黒いその手で掴むもの 作:めがんて
世界の均衡を保つために暗躍する秘密結社“ライブラ”
この日もまた、堕落王によって齎された混乱を覆さんと動いていた。
「魔獣の動きが止まった?」
『はい!16回目の顕現途中で不自然な停止を起こしています!』
詰め所にて地図を広げて情報整理と指令を行っていたスティーブン・A・スターフェイズは、受けた連絡に眉根を寄せていた。
「確かか?」
『はい!何というか……
「……良し、分かった。止まってるなら、ちょうどいい。その場に戦闘員を全員向かわせる。位置情報をオンにしてくれ」
『了解!』
通話が途切れ、端末をテーブルに置いたスティーブンは地図を指先で叩く。
「楽観はできないが、止まったのなら好都合。さっさと仕留めるとしようか」
ジャケットを羽織り、鉄火場へ。
*
その光景は、まるで映画かゲームのよう。
「ッ……!」
じりじりと滑る足を踏みしめながら、タカヒコは前を睨み上げる。
魔獣の下あごを押し込むようにして、彼は巨体の突進を止めていた。たった一人で、生身で。体重差とかそんな領域ではない状態だ。
もっとも、無事ではない。彼の背中には下あごが押し込まれてズレた結果飛び出した上あごの鋭い牙が刺さっているのだから。
滴り落ちる血が、傷だらけのアスファルトに溜まっていく。
「お、おにいちゃん…………」
背に庇われるような格好となった子供が、青い顔をしている。
瞬間、タカヒコは一歩前へと踏み出した。
「大丈夫だ。泣かなくて良い」
もう一歩踏み出す。同時に、右足を後方へと振り上げる。
「その口、閉じろォ!!」
「――――ッ!?」
全力で振り抜かれた蹴り足が、魔獣の顎を捉えて二十メートルはある巨体を空へと大きく仰け反らせる。そしてそれは、彼の背中に刺さっていた牙が皮膚を抉る様にして抜けるという事。
ただ刺さっていた時とは違う勢いで出血を伴うが、タカヒコは止まらない。
右手に付けていたグローブを外し、徐に右腕へと力を込めた。
一瞬だけ目に見えて分かるほどに膨張する右腕。巻かれていた包帯が千切れて落ち、露になるのは深い“黒”。
タカヒコ・アシビの右腕は、漆黒である。それも、肩口から指先に至るまで一部の隙も無く黒曜石の様な艶のあるガラス質の黒。
半年前の事だ。彼の住む町を厄災が襲った。
元々、ヘルサレムズ・ロットが出現してから世界的に見て怪現象というものは加速度的に増えている。
彼が巻き込まれたのも、その一つだ。
結果的に、この厄災に真正面からかち合い、そして打倒した。
代わりに得たのが、右腕であり、肉体強度であり、怪力だ。
飛び上がり、鎌首擡げた頭部を目掛けて右拳を握る。左手を前に突き出し照準として、振り被った拳は顔の隣へと添える。
「――――【
振り抜かれた拳が巨体に激突。
瞬間、ただ拳が当たっただけでは生じない衝撃が魔獣の巨体、その頭部を襲う。
まるで隕石がぶつかった様に衝撃がクレーターとして刻まれ、巨体が宙を舞った。
もんどりうって、通りに倒れる巨体。地面に降り立ったタカヒコは、子供を抱え込んで舞い上がった砂埃から庇う。
舞い上がった砂埃がある程度収まった所で、タカヒコは顔を上げた。
「少し、考え無しが過ぎたか…………ッ」
殴り飛ばした魔獣は、何とか通り内にぴったりと収まっているが一歩間違えば近くのビルを巻き込んで倒れていたかもしれないのだ。そうなれば、中に避難している者たちも巻き込む事になっただろう。
息を吐き出した所で、鋭い痛みが背中より脳へと駆け上がった。背中の肉が抉れて血が出ているのだ、痛みでのたうち回ってもおかしくはない状態が今のタカヒコだった。
それでも、今は泣きわめく事は出来ない。
「大丈夫か?」
「うん!」
腕の中で自分を見上げて笑顔の子供が居るのだから。
折角、泣き止ませたのにまた泣かせるのは、彼の精神衛生上宜しくない。そもそも、人類であろうとなかろうと子どもを泣かすなどタカヒコには出来なかった。
