黒いその手で掴むもの 作:めがんて
「フム、まあ及第点か」
暗闇の中で、稀代の怪人は指を組む。
「それにしてもあの腕を持った
何やら思考するように親指を回して、しかし直ぐに彼の記憶からはその情報が消えていった。
堕落王にとって、所詮は些事でしかない。彼にとっては、自身の齎した厄災であろうとも水面に投げ込んだ小石の一つに過ぎないのだから。
*
魔獣騒動から二日後。
まず、慌ただしかったのがタカヒコの傷の処置だ。深々と刺さった状態から、肉を抉る様にして外れた牙のせいで彼の背中は中々に惨たらしい有様となっていた。
そこから、患部の治療。出血により失われた血を補充するための輸血。更に出血により起きた意識の混濁。
諸々が慌ただしく過ぎて、どうにか起き上がって更に
そして今、抜糸を終えて僅かに血の滲んだ傷にガーゼと包帯を当てて退院を果たしたタカヒコはこの場に座っている。
「まずは、改めて自己紹介をするとしよう。私は、クラウス・Ⅴ・ラインヘルツ。タカヒコくん、君の尽力に感謝する」
「あ、いや……はい。とはいえ、治療費を出していただいたのはこちらとしても有り難い限りです」
タカヒコは頭を掻く。
因みに、今の彼は青い羽織を着ていない。血でダメになってしまった上に、背中が大きく破けて最早服としての機能を果たせないからだ。
今は、黒のTシャツにワークパンツというラフな格好。
何より、右腕には包帯を巻かずにそのまま黒曜石の様な艶のある黒を惜しげもなく晒していた。
頭を掻いたタカヒコは、改めてクラウスへと向き直った。
「お話というのは……この、腕の事でしょうか?」
「うむ……“ライブラ”の件は聞き及んでいるだろうか?」
「はい。レオとザップさんから多少は。世界の均衡を保つために活動している秘密結社、だとか」
「概ね、その認識で正しい。我々が行っているのは、超常現象の鎮静化や暴動各種犯罪の鎮圧など多岐に渡る。全ては、この薄氷の上に成り立った都市を今以上の状況へと進ませない為のものだ」
「成程……」
「君自身の事は、ある程度レオナルドくん、そして君が助けた
「…………」
眼鏡越しに真っすぐに自分を見てくるクラウスに対して、タカヒコは気まずくなって僅かに目を逸らした。
3秒、5秒と時は流れて、そして少年は重い口を開く。
「半年前の事です。俺の住む町に、怪物が襲ってきました」
「怪物……」
「黒い靄の大きな塊で、その靄の中から幾つもの赤黒い触手が生えた怪物です。警察の銃も効かなくて……」
思い出すように、タカヒコの視線が空中を彷徨う。
「無我夢中でした。家族が襲われそうになった時、ただ前に走っていた」
奪われたくなかった。失いたくなかった。
ただその一心で、タカヒコは包丁を手に取り怪物へと躍りかかったのだから。
限りなく圧縮された時間の中で、彼は襲い来る触手を避け、時に包丁で切り払った。
恐らくその僅かな十秒にも満たない奇跡の時間の中で、
――――馬酔木鷹彦は、
靄の中心に、腕ごと突き込まれるように深々と突き刺さった包丁。
痙攣する触手と崩れていく靄の塊。
そして、崩れていった靄の塊と触手が取り付くように巻き込まれた右腕。
気付けば、タカヒコの右腕は異形と化し、その身体は人を越えた剛力を有するようになった。
「――――以上が、俺の顛末です。この街に来たのは、何かしらの手掛かりを掴めるかと思っての事で…………まさか、やって来たその日に事件に巻き込まれるとは思いませんでしたが」
「…………」
指を組んで、クラウスはジッと少年の話を聞いていた。
「タカヒコくん。君、歳は?」
「えっ……18です」
「そうか……」
息を吐いて、クラウスの視線が少年の右腕を捉えた。
艶のある黒曜石の様な見た目の腕。一切の継ぎ目などは見受けられず、その一方で関節の曲げ伸ばしには全くの不自由がない。
しかし、その身体は
クラウスの頭にあるのは、目の前の少年のカルテ。
事後承諾になってしまったが、タカヒコの体に関する情報が医学的見地と生物学的見地。その他、魔術などの異界側の見地から出されていた。
異形と化した右腕は、細胞の一欠けらに至るまで
そして、その腕が接続された彼の体はこれまた細胞の全てが文字通り作り変えられていた。
