ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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15話:勝利の意味

 

 一位。

 

 父のヤギュウが、何気なく口にしたその言葉。

 それがジンの心の奥底に沈んでいた澱を、静かにかき混ぜた。

 

 最後に、自分が一位を獲ったのは、いつだっただろうか。

 

 思考の海に沈んでいくと、遠い記憶の断片が、陽炎のように揺らめきながら浮かび上がってくる。

 

 二十歳で挑んだ、LPG主催のデビュー戦。

 プロへの登竜門であるそのレースで、彼は確かに一位でチェッカーフラッグを受けた。

 こんなものかという、どこか冷めた気持ちを感じた記憶がある。

 

 その後は?

 

 ガンマリーグにステップアップし、いくつかのセルレースで勝利を重ねた。

 そして、満を持して挑んだセクターレースでも、彼は勝った。

 第7セクターのガンマリーグで、最も難しいレースの一つに勝利した。

 

 だが表彰台の最も高い場所でトロフィーを掲げたときに感じたのは、どうしようもない虚無感だった。

 

 まるで子供相手に喧嘩で勝ったような虚しさ。

 手応えのなさに、がっかりしたせいだろうか。

 それとも、あまりのあっけなさに、拍子抜けしたせいなのか。

 

 なぜか喜びがわかない。

 味のしないガムを噛んでいるような感覚。

 

 あと一歩のところで敗北し、感情を爆発させ、叫ぶ者。

 資金が尽きてチームを維持できなくなり、絶望して涙を流す者。

 

 そして──勝利のために無茶をしてクラッシュし、死んだ者。

 

 皆真剣だった、誰もが、必死で、命を、大事ななにかを賭けて戦いに挑んだ。

 だが、勝ったのは自分だった。

 

 勝負の世界、強いものが勝っただけ、残酷な現実と言えばそれまでだ。

 しかし、それでも何かが引っ掛かる。

 

 本当に自分が勝つ必要が、あったのだろうか?

 

 ブレーダーとして、決して抱いてはならないはずの疑問。

 それが、あの頃から、まるで呪いのように彼の心に巣食い始めた。

 

 故郷の汐凪島で、のんびりと飛ぶことが気持ちよかった。

 無謀にもプロのブレーダーになると決め、この世界への第一歩を踏み出した頃。

 

 あの頃の自分の中には、確かにブレードで駆け抜けたいという、熱があったはずだ。

 

 だというのに、いつの間にか、その炎は消えていた。

 自分の人生であるはずなのに、どこか他人事のようにしか感じられない。

 熱中できない。

 そんな奇妙な感覚が、まるで濡れた毛布のように、ずっと彼にへばりついていた。

 

 卓越した操縦技術と、レース全体を俯瞰できる冷静な判断力。

 ブレーダーとしての才能は、疑いようもなく彼の中にあった。

 

 しかし、その才能を燃やすための燃料──勝利への渇望や、他者を蹴落としてでも前に出ようとする闘争心が、致命的に欠落していた。

 

 感情と才能が、ちぐはぐなまま。

 そんな歪な状態の彼に、ある日、声がかかった。

 

 ベータリーグの中堅チームからのスカウトだった。

 ベータブレードに乗れば、上の世界で走ればなにかが変わるかもしれない。

 そんな期待もあって、その話を受けた。

 

 まず彼に求められたのは、ベータブレードに乗り、才能豊かなエースブレーダーのサポート役として走ること。

 その役割は、闘争心のない彼にとって、驚くほどうまくはまった。

 

 エースのために風よけとなり、ライバルの進路を塞ぎ、レースの流れを支配する。

 自分の勝利を度外視した「調整役」としての走りは、皮肉にも、彼の才能を最大限に引き出した。

 

 だが、その走りを間近で見れば見るほど、レースを知る者たちはこう思うのだ。

 

 この男ならば、と。

 

 この男の才能は、サポート役で終わる器ではない。

 彼こそが、チームを勝利へ、いや、ラビリンスパレードの制覇へと導けるのではないか、と。

 

