鳴りやまない喝采と、地鳴りのような歓声。
ジンは、その熱狂に静かに応えるように、ゆっくりとカジキの機首を上げた。
その動きに、さらに観客たちは熱狂的な叫びをあげる。
そうしてカジキは減速しながら、優雅に旋回すると、レース後の車両保管場所である『パルクフェルメ』の指定位置へと、その機体を滑らかに移動させる。
すぐにピットへは戻れない。
レース後のブレードとブレーダーは、レギュレーション違反がなかったか、LPGによる厳密なチェックを受ける義務があるのだ。
特に、今回のような常識外れのレース展開を見せた後では、その検査は、より一層厳しいものになるだろう。
巨大ディスプレイには、ジンの叩き出したタイムが、燦然と輝いていた。
それは、このセル3におけるガンマレースの歴史上、過去のどの記録をも大幅に塗り替える、驚異的な新記録だった。
「……っ」
作戦室で、その光景を見つめていたスィラの瞳から、一筋の涙が、ぽろりとこぼれ落ちた。
感情が、ごちゃ混ぜになっていた。
嬉しい。嬉しいはずだ。
胸が張り裂けそうなくらい、誇らしい。
それなのに、涙が、後から後から、溢れてきて止まらない。
浮かんでくるのは、たった一人、あの人のことばかり。
そして、ふと、こんな考えが、まるで天啓のように、彼女の頭に浮かんだ。
(……ジン様が、いままで所属してきたチームの者たちが“愚かもの”でよかった)
彼の類まれなる才能に、気づいていた者も、きっといただろう。
だが、その本当の力を、誰も引き出すことができなかった。
発破をかけた? 説得した? 機会を与えた?
愚か、愚か、愚かすぎる。
なんだそれは、なぜ上から目線なのだ。
全部だ、全部全部全部差し出して、どうかお願いします、あなたの力にならせてくださいと。
そこでようやくスタートだろう。
その程度の事すらできずに、ジンの力を引き出す努力をしたなどと、口が裂けても言えない。
ジンがいままで所属したチーム、そのメンバーたちは、今日の走りを見たらどう思うだろうか?
きっと気がつくだろう、自分たちが、どれだけ愚かだったかを。
だが……そのおかげで“自分のような存在”が作ったチームに、彼を迎え入れることができた。
「ああ、ジン様……」
その、誰にも解き放てなかった、気高き獣を。
ただ一人、自分だけが、その力を完全に解き放つことができた。
その事実が、たまらなく、誇らしかった。
やがて、大きく遅れて、二番手だったワークスチームのブレードがゴールする。
続くように、ベテランのテツ・ハナヤマのブレードが。
そして、次々と他のブレードが、それぞれの戦いを終えて、ゴールラインを通過していった。
スィラは、ハッとして、慌てて手の甲で涙を拭う。
ダメだ、泣いている場合ではない。
最高のブレーダーを、最高の笑顔で出迎えなければ。
チーム代表として、そして、彼のパートナーとして。
LPGのチェックを終えたジンが、待機スペースへと戻ってきたのは、それからしばらく経ってからだった。
彼は、まるで近所の散歩からでも帰ってきたかのような、なんでもない、いつも通りの表情を浮かべている。
「よう。待たせたな」
その、あまりにも飄々とした姿に、スィラは、せっかく気構えをしていたはずなのに、またしても、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
このままでは、また泣いてしまう。
そう思った彼女は、涙がこぼれ落ちるよりも早く、行動に移した。
スィラはジンの元へと駆け寄ると、思い切り、その身体に飛びついた。
そして、驚く彼の首に、小さな両腕をぐっと回すと、ぶら下がったまま、その頬に、ちゅ、と、柔らかい感触を残した。
「……なっ!?」
なんだなんだと、軽くうろたえるジン。
スィラは、そんな彼の反応に、してやったりと、満面の笑みを浮かべた。
そして、囁くように、こう告げる。
「約束の、ボーナスですわ♪」
その言葉に、ジンは、ああ、と、ようやく合点がいったように呟いた。
「……そうか。……もうちょっと、安いもんかと思ってたわ」
レースの興奮が冷めやらぬ中、表彰式は執り行われた。
特設された表彰台に立つのは、この激戦を制した三人のブレーダー。
中央、最も高い場所には、もちろんジン・カミシロ。
その右隣、二位の台にはミカゲ重工のワークスブレーダー。
