ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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12話:愛着ある機体名

 

 レッド・ドッグが去り、フロアにいつもの落ち着きが戻ったのを見計らって、ジンたちは柱の陰からそっと動き出した。

 ふらっと戻ってくるかもしれない彼の視界に入って、面倒なことにならないよう、壁際を迂回するようにして、先ほどとは別の受付カウンターへと向かう。

 

「ごめんくださいまし。この度行われますレースの参加登録をお願いしたいのですが」

 

 スィラは、レッドとは対照的に、丁寧な言葉遣いと礼儀正しい態度で、カウンターの向こうに座る青年期ネートに声をかけた。

 受付のネートは、手元の作業から顔を上げると、静かに頷く。

 

『かしこまりました。チーム名と代表者名をどうぞ』

 

「チーム『エメラルド・アイ』、代表のスィラ・マクマハウゼンです。所属ブレーダーの実績の関係で、予選を免除されての出場になります」

 

 本来、このレースのエントリーは既に締め切られていた。

 しかし、汐凪島でゴーヤが事前に仮登録を済ませてくれていたため、本登録への切り替えという形で手続きが可能だったのだ。

 

 受付のネートは、スィラの敬意のこもった態度に応えるように、粛々と端末を操作していく。

 しかし、画面に表示されたチーム名と、所属ブレーダーの名前に、その指が一瞬、ピクリと止まった。

 

『……ジン・カミシロ』

 

 小さな驚きを含んだ声で、ネートはジンの名前を呟く。

 だが、すぐにプロとしての表情を取り戻すと、何事もなかったかのように手続きを再開した。

 

『では、次に登録されるブレードの機体名をご記入ください』

 

 ネートが差し出した電子サインパッドを受け取り、スィラはペンを握った。

 しかし、機体名を記入する欄の前で、その手がピタリと止まる。

 

「ジン様、機体の名前はどういたしましょう?」

 

「ん? 好きな名前でいいぞ。代表が決めることだ」

 

 ジンは、あっさりと答える。だが、スィラは首を横に振った。

 

「いいえ。あの機体は、元々ジン様の愛機だったと伺っております。きっと、大切な名前があるはずですわ」

 

 その言葉に、ジンは苦いものを噛んだような表情を浮かべる。

 彼は、ふいっと視線を逸らすと、ぼそりと呟く。

 

「……そんなものはございません」

 

「……怪しいですわ」

 

 スィラの疑念に満ちた視線が、ジンに突き刺さる。

 次の瞬間、彼女は電光石火の早業でジンの腕を掴むと、その手をカウンターの上に、ドンと置いた。

 

「受付のお姉様! お願いがございます! この方の心をお読みになって、ブレードの本当の名前を教えてくださいまし!」

 

『よろしいのですか?』

 

 受付のネートは、なぜか少し嬉しそうに、きらりと目を輝かせた。

 その瞳には、純粋な好奇心が宿っている。

 

「はいっ! お願いいたします!」

 

「おい! そういうのは本人に確認を取るべきだと思うんだが!?」

 

 ジンは慌てて腕を引こうとするが、スィラの力は意外に強く、びくともしない。

 ネートの指が、じりじりとジンの手の甲に近づいてくる。

 

「わかった! わかったから! 言う! 言うから放せ!」

 

 観念したジンが叫ぶと、スィラはようやくその手を放した。

 

 ジンは、フロアの隅でバタバタと騒いでしまったことに、周囲の視線を感じて顔を赤らめる。

 そして、諦めたように、小さな声でその名前を告げた。

 

「……カジキだ」

 

「カジキ……ですの?」

 

 それは、かつて人類の故郷である地球に生息していたという魚の名前。

 この惑星プラタマでも、初期の移民たちが持ち込んだ遺伝情報を元に復元された個体が繁殖に成功し、内海の一部でその姿を見ることができるという。

 

「ジン様は、カジキがお好きなのですか?」

 

「……ああ。長くて鋭いツノみたいな部分を持ってて、海の中を誰よりも速く泳ぐ。……カッコいいだろ」

 

 ジンは、両手で顔を覆いながら、消え入りそうな声で言った。

 その耳は、真っ赤に染まっている。

 

 そのあまりにも少年らしい理由に、スィラは一瞬きょとんとしたが、すぐにその表情を輝かせた。彼女は、決して笑わなかった。

 

「はいっ! とても素敵なお名前ですわ! 確かに、カジキは海のスプリンター。レースに出るマシンに、これ以上相応しい名前はありません!」

 

 スィラは、満面の笑みを浮かべると、サインパッドに《カジキ》と、誇らしげに書き込んだ。

 そして、受付のネートにそれを差し出す。

 

「この機体名で、登録をお願いいたしますわ!」

 

『……かしこまりました』

 

 受付のネートは、心なしか少し残念そうな表情を浮かべながらも、端末を操作し、登録完了の印を押す。

 

 へんなことに体力を使ったせいか、ジンは自然とため息をつく。

 そしてふと顔を上げると、周囲のレース関係者たちの視線が、自分たちに集中していることに気がついた。

 先ほどのやり取りで、知らず知らずのうちに声が大きくなっていたのだろう。

 

「おい、いまのブレーダー……ジン・カミシロって言わなかったか?」

「ジン・カミシロ……? 誰だ、それ」

「待て、俺は聞いたことがあるぞ。確か、ベータリーグの……そうだ、ブルー・ゲイルの『調整役』だ!」

「ブルー・ゲイル!? ベータのセクターレースじゃ常連で、ラビリンスパレードにも出場してた、あの強豪チームのか!?」

 

 ひそひそと交わされる会話。好奇、侮り、そして僅かな警戒。

 様々な感情が入り混じった視線が、突き刺さるように痛い。

 

「……まずいな。面倒なことになる前に、さっさとずらかるぞ」

 

 ジンは、スィラの耳にだけ聞こえるように囁いた。

 しかし、スィラはジンの意図を全く理解していないのか、キラキラとした瞳で彼を見つめ返した。

 

「ジン様! この注目を逆手にとって、先ほどのレッドなんとかさんのように、ここでバーン! となにか高らかに宣言なさいませんか?『このレースの主役は俺だ!』とか!」

 

 その曇りなき眼で放たれた提案に、ジンは顔を引きつらせた。

 

「アレの二の舞は嫌だぁ……」

 

 ジンが全力で拒否した、まさにその時だった。

 

「なあアンタら、ちょっといいかい? 俺は今回のレースに出るブレーダーなんだが……」

 

 フロアの隅で他のチームメンバーと談笑していた、一際体格のいいスキンヘッドの男性が、こちらに気づき、声をかけながら、ゆっくりと歩み寄ってきたのだ。

 その歩みには、長年の経験からくる落ち着きと、揺るぎない自信が感じられる。

 

「ほら見ろ、もたもたしてるから、スキンヘッドの人、来ちゃったじゃねぇか」

 

 ジンは、やれやれといった表情でスィラに囁く。

 スィラは、てへぺろ、とでも言いたげに、ぺろりと舌を出した。

 

「ほら、ご挨拶してきなさい」

 

 ジンは、まるで娘を諭す父親のように、スィラの背中をポンと軽く叩き、挨拶を促した。

 その一押しで、スィラはすっと表情を切り替える。

 近づいてきたスキンヘッドの男性の前で、彼女は優雅にスカートの裾を少しだけ持ち上げ、完璧なカーテシーと共に微笑んだ。

 

「はじめまして、わたくしチーム『エメラルド・アイ』の代表、スィラ・マクマハウゼンと申します。以後、お見知りおきを」

 

 洗練された所作、淀みない口上。

 それは、まさしく上流階級の淑女そのものだった。

 先ほど、この場で大立ち回りを演じたレッド・ドッグとは、品性、品格、その全てにおいて天と地ほどの差がある。

 

 スキンヘッドの男性は、目の前の少女がチームの代表であることに、純粋な驚きの表情を浮かべた。

 

「こいつは驚いた。こんなに若くて可愛らしいお嬢さんが、チームの代表とはな」

 

「恐れ入ります。よろしければ、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

 スィラは、物怖じすることなく、にこやかに問い返す。

 男性は、その堂々とした態度を気に入ったのか、豪快に笑った。

 

「おう、俺はテツ・ハナヤマだ。どこのチームにも属してねえ個人参加のブレーダーさ。だが、セル3は俺の地元でな。ここのコースは庭みてぇなもんだぜ」

 

 テツと名乗った男は、自信たっぷりに胸を叩く。

 その言葉に、スィラは「おお!」と、目を輝かせた。

 

「それは素晴らしいですわ、ハナヤマ様! まさしく地の利! このレースを知り尽くした、真のベテランでいらっしゃるのですね!」

 

「がっはっは! よく分かってるじゃねぇか、お嬢ちゃん!」

 

 スィラの分かりやすいお世辞に、テツは気を良くしたようだ。

 

「でしたら、ハナヤマ様。よろしければ、今回のレースについて、少しだけお教えいただけませんこと? 例えば、注意すべきポイントや、気になるチームなど……」

 

「おう、いいともよ!」

 

 テツは、まるで自分の武勇伝を語るかのように、すらすらと説明を始めた。

 

「セル3のコースは、内陸のスタート地点から、島の南北を縦に貫く『中央道』を直線に走って海に出た後、右回りに島の外周をぐるっと一周する。その後もう一回『中央道』に入って、島の中心部にあるこの庁舎前のゴールまで駆け抜ける、テクニカルなコースだ。

 要注意なのは、俺みてぇにコースを知り尽くしたベテランの個人勢と、地元企業がバックについたチームだな。だが……」

 

 テツは、そこで一度言葉を切り、声を潜めた。

 

「侮れねぇのが、一部のセクターにしかない『ワークスチーム』だ。一チームだけ、今回も参加してやがる」

 

「わーくすちーむ……ですの?」

 

 首をかしげるスィラに、テツは丁寧に説明してくれる。

 

「ああ。ブレードの車体を開発してるメーカーが、自社の技術力をアピールするために運営してる直属のチームのことさ。最新鋭のパーツを惜しみなく投入してくるからな。連中のマシン性能は、そこらのチームとは段違いだ」

 

「なるほど……! 大変勉強になりますわ! 親切にお教えいただき、ありがとうございます、ハナヤマ様」

 

「おう!」

 

 スィラが深く頭を下げると、ジンも一歩前に出て、テツに礼を言った。

 

「ありがとうございます、ハナヤマさん。参考になりました」

 

 そして、自分の身分を明かした。

 

「俺は、このチームでブレーダーをやってる、ジン・カミシロです。今回は、俺たちにとっての初レースになりますが、どうぞ、お手柔らかにお願いします」

 

「ジン・カミシロ……? あんた、どっかで……まあいい。おう、こちらこそよろしくな! お互い、いいレースにしようぜ!」

 

 テツは、ジンの実直で礼儀正しい態度に好感を抱いたのか、ニカッと笑ってその手を差し出した。

 ジンも、その手を固く握り返す。

 

 別れの挨拶を交わし、去っていくテツの背中を見送りながら、ジンはスィラに言った。

 

「分かってると思うが、ハナヤマさんみたいな人が、ちゃんとしたブレーダーだ。さっきのアレみたいに、根拠のないプライドだけで生きてるような奴もいるがな」

 

「ああ、あの威勢のいい若いのか」

 

 テツは、ジンの言葉を聞きつけ、振り返りながら苦笑した。

 

「まあ、ああいうのは毎年何人か出てくるが、本当に芽が出るのは、一握りどころか、一つまみ……いや、一粒くらいのもんだ。あんまり気にするな」

 

 そのベテランらしい言葉に、スィラはこくりと頷く。

 

『うんうん』

 

「っ!?」

 

 その時、テツはようやく、スィラの背中に引っ付いて静かに話を聞いていたムツハの存在に気がついた。

 瞬間、彼の顔から血の気がサッと引いていく。

 

「お、おい……その子は……ネートリトヴァの、幼体……!?」

 

 ネート神殿が、まだ名もなき幼生体を、特定の個人の元へ派遣すること。

 それは、その個人が、神殿から見て、深い縁を結ぶに値する、特別な存在であると認められた証。

 将来、そのネートが右腕となり、共に育ち、運命を共にするという、極めて稀なケースだ。

 

 ハナヤマは、目の前の可憐な少女が、ただ者ではないことを、この瞬間、はっきりと悟ったのだった。

 

 ネートリトヴァ神殿が認めた特別な人間。

 ハナヤマの驚愕と、もはや畏敬に近い視線を背中に感じながら、ジンはスィラの肩を軽く叩いた。

 

「よし、登録も済んだ。長居は無用だ、行くぞ」

 

「はいっ!」

 

 ジンは、ハナヤマが抱いたであろう壮大な勘違いを訂正する気など、毛頭なかった。

 その方が面倒がなくていい。

 

 彼はスッと頭を下げて挨拶を済ませると、スィラとムツハを促し、足早にその場を後にした。

 

 一行はLPG事務所の喧騒から逃れるように、総合庁舎ビルの外へ出る。

 都市の喧騒が、再び彼らを包み込んだ。

 行き交う人々の波、フロートカーが立てる静かな走行音、そして空を横切るモノレールの影。

 

「ふぅ……」

 

 ジンは、大きく息を吐きながら、伸びをした。

 

「腹、減ったな。せっかくだ、なんか美味いもんでも食って帰るか。お前の歓迎会と、チームの決起会も兼ねてな」

 

 ジンなりの労いの言葉だった。

 慣れない場所での手続きや、気苦労も多かっただろう。

 

