ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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10話:第7セクター・セル3

 

 プラーナ結晶を動力源とする重低音のエンジン音が、リズミカルに船底から響いてくる。

 その振動は、船全体に生命の鼓動のように伝わっていた。

 

 汐凪島(セル37)からセル3を目指して航行する大型漁船「カミシロ丸」。

 その甲板は、長年の漁で使い込まれたウインチやロープが整然と並び、海水と錆、そして微かな魚の匂いが混じり合った、漁師たちの仕事場特有の空気に満ちていた。

 

 ラビリンス領域のエネルギー異常の余波で、内海の波はまだ高い。

 船体は時折、大きく揺れ、銀色の飛沫を豪快に巻き上げる。

 しかし、抜けるような青空の下、スィラはそんなことなど意に介さず、船首に立って潮風を全身に受けていた。

 その瞳は、子供のようにキラキラと輝いている。

 

「見てくださいまし、ムツハ! 海の色が、場所によって全然違いますわ! あちらは深い藍色、こちらは翠がかっています!」

 

『ほんとだー、きれいだねー。おいかけよー』

 

 スィラの頭の上でふわふわと浮いていたムツハは、弾むような声を上げると、船と並走するカモメを追いかけて、甲板の上をくるくると飛び回り始めた。

 そんな無邪気な二人の姿を、ジンは船の手すりにもたれかかり、潮風に目を細めながら眺めていた。

 

(ゴーヤの奴、めちゃくちゃ来たそうな顔してたな……)

 

 昨日の別れ際、LPG職員のゴーヤが『私も同行して、皆様のレース活動を公私混同にならない範囲で最大限サポートしたいのですが……!』と、職務規定と心の板挟みで真剣に苦悩していた姿を思い出し、ジンは小さく苦笑した。

 

 彼はそんな彼女らの姿を横目に、操舵室へと向かい、静かに扉を開ける。

 室内には古びてはいるが、磨き上げられた真鍮の計器類が鈍い光を放ち、父のヤギュウが、微動だにせず前方の海を見据えている。

 その手は、長年使い込まれたであろう木製の操舵輪に、軽く添えられていた。

 

「父さん、船、出してくれて助かった。ありがとう」

 

「うむ」

 

 ヤギュウは、短い言葉で返すだけ。

 だが、その背中からは、息子の新たな門出を静かに見守る、父親としての温かさが滲み出ているようだった。

 

「……面白い娘だ」

 

 不意に、ヤギュウが口を開いた。

 視線は、前方の水平線から動かない。

 

「ああ。嵐みたいな嬢ちゃんだよ」

 

「いまのお前には、それくらいが丁度いいのかもしれん」

 

「……どういう意味だよ」

 

 ジンの問いに、ヤギュウは答えなかった。

 ただ、その口元に、ほんの僅かな笑みが浮かんだように見えた。

 

 今回の航海は、昨夜、ジンがスィラに提案した、ある作戦を実行するためのものだった。

 

『注文したパーツを、輸送が早いセル3で受け取る。そんでもって現地でバイクを組み立てて、そのままチームの初レースとして、セル3で開催される、ガンマリーグのセルレースに参加する』

 

 マシンを現場で組み立てるという発想、そしてチーム結成から一月も経たずに初レースに挑むというスピード感。

 スィラは最初こそ驚きに目を丸くしたが、すぐに『素晴らしいですわ! それでいきましょう!』と、持ち前の行動力で目を輝かせながら快諾したのだ。

 

 その移動手段として、カミシロ丸を借りることになった。

 ヤギュウも、海がしけていて漁に出られないため、ちょうどいいと判断したのだろう。

 もちろん、スィラから燃料代と船員への手当として、十分すぎるほどの対価は受け取っている。

 

「……あの娘らが船から落ちぬよう、見ておいてやれ」

 

「ああ、わかった」

 

 そのとき、操舵室の扉がノックされ、カミシロ水産所属のベテラン漁師が顔を覗かせた。

 

「御屋形様。これからの航路のことで、少しご相談が」

 

「ああ」

 

 ヤギュウは短く応じると、漁師を手招きする。

 カミシロ水産の従業員は、なぜかヤギュウのことを「御屋形様」と呼ぶ。

 ジンは、その光景に特に疑問も抱かず、邪魔にならぬよう、そっと操舵室を後にした。

 

 甲板に戻ると、スィラがジンのそばに駆け寄ってきた。

 

