ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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03話:おしかけ観光案内

 

『どうしてお前は走らない?』

 

 眼窩に暗黒を湛えた男が、ジンに問いかける。

 名前も知らない、だが、忘れることのできない相手。

 

 ジンが二十二の頃に、一位で勝利したあるレースで、この男は無茶な追い抜きをしようとしてクラッシュし、ブレードから放り出された。

 一瞬だったが、後ろを走っていたジンは、このブレーダーと目が合った気がした。

 

 驚き、絶望、恐怖、悔しさ。

 様々なものが入り混じった表情を浮かべていた。

 

 ブレードレースには危険が付きまとう。

 惑星全土で行われ、開催数が多いというのもあるが、死者は毎年数十人、百に届く年もある。

 世界で最も過酷な、死と隣り合わせの競技。

 

 当然、ブレーダーという輩は、そんなことは百も承知で挑む。

 

 なぜならブレーダーになるということは、セクターによって多少の差はあるが、強固な社会階層の壁を突き抜けるための数少ない道のひとつでもあるからだ。

 

 さらに勝利すれば、莫大な賞金、社会的な地位、そして名誉が手に入る。

 

 だからブレーダーは、家族のため、恋人のため、仲間のため、そして自分のため。

 様々なものを抱え、命というチップを対価に、ブレードレースに挑む。

 

 そして、時に敗北し、命を散らす。

 ジンに問いかけてくるこのブレーダーも“そう”だった。

 

『俺はもう走りたくても走れないのに、なぜお前は?』

 

 幻覚の問いかけに答える気にはなれず、ジンは煙草をくわえて火をつける。

 吐き出した煙の向こうに、ゆらゆらと漂う、ブレーダースーツを着た男。

 

 この幻影とは、もう十年近くの付き合いになる。

 今のように何か問いかけてくることもあれば、じっとこちらを見ているだけのこともしばしば。

 

 いくつもの病院で検査をしたが、特に異常はなかった。

 もしかしたらジンの体質的なもの、もしくはこの星特有、なにかしらの超常現象の可能性もあるようだが、解決策はいまだみつかっていない。

 

 おかげでジンはここ十年、ずっと寝不足だ。

 

 いったい自分に何の恨みがあるというのだろうか? 

 

 このブレーダーが死んだのは、こいつの運が悪かったからだ。

 このブレーダーが死んだのは、こいつの腕が悪かったからだ。

 

 なによりこのブレーダーが勝てなかったのは、自分がでるレースに参加したからだ。

 

 当たり前の事だろうと、何度も叫んだ。

 

 が、それでも幻影は納得できないのか、何度もこうして問いかけてくる。

 

 ──なぜお前は……と。

 

 

 

 翌朝。

 

「おはようございます! ジン様、いらっしゃいますかー!」

 

 ジンがまだ薄暗い部屋で微睡んでいると、階下から聞き覚えのある、しかしこの家には不釣り合いな明るい声が響いてきた。

 

 ジンの瞼がピクリと動いた。

 まさかとは思うが、あの声は……。

 

 案の定、母親のフミの怒声にも似た返事が続く。

 

「あんた、また来たのかい!」

 

 どうやら、昨日の少女──スィラが、またしてもカミシロ家を訪ねてきたらしい。

 ジンは重い頭を抱え、布団を頭から被った。

 

(あの嬢ちゃん、昨日の今日でまた来やがったッ!?)

 

 関わりたくない。

 

 昨日の衝撃的な申し出と、最後の言葉は、まだ彼の頭の中で整理しきれていないのだ。

 彼女の真っ直ぐすぎる瞳を思い出すだけで、自分のみじめさが浮き彫りになる。

 怠惰に生きるいまの自分にとって、あの子は自らの醜さを直視させてくる鏡のような存在だ。

 

(まぁ、母さんがとっとと追い返してくれるだろ……我ながら情けない)

 

 しかし、スィラの行動力はジンの想像をひょいとこえてきた。

 ドタドタという足音と共に、遠慮のかけらもなくジンの部屋の襖が勢いよく開け放たれる。

 

「ジン様、おはようございます! 今日も良いお天気ですわね!」

 

「うぇ!?」

 

 うしろの窓から差し込む朝日を背に、仁王立ちするスィラ。

 その手には、なぜかフミが持っていたはずのホコリ叩きが握られている。

 

 そして、その後ろには、鬼のような形相のフミが立っていた。

 

「ジン! この子がいたんじゃおちおち掃除もしちゃいられない、島の案内でもしてやんな!」

 

 フミの有無を言わせぬ剣幕と、スィラのキラキラとした期待の眼差し。

 ジンは、もはや抵抗する気力も失せ、観念したように布団から這い出した。

 この家では、母親の言葉は絶対なのだ、父親ですら逆らえない。

 

