! 俺も駆け出しの頃は大剣以外の剣も使ってたし、そのへんの武器屋で買った剣でも盗賊に後れを取ることはないさ。すぐに名うての冒険者になってみせるから、楽しみに待ってろよ!」
「おバカッ!!」
スパーン!!!
履いていたスリッパを手にしたリンネアの一撃が、時代錯誤の猪武者の頭にヒット!
春夢は目をパチパチさせながら、スリッパとは思えない衝撃に涙を浮かべた。
「な、何すんだ……!?」
「いないから! 今の時代、そのへんに盗賊やモンスターはいないから! もうそこらの村人が食い詰めて盗賊に身を落とすような時代じゃなくなったのよ!!」
「そ、そんな馬鹿な……!? あれだけうようよしてたのに!? むしろ貧乏な村が副業で盗賊やってるのが当たり前だっただろ!!」
山賊の討伐依頼を出している村が実は別の山賊グループで、商売敵を潰すために依頼を出していたなんて笑い話も経験したことがある。
なお、依頼を達成したところ、報酬は明日渡すので今日はぜひ泊まっていってくださいと勧めてきたので、寝たふりをして様子を窺ったところ、案の定寝首を掻きにきた。
あのときは村ごと潰して返り討ちにしたが。
すまん、自分の身に起こると笑えねえわ。
「そもそも、今は人権ってものがあるの。一般人が人を殺したら絶対ダメだからね、たとえ相手が犯罪者でも!」
「じんけん……?」
「あー……人間が生きる権利のことよ。人間は生まれながらにして、他人に危害を加えられずに生活する権利を国に保障されているの。それが当たり前の時代になったのよ」
「……!? す、す……」
春夢は全身をワナワナと震わせると、爆発するように歓喜の表情を浮かべた。
「すっげえええええ!! この世界は優しさの塊か!? 考えた奴は本物の天才だぞ!! いや、大魔導はいつかそうしたいって言ってたけど、まさか本当にそんなことを世界中に広めて当たり前にする奴が出てくるなんて……!!」
「えっ、あの子そんなこと考えてたの……? というかいつ聞いたの、それ……」
「前に街中で会ったときに飯食いながら聞いた。しかし……そうか。盗賊がいなくなるほど豊かで、飯が美味くて、戦争を強いられることも、命や財産を奪われることもないなんて……。もしや、今の時代はこの世の楽園なのか? こんな素晴らしい時代なら、誰も生活に不満なんてないよな」
「……う、うん。まあ、そうね」
リンネアは嘘を吐いた。
どれだけ豊かになっても、世界には不満が満ち、争いは起こる。神の手で人間がそのように作られたのだから、それは仕方がないことなのだ。
500年前の世界からのタイムスリッパーの純粋さを汚したくなかった。それがいずれ失われるものだとしても、今だけは喜びに水を差したくない。
500年前に白と黒の闘争が終わったときの民衆の喜びを、彼は今、遅れて味わっているのだから。
思わぬ吉報に大喜びではしゃいでいた春夢は、俄かに冷静になると首を傾げた。
「しかし……盗賊がいなくなったのはわかったが、じゃあモンスターは? あれは絶滅なんてしないだろ? 街からちょっと離れればいくらでも湧いてきたし、時には街中にだって湧くし。世界からマナがなくならない限りは……」
「地上から枯渇したのよ、マナ」
「は? ……じゃあ、魔術具を使えなくなるだろ。どうやって文明を維持してるんだよ」
冒険者たちが使用する武具や、街中の街灯や工廠の高炉は、大気中に充満するマナやその結晶である魔晶をエネルギー源とする魔術具だ。もはやこれなしでは文明は立ち行かないというくらいの便利な品物だが、マナにはダンジョンを発生させるという欠点がある。
ダンジョンには敵対的なモンスターが生息しており、奴らは時折溢れ出しては人間の集落を襲うのだ。その駆除は、冒険者の主な食い扶持の一つである。