「ジン様。あと、どれくらいでセル3に到着しますの?」

 

「ん? そうだな……あと十五時間くらいはかかるぞ。夜通し走る予定だから、適当なところで船倉の睡眠スペースで休んでろ」

 

「じゅ、十五時間! 結構かかるのですね……。でも、漁船に乗るのは初めてなので、退屈はしませんわ!」

 

 スィラは、船の隅々を興味深そうに見渡しながら言った。

 ジンは、そんな彼女にふと疑問を投げかける。

 

「そういや、嬢ちゃんはどうやってこの島に来たんだ?」

 

 その問いに、スィラは少しだけばつが悪そうに、しかし悪びれる様子もなく答えた。

 

「はい。ジン様にお会いしたくて、セル37に行こうと調べたのですが、そのときの一番早い旅客船でも十日後でしたので。それでは間に合わないと思いまして」

 

「間に合わないって……なんにだよ」

 

「ジン様の心が、完全に錆びついてしまう前に、ですわ」

 

 悪戯っぽく笑うスィラに、ジンはぐっと言葉を詰まらせた。

 

「それで、物資を運ぶ貨物船の定期便に、お金にものを言わせて頼み込みまして……貨物室の片隅に乗せていただきましたの。いくつかのセルを経由したので、三日ほどかかりましたけれど」

 

「貨物室って……お前、よくそんなところで平気だったな」

 

「ええ。少し薄暗くて、色々な荷物の匂いがして、揺れましたけれど、眠るのには十分でしたわ」

 

 当たり前のように語るスィラの言葉に、ジンは心底呆れたようにため息をついた。

 普通の、ましてや元名家のお嬢様が耐えられるような環境ではないはずだ。

 

「……無茶するなぁ、お前は」

 

 その行動力の源が、自分にあるという事実。それが、ジンの心を複雑にかき乱す。

 そんなジンの反応に、スィラは、いたずらが成功した子供のような、それでいてどこまでも純粋な笑みを浮かべた。

 

「ジン様に、一刻も早くお会いしたかったので」

 

 屈託のない、真っ直ぐな言葉だった。

 

「……そうか」

 

 彼は、照れ隠しにそう呟くと、彼女から視線を逸らし、遠ざかっていく汐凪島へと目を向けた。

 

 自分のために、ここまでしてくれる存在がいる。

 その事実が、彼の心の奥底で、長い間眠っていたなにかを、確かに揺り動かしていた。

 

 

 

 翌朝。

 長い航海の末、カミシロ丸はセル3の港へと、その巨体を滑り込ませた。

 

 汐凪島とは比べ物にならないほどの活気。

 視界を埋め尽くすように林立する、巨大なガントリークレーン。

 様々な大きさのフロート船や貨物船がひしめき合い、けたたましい汽笛と、荷役作業の喧騒が絶え間なく響き渡る。

 ここが第7セクター本島への玄関口であることを、その圧倒的な物量と熱気が如実に物語っていた。

 

 LPGの港湾倉庫で手続きを済ませると、注文していたパーツが無事に引き渡された。

 厳重に梱包された木箱には、ベクトル推進コイルとフロート磁力コイル、そしてD機関が入っている。

 ブレードの心臓部とも言える、最も重要なパーツだ。

 

 ジンたちは、ヤギュウが手配してくれた港近くの倉庫へと荷物を運び込み、さっそく最後の組み立て作業に取り掛かった。

 

「御屋形様、こいつはどこに運びますかい!」

 

「うむ、そちらの作業台に。衝撃にはくれぐれも注意しろ」

 

 ジンとヤギュウ、そして屈強なカミシロ水産の漁師たちが、慣れた手つきでブレードのフレームにパーツを取り付けていく。

 その連携は、長年同じ船で荒波を越えてきた者たちならではの阿吽の呼吸。

 

「なんというか、ジン様のお父様と船員の皆さま……すごくありませんか?」

 

「そりゃまあ、俺にブレードの乗り方とマシンのメンテ教えてくれたのは、父さんたちだからな」

 

「へ?」

 

「昔はカミシロ水産のみんなでチーム組んでたこともあったらしい。詳しくは教えてくれないんだが、たぶん結構強かったんだと思うぞ」

 

「……そうだったんですね」

 

「んじゃちょっと手伝ってくるわ。船旅で疲れたろ、休んどけ」

 