「どうしたものか…………うん?」
この場を離れようにも、腕の中の子供を放置はできない。元よりその為に、背中を怪我してまでこの場を動かなかったのだから離れる選択肢は無い。
そんな彼の耳が、誰かの声を捉えた。
「おーーーーい!タカヒコーーーー!!」
「レオ……」
焦った表情で駆け寄って来るレオナルド。
彼だけではない、銀髪に葉巻を咥えた男も一緒にやって来る。
「レオ、そいつか?」
「ッ……はい、そうです。良かった、無事で……!」
「あのデカブツを殴り飛ばすとは、やるじゃねぇか」
「貴方は……」
「ザップ・レンフロ。こっちの陰毛頭の先輩様だ」
「おい、人の頭揶揄してんじゃないよ。普通に先輩って名乗るだけで良いでしょうが」
急に漫才の様なやり取りを始める二人に、タカヒコは苦笑いを浮かべる。
だが、その直後彼は目を見開いた。
「後ろ!」
「「ッ……!」」
振り向けば、体を震わせて巨体が起き上がろうとしていた。
既に死に体同然であったが、その体を突き動かすのは創造する際に盛り込まれた術式によるもの。魔獣そのものの意思ではない。
ザップが注射針の仕込まれたジッポを手に三人を庇うように前に出る。
だが、
「【ブレングリード流血闘術――――111式】」
空から、赤が落ちてくる。
「【――――
巨大な血で出来た十字架の槍が、魔獣の中心を穿って潰す。
今度こそ、核を潰され魔獣は沈黙。体の端を痙攣させながら、しかし最早立ち上がる事は無いだろう。
降り立つのは、赤毛の巨漢。
背が高いというのもあるが、身体の厚みがそもそも一般人とはかけ離れている。
「ザップ、レオナルドくん、無事かね」
「おう旦那、随分と派手な登場じゃねぇか」
「うむ。ヘルサレムズ・ロット中の通りを無尽に走る魔獣を地上で追うのは効率が悪かったのでな」
見上げれば、一機のヘリがホバリングしていた。
まあまあの高度があるのだが、彼は一切の躊躇なく飛び降りたらしい。
そんな男は、膝をついたタカヒコに気付いたのか、歩を向けた。
「此度の一件解決への尽力、感謝する。私は、クラウス・Ⅴ・ラインヘルツ。ありがとう、君のお陰で世界の均衡はまた保たれた」
「あ、いや、その……お役に立てたのなら、何よりです?」
深々と頭を下げてくるクラウスに、タカヒコは面食らってしまう。
厳つい見た目に反して放つ言葉も雰囲気も、実に紳士的だ。
同時に、タカヒコは今回の件がちゃんと終わった事を知る。瞬間、目の前が一瞬揺らいだ。
「ッ!……?」
ふらついて倒れそうだった体を左手で支え、タカヒコは眉を上げる。
なぜ自分は倒れそうなのか。その答えは目線が高かったクラウスには分かる。
すぐさま端末を取り出してダイアルを押し、耳へと押し当てた。
「スティーブン!直ぐに病院の手配をしてくれ!急患が居る!」
『怪我人かい?分かった、直ぐにそちらに応援を回そう。それで?誰が怪我をしたんだい?』
「此度の功労者だ。背中を大きく傷つけ、出血が続いている」
『成程、それは死なせられないな。とりあえず、出血があるのならそっちで止血できないか』
「やっておこう」
通話が途切れ、クラウスは己の仲間二人へと向き直った。
「ザップ、血法を用いて彼の止血を。レオナルドくんは、彼の上着を脱ぐ手伝いをしてくれたまえ」
「おう、了解」
「は、はい!」
クラウスの指示を受けて二人は動き出す。
レオナルドは、血で張り付いた羽織を傷口に触らない様に慎重に脱がせていく。
そして露になる背中の傷と、それから異形の右腕。
黒曜石の様な艶を持つ真っ黒な腕を、ザップはしげしげと見下ろした。
「人の腕じゃねぇな、こりゃ」
「ちょ、何言ってんすかザップさん!」
「義手でもねぇし、何かを塗ってる訳でもねぇ。物的には、お前の目と似てんじゃねぇか?」
「えっ……?」
デリカシーの無いザップの言葉を諫めていたレオナルドだったが、思わぬ指摘にその視線はタカヒコの黒い右腕へと向けられた。
サイレンが遠く鳴り響く。