そして左隣、三位の台には、地元のベテラン、テツ・ハナヤマ。
両隣の選手はそれぞれ少しだけ悔しそうな、しかし勝者を称える晴れやかな表情で立っていた。
LPGの役員から、それぞれにトロフィーが手渡される。
そして、レースの華、シャンパンファイトの時間だ。
勢いよく栓が抜かれ、白い泡が噴き出す。
ジンは、慣れた手つきでシャンパンのボトルを振るが、いつもより一段高い、一位の場所から、祝福の泡を浴び、そして浴びせかけるという行為は、本当に久しぶりだった。
そのせいか、彼の表情には、ほんの少しだけ、戸惑いのようなものが浮かんでいた。
もっとも、この表彰式は、現段階では、あくまで「暫定」のものに過ぎない。
レースが終了しても、その結果がすぐに確定するわけではないのだ。
レース中に処理しきれなかったブレード同士の接触や、細かな違反行為。
レース後に行われる、より厳密な車体検査。
それら全ての検証が完了し、LPGのレース審査委員会から暫定結果が正式に発行されるまでは、順位は確定しない。
もし、その暫定結果に不服があるチームがいれば、抗議料を添えて異議を申し立てることもできる。
例えば、今回のように、常識外れの走りを見せたジンとカジキに対して、「本当にブレード規則を満たしているのか」と、再検査を要求することも可能なのだ。
抗議が受理されれば、審査委員会による再調査が行われ、その結果次第では、順位が覆ることもあり得る。
だが、ジンとカジキに対して、抗議を申し立てるチームは、一つもなかった。
そして、レース後の厳密な検査でも、違反の類は、何一つ発見されなかった。
そもそも、LPGの専門職員であるネートたちが、公平かつ厳正な目でチェックした結果なのだ。
そこに、疑いの目を向ける者など、いるはずもなかった。
ジン・カミシロの勝利は、誰の目にも明らかな、完全無欠の、そして揺るぎようのない事実として、このセル3の歴史に、深く刻み込まれることとなった。
表彰式の後、レース会場に併設されたプレスルームで、優勝チーム「エメラルド・アイ」への共同インタビューが行われた。
無数のフラッシュが焚かれる中、会見テーブルの中央には、チーム代表であるスィラが、少し緊張した面持ちながらも、背筋を伸ばして座っている。
その隣には、どこか居心地が悪そうに、しかしどっしりと構えるジンの姿があった。
メカニックとしてチームに多大な貢献をしたヤギュウも招待されたが、「柄ではない」と一言、さらりと辞退した。
部屋を埋め尽くした各メディアの記者たちから、次々と質問が投げかけられる。
「マクマハウゼン代表、そしてカミシロ選手、まずは初レースでの劇的な勝利、おめでとうございます! いまのお気持ちをお聞かせください!」
「ありがとうございます。わたくしのチームのブレーダーが、この星で最高であることを証明できて、ただただ、胸がいっぱいですわ」
「……この星で最高ってのは言いすぎな気がするが。まあ、悪くない気分だよ」
「カミシロ選手に質問です! スタート直後の、あの常識外れのロケットスタート! あれは、一体どのような意図があったのでしょうか!?」
「意図、ねぇ……。まあ、作戦的に一番前に出る必要があったとだけ言っとくわ」
「それは“巨人の墓標”での、あの神がかり的な走行! あの難所を、あれほどの速度で突破したことに関係するのでしょうか!?」
「あー……よくわかったな。真似というか同じ作戦を考えてるやつのために言っとくと、巨人の墓標にあの速度で突っ込んで抜けるには、絶対一番最初に突っ込まないとダメなんだよ。先に突入してるブレードがいたら、後ろからぶつかってクラッシュするリスクが跳ね上がるからな。なんとしても一番最初に突入する必要があったんだ」
「なるほど……しかしその作戦の弱点ともいえる内容をばらしてしまっても構わなかったんですか?」
「自分でやっといてなんだが、あんな無茶はもう二度とごめんだ。今日あれに挑戦したのは、過去最高に調子が良かったからだよ」
ジンのおどけつつも、本当にもうごめんだと懲り懲りした様子に、記者たちの笑い声が響く。
「一部では、カミシロ選手は『調整役』としての評価が定着していましたが、今日の走りは、まるで別人でした。なにか、心境の変化があったのでしょうか?」
