ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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04話:震える島

 

 防災スピーカーからの緊急警報が鳴り響く中、ジンはフロートバイクを走らせる。

 スィラは彼の背中にしっかりと抱きつき、吹き付ける強風に耐えている。

 展望台から公民館までは、普段なら十数分の距離だ。

 しかし、急速に荒れ狂い始めるプラタマの空の下では、その道のりがひどく長く感じられた。

 

「航路法則が変わったせいだな、クソッ……!」

 

 ジンは悪態をつきながら、巧みにバイクを操る。

 眼下の海面は、すでに不気味なうねりを見せ始め、ラビリンス領域から漏れ出すエネルギーの余波が、大気をビリビリと震わせている。

 

 緊急警報が伝えてくるように、この状況で外にいるのは危険だ。

 

 レベル3のエネルギー異常の状況下では、なにが起こっても不思議ではない。

 ラビリンス領域から、何が飛んでくるのか予測できないからだ。

 それこそ、島の北側の地形をつくった天変地異のような現象が、起こる可能性もある。

 

 一刻も早く、安全な場所に避難しなければ。

 

 そんな焦りを抱え、公民館へと続く最後の下り坂に差し掛かったその時だった。

 道の脇の茂みから、半透明の、クラゲのような物体がふわりと浮かび上がり、ジンの進路を塞ぐようにして現れた。

 大きさは1メートルほど。ネートリトヴァの幼体だ。

 

「危なッ!」

 

 ジンは咄嗟に急ブレーキをかけ、バイクを横滑りさせるようにして停止させた。

 浮遊コイルが空間をつかむ余波が地面を擦り、土煙が舞い上がる。

 

『ジン、ジン!』

 

 幼体のネートは、空気を震わせる独特の声で、必死にジンの名前を呼んでいた。

 その声には、明らかに焦りと不安の色が滲んでいる。

 

「どうした! こんな時に、こんな場所で何してる!」

 

 ジンが怒鳴るように問いかけると、ネートは震える声で答えた。

 

『こども、こどもが……! いっしょにあそんでたこどもたちが、なみにさらわれて……!』

 

「何だと!?」

 

 ジンは息を呑んだ。この天候だ。子供が海に流されたとなれば、命に関わる。

 

『がんばって、たすけた。でも、ひとり、たりない……! うきわをもってるはずだから、まだどこかでうかんでる。ジン、たすけて!』

 

 ネートの幼体は、青年期のネートに比べてあらゆる能力が低い。

 特に、水中での素早い動きや、長距離の探索は苦手としていた。

 彼女なりに必死で救助活動を行ったのだろうが、一人だけ見つけられなかったようだ。

 

 ジンは一瞬逡巡したが、その迷いはすぐに消えた。

 見過ごすことなど、できるはずがない。

 

「嬢ちゃん、降りろ」

 

 ジンは、後ろに乗っていたスィラに短く告げた。

 そして、幼体のネートに向き直る。

 

「おい、お前が乗れ。俺が探してやる。このバイクなら海の上も走れるからな」

 

『ッ! ほんと、ジン!?』

 

 ネートの半透明の身体が、喜びでぱっと明るくなったように見えた。

 

「ただし、俺の思考は読むなよ。勝手に頭ん中を覗くんじゃねぇぞ」

 

 ジンは念を押すように注意した。

 ネートは、触れることで相手の思考を読み取る能力を持つ。

 それは時に便利だが、無遠慮な詮索は不快でしかない。

 

『だめ?』

 

 ネートは、純粋な疑問を込めて聞き返した。

 彼女たちにとって、同族の思考を読むことは挨拶をするのと同じくらい自然な行為なのだ。

 

「ダメだ。その辺のマナーは、神殿で教えてもらっただろうが」

 

 ジンが少し厳しい口調で言うと、ネートは『……うん』と、少しだけシュンとして、その身体を小さくした。

 

 ネートは、フワフワと浮き上がり、ジンの肩に小さな触手を絡ませるようにしてしがみついた。

 

「わたくしも、お供いたしますわ!」

 

 その時、バイクから降りたスィラが、決意を込めた表情で言った。

 

「ダメだ、嬢ちゃんは避難しろ。ここをまっすぐ行けば、公民館がある。そこでこの騒ぎが収まるまで待ってろ」

 

 ジンは、即座にそれを否定する。

 

「なぜですの!? わたくしにも、なにかお手伝いできることがあるはずですわ! ジン様のお邪魔にはなりません!」

 

 スィラは食い下がる。

 彼女の瞳には、自分もこの危機に立ち向かいたいという強い意志が宿っていた。

 

「理由は色々あるが、一番はこれだ」

 

 ジンは、肩にしがみつくネートを指差した。

 

「子供を救助した後、そいつをどこに乗せる? 三人乗りは無理だ。嬢ちゃんがいたら、助けられる命も助けられなくなるかもしれねぇんだぞ」

 

「あっ……」

 

 その単純明快な理由に、スィラは言葉を失った。

 確かに、この二人乗りのフロートバイクでは、救助した子供を乗せるスペースはない。

 自分が同行することは、足手まといになるだけだ。

 

 悔しそうに唇を噛むスィラに、ジンは続けた。

 