「もう地上で魔術具を使ってる人はいないわ。魔導の代わりに科学が台頭して、それが今の人間の生活を支えている。モンスターという危険から解放された人類の生存圏は大きく広がった。ダンジョンは基本的には人類の生存圏の外へと追いやられたの。だから、今ではよほどの辺境に行かないと地上でモンスターと遭遇することはないわ。言ったでしょ、街で暮らすなら一生平和に過ごせるって」
春夢は盗賊がいなくなったと聞いた時よりもぽかん、とした顔をした。
もう何度目かになるかもわからない、世界の常識を覆す発言だが、これはもはや世界の根幹を成す法則が書き換わったに等しい。
いくら500年という長い時間が過ぎたとしても、ここまで世界が変わってしまうとは思いもよらなかった。
震える声で訊き返す。
「え……じゃあ、モンスターに襲われる一般人はいない……? なら、冒険者は何をするんだ? 冒険者学校ってのがあるんだろう?」
「今の時代の冒険者は、もっぱらダンジョンを探索するのが仕事よ。かつての私たちが『遺跡荒らし』と呼んでた仕事がメインになったの」
「遺跡荒らしかぁ。ダンジョンはお宝が自然発生するからな」
「それもあるけど、モンスターから採れる魔晶……今はイデアニウムと呼ばれてるけど、それが科学文明を支えるエネルギー源になるの。それを国が高額で買い取るのよ。だから今は冒険者になるには資格が必要で、資格を得るためには冒険者学校に通ってライセンスを取る必要があるってわけ。資格なしでダンジョンに入るのは違法なのよ」
「随分変わったんだな……!? 俺たちの頃は冒険者なんて名乗った者勝ち……というか、食い詰めた便利屋のことだったし、ダンジョンなんて入りたきゃ勝手に入れ、誰も骨は拾わねえぞって言われてたのに」
「……まあ、時代の流れということね。冒険者はひとつの産業になったのよ」
「そっか。……そんな感じなら、俺が冒険者をやらなくたっていいか……」
春夢はがっくりと肩を落とした。
落ち込む彼女になんと声をかけたものかと、リンネアは迷う。
だが、ほんの数秒後には春夢は顔を上げ、快活な笑顔を浮かべた。
「うん! よかった!! 本当にいいことだ!!」
「ええと……」
「だってそうだろ。世界は平和になった、盗賊もモンスターもいない! 理不尽な危機に苦しむ人はいなくなった! それは本当にいいことだ。剣なんて握る必要がなければ、握らなくっていい。その方がずっといい。それは喜ぶべきことなんだよ」
その空元気にも似た晴れやかな笑顔に、リンネアの胸がズキンと痛んだ。
だって、春夢を騙していたから。
そう、リンネアは嘘を吐いた。
彼女が口にした説明はすべて正しい。何ひとつとして虚偽は混じっていない。
嘘は、彼女が口にしなかったいくつかの事実にある。
それを知ったら、きっと春夢は剣を取るだろう。
だからリンネアは彼を騙し、幾人かの知人たちへの背信行為を働いた。
だって、もういいじゃないの。
グレンは散々戦った。本来戦うべき人々の代わりに剣を握り、血と苦痛に塗れ、いくつもの無理を重ね、あがきにあがき、本来ならば得られたはずの人としての幸せをすべて削ぎ落とし、一本の剣として自分を鍛え抜いた。そして最後は友人になれたかもしれない敵と刺し違え、苦痛の中で散った。
見ている方が辛くなるような、悲愴極まる生き様。
あの人生をまた歩ませるのか。
報われてもいいじゃないか。あれだけの苦痛を乗り越えたのだから。
今回こそ争いのない人生で、幸せに生きてほしい。その権利は十分にあるはずだ。
だから、リンネアは春夢を騙し、冒険者となる道から遠ざけようとしていた。
「ねえグレン、実家に帰って、大学を目指すとかはどうかな。グレンって自分のことただの剣は物を考えないとか言ってたけど……。せっかく生まれ変わったんだし、いろんな可能性を探すのもいいんじゃないかしら。学者さんとか、お医者さんとか。グレンならきっとなれるわ」
「……いや、ダメだ。それだけはできない」
笑いを引っ込めた春夢は、真面目な顔で首を振った。
