惑星横断レース『ラビリンスパレード』
第1セクターから第7セクターまで、七つの主要な島を繋ぐ航路を舞台に繰り広げられる、惑星プラタマ最大の祭典。
全七戦を三十日間かけて走破し、その総合順位を競うという体裁をとってはいるが、その本質はもっと根源的な、この星の理そのものへの挑戦だった。
事実、順位関係なく七つの航路を完走できただけでも、ブレーダーは莫大な賞金と、子々孫々まで語り継がれるほどの栄誉を手にすると言われている。
なぜなら、その舞台こそが、人類にとって絶対的な障壁である『ラビリンス領域』だからだ。
各セクターを囲む穏やかな『内海』の先、惑星表面の七割を占めるその海域は、物理法則がねじれ曲がり、強力なエネルギーが奔流する死の領域だ。
なんの準備もなしに踏み入れた者は、三分と経たずに命を落とす。
その恐ろしさは、この星における人類の歴史そのものが証明していた。
かつて、滅びゆく故郷の星から逃れてきた移民宇宙船団の一つが、不運にもトラブルに見舞われ、この惑星への緊急降下を余儀なくされた。
ろくに降下ポイントを指定できないままの降下だったが、彼らの船は大気圏内での航行にも対応しており、星の大部分を覆う未知の領域への突入も問題ないと踏んだのだ。
だが長期間の宇宙航行に耐えうる頑強な宇宙船ですら、ラビリンス領域のエネルギー奔流には抗えず、その全てが消息を絶った。
辛うじて無事だったのは、七つのセクターに降下した船の生存者だけ。
おまけに宇宙船は降下の衝撃とラビリンス領域の影響で、航行不能状態。
そんな状態で、人類はこの星での新たな一歩を踏み出すことになったのだ。
彼らは多くの同胞を失い、他のセクターに降り立った仲間たちと連絡を取ることすらままならない、絶望的な孤立状態に陥った。
だが、希望はあった。
この星には、ラビリンス領域を渡る術を知る存在がいたのだ。
原住支配種族『ネートリトヴァ』。
流動体の身体を持つ特殊な生命体であり、愛称を『ネート』という。
“彼女”たち――ネートリトヴァは総じて女性的なアイデンティティを持つ――は、接触することで他者の思考を読み取り、知識を瞬時に吸収するほどの高い知能を有していた。
また、様々な超能力に加え、その体を自在に変化させ、他の生物を模倣することもでき、惑星の食物連鎖の頂点に君臨する、絶対的な上位種族だった。
着陸直後、人類は当然のようにネートを脅威とみなし、その持てる全ての武力で排除を試みた。
しかし、その試みは赤子の手をひねるよりも容易く打ち砕かれる。
銃弾も、毒物も、熱線や冷気を用いた攻撃さえも、流動体の身体を持ち、超能力を操るネートたちには、なんの意味もなさなかった。
あっという間に制圧され、人類の歴史はここで終わるかと思われたその時、事態は思わぬ方向へ転がる。
ネートたちは人類の思考を読み、彼らが故郷を失い、終わりの見えない旅のなかで、やむを得ずこの星に降り立ったことを理解した。
そして、相対したネートの一人は人類の声帯を模した器官をサクッと作り、こう言ったと伝えられている。
『なんや、えらい遠いところからおいでなすったんやなぁ……』
どこか気の抜けるような同情と共に、ネートは人類の無礼を「ビンタ三回」という象徴的な罰で許し、共存の道を模索し始めたのである。
その共存の第一歩が、ラビリンス領域を渡る手段の提供だった。
ネートたちは、無数の物理法則が複雑に絡み合うラビリンス領域を、その超感覚によって正確に知覚し、観測することができた。
さらに、その空間に干渉し、エネルギーの奔流の中に安全な航路を見つけ出すことさえ可能だった。
つまり、ある程度の性能を持つ乗り物──『ブレード』──と、ナビゲーター役のネートがいれば、死の領域である
その後、様々な試行錯誤の末、人類はネートの協力を得て、ついに断絶されていたセクター間の航路を開拓し、離れ離れになっていた同胞たちとの再会を果たした。
そうした経緯を経て、人類は失われた故郷「テラ」への想いを胸に、この新天地で生き抜くことを決意した。
そして、ネートという偉大なる隣人の力を借りながら、少しずつ文明を再建し、現在に至る。
ラビリンスパレードとは、まさしく、そんな人類とネートの共存の歴史と、ラビリンス領域への挑戦の象徴でもあったのだ。
