ウマ娘プリティーダービー~Ode to the Future~ 作:七河隧道
――クラシック三冠ロードもいよいよ最終戦、菊花賞を残すばかりとなりました。最後の栄冠を戴くのは果たして誰なのか。絶対王者が総てを手中に収めるか、はたまたそれを阻止する新勢力が現れるのか?
遠くから響く地鳴りのような歓声に耳を澄ませながら、そのウマ娘はじっと宙を見つめている。拳を握り、そして開く。丹田から爪先まで、全身に気力が巡っている感覚があった。
黒鹿毛のウルフカットと、右耳に輝く銀細工の“SB”を意匠化した耳飾り。怜悧な顔つきの中で冷えた輝きを放つアイスブルーの瞳からは、裡に秘めた感情は図り得ない。
黒地に金糸で
「やっほ、バックちゃん」
「こんにちは、バック先輩。今日もお手合わせ、お願いします」
「ルーラにミノブか。今日は宜しく頼む」
殆どの出走ウマ娘が彼女を遠巻きにする中、殺気立った雰囲気を気にすることもなく話しかけてくるウマ娘が二人。
一人は青字に黄色のワンポイントを入れたツーピースドレス風の勝負服を身に纏った、身長一八〇センチに近い黒鹿毛のウマ娘、ラッキールーラ。
もう一人は紫地に金糸で山河の刺繍が施された着物風の勝負服を身に纏った小柄な鹿毛のウマ娘、カネミノブ。
ラッキールーラはひらひらと手を振り、ストライクバックにへらっと笑いかけた。
「ダービーでは惜しかったけど、今度は負けないよん」
“んふふ”と気の抜けた笑みを浮かべるラッキールーラに対し、カネミノブは生真面目な表情を崩さない。
「私も、
ジトっとした半目に闘志を燃やすカネミノブに、ストライクバックは困ったような笑顔を向けた。
「ま、色々とあってね」
夏合宿にも参加せず、ダービー以降此処に至るまでのトレーニングを人目を避けるように積んできたストライクバックを、出走メンバー全員が疑惑の目で見ている。メディアはトレーナーとの不仲説や中間の不調説を盛んに書き立て、ファンの間でも聞いたような憶測が飛び交っていたほどだ。
カネミノブの言葉は、ある意味でこの場にいる全員の代弁でもあった。
「色々と教えてあげたいところだけど、……そろそろ時間だね」
向こう正面から響き渡るファンファーレに、聞き耳を立てていたウマ娘たちは三々五々ゲートに向かってゆく。カネミノブもフンと鼻を鳴らし、ゲートへと歩き始めた。
「何にせよ、選択を後悔しないことですね。お互いに」
捨て台詞めいた言葉に苦笑したストライクバックは、愉快そうに笑みを浮かべているラッキールーラを促して自らもゲートに向かうのだった。
(後悔など笑止なことだよ、ミノブ。
――さあ、一八番ニチドウライザーがゲートに収まって、態勢が整いました。第三八回菊花賞……今、スタートです!
ガコン!という音と共に一八人のウマ娘が一斉にターフを蹴ってゲートを飛び出す。揃ったスタートだ。
――ハナを主張するのは……やはり二冠ウマ娘、一〇番ストライクバックだ!抜群のスタートから一気に先頭に立ったぞ!さあ、彼女に鈴を着けるウマ娘は居るのか?
ロケットスタートの勢いそのままに先頭に立ったストライクバックの背後に並びかけるのは二人のウマ娘。ダービー二着のラッキールーラとオサイチセイダイだ。鹿毛と栗毛が果敢に前に出ると、スタンドからは大きな歓声が上がった。
(ま、君たちは来るだろうね。予想通りだよ)
競りかけてくる二人が放つ威圧感はかなりのもので、並の逃げウマ娘であれば潰されていたかもしれない。これが菊花賞という一世一代の勝負どころなのだから尚更だ。
だが、ストライクバックは至って平静を保っていた。その上で鋭く息を吐くと、
――おおっと、ストライクバックが坂の下りで一気に加速!?五番ラッキールーラと一番オサイチセイダイを一気に突き放しにかかった!