「……分かったよ」

 

 こうして、ジンは半ば強制的に、スィラの汐凪島観光ガイドを務めることになった。

 

 

 

「俺よりこの島に詳しいうちの父さんなら、ちっとは楽しめるかもしれんが、もうとっくに漁に出ちまってるからな。あんま期待するなよ」

 

 家の外へ出ると、ジンはぶっきらぼうに言った。

 カミシロ水産の主であるジンの父親は、夜明け前から海へ出て、日が暮れるまで漁をするのが常だ。

 その勤勉さと腕の良さは、島でも評判だった。

 

「わたくしはジン様がいらっしゃれば十分ですわ」

 

 スィラは特に気にした様子もなく、にこやかに答える。

 その言葉には、一切の社交辞令が含まれていないように感じられた。

 実際、彼女の目的は、あくまでジンだけなのだ。

 

 ジンは家の裏手にある納屋へ向かい、古びたフロートバイクを引っ張り出してきた。

 二人乗りができる、やや大型のタイプだ。

 

 かつてはレースの練習用に使っていたものだが、いまはすっかり埃を被り、ところどころ錆も浮いている。

 その姿は、まるで今の自分を象徴しているかのようだった。

 

「このフロートバイクでいいか? ちょい古いけど、島を一周するくらいなら問題ないだろ」

 

「わぁ、素敵ですわ! これがフロートバイク……初めて近くで見ました!」

 

 スィラの目が、子供のように輝く。

 彼女は第1セクターの都市部で育ったらしく、こういった俗っぽい乗り物や、のどかな田舎の風景は新鮮なのだろう。

 

 D機関(エンジン)を始動させると、プラーナ結晶を動力源とするフロートコイルが唸りを上げ、バイクはふわりと地面から浮き上がった。

 ジンはスィラを後ろに乗せ、ゆっくりとアクセルを開ける。

 

 汐凪島は、第7セクターに属する数多くのセルの中でも、本島(セル1)から最も離れた場所に位置する、いわば辺境の島だ。

 

 主要な産業は漁業と小規模な農業、そしてわずかなプラーナ結晶の採掘。

 観光客がわざわざ訪れるような名所もなければ、目新しい娯楽施設もない。

 ネートの珍しい『(ほこら)』もあるにはあるが、一般に開放はされていないので、目玉とは言いづらい。

 総評すると、手つかずの自然と、昔ながらの人々の暮らしが残る、静かで穏やかな島だった。

 

「見てください、ジン様! 海の色が、昨日見た時よりもずっと青いですわ!」

 

 フロートバイクが海岸線に沿って進むと、スィラが感嘆の声を上げた。

 プラタマの海は、ラビリンス領域のエネルギーの影響で、日によってその色合いを微妙に変化させる。

 今日の海は、吸い込まれそうなほど深いコバルトブルーに染まっていた。

 

「ああ、今日は潮の流れがよさそうだからな。魚もたくさん獲れるだろうよ」

 

 ジンは、ぶっきらぼうながらも、少しだけ得意げに答えた。

 この島の自然の美しさは、地元民の彼にとって、数少ない自慢の一つだった。

 

 バイクは島の北側へ向かう。

 そこには、切り立った崖が続き、荒々しい波が打ち寄せる雄大な景色が広がっていた。

 

「ここは、島の人間でもあまり近寄らない場所でな。昔、俺らのご先祖様が乗ってきた宇宙船が墜落した跡だったり、ラビリンス領域のエネルギーが暴走して、大きな岩が空から降ってきたせいで出来た跡って話だ」

 

「まあ、恐ろしい……ですが、とても美しいですわ。まるで、世界の果てみたい」

 

 スィラは、崖の下で砕け散る波飛沫を、食い入るように見つめている。

 その横顔は、どこか儚げで、そして強い好奇心に満ちていた。

 

 しばらく進むと、沖合に一隻の漁船が見えた。

 比較的大型の船で、船体には「カミシロ丸」という文字が書かれている。

 

「あれ、父さんの船だ」

 

 ジンが指差すと、船上の漁師たちがこちらに気づき、手を振ってきた。

 スィラとジンも軽く手を上げて応える。

 

「お父様、格好いいですわね。あんなに大きな船を操って……」

 

 スィラの言葉に、ジンは少し照れ臭そうに鼻を掻く。

 父親は無口で癖の強いところはあるが、自分にっとって、誰よりも頼りになる男だった。

 そして、ジンがレースの世界から離れた後も、なにも言わずに彼を家へ迎え入れてくれた、大きな存在でもある。

 