---
--
-
「なんてことを間に受けて、アレが共存の歴史を象徴する麗しき祭典……なんて建前を信じてるわけじゃないよな?」
ジンの皮肉な問いに、スィラは小さく頷いた。
「はい、それはもちろん。人類側には、ラビリンス領域を渡るための技術開発や人材育成、1110日(惑星プラタマにおける公転周期)に一度リセットされる航路法則の調査。そしてなによりネートに納めている、ラビリンス領域の莫大な通行税や、様々なインフラなどの対価を回収するといった、極めて現実的な目的があります。そしてネート側は……」
「彼女らにとっての約束の地、『ティールタ』へ連れて行ってくれるブレーダーの育成、だな」
ジンは、スィラの言葉を引き継ぐように呟いた。
原住支配種族ネートリトヴァ。
彼女たちには、その存在理由の根幹に関わる一つの使命があった。
ラビリンス領域のどこかに存在する聖なる渡し場『ティールタ』へ到達し、より高次元の存在へと昇華すること。
それが、ネートたちの種族としての悲願だった。
かつて、ネートたちは『ヴィーラ』と呼ばれる、島々を自在に行き来する強靭な原生生物と協力し、その使命に挑んでいたという。
しかし、そのヴィーラは千年ほど前にほぼ絶滅してしまった。
以来、ネートたちはティールタへの道を閉ざされ、長い停滞の時を過ごしていたのだ。
そこへ現れたのが、人類だった。
ネートたちは、人類の持つ技術力と、時に無謀とも思える挑戦心に、失われたヴィーラの代わりとなる可能性を見出した。
そして、ラビリンスパレードという壮大なレースを創設し、人類の中から新たな『ヴィーラ』──すなわち、ティールタへの道を切り拓く卓越したブレーダ─を育成することにしたのである。
だが、人類との共存が始まってから数百年。
ティールタに到達し、その迷宮を攻略したのは、いまだにただ一組。
それも、四十年以上も昔の話だ。
もっとも、それでもネートたちは人類を見捨てはしなかった。
彼女らは長寿であり、数百年という時間は瞬きほどのものなのかもしれない。
むしろ、たった数百年で自分たちの同胞の一体を悲願の地へ導いてくれた人類に対し、彼女らは深い敬意を払っているとさえ言われている。
ラビリンスパレードとは、そうした両種族の現実的な利害と、遥かなる願いが複雑に絡み合った、巨大なシステムでもあったのだ。
「そこまでわかってて、ラビリンスパレードを制覇したいなんて言うわけだ、嬢ちゃんは」
「はい」
迷いのない返答。
無知からくるものでもなく、無謀と認識していないわけでもない様子に、ジンは語気を強める。
「あれはな、遊びじゃねぇんだ。ちょっと腕に覚えのある奴が、ナビのネートと組んでヒョイと挑めるような甘っちょろいもんじゃ……!」
スィラは、ジンの言葉を遮るように、静かに、しかしきっぱりと言った。
「もちろんですわ、ジン様。わたくしは、ラビリンスパレードの過酷さも、その先に待つものの意味も、理解しております。おそらくは、そこらのネート……ネートリトヴァの方々よりも、深く」
「……ネートリトヴァ、よりも、ねぇ」
プラタマの先住種族であり、この星の真の支配者とも言える存在。
流動体の身体を持つ彼女らは、人類とは比較にならないほどの知性と能力を有し、プラタマ社会の根幹を支えている。
彼女らは、人類がこの星に不時着した際、圧倒的な力で人類を制圧しながらも、最終的には共存の道を選んでくれた慈悲深き上位種族だ。
現在では、司法、検察、警察、徴税、政府の第三者調査機関など、絶対的な公平性が求められる多くの場所に、ネートリトヴァが派遣されている。
彼女らの透徹した判断力と、職務に私情を挟まない公平性は、時に冷徹に映ることもあるが、それ故にプラタマの秩序は保たれていると言っても過言ではない。
また、人類のテクノロジーを用いた情報伝達手段のほとんどが、ラビリンス領域の影響で安定した使用が困難なため、情報インフラの面でも、人類は彼女たちに依存している。
惑星全体を覆う、ネートたちだけが使用できる『共有思念網(コモン・マインド)』に縋って、人類は文明を維持しているのだ。