 そして、求められる。勝つことを。

 チームの期待を、スポンサーの夢を、ファンの熱狂を、その一身に背負って走ることを。

 

 だが、そこで、決定的なズレが生じる。

 ジンには、勝つつもりがないのだ。

 心のどこかで、勝利という結果そのものに、意味を見出だせないでいる。

 

『お前の才能は本物だ。だが、魂が燃えていない』

 

 期待は、やがて失望に変わる。

 そして、解雇。

 

『うちのチームなら、お前を変えられるかもしれない』

 

 そう言って、彼を拾ってくれる次のチームが現れる。

 ジンの可能性を信じてくれる甘い言葉に、彼自身も、燃えカスのように残ったわずかな熱意をかき集め、しがみついた。

 次こそは、なにか変わるかもしれない、と。

 

 だが、結局は同じことの繰り返し。

 

 そうして、いくつかのチームを渡り歩いた。

 その果てに行き着いたのが、チーム「ブルー・ゲイル」での、あの最後だった。

 

 もう、これで終わりにしよう。

 自分は、レースの世界にいるべき人間じゃない。

 そう、思ったはずなのに。

 

 なぜか彼は、いま、この場所にいる。

 新たなチームで、新たなマシンと共に、また走ろうとしている。

 あの嵐のような少女に、無理やり引きずり出されるようにして。

 

 夕闇が迫る倉庫の中で、ジンは一人、自問自答を繰り返す。

 

 自分は本当に、勝てるのだろうか。

 いや、違う。

 

 自分は──勝つつもりがあるのだろうか?

 

 その問いに、答えは出なかった。

 

 視界の端で、あの名もしならぬ、クラッシュして死んだブレーダーの姿が揺らめく。

 彼はもう何も言わない。

 

 だが、なにかを言いたげにこちらを見ている。

 

「……なんだよ」

 

 幻影は何も答えない。

 

 ただ、カジキの機体が、沈黙の中で、静かに彼の覚悟を待っているかのように、鈍い光を放っていた。

 

 

 

 レース前日。

 セル3の空は、雲一つない快晴だった。

 

 ちなみにムツハは、昨日慌ててやってきたスミレに回収され、レースが終わるまでは別行動となった。

 なんでも同胞の幼体を見守るという建前で、幼いネートの「視界」を通し、チームの情報を覗こうとする好奇心旺盛(オブラートな表現)なネートもいるらしく、その対策のためらしい。

 たぶん大丈夫だろうが、念には念を入れてとのこと。

 

 それはそれとして、レースは見学させてもらうから、頑張ってな―という、言葉も残していた。

 おそらく今頃は、二人でのんびりセル3の観光でもしているのだろう。

 

 ジンたちは起きてすぐ、LPGから割り当てられたレース参加者用のガレージに、ブレードを移動させた。

 レース前日ということもあって、他のチームの姿も。すでにガレージで調整を行っている。

 

 ジンたちはそのガレージで軽くガンマブレード『カジキ』調整を済ませた後。

 試験飛行も兼ねて昨日と同じように、島の外周に沿ったテスト走行用のルートを飛行していた。

 ジンの背後、臨時で設けられた狭い補助席には、もちろんスィラが同乗している。

 

「ジン様、昨夜ヤギュウ様たちが調整してくださったおかげか、機体の挙動がさらに滑らかになっているように感じますわ!」

 

「ああ。コイルの感度を微調整してもらったからな。これで、コンマ一秒の反応の遅れもなくなったはずだ」

 

 ジンは淡々と答えながら、機体を巧みに操る。

 しかし、今日のスィラは、ただの同乗者ではなかった。

 彼女は、昨日ジンから渡されたペースノートを手に、目を皿のようにして、眼下に流れるコースの細部を食い入るように見つめている。

 

「次の右コーナー、緩やかに見えますが、出口の路面が少し荒れていますわね……」

「北側の崖沿い、昨日よりも風が強いですわ。あそこの岩、目印になりそう……」

 

 彼女の口から紡がれる言葉は、もはや素人の感想ではない。

 レースのナビゲーターとして、ブレーダーの目となり耳となるための、的確な観察眼に基づいた分析だった。

 その姿は、昨日までの彼女とは別人のように、真剣そのものだ。

 