 その提案に、スィラはぱっと顔を輝かせるも、少しだけ考え込むような素振りを見せた。

 そして、名案を思いついたとばかりに、ジンの顔を見上げる。

 

「でしたら、ジン様! たくさん食べ物を買って帰りませんか? そして、カミシロ丸の皆様と、ご一緒にいただくのです!」

 

 スィラの口から出たのは、意外な提案だった。

 

「倉庫でわたくしたちのブレードを組み立ててくださっている、ジン様のお父様や、漁師の方々にも、ぜひ感謝の気持ちをお伝えしたいのですわ」

 

 その言葉に、ジンは一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。

 そして、すぐにその表情を和らげ、どこか感心したように、それでいて少し照れくさそうに、スィラの頭を大きな手でわしわしと撫でた。

 

「……お前、若いのにそういうとこ、ちゃんとしてるんだな」

 

 自分のことだけでなく、世話になった周りの人間のことまで考える。

 その気遣いは、チームの代表として、そして一人の人間として、なにより尊いものだとジンは思った。

 

「えへへ……」

 

 不意に頭を撫でられ、スィラは嬉しそうに、そして恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 

 方針は決まった。

 三人は、食料を調達するため、セントラル・ステーションに隣接する巨大な市場へと足を向けた。

 

「わぁ……! すごい活気ですわね!」

 

『おにく! さかな! おいしそう!』

 

 アーケードの下には、所狭しと屋台や露店がひしめき合い、威勢のいい呼び込みの声と、様々な食材が焼ける香ばしい匂いが満ちている。

 スィラとムツハは、初めて見る光景に目を輝かせ、あちこちの店を指差してはしゃいでいた。

 

「よし、買い込むか。ムツハ、手伝えよ」

 

『あい!』

 

 ジンが声をかけると、ムツハは元気よく返事をし、その半透明の身体の一部を、まるで丈夫な買い物袋のように、網状に変形させてみせた。

 その便利な能力に、店の店主たちも「おや、こりゃ便利で可愛いお嬢ちゃんだ!」と目を細め、少しだけ商品をオマケしてくれた。

 

 串焼きの肉、スパイスの効いた揚げ魚、色とりどりの野菜を挟んだパン、そして人数分の冷たい果実ジュース。

 漁師たちの屈強な胃袋を満たすには十分すぎるほどの食料を買い込み、三人は意気揚々と港の倉庫へと戻っていった。

 

 

 

 倉庫の重い鉄の扉を開けると、そこには、先ほどまでの喧騒が嘘のような、静かで、しかし確かな熱気を帯びた空間が広がっていた。

 そして、その中央に、それは鎮座していた。

 

「……!」

 

 スィラは、思わず息を呑んだ。

 数時間前まで、ただの古びたフロートバイクの骨格だったものが、まるで別次元の乗り物へと生まれ変わっていたのだ。

 

 無骨だったフレームは、空気抵抗を極限まで減らすために、流線型のカウルで覆われている。

 機体の前方は、その名の通りカジキの鋭い吻を思わせるシャープな形状。

 後部に搭載されたベクトル推進コイルは、剥き出しのまま力強い存在感を放ち、その下で輝くフロート磁力コイルは、いつでも大地を蹴って宙へ舞い上がれるよう、静かにエネルギーを湛えていた。

 まだ塗装は施されておらず、磨き上げられた金属の地金が、倉庫の照明を鈍く反射している。

 だが、その姿は、なによりも雄弁に、この機体が持つ速さと獰猛さを物語っていた。

 

「……どうだ」

 

 傍らで最後の仕上げをしていたヤギュウが、布で手を拭いながら、静かにそう問いかける。

 

「す……素晴らしいですわ……!」

 

 スィラは、感嘆の声を漏らし、完成したばかりのガンマブレードに、吸い寄せられるように近づいていく。

 これが、自分たちのチームの最初の翼。

 

 チーム『エメラルド・アイ』のブレード『カジキ』。

 

 彼女は、その美しい機体を、飽きることなく様々な角度からうっとりと眺めていた。

 しかし、不意に、ある一点でその動きが止まる。

 スィラは、なにか重大な見落としに気がついたかのように、首を傾げた。

 

 そして、純粋な疑問を込めた声で、ぽつりと呟いた。

 

「……ジン様。このブレード……」

 

 スィラは、ジンの顔と、カジキのコックピット周りを、交互に見比べる。

 そこには、ブレーダーであるジンが座るためのシートが、一つだけ。

 

 彼女は、信じられないといった表情で、言葉を続けた。

 

「うしろに乗れそうな場所が……どこにも、無いようなのですが……?」

 

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