なにより、ラビリンス領域の航行においては、青年期のネートリトヴァ……『ナビネート』が持つ空間把握能力とナビゲート技術は不可欠であり、彼女たちの協力なしには、人類はセクターの外へ一歩も出ることすらできない。
ネートリトヴァは、人類にとって、畏敬と感謝の対象であり、同時に決して逆らうことのできない存在でもあった。
そのネートリトヴァよりも深く理解している、とこの少女は言ったのだ。
その言葉の真意は、ジンには測りかねた。
ジンはため息をつき、頭を掻いた。
「……それに、ひとめ惚れ、だぁ? もうちょっとマシな嘘というか、誘い文句を考えろよ。俺みたいな薄汚ねぇおっさんに、あんたみたいな若い娘が一目惚れなんぞするわけが……」
「嘘ではございません」
スィラのグリーンの瞳が、まっすぐにジンを射抜く。
その瞳には、一点の揺らぎもない。
「わたくしは、ジン様、あなたに本気で惚れましたの。ブレーダーとしてのあなたに、そして……その、男性として……」
そこまで言って、スィラはわずかに言葉を詰まらせ、頬を微かに赤らめた。
その反応は、先ほどまでの大人びた態度とは裏腹に、歳相応の少女のそれだった。
ジンは、その純粋すぎる眼差しに、一瞬言葉を失う。
彼女の言葉が嘘ではないことは、なんとなく分かった。
だが、自分はいったいどこでこの少女の好感度を稼いでしまったのだろうか?
確かにブレーダーだった頃に、こういった手合いを目にしなかったわけではない。
だが、そういった盲目的なファンや、こちらを利用しようとしてくる相手とはどこか違う。
好意の裏に、確かな信頼や信用、もしくは感謝といった感情が見え隠れしている。
しかし、だからといって、はいそうですかと彼女の誘いに乗るわけにはいかない。
仮にもまともな倫理観を持っていると自負している大人として。
あと法律的にも、そっちの方が大事。
「まあ、嬢ちゃんの夢や趣味嗜好を否定するつもりはない。だけど俺は──」
俺はもう、あの場所には戻らない。
ジンがそう続けようとした言葉は、スィラの唐突な行動によって遮られた。
「こちらを」
スィラは、懐から取り出した一冊の冊子を、テーブルの上に静かに滑らせた。
それは、第1セクターに本店を構える、惑星プラタマでも最大手の銀行が発行する預金通帳だった。
表紙には、彼女の名前であろう「スィラ・マクマハウゼン」という文字が、美しい筆記体で記されている。
スィラは、その通帳をゆっくりと開くと、最新の残高が記されたページをジンの方へ向けた。
「……ッ!?」
ジンは、そこに印字された数字の羅列を見て、思わず息を呑んだ。
桁の数が、尋常ではない。
第7セクターの片田舎である汐凪島で一生暮らしても、到底使い切れないであろう金額。
いや、第7セクターの本島に豪邸を建てても、まだお釣りがくるほどの額だ。
「……なんだ、こりゃあ……」
ジンのかすれた問いに、スィラは真剣な眼差しで答えた。
「わたくしが、これまでに築いた資産の全てですわ。ジン様、この中から、あなた様が必要とするだけ、お支払いいたします。前金でも、成功報酬でも、お好きなようになさってください」
その言葉には、一切の迷いも嘘も感じられない。
「ただし……」スィラは、ほんの少しだけ頬を赤らめ、恥ずかしそうに付け加えた。
「チームの最低限の運営資金だけは、残しておいていただけると助かります。そして、もし……もし、それでも足りないというのであれば……」
彼女は一度言葉を切り、意を決したように、ジンの目をまっすぐに見つめ返した。
「わたくしの全てを、あなた様に差し上げます。この身体でも、心でも、あなた様の好きなようになさって構いません。いえ、むしろ、バッチ来いですわ!」
最後は、なぜか拳を握りしめ、力強く言い放つ。
その勢いに、ジンは思わず椅子ごと後ろへ下がりそうになった。
冗談を言っているようには、到底見えなかった。
この少女は本気だ。
文字通り、自分の全てを賭けてでも、自分を欲している。
その純粋で、あまりにも重い覚悟が、ジリジリと肌を焼くように伝わってくる。
「お、おい、お前、自分が何を言ってるか分かってるのか!? まだ子供のくせに……!」
「ご安心を、成人認定資格は取得しておりますので。……だからといって、わたくし自身にどれほど価値があるのかは怪しいですが」