 だが、そんな彼女の集中力をもってしても、気づかずにはいられないことがあった。

 それは、ジンの様子が、どこかおかしいということ。

 

 操縦にミスはない。

 的確な指示も出している。

 しかし、その声にはいつもの張りがなく、視線は前方の景色を見ているようで、その実、もっと遠くの、なにか別のものを見つめているような気がした。

 

「……ジン様?」

 

 スィラは、心配そうに声をかけた。

 

「なにか、お悩みごとでもおありですの? 昨日から、少し……いえ、かなり、ご様子が変ですわ」

 

「ん? ああ……気のせいだろ」

 

 ジンは、一瞬だけ肩を揺らしたが、すぐにいつものぶっきらぼうな口調で、はぐらかした。

 

 その反応が、かえってスィラの不安を煽る。

 しかし、いまはレース前の大事な最終調整の最中だ。

 これ以上、彼の集中を乱すべきではない。

 スィラはぐっと言葉を呑み込み、再びペースノートへと意識を戻した。

 

 やがて、カジキは島の外周をほぼ一周し、最後のチェックポイントで、ふわりと空中に静止した。

 

 眼下には、島の南北を貫く、幅の広い一直線の道路が伸びている。

 その遥か先には、昨日訪れた総合庁舎ビルが、まるで蜃気楼のように霞んで見えた。

 

「ここが、最終コーナーだ」

 

 ジンは、前方を指差しながら説明を始めた。

 

「このポイントを曲がったら、あとはゴールまで、この中央道を約10キロ、ひたすら直進するだけ。勝負を決める、最後のストレートだ」

 

 その言葉には、昨日までの解説とは違う、わずかな感傷がこもっているように感じられた。

 

「この最終ストレートに、どれだけプラーナ結晶を残して突入できるか。それが、このレースの勝敗を分ける、最大の鍵になる」

 

「エネルギーの残量が、ですの?」

 

 スィラの問いに、ジンは頷いた。

 

「ああ。もうここまで来たら、小手先のテクニックは通用しない。ブレーダーがやることは一つ。残ったプラーナ結晶を全てD機関にぶち込んで、機体の限界速度まで加速し、ゴールラインに誰よりも早く飛び込むことだけだ」

 

 それは、まさに最後の加速(ラストスパート)

 全てのエネルギーを推進力に変換し、一瞬の煌めきに全てを賭ける、最後の博打。

 

「ブレーダーの間じゃ、通称『グローリー・ライド』って呼ばれてる」

 

 グローリー・ライド。

 栄光への、一度きりの滑走。

 

「レースで、一番観客が盛り上がる瞬間でもある。どのブレーダーが、どれだけ早く、この最後の切り札を切れるのか。その駆け引きが、観る者すべてを熱狂させるんだ」

 

 ジンの言葉は、レースの醍醐味を生き生きと伝えていた。

 

「嬢ちゃんがナビするときも最後に指示を頼むわ、グローリー・ライド!! って叫んでくれりゃあいい」

 

 しかし、スィラは、その説明を聞きながらも、やはり彼の様子が気になって仕方がなかった。

 栄光について語る彼の横顔が、なぜか、ひどく寂しそうに見えたからだ。

 

 

 

 最終調整を終え、カジキは再び港の倉庫へと帰投した。

 

 ジンは、ヤギュウに機体を預け、今日の飛行データと最終的な調整内容を手短に伝えると、おもむろに背を向けた。

 

「……ちょっと、散歩してくる」

 

 それだけを呟くと、彼は、誰の返事も待たずに、ふらりと一人で倉庫を出て行ってしまった。

 その広い背中は、どこか逃げるように、夕暮れの雑踏の中へと消えていく。

 

「ジン様……!」

 

 スィラは、居ても立ってもいられなくなった。

 

 彼女は、心配そうに見つめるヤギュウに「申し訳ありません!」と一言断ると、ジンの後を追って、勢いよく駆け出したのだった。

 

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