「だが……できれば頼みたいことある」

 

「……頼みたいこと?」

 

「ああ。今頃、港には警報を聞いた漁船が、大急ぎで戻ってきてるはずだ。その船を見つけて、このことを伝えてくれ。子供が一人、波にさらわれたって。そしたら港のみんなが船を出してくれるはずだ。頼めるか?」

 

 その言葉に、スィラの顔がパッと明るくなった。

 自分にも役目がある。その事実が、彼女に新たな活力を与えた。

 

「はいっ! 承知いたしましたわ、ジン様! 必ずや、応援を!」

 

 スィラは力強く頷くと、踵を返し、港へと全力で走り出した。

 その小さな背中は、先ほどまでの悔しさなど微塵も感じさせない、頼もしいものだった。

 

 ジンは、その背中を僅かな時間だけ見送ると、すぐにネートに向き直った。

 

「おい、最後に子供を見失ったのはどの辺だ?」

 

『あっち、あっちの、いわがいっぱいあるほう……!』

 

 ネートが指し示す方向──島の北側に広がる、複雑な岩礁地帯へと、ジンはフロートバイクを急発進させた。

 

 ラビリンス領域から吹き付ける風は、ますます勢いを増し、海は荒れ狂っていた。

 時折、エネルギーの余波が稲妻のように空を走り、大気を震わせる。

 こんな状況で、小さな子供が浮き輪一つで耐えられる時間は、決して長くはない。

 

「スミレさんに連絡は!?」

 

『だめ、うまくつたわらない!!』

 

 幼体のネートだったとしても、共有思念網(コモン・マインド)を通じて、島にいる青年期の同胞に助けを求めることはできる。

 だが、ラビリンス領域から発せられる強力なエネルギーの奔流が、そのか細い思念の声をかき消してしまっていた。

 

「まいったね……」

 

 ジンは、ブレーダーとして培った全ての感覚を研ぎ澄ませ、荒波の中を突き進む。

 肩にしがみつくネートが、時折『あっち!』『こっち!』と、子供の気配がする方向を指し示す。

 そのナビゲートは、まだ未熟で稚拙だが、それでも闇雲に探すよりはずっとましだった。

 

 数分後、ネートが甲高い声を上げた。

 

『いた! あそこ、ジン! あのいわのところ!』

 

 ネートが指差す先、巨大な岩礁の陰に、辛うじてしがみついている小さな人影が見えた。

 オレンジ色の浮き輪が、荒波の中でかろうじてその存在を示している。

 

「よりによってあんなところにッ!?」

 

 しかし、問題はここからだった。

 岩礁地帯は、ただでさえ航行が難しい。

 

 それに加え、不規則に打ち付ける高波と強風、ラビリンス領域から飛んでくるエネルギー波の余波が、海面を極めて不安定な状態にしていた。

 

「でもまぁ……行くしかねぇよな。あーちくしょう、もう、行くしかねえよな……」

 

 ジンは祈るように呟くと、アクセルを巧みにコントロールし、バイクの姿勢を低く保ちながら、岩礁地帯へと突入した。

 波の頂点を滑るように駆け抜け、岩との衝突をミリ単位で回避する。

 それは、もはや曲芸の域に達したライディングテクニックだった。

 

 バイクは慎重に波と岩を避けながら、子供がしがみついている岩のすぐ側まで接近する。

 

「おい、坊主! 大丈夫か!」

 

 ジンが叫ぶと、子供はか細い声で「……うぅ」と呻いた。

 まだ意識はあるようだ。

 

「やれるか!」

 

『うん!』

 

 ジンの合図と共に、ネートの幼体はその流動体の身体の一部を、まるで腕のように長く伸ばす。

 その触手は、巧みに子供の身体を包み込み、そっと岩から引き剥がすと、バイクの後部座席へと優しく乗せた。

 

 子供は、全身ずぶ濡れで、唇は紫色になっている。

 体温がかなり低下しているようだ。

 息も絶え絶えだが、その胸は確かに上下している。

 

「よく頑張ったな、坊主。もう大丈夫だ」

 

 ジンは、子供の頭を優しく撫でてやると、すぐにバイクの機首を港へと向けた。

 一刻も早く、この危険な海域を離脱しなければならない。

 

 しかし――

 

 しばらくバイクを走らせ、港がようやく見えてきた、まさにその瞬間。

 上空で、ひときわ強い光が迸った。

 ラビリンス領域のエネルギーが、局所的に凝縮し、暴発したのだ。

 

「やばッ……!」

 

 ジンが叫ぶ間もなく、凄まじい衝撃波が、斜め上から彼らを襲った。

 

 とっさに幼体のネートが、その身を挺するようにして、ジンの前に超能力による障壁を展開する。

 しかし、至近距離からのエネルギー奔流は、そのささやかな抵抗をいとも簡単に打ち砕いた。

 

 衝撃でフロートバイクはバランスを失い、大きく傾く。

 ジンと子供は、なすすべもなく、荒れ狂う海へと投げ出された。

 

 ラビリンス領域から流れ込んだ冷たい海水が、一気に体温を奪っていく。

 ジンは、意識が遠のきそうになるのを必死でこらえながら、腕の中にいