ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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14話:カジキ発進

 

 静まり返った倉庫に、スィラの純粋無垢な問いが響いた。

 

「うしろに乗れそうな場所が……どこにも、無いようなのですが……?」

 

 その言葉に、それまで完成したブレードを前に満足げな表情を浮かべていたヤギュウとカミシロ水産の漁師たちが、ぴたりと動きを止める。

 彼らの視線が、スィラと、カジキの単座式コックピットとの間を、困惑気味に行き来した。

 

「……ああ」

 

 ジンは、まるで「今ごろ気づいたのか」とでも言いたげな、呆れと諦めが入り混じった顔で、こめかみを押さえた。

 

「ガンマブレードは、基本的に一人乗りだ。レギュレーションで決まってる。まさか、知らなかったのか?」

 

「存じ上げませんでしたわ! わたくし、レース以外のときでも、ジン様の後ろに乗れるものだとばかり……!」

 

 スィラは、この世の終わりのような顔で、がっくりと肩を落とした。

 あの時、LPGの窓口で「いつでも乗れるから」と豪語して、高価なパーツを買い切った自分の姿が脳裏をよぎる。

 完璧な計画だと思っていたのに、根底から覆された事実に、彼女の足元がぐらりと揺らいだ。

 

 そのあまりにも絶望的な表情を見かねてか、沈黙を保っていたヤギュウが、ゆっくりと口を開く。

 

「……ふむ。まあ、簡単な『席』くらいなら、付けてやれんこともない」

 

 その一言に、スィラの顔がパッと輝きを取り戻す。

 

「本当ですの!? ヤギュウ様!」

 

「うむ。レース本番では当然使えんがな。あくまで、テスト走行用の臨時だ」

 

 ヤギュウが漁師たちに目配せすると、彼らは「へい、おやかた様!」と威勢よく動き出す。

 彼らは、手際よく外装を取り外すと、船の補修で使うクッション材や、荷物を固定するための頑丈なベルトを手際よく加工し、あっという間にジンのシートの真後ろに、小さな補助席を取り付けてみせた。

 

「お嬢ちゃん、狭ぇが、これで我慢してくれや。ジン坊にしっかり掴まってりゃ、まあ大丈夫だろ!」

 

 漁師の一人が、ニヤリと笑いながら言う。

 

「ありがとうございます! ふふふ、すごくうれしいッ!」

 

「そんなに後ろに乗りたかったのかよ……」

 

「ジン様の後ろに、ですわ!」

 

 スィラのまっすぐな言葉にジンは「あっ、はい……」とやや達観気味に返す。

 こうして、チーム代表の切なる願いは、海の男たちの荒っぽくも温かい配慮によって、半ば強引に叶えられることになったのだった。

 

 

 

 倉庫の巨大なシャッターが、ゴゴゴという音を立てて開け放たれる。

 夕暮れ前の柔らかな光が差し込む中、ガンマブレード『カジキ』は、静かに床から浮上した。

 

「すごい……! 浮きましたわ……!」

 

 スィラは、感動の声を上げた。

 彼女の言葉通り、いま、彼女はカジキのコックピットの中にいた。

 

 もっとも、その乗り心地は快適とは言い難い。

 ガンマブレードのコックピットは、ブレーダー一人分のスペースを確保するのがやっとの、極めてタイトな設計だ。

 レース中の横Gや衝撃からパイロットを守るため、そして何より空力性能を最大限に高めるため、無駄な空間は一切ない。

 

 バイクのように身体がむき出しになるタイプも存在するが、高速域での空気抵抗や、クラッシュ時にパイロットが機外へ放り出される危険性を考えると、この密閉式のコックピットが主流となっていた。

 

 つまり、いまのコックピット内は、とんでもない密着状態にあった。

 スィラは、ジンの背中にぴったりと身体を預け、彼の腰に回した両腕で、必死にしがみついている。

 

 ジンの背中の感触、規則正しい呼吸、そして首筋から漂う微かな汗の匂い。

 その全てが、スィラの感覚を刺激し、心臓が早鐘を打っていた。

 

「しっかり掴まってろよ」

 

「はいっ!」

 

 ジンの心配する声に、スィラは元気よく返事をする。

 カジキは、セル3の港湾エリアを抜け、島の外周に沿って設定されたテスト走行用のルートへと滑るように進入した。中央の幹線道路は走行できないが、法定速度を守れば、この周回ルートでの試走は許可されている。

 

 眼下には、夕日に染まる青い海が広がり、潮風がキャノピーを優しく撫でていく。

 安定した飛行に、スィラは少しだけ身体の力を抜いた。

 

「ジン様、ブレードというのは、どういった仕組みで飛んでいるのですか? わたくし、いままで本でしか読んだことがなくて……」

 

 好奇心が、心臓のドキドキを上回ったらしい。

 ジンは、前方を注視したまま、まるで長年の相棒に語りかけるように、説明を始めた。

 

「まあ、基本は三つの心臓部で動いてる。まず、一番大事なのが、エネルギーを生み出す『D機関』だ」

 

「プラーナ結晶からエネルギーを取り出す部品……ですよね?」

 

「ああ。正式名称は長くて面倒だから、みんなそう呼んでる。こいつが、プラーナ結晶からエネルギーを取り出す、いわば発電所だ。結晶を電力に変えるのが一番効率がいいが、熱や冷気に変換することもできる。ブレードの全ての機能は、このD機関がなきゃ始まらねぇ」

 

 ジンは、一度言葉を切ると、少しだけ機体を傾けてみせた。

 スィラは「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げ、さらに強くジンにしがみつく。

 

「次に、この機体を浮かせてるのが『フロート磁力コイル』だ。超電導って状態と似た原理で、この星の地面から出てる特殊な磁場を掴んで、その場に留まる力を作り出してる」

 

「その場に留まる力……? 浮いているのではないのですか?」

 

「ああ。正確には、落ちないように踏ん張ってるだけだ。だが、その力をうまく使って、機体を上昇させたり、空中で静止したりできる。ブレーキは主にエアブレーキと、このフロート磁力コイルを使った、フロートブレーキを使ってる」

 

 ジンの説明は、専門的でありながら、不思議と分かりやすかった。

 

「ただし、弱点もある。利用してる磁場は、海の上か陸の上かにもよるが、地面から離れれば離れるほど弱くなるんだ。だから、高く飛べば飛ぶほど、コイルは必死に空間を掴もうとして、D機関のエネルギーをバカ食いする。レースで勝つには、いかに低い高度を保って、エネルギー消費を抑えるかが重要になるわけだ」

 

「なるほど……! とても奥が深いのですね!」

 

 スィラの感心した声に、ジンは小さく頷くと、最後の心臓部についての説明を続けた。

 

「そして三つ目が、前に進むための『ベクトル推進コイル』。こいつが、D機関からもらった電力で、機体を前に押し出す力を生み出す。基本的には前進と、方向を変えることしかできないが、逆流させればバックも可能だ。もっとも、バックに使うエネルギーは、前進の倍以上かかる。だから、減速はさっきのフロートコイルか、このエアブレーキを使うのが基本だな」

 

 ジンは、そう言うと、機体後部の小さなフラップを開閉させてみせた。

 それがエアブレーキだ。

 

「あとは、方向転換に使う、小さい主翼と尾翼。浮力を得るためのもんじゃないから、こんなに小さい。これら全部を組み合わせて、ブレードは空を飛んでる。……なんとなく、分かったか?」

 

 一通りの説明を終え、ジンが問いかける。

 スィラは、ジンの広い背中に頬を寄せたまま、こくりと深く頷いた。

 

「はいっ! とても、よく分かりましたわ……!」

 

 ただの知識としてではなく、今まさに体感しているブレードの鼓動と共に、その仕組みが、彼女の中にすっと染み込んでいく。

 

 ジンの丁寧な説明に、スィラは感心しきりだった。

 彼の背中に感じる体温と、心地よい飛行の振動、そして眼下に流れる美しい景色。

 その全てが、彼女にとって新鮮な驚きと喜びに満ちていた。

 

 それは、チームの代表として、そして、これからジンと共に戦っていくパートナーとして、決して忘れることのできない、ブレードを使用した初めての飛行体験。

 

 カジキは、セル3の島の外周を、安定した速度で飛行し続ける。

 ジンは、計器類と前方の景色を交互に確認しながら、今度はレースコースそのものについての解説を始めた。

 

「ハナヤマさんが言ってたと思うが、このセル3のレースは、まずスタートの長い直線があって、それを抜けた後に島の外周をぐるっと一周する。見ての通り、ただ飛べばいいってもんじゃない。コースの要所要所に、通過が義務付けられてるチェックポイントがあるんだ」

 

 ジンが指差す先、海上に突き出た岬の上に、設置されたライト。

 チェックポイントと思われる光が見えた。

 

「例えば、あのポイント。通過点が高い場所にあるから、高度を上げなきゃならん。素直に真っ直ぐ突っ込めば、あの崖にぶつかってクラッシュするのがオチだ。だから、どのタイミングで高度を上げるか……。その判断が、勝敗を分ける」

 

「ふむふむ……」

 

 スィラは、ジンの言葉の一つ一つを、まるでスポンジが水を吸うように、真剣に聞き入っていた。

 

「俺は、このコースをベータリーグで何度か走ったことがあるから、ある程度は頭に入ってる。だが、初めて走るコースや、ラビリンスパレードみたいな長距離レースじゃ、ブレーダーが一人で全部のルートや危険個所なんかを覚えるのは不可能だ」

 

「では、そういった場合はどうするのですか?」

 

「チームのメカニックや、他のメンバーが、無線でナビゲートすることが多い。『次のコーナーはきついぞ』とか、『前方に障害物あり』とかな。まあ、ガンマリーグの個人参加の連中はナビを用意せずに、努力と気合と根性だけで走ってる奴も多いが」

 

 その説明を聞いた瞬間、スィラのグリーンの瞳が、カッと見開かれた。

 彼女は、まるで天啓を得たかのように、ジンの背中で身を乗り出す。

 

「それですわ! ジン様! そのナビゲート、わたくしがやります!」

 

 その声は、確固たる意志に満ちていた。

 ジンは、彼女の唐突な、しかし力強い申し出に、一瞬だけ面食らったが、すぐに口の端を上げた。

 

「……ほう。やってみるか?」

 

「はいっ! ぜひ、やらせてくださいまし!」

 

 ジンは、コックピットの収納スペースから、一冊のノートとペンを取り出し、後ろのスィラに手渡した。

 

「これは『ペースノート』。コースの特徴を、自分が見て分かりやすいように記録しておくためのもんだ。カーブの角度、ストレートの長さ、危険な場所……。俺が見たもの、感じたことを口に出すから、それを書き留めてみろ」

 

「承知いたしましたわ!」

 

 スィラは、まるで初めておもちゃを与えられた子供のように、目を輝かせてノートを広げた。

 ジンは、カジキの速度をさらに落とし、コースの細部を確認するように、じっくりと飛行を続ける。

 

「次の左コーナー、角度は90度。出口は狭い、イン側をキープしろ」

 

「右手の崖、横風が強いポイントだ。機体が流されやすい」

 

「さっきの岩礁地帯、迂回ルートの最短ラインは、あの三つ目の岩のすぐ脇を抜ける……」

 

 ジンの簡潔で的確な指示を、スィラは驚くほどの速さと正確さで、ノートに書き留めていく。

 彼女独自の記号やイラストを交えながら、ページは瞬く間に情報で埋め尽くされていった。

 その様子は、ジンが想像していた以上の呑み込みの良さだった。

 

 そうはいっても、島の外周は約二百キロメートルもある。

 全てを一度で記録するのは不可能だ。

 

 三時間ほどかけて、ゆっくりと島を一周し終えた頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。

 

 カジキは静かに港の倉庫へと帰投し、ジンはスィラを降ろすと、すぐに機体のチェックを始める。

 

「よし、今日はこの辺にしておこう。俺と親父たちで、今日の飛行データをもとに、もう一度セッティングを詰め直す」

 

「はい! お疲れ様でした、ジン様!」

 

 スィラは、充実感に満ちた表情で頷くと、くるりと踵を返した。

 

「では、わたくしは、皆さんが今夜泊まるホテルを手配してまいりますわ!」

 

『まってー!』

 

 宣言するやいなや、彼女は勢いよく倉庫を飛び出していく。

 その後を、ムツハが慌てて追いかけていった。

 その嵐のような去り際に、ジンは小さく苦笑する。

 

 一人残されたジンの元へ、ヤギュウが静かに歩み寄ってきた。

 

「……乗り心地は、どうであった」

 

「ああ、いい感じだよ。ただ、少しだけベクトルコイルの立ち上がりに癖がある。コーナーの脱出で、コンマ数秒のロスが出そうだ。あと、フロートコイルの磁場感度を、もう少しだけ……」

 

 ジンは、今日のテスト走行で得た感覚を基に、いくつかの調整ポイントを的確に指示する。

 ヤギュウは、黙ってその言葉に耳を傾け、「うむ」とだけ頷くと、今度は別の問いを投げかけた。

 

「明後日のレースは、どうだ」

 

 その問いには、単なる勝敗予測以上の、息子の実力と覚悟を問うような響きがあった。

 ジンは、少しだけ考え込んだ後、静かに、しかし確かな自信を込めて答えた。

 

「コースの下見はできた。ベテランっぽい人から、有力チームの情報も聞いた。いまの俺の腕と、このカジキの性能を考えれば……簡単じゃないだろうが、まあ、上位には食い込めると思う」

 

 それは、根拠のない自信過剰ではなかった。

 集められた情報と、自身の経験に基づいた、冷静な分析の結果だった。

 

 ジンはカジキの機体を、愛おしそうに撫でながら付け加える。

 

「それに、父さんたちみたいな、最高のメカニックがいてくれるからな」

 

 その言葉には、偽りのない感謝の念が込められていた。

 ヤギュウは、息子の言葉に何も答えず、ただ、その大きな手で、ジンの背中をバンと力強く叩いた。

 

「なら、一位くらい、もぎ取ってこい」

 

 それだけを言うと、ヤギュウは再びカジキの元へと戻り、黙々と調整作業を再開した。

 その無骨な背中を見送りながら、ジンは、叩かれた背中の温かさを感じていた。

 

 一位。

 

 その言葉が、ジンの胸の中で、小さな棘のように引っかかった。

 

(最後に、俺が一位を獲ったのは……いつだっただろうか)

 

 調整役として、誰かの勝利をアシストし続けた日々。

 勝利への渇望を、どこかに置き忘れてしまった自分。

 

 ふと、そんな過去の記憶が、夕暮れの倉庫の片隅で、静かに蘇った。

 

 

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