(父さんは、俺がまたレースに出るって言ったら、なんて言うだろうな……)

 

 ふと、そんな考えがジンの頭をよぎる。

 おそらく、なにも言わずに背中を押してくれるだろう。

 

 だが、それは、いまの自分にはあまりにも重い期待だ。

 

 北の崖を過ぎ、バイクは島の西側、かつてプラーナ結晶の小規模な加工場があったという入り江へと向かった。

 いまはもう使われておらず、島の人々からは「廃工場」と呼ばれている場所だ。

 

「ここが、この島の名所……ってわけじゃねぇが、まあ、珍しい場所ではあるな」

 

 ジンはバイクを止め、錆びついた鉄格子が閉ざされた工場の入り口を指差した。

 建物は潮風に晒されて赤茶け、壁のあちこちには蔦が絡みついている。

 しかし、その骨格は驚くほどしっかりとしていた。

 

「ここは、昔プラーナ結晶を加工してた工場だ。だが、もっと効率のいい加工技術が本島(セクター)で開発されてな。採算が取れなくなって、数十年前に閉鎖されたんだ」

 

 プラーナ結晶。

 

 その名を、スィラはもちろん知っていた。

 この惑星プラタマの文明を支える、奇跡のエネルギー源。

 フロートバイクがいまこうして宙に浮いているのも、街に明かりが灯るのも、全てはこの結晶のおかげだ。

 

 ラビリンス領域の強力なエネルギー奔流の中で、長い年月をかけて生成されるというその特殊な結晶体は、それ自体が莫大なエネルギーを内包している。

 発電所だけではなく、ベクトル推進コイルやフロート磁力コイルといった、この星の主要な動力機関は、このプラーナ結晶なくしては成り立たない。

 

「この島でも採れるのですか?」

 

 スィラの問いに、ジンは頷いた。

 

「ああ。ラビリンス領域から流れ着いたやつが、この辺の海底に堆積してるんだ。それを集めるのが、この島の漁業以外のもう一つの主な産業だな。まあ、中には一攫千金を夢見て、ラビリンスに直接乗り込んでいく『採掘屋』なんて命知らずもいるが」

 

 ジンは、廃工場を指差した。

 

「この工場は、そうやって採掘された原石から不純物を取り除いて、安定したエネルギーを供給できる規格品に加工するための施設だった。だが、セクターの中心部で、もっといい精製技術が開発されてな。こんな辺境の旧式設備じゃ、あっという間に時代遅れになったってわけさ」

 

 その言葉には、どこか寂しげな響きがあった。

 時代の流れに取り残された工場の姿が、いまの自分と重なって見えたのかもしれない。

 

「……ということは、大型の機材を運び込んだり、整備したりするのにも十分な広さがある、ということですわね?」

 

 スィラの目が、キラリと光った。

 その視線は、もはや単なる観光客のものではない。

 レースチームのオーナーとしての、鋭い観察眼がそこにはあった。

 

「それに、この場所……海に直接面しておりますのね。大型のフロート船を着岸させることもできそうですわ」

 

 入り江は波が穏やかで、確かに大型船の接岸も可能に見える。

 実際、加工したプラーナ結晶を運び出す際は、その方法がとられていた。

 

「おいおい、まさかここを……」

 

 ジンが言いかけると、スィラは人差し指を口に当て、悪戯っぽく微笑んだ。

 

「ふふふ、ジン様のチームのガレージとして、これほど素晴らしい場所はないかもしれませんわね」

 

「嬢ちゃんのチームだよ……」

 

 彼女の頭の中では、すでにこの廃工場を最新鋭のレースガレージへと改装する計画が、猛スピードで組み上がっているのかもしれない。

 その途方もない行動力に、ジンはもはや呆れるしかなかった。

 

 バイクは島の中心部へと戻っていく。

 そこには、小さな商店や、古びた公民館、そして子供たちの声が響く小さな学校があった。

 

「この島には、若い奴はあまりいないんだ。ほとんどが、俺みたいな中年か、じいさんばあさんばかりだ」

 

「ですが、皆さんとても穏やかで、親切そうですわ。わたくし、昨日ジン様のお母様にとてもよくしていただきました」

 

「……母さんは、ただ世話焼きなだけだ。あんまり調子に乗らせると、後が面倒だぞ」

 

 ジンは苦笑する。

 フミは、一度気に入った相手にはとことん世話を焼くタイプだが、そのお節介が時に暴走することもあった。

 