 そう言って、作業に加わるジン。

 そんな彼らの姿を、スィラとムツハは少し離れた場所から見守ることにする。

 自分には手伝えそうなことがなにもないという、もどかしさを感じながら。

 やがて、彼女は意を決したようにジンの元へ歩み寄った。

 

「ジン様、わたくし、レースの参加申し込みに行ってまいりますわ」

 

「あー、そうか……早い方がいいかもな。気を付けて行ってこい」

 

 ジンは、汗を拭いながら作業の手を止めずに答える。

 しかし、その時、バイクのフロート部分の配線をチェックしていたヤギュウが、静かに口を開いた。

 

「ジン。最初の申し込みだ。お前がついていってやれ」

 

 その言葉に、ジンはハッとした。

 チーム代表とはいえ、スィラはまだ若い少女だ。

 慣れない土地で、しかもチームの命運を左右する重要な手続きに一人で行かせるのは、確かに配慮が足りなかった。

 

「……おっと。そうだな、悪かった。父さん、こっちは頼む」

 

「うむ。任せておけ」

 

 ヤギュウは、ジンの言葉に短く応えると、再び作業へと戻る。

 こうして、ジンとスィラ、そしてムツハの三人は、LPGの事務所を目指して倉庫を後にすることになった。

 

 彼らが向かったのは、港と都市部を結ぶモノレールのターミナル駅だった。

 潮風に晒されたコンクリートと、錆びた鉄骨がむき出しになった、いかにも港湾施設といった趣の無骨な駅だ。

 行き交う人々も、オイルの染みがついた作業着姿の労働者や、大きな荷物を抱えた商人たちがほとんどだった。

 

 彼らが乗り込んだモノレールは、平日の昼間ということもあってか、車内は空席が目立つ。

 フロート技術を応用した車体は、発車ベルの代わりに柔らかなチャイムを鳴らすと、ほとんど振動もなく静かにレールの上を滑り出し、ぐんぐんと高度を上げていく。

 

「わぁ……!」

 

 窓際の席に座ったスィラが、感嘆の声を上げた。

 眼下に広がるセル3の全景は、壮観だった。

 セル3の総面積は五百平方キロメートルほど。

 汐凪島とは比較にならない広大な陸地が、青い海に抱かれている。

 チェス盤のように区画整理された港湾エリアから、遠くに見える都市部の高層ビル群まで、その全てが一望できた。

 

「へぇ、こうして見ると、やっぱ広いな」

 

 向かいの席に座ったジンも、窓の外を眺めながら呟いた。

 モノレールは、湾岸の工業地帯を抜け、徐々に都市部の様相を呈するエリアへと入っていく。

 無機質なコンテナヤードや、プラーナ結晶の精製工場から立ち上る無色の陽炎。

 それらが、次第に画一的なデザインの集合住宅や、小さな商店が並ぶ郊外の風景へと姿を変えていく。

 

『わー! きらきらー! たかーい!』

 

 ムツハが、ジンの膝の上でぴょんぴょんと跳ねながら、窓の外を指差した。

 都市部に近づくにつれ、建物の壁面に設置された広告ディスプレイの光が目立ち始める。

 

「汐凪島とは大違いだな。音も、光も、人の数も、なにもかもが違う」

 

「わたくしは、汐凪島のほうが好きですわ。空が広くて、時間がゆっくり流れているようで、とても落ち着きます」

 

 スィラの言葉に、ジンは少しだけ意外そうな顔をした。

 

「そんなもんかね。都会のほうが便利で、面白いもんもたくさんあるだろうに。……そういや、嬢ちゃんは第1セクターの出身だったな。しかもたしかセル1……本島だったっけか?」

 

「ええ、まあ……」

 

 スィラは、わずかに視線を伏せ、歯切れ悪く答えた。

 その一瞬の翳りを、ジンは見逃さなかったが、深くは突っ込まなかった。

 

「俺も、ラビリンスパレードで何度か行ったことはあるが、スタート地点の港町くらいしか知らなくてな。どんなところなんだ? やっぱ、ここよりずっとすごいのか?」

 

 ジンの純粋な問いに、スィラは少しだけ考えた後、当たり障りのない説明を始めた。

 

「そうですね……。首都には惑星政府の重要な施設や、ネートリトヴァ神殿の総本山があったり、有名な大企業の本拠地が集中していたり、他にはないものは確かにありますわ。ですが、都市の基本的な造りや、人々の暮らしぶりは、第7セクターとそう大きくは変わらないと思います」