スィラは、どこか寂しげに微笑んだ。
ジンはたじろぎながらも、なんとか反論の言葉を探す。
「親は!? お前どう見てもいいとこのお嬢だろ!? まともな親ならそんなもん許すはずが……」
「わたくし俗にいう追放令嬢というやつですの!」
「俗に言わねえよ!?」
実際なんとなくジンにはわかったが、深く突っ込みたくなかった。
名家のその辺の事情とか厄ネタのにおいがすごくて、関わりたくない。
ジンは必死に頭を回転させて、なんとか断りの方便を探す。
「というか、こ、これだけ金があれば、他の優秀なブレーダーなんて、いくらでも雇えるだろうが!」
「他の人なんて、いりません」
スィラの声が、凛と響いた。
「わたくしには、あなた様がいいのです。あなた様でなければ、ダメなのです!」
スィラは身を乗り出し、ぐいぐいっとジンに迫る。
彼女のグリーンの瞳には、妄信的とさえ言えるほどの強い光が宿っていた。
その姿に、ジンの脳裏を、ある記憶がかすめる。
──ずっと昔、まだ自分が何者でもなかった頃。
無謀にも、ラビリンスパレードに挑むのだと、周囲の反対を押し切って息巻いていた、若い自分の姿。
必死だったあの頃の自分も、こんな風に、ただ一つの目標だけを見つめていたのかもしれない。
ジンは、頭を振ってその残像を振り払った。
なんだこれは、違う、自分とこの子は違う。
この子には、まだ未来があるはずだ。
それを、自分のせいで歪ませてはならない。
「……悪いが、断る」
ジンは、きっぱりと断った。
その言葉には、有無を言わせぬ強い響きがあった。
これ以上、この少女と関わるべきではない。
彼女の純粋な思いを受け止めきれるほど、いまの自分は強くないのだ。
「……帰らせてもらう」
ジンはそう言うと、勘定を払おうと財布を取り出そうとする。
しかし、スィラがそれをそっと制した。
「お支払いは、わたくしが。これは、スカウトのためのささやかな投資ですわ」
悪戯っぽく微笑むスィラに、ジンはなにも言い返せず、黙って席を立つ。
「じゃあな、嬢ちゃん。達者でやれよ」
背を向け、食堂の出口へ向かおうとするジンに、スィラの声が追いかけてきた。
「ジン様!」
ジンは足を止めたが、振り返らなかった。
これ以上、彼女の顔を見れば、決心が揺らぎそうだったからだ。
「……わたくし、あきらめが悪いんですの」
その声は、先ほどよりも少しだけ弱々しく、そして切実な響きを帯びていた。
「半年前に行われたベータリーグの第7セクターレース最終戦で、ジン様の走りを見ました。結果は……残念なものでしたが、わたくしには分かりました。あなたは勝利を譲ったのだと」
ジンの肩が、微かに震える。あのレースのことか。
チームの指示……いや、自分の希望で、同じチームのエースを勝たせるために走ったレース。
なぜ、この少女がそれを……。
「そして、その走りの中に、わたくしは見たのです。他の誰にもない、特別な光を……」
スィラの言葉が途切れる。
ジンは、無意識のうちに、自分の胸に手を当てていた。
そこには微かな温もりと、時折感じる奇妙な疼きがあった。
「……そうかい」
ジンは、それだけを絞り出すように言うと、逃げるように食堂を後にした。
いつの間にか太陽は中天に昇り、じりじりと地面を照りつけていた。
ジンの額には、汗が滲んでいる。
それは、暑さのせいだけではないような気がした。
スィラの言葉が、彼の心の奥深くに突き刺さったまま、抜けない。
彼女の存在そのものが、ジンが長年蓋をしてきた過去を、無理やりこじ開けようとしているかのようだった。
【補足:惑星プラタマにおける暦】
惑星プラタマの自転は一周24時間、公転周期は1110日です。
この星の人類は地球と近くなるように、ひと月は30日で、1年は12ヶ月の360日にしました。
ただ、公転周期の最初の月だけ、0月(30日)が入り、その月がラビリンスパレードの開催月になる設定となっています。
1年目(390日)2年目(360日)3年目(360日)=合計1110日
(※変更される可能性があります)
週や曜日があるかは考え中ですが、作中で1歳、1年、1時間、1か月といった表現が出てきた場合、基本的には現実とだいたい同じという認識で問題ありません。