限りなく人類の細胞に近いながらも、その質とも言うべき部分が全くの別物。
肌は強靭に。骨は堅牢に。筋肉は剛健に。細胞分裂の回数にしても限界が無く、傷を負うと同時に瞬く間に破損個所を修復して治ってしまう。
背中の傷も、既に僅かな痕が残るだけでそれすらも後数時間もしないうちに消える事だろう。
(何と、重い運命だろうか)
18の子供に背負わせる話ではない。
もし仮に、タカヒコの情報が外に出回ればいかなる手段を用いてでも手に入れて監禁をするような国すら出てくる事だろう。その点で言えば、外部からほぼほぼ隔絶されている
「ぐぬぅぅぅ……」
「!?ちょ、クラウスさん!?大丈夫ですか!?」
厳めしい顔を更に歪めて、クラウスが前のめりになる。コレに焦ったのは、タカヒコの方だ。
慌てて席を立って近付こうとする、がその前に大きな掌が自分へと向けられてその動きを押し留められていた。
「……今回、君に時間を作ってもらったのはある目的を持っての事なのだ」
「あ、はい……でも、それは右腕の事では?」
「それもある、が本命はもう一つの方だ」
きりきりと痛む腹から手を退けて、クラウスは背筋を伸ばすとその鋭い眼光を前へと向けた。
「タカヒコ・アシビ。君を、ライブラへと勧誘したい」
「…………え?」
思わぬ申し出にタカヒコの目が点になる。
「それは…………」
「病院で顔を合わせた際に、君の体に関するカルテを取らせてもらったのは覚えているかね?」
「はい……それで、俺の体に何か?」
「結論を言えば…………君の体は、既に
それは、ある意味で分かっていた事だった。同時に、タカヒコが目を無意識にでも目を逸らしていた事でもある。
一つ、タカヒコはクラウスに話していない事がある。
それは右腕を得る直前の話。
最後のとどめを刺した瞬間、全く同じタイミングで一本の触手が彼の体を貫いていたのだ。
それも腹部ではなく、胸の中央。心臓部を。
だが、今彼は生きている。心臓部の穴は無く、代わりに人類から逸脱した力を得た。
「…………」
それが、タカヒコには酷く恐ろしいものに思えてならなかった。同時に、彼はまた別の事にも恐怖を抱く。
家族。父と母、姉と妹。祖父母。町の人々。
化物になった自分を受け入れて、抱きしめてくれた彼らを傷つけてしまうかもしれない恐怖。
ヘルサレムズ・ロットに来たのは、確かに自分の腕をどうにかしたかったからだ。その言葉に嘘はない。
だが、その本質は違う。
自分の大切な人たちを、自分の手で傷つけるのが怖かった。だからこそ、何かしらの理由を付けて物理的に距離を取る為にこの街へ、ヘルサレムズ・ロットへとやって来た。
両手を握って、タカヒコは顔を伏せたまま呟く。
「俺みたいな化物でも、何かが出来ますか?」
「無論だ」
小さな、年相応に思えるその言葉をクラウスは力強く肯定する。
「君は、確かに力を持っている。途方もない力だ。現状をもってしても底は未だに見えていない」
「…………」
「――――だが、君は
「!」
椅子から立ち上がるクラウスの言葉に、タカヒコの顔が跳ね上がった。
「どれ程強大な力を持とうとも、その力を如何様に使うかは個人の心によって決まる」
「心……」
「君がどれほど、己の事を化物だと卑下しようとも君は確かにあの子をそして街を救った。その事実は覆しようのない物だ」
熱が、あった。まるでその身を焼き焦がさんばかりの、熱さだ。
無意識のうちに、タカヒコの体は立ち上がっていた。
「胸を張れ、少年。君の心は、確かに人間だ。君の行いは、間違いなく人として正しい事だ」
「ッ……はいっ…………!」
心は、決まった。
そもそも、タカヒコの行動原理の根っこは誰かのために、という献身にある。
家族を守りたかったから、化物に挑みかかった。家族を傷つけたくなかったから、異界の都市までやって来た。
理不尽な暴力を見たくなくて、
出来る事があるかは分からなかったが、見ていられなくて魔獣の駆ける街へと飛び出した。
子供が泣いているのを見ていられなくて、その身を挺して守った。
全てが、誰かの為への献身。
例え百度やり直す事になったとしても、彼は同じ道を歩む事だろう。
天秤の守り手が、また一人加わる。