「……ここまで眼を逸らそうとしてきたけど、もうダメだ。なあ、リンネア。茜川春夢は……俺がこの体に入るまでにいたはずのこの子は、どうなったんだ?」
「それは……」
「俺の魂はこの子を肉体から弾き出してしまったのか? それとも、俺の精神がこの子を塗り潰してしまったのか? どちらにしろ、この子がもういないことだけはわかる。俺がこの子を殺したんだ。そんな俺が、のうのうと生きていくわけにはいかない。ましてや、この子の振りをして生きていくなんて、そんな罪深いことが許されていいわけがない」
春夢はふうっとため息を吐くと、自分のほっそりとした指を見つめた。
「この子に体を返したい。俺はもういいんだ、所詮500年前の死人だよ。この世界を見られただけで、十分報われたんだ。本当に……素晴らしい。楽園のような理想郷だ。俺みたいな人殺しが生きていくには尊すぎる。ここはこの子が生きるべき世界だと思う。……リンネア、教えてくれ。俺はどうすればこの子に体を返せる?」
ああ、わかっていた。
きっとこの人は、こういうことを言うだろうと知っていた。
そんな人だから、私はこの人が好きになった。
そんな人だから、私はこの人を待ち続けた。
危険から遠ざけたかった、のに。
「……わからないわ。貴方の中で何が起こっているのか私には知るすべがない。だから茜川春夢にその肉体を与える方法も教えてあげられない」
「そう、か……」
春夢は肩を落とし、唇を噛みしめた。
そんな顔を、もうこれ以上させたくなかったから。
だから、リンネアは本当のことを言った。
「でも、何が起こっているのかの推論はできる。茜川春夢は生きている。グレン、貴方はその子を殺してなんていないわ」
「! 本当か!?」
春夢の顔がパッと輝く。
リンネアは胸の軋みを我慢しながら、見た目の平静を保った。
「ええ。推論に至った根拠は二つ。まず一つは、グレン、貴方が現代の言葉を話していること」
「現代の……?」
「そうよ。私たちは今、大陸共通語で会話しているけど、スムーズに意思疎通ができているでしょ?
だけど言葉というものは常に変化し続けていて、新たに新語も生まれれば、誰も使わなくなって忘れられる死語もある。500年も経てば、別の言語みたいに通じなくなるのよ。事実、私は子供の頃、エルフの長老が何を言ってるのか、全然理解できなかった。若い世代は白の種族との交流を進めていて、言語体系が変わりつつあったの。
でもグレン、貴方は500年前から来たはずなのに、極めて自然に話せているでしょ?」
はっとして自分の口に手をやる春夢に、リンネアは続ける。
「貴方は無意識のうちに、現代語を口にしている。それは貴方が茜川春夢の記憶を継承しているという証拠よ。
そして、もう一つの根拠も同じ。貴方はさっきご飯を食べたとき、どうやって食べた? 右手に箸、左手に茶碗を持ったわよね。おかしいと思わない? グレンが暮らした時代と場所はパン食の文化圏よ。初めて食べたはずの白米を、どうやって箸を使ってスムーズに食べられたの? それに右手には箸、左手には茶碗を持つものだなんて、私は教えてないわよ」
「あ……」
春夢は愕然と、自分の両手を見つめた。確かにそうだ。
まるで幼い頃から慣れ親しんだもののように、自然と箸を扱っていた。グレンだった頃に箸を握ったことなんてないはずなのに。
「これらの事実から導き出せる推論……それは茜川春夢は消えていない。グレン、貴方は彼女の記憶の一部を継承しているということ。いえ、これは正確じゃないわね、もっと言うと……貴方
「俺が……?」
「そうよ。貴方は茜川春夢として生まれ変わった。彼女にグレンとしての記憶があったのかどうかはわからない。もしかしたら、今日までなかったのかもしれない。それはともかくとして、貴方は春夢として生きてきた。
だけど、今日記憶喪失になってしまって、それをまるまる失った。そして、グレンとしての記憶が残った……それが真相だと思う。貴方は今日突然生まれ変わったわけじゃない。ずっと前から転生していたのに、そうじゃないと勘違いしているのよ」
「そうか……そうなのか……。ああ、よかった……」
ぽろりと春夢の瞳から滴が零れ落ちる。
それは自分が人を殺していないという安堵ではない。
心の底から、『茜川春夢』という少女が生きていることを喜んでいる。
いつもそうだった。グレンは子供が好きだ。年端もいかない子供が生きている、そんな当たり前のことを何よりも喜ぶ。自分の身よりも、ずっと。
「だけど、それは本当か? 俺を慰めようと嘘を吐いているんじゃ……」
「本当よ。似たケースを前に見たことがあるの」
「そうか……。転生するのって俺だけじゃなかったんだな。割とありふれてるのか?」
「どうかしらね。相当なレアケースだと思うわよ」
リンネアは詳しくは語らないことにした。
余計な先入観を与えることになるし、どうせすぐにわかる。
……いえ、そうね。すぐにわかること、ね。
この場で危険から遠ざけようとしたところで、きっと運命は彼を放っておかない。
自分が今とっさに吐いた嘘で運命が変わろうとしていれば、今頃『観測者』が駆け付けてきているはずだし、その程度で介入できるようなものなら最初から問題にならなかった。
だけど、せめてその旅路を進む意思だけは、彼だけのものであってほしい。
「リンネア、俺がこの子の記憶を取り戻すにはどうしたらいい?」
「……どうなるかわからないわよ? 春夢の記憶が戻ったと同時に、貴方の人格は消えてしまうかもしれない」
「構わない。ただ、この子を助けたいんだ。そのためなら、俺はどうなったっていい。とっくに死んだはずの存在なんだ。だから頼む……方法を教えてくれ」
……その意思を、尊重しよう。
冒険者以外の道を探して幸せになってほしい。だけど、それはリンネアが勝手に押し付けた、ただのエゴだ。
貴方はどんなに辛くても、自分で選んだ道を進む人。進む道を押し付ければ、それは貴方じゃなくなってしまう。私はずっと横で貴方を見ているから。
「茜川春夢の意思を継ぎ、冒険者学園に入学しなさい」
「……冒険者学園に?」
「私たちの学校では、あらゆる種族に対応したスキルを教えているわ。サキュバスは精神感応という固有特性を持っているから、それを極めれば茜川春夢の記憶を呼び覚ますことができるかもしれない」
「なるほど……」
「それに、あそこではファイター、タンク、スカウト、マジックユーザー、プリースト……全学科の技能を学べる。どういう形で春夢の記憶が戻るにせよ、その体に刻んだスキルは彼女にとって決して無駄にならないはず」
「わかった。そういうことなら俺に否はない。武者修行の旅をしてスキルを刻みながら、彼女を蘇らせる方法を探すつもりだったが……やってやるとも!」
少女は胸の前でギュッと拳を握り、決意に満ちた顔つきで宣言した。
「俺はクソ雑魚ドスケベ種族……サキュバスを極めてみせる!!」
そんなセリフを熱意たっぷりに口走る奴は、世界が終わる日までお前以外現れまい。
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【TIPS】
【人権】
人間の命や自由意志は大事なので、お互いに尊重しましょうねという概念。
緑龍帝国の皇女によって100年ほど前に提唱され、帝国憲法に組み込まれた。
やがて彼女を中心とした働きかけによって、現在では大陸中のすべての国家の法体系の基礎概念として採用されている。
数百年以上前から法学者の間では議論されていた概念だが、最初に誰が考えたものなのかは歴史のベールの向こうにある。少なくとも、まさか本当に大陸中の常識になってくれる日が来るとは思っていなかったことだろう。
考案者は今日の世界を見たら何を思うのだろうか。
「他人の命や意思を尊重するのが大事だって言ったでしょ! 誰が自分の盾に使ったり『人権』って言葉自体を尊重しろなんて言ったのよ!」
くらいのことは言うのかもしれない。