 

 彼女は、窓の外に流れる街並みを見ながら、言葉を紡ぐ。

 その声は、どこか遠くを見つめているような、静かな響きを帯びていた。

 

 その様子を見てジンは、スィラが以前言った追放令嬢という言葉を思い出す。

 この少女は学校にも行かずに、自身の出身地である第1セクターを飛び出し、なにがあってか第7セクターにたどり着いて、自分のところまでやってきたのか。

 本当にいまさらではあるが、スィラというこの少女が何者なのかという疑問が、ふつふつと湧いてくる。

 

「……レースチーム設立やら、資産運用してるあたり、本当に成人資格はあるんだと思うが。なんというか、実家というか親とかは本当に大丈夫なんだろうな?」

 

「あら、わたくしに興味を持ってくださってるのですか?」

 

「まあ、仮にもチーム代表でオーナーだからな。雇用関係以上のことは求めず、おとなしく従ってくれってことなら、聞かないでおくが」

 

 ジンの心配とも興味ともとれる言葉に、軽く微笑むスィラ。

 

「大丈夫ですわ。実家の関係で何か面倒が起こることは、おそらく現状ではありません」

 

「現状だと、ねぇ……」

 

「ラビリンスパレードに出場する段階まで行きますと、ちょっと怪しくなってくるかもしれませんが、それまでにはきちんと手を打っておきますので。ジン様は心置きなくレースに専念していただければと」

 

「ならまあ、いいんだが。仮にもなんだ、保護者ってわけじゃないがパートナーだからな。何か心配事やら相談事があったら、ちゃんと言ってくれ」

 

「ふふふ、ありがとうございます、ジン様」

 

 やがて、モノレールは滑るように速度を落とし、車内に柔らかなアナウンスが響く。

 

<まもなく、終点、セントラル・ステーション。セントラル・ステーションです>

 

 プラットフォームに降り立った瞬間、彼らは圧倒的な情報の洪水に包まれた。

 

 巨大なドーム状の屋根は、光を通す特殊な素材でできており、駅全体が柔らかな自然光に満たされている。

 しかし、それ以上に目を引くのは、四方の壁面を埋め尽くす巨大な広告ディスプレイと、そこから流れる喧騒だ。

 

 ビジネスマン、買い物客、観光客……様々な目的を持った人々が、絶え間なく行き交い、その雑踏は、まるで巨大な生命体の呼吸のようだった。

 

「すごい人の数だな……」

 

 人の波に呑まれそうになりながら、ジンは思わず呟いた。

 

 その隣で、スィラはどこか懐かしむような、それでいて少しだけ居心地の悪そうな複雑な表情を浮かべていた。

 人の流れの合間を縫って、ジンは壁に設置された総合案内表示板に目をやる。

 そこには、目的の場所を示す、見慣れたロゴが記されていた。

 

 そのロゴマークは、ジンがいままで何度も目にしてきたものだった。

 しかし、改めて意識して見ると、そのデザインが持つ意味の深さを感じる。

 

 それは、生命の息吹を感じさせる、エメラルドグリーンのシンボル。

 中央には、全てを見通すかのような「目」が描かれている。

 その瞳の中には、複雑に入り組んだ「迷宮」の模様が刻まれ、同時に、進むべき唯一の道を示す「羅針盤」の針のようにも見えた。

 シンボル全体は、柔らかな曲線で構成されており、ネートリトヴァの幼生体が水中に漂う姿や、聖なる水面に広がる波紋を彷彿とさせる、神秘的な形状をしている。

 

 ネートたちが持つ超感覚的な空間把握能力。

 危険なラビリンス領域を突破するための、唯一無二の導き。

 そして、その奥にある聖地《ティールタ》への道。

 

 LPG――ラビリンスパレードグループという組織の、そしてこの星の理そのものが、その一つのマークに凝縮されているかのようだった。

 

 そのロゴの下には、深淵を思わせる濃紺の文字で、シンプルに「LPG」と記されている。

 

「あったぞ。LPGの事務所は、あっちだ」

 

 ジンは、その総合案内表示板が示す、LPG事務所の方向を指差した。

 

「わかりましたわ」

 

 ジンの後を追いながら、スィラは案内掲示板に描かれたロゴに一瞬目をやる。

 彼女のグリーンの瞳が、ロゴのエメラルド色と共鳴するように、静かな光を宿していた。

  

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