 島の南側には、比較的穏やかな砂浜が広がっている。

 そこでは、数人の子供たちが、ネートリトヴァの幼体と一緒に水遊びをしていた。

 一メートルほどのクラゲのような姿をしたネートリトヴァの幼体は、プカプカと海に浮かびながら、子供たちの遊び相手になっている。

 その光景は、汐凪島ではごくありふれた日常の一コマだった。

 

「ネートの方々とも、ここではとても自然に共存していらっしゃるのですね」

 

 スィラの言葉に、ジンは頷いた。

 

「ああ。この島じゃ、ネートは神様みたいなもんだからな。困ったことがあれば助けてくれるし、ラビリンス領域のことも、あの娘らがいなけりゃどうにもならないからな。まあ、セクターの中心部じゃ、もっとビジネスライクな関係らしいが」

 

 プラタマの社会において、ネートリトヴァの存在は絶対だ。

 

 彼女らの知恵と力なくして、人類の文明は成り立たない。

 しかし、この汐凪島のような辺境の地では、より原始的で、素朴な信仰に近い形で、ネートリトヴァとの関係が築かれている場所も存在した。

 

 フロートバイクは、やがて島の高台にある小さな展望台へとたどり着いた。

 そこからは、汐凪島全体と、その向こうに広がるラビリンス領域の入り口がぼんやりと見渡せる。

 

「ここが、この島で一番眺めのいい場所だ」

 

 ジンはバイクを止め、スィラと共に景色を眺めた。

 ラビリンス領域の空は、相変わらず複雑な色合いを見せ、その奥には得体の知れないエネルギーが渦巻いているのが感じられる。

 

「……美しいですわ。ですが、同時にとても恐ろしい場所でもあるのですね、ラビリンス領域というのは」

 

 スィラの呟きに、ジンは黙って頷いた。

 彼は、その恐ろしさをよく知っている。

 

 しばらくの間、二人は言葉もなく、ただ眼下に広がる景色を眺めていた。

 潮風が心地よく頬を撫で、遠くでカモメの鳴き声が響いている。

 昨日の気まずい別れが嘘のように、穏やかな時間が流れていた。

 

「ねえジン様? それでですね……」

 

「いーやーだー」

 

「もう、まだ何も言ってませんわ」

 

「言わなくてもわかるだろ……いいか? 昨日はさんざんいいように振り回されたが、俺は大人だ。嬢ちゃんの思い通りにはならん」

 

「あら? 大人でしたら子供の話は大きな心で、聞いてくださるものではないのですか?」

 

「なめるな嬢ちゃん、俺はレースでならどんな危険な状況でも冷静さを保てて最適解を選べるが、世間一般の常識とかは基本ダメダメだ。たぶんレースの世界にどっぷりだったせいか、社会で生きていくうえで、いちばん必要な部分が未熟なまま、この歳になってしまったせいだと思うんだが……同年代の人間と比べると、なんで自分はこんなに子供なんだって……なあ、やめないかこの話……」

 

 自分で言っておいて、なぜか自分でダメージを受けてしまっているジン。

 その姿に、すこし苦笑を浮かべながら、スィラは口を開く。

 

「ですがあえて言わせていただきます、ジン様、わたくしはあなたが──」

 

 スィラが何かを言いかけた瞬間、島中に設置された防災スピーカーから、けたたましい警告音が流れた。

 それは、島に設置されたラビリンス領域監視システムからの緊急警報。

 

「なんだ!?」

 

 ジンは慌てて防災スピーカーを見る。

 

『ラビリンス領域エネルギー異常増大。レベル3。付近の船舶及び航空機は直ちに安全な位置に退避してください。また、外に出ている住人は屋内、もしくは公民館のシェルターに避難してください。繰り返します──』

 

 レベル3のエネルギー異常。

 それは、ラビリンス領域に近いこの辺境のセルにとっても、滅多にない危険な状況だ。

 下手をすれば、ラビリンス領域のエネルギー奔流が、この島にまで及ぶ可能性もある。

 

「まずいな……嬢ちゃん、乗ってくれ!」

 

「は、はい!」

 

 ジンの言葉に、慌ててバイクにまたがるスィラ。

 

「しっかり掴まってろ! 急いで公民館のシェルターに行くからな!」

 

 緊張が走る。

 さっきまでののどかな雰囲気は一変し、遠くに見えるラビリンス領域は、まるで怒れる獣のように、不気味な唸りを上げ始めているように見えた。

 

 ジンはフロートバイクの推進コイルを起動させ、展望台を後にした。

 スィラは、黙ってジンの背中にしがみついている。

 彼女の小さな体からも、緊張感が伝わってきた。

 

 プラタマの空は、急速に暗雲が垂れ込め、不吉な色合いを深めていく。

 二人の短い島巡りは、思わぬ形で中断されることになった。

 

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