「心境の変化というか、俺一人なのに、なにを調整する必要があるのかって話と……まぁ、俺を信じてくれる、ちょっとお節介な代表がいたからかな」
「なるほど……お節介なマクマハウゼン代表! チーム結成から、一か月もたたないうちに初勝利となりましたが、この結果は予想されていましたか?」
「もちろんですわ。わたくしは、ジン様をお見かけした最初の瞬間から、この勝利を確信しておりましたので」
「マクマハウゼン代表は、第七セクターでも辺境のセル37を
「ええ。最高のブレーダーが、翼を休めていらっしゃった場所ですから。わたくしたちのチームにとって、あそこ以上の聖地はございませんわ」
「カミシロ選手! 今回のマシン『カジキ』は、ご自身で改造されたと伺っています。その性能には、満足されていますか?」
「いや、改造は俺じゃなくて、代表が雇った最高のメカニックたちがやってくれた。見てのとおり最高の仕事をしてくれたよ。文句のつけようがない」
「マクマハウゼン代表にお伺いします。今後のチーム運営において、最も重要だとお考えのことは何ですか?」
「ジン様が、毎日機嫌よく、そして気持ちよく走れる環境を整えること。それが、わたくしの、そしてチームの、最優先事項ですわ」
「カミシロ選手、今日の勝利で、多くのチームがあなたに注目することになるでしょう。現在のチームより、いい条件でのオファーが来ることも予想されますが、そのことについて、どう思われますか?」
「代表が横にいるのに、突っ込んだ質問だな……怖い顔するなよ代表、少なくともあんたに解雇されるまでは、このチームのブレーダーをやるつもりだ、ほんとだって」
「最後にマクマハウゼン代表! 今日の勝利の味は、いかがでしたか?」
「少ししょっぱい……いえ、わたくしの、初めての味です。一生、忘れることはないでしょう」
次々と投げかけられる質問に、スィラは、時折ジンに助け舟を求めながらも、チーム代表として、堂々と、そして見事に答えていく。
その姿には、もはや十四歳の少女の面影はなかった。
そして、一人の記者が、誰もが聞きたかった、核心に迫る質問を口にした。
「マクマハウゼン代表! チーム『エメラルド・アイ』の、これからの展望をお聞かせください!」
その問いに、会場の空気が、シンと静まり返った。
スィラは、チラリと、隣に座るジンへと視線を送る。
ジンは、なにも言わなかった。
ただ、深く、そして穏やかに頷く。
スィラは、その無言の信頼に、嬉しそうに、そして誇らしげに微笑みを浮かべると、毅然として前を向いた。
「わたくしたち、チーム『エメラルド・アイ』は、今回の勝利を足掛かりに、ガンマリーグのセクターレース、そして、その先のベータリーグへと、挑戦してまいります」
おおっ、と、記者団から驚きの声が上がる。
新設チームが、いきなりベータリーグへの挑戦を公言するのは、異例のことだ。
だが、スィラの言葉は、それだけでは終わらなかった。
彼女は、まるで戴冠式に臨む女王のような、圧倒的な威厳をその身にまといながら、静かに、しかし、その場にいる全ての者の魂を震わせるような声で、宣言した。
「そして三年後、わたくしは、ジン・カミシロと共に、アルファリーグ――すなわち、ラビリンスパレードに挑みます」
彼女は、そこで一度、言葉を切った。
「そして、必ずや、制覇いたします」
その場にいた誰もが、息をのんだ。
目の前の、まだあどけなさの残る少女が、いま、なにを言ったのか。
それは、単なる目標や、夢物語ではない。
惑星の理に挑むという、神託にも似た、絶対的な意志の表明。
彼女のグリーンの瞳の奥には、凡人には到底窺い知ることのできない、深淵の宇宙が広がっているかのようだった。
張り詰めた会場の空気を、ふっと和らげるように、スィラは、にこりと、いままでの威厳が嘘のような、可愛らしい笑みを浮かべて、言葉を続けた。
「つきましては、そんなわたくしたちの、ロマンあふれる挑戦をサポートしてくださる、心優しきスポンサー様、腕利きのスタッフの皆様、そして、ジン様の後ろに乗りたいという、気概のあるネートの方を、絶賛、大募集中ですわ!」
この日、第7セクターに住む多くの者たちが、チーム『エメラルド・アイ』を知った。
スィラ・マクマハウゼンという傑物の台頭を。
ジン・カミシロの、怪物のごとく強烈な走りを。
その輝きを、目に焼き付けた。