スタンドから上がる悲鳴、後方のウマ娘達が緊張する気配。ストライクバックが掛かった?三冠のプレッシャーに臆したのか?疑念が渦巻き、なんとも言えない空気が京都競バ場に満ち溢れる。
それを尻目に駆けるストライクバックは、日本ダービー直後にトレーナーと交わした会話を思い出していた。
――――――
『一五バ身?』
『ああ、一五バ身だ。菊花賞の道中はそれだけ差をつけて走る』
不満をありありと浮かべて眉を顰め、ストライクバックは彼女のトレーナー、
『そう不満顔をするな、バック。俺とてお前さんがこの世代で一番強いウマ娘だと思ってる。二冠を獲ったのも必然だとな』
慍然としたままの担当ウマ娘に苦笑しながら、義堯は言葉を続ける。
『とはいえ、世間様は必ずしもそうは思ってはいないというのもまた事実だ。思うに要因は二つだ』
『二つ?』
『うむ。一つはマルゼンスキーだ。
同じような声はストライクバック自身も聞いていた。もしもマルゼンスキーがクラシック路線に進んでいたら?同じ逃げを得意とするウマ娘同士、余計に議論が白熱するという所もあるのだろう。
『もう一つはバック、お前さんのレースぶりだ。引き付けて逃げ切るか先行抜け出しの優等生みたいなレースっぷりだからな、どうしても詰まらないなんて声が出るのは仕方がない』
『……勝手なことを言うもんだ。こっちだって好きでやってるわけじゃないのに』
『確かに勝手だ。だがその勝手な声でお前さんの価値を毀損されるのが俺は我慢ならん。だから一五バ身をつけて逃げる』
『大逃げを打つってことかい?』
ストライクバックが首を傾げると、義堯はやんわりと首を振った。大逃げではない?だが一五バ身ともなれば相当なハイペースになるはずだが……。
『引っ掛かったふりをして一気に鈴を着けにきた一人か二人を引き離し、そこからは溜め逃げだ。その為に夏合宿には参加しないし、ステップレースも使わない。不調か不仲、それを装う』
それではペテンではないか。呆気に取られた相棒の顔を義堯は笑う。
『周りが勝手に勘違いするだけだ。俺達は何も言わん。……スタートから向こう正面までで一気に引き離せば、相手も観客も早々にレースから脱落したと勘違いするだろう。そこを衝く。2周目の坂で気が付く奴が居るかもしれんが、そこから差を詰めるのは容易じゃない。下りで仕掛けてもセーフティーリードだ。負けはまず有り得ん』
『派手なのは分かるけど、スタミナが保つかどうか分からないな。どうしても乱ペースになるし』
『心配は尤もだが、そこも考えてある。……俺の見るところ、お前さんには春天も十分走れるスタミナがある。だから、菊花賞ではなく春天、京都三二〇〇メートルを走るつもりで鍛える。二レースの差分でもって乱ペースのスタミナを賄うって算段だ』
『言うは易し、ってやつじゃないかなあ、それ。机上論にしか聞こえないよ』
義堯はカラカラと笑いながら、心配顔をするストライクバックの肩を叩いた。
『やれるさ、問題なくな。……それに、俺にはこの作戦が成功すると読んでいるもう一つの理由があるんだ』
『……それは?』
『クソ真面目なお前さんと新人トレーナーの俺が、そんな大それた奇策を打つとは思わんだろう?』
あまりにもあんまりな言葉に思わず噴き出したストライクバックは、“君はトレーナーよりも詐欺師向きだったんじゃないかな?”と、これまた身も蓋もない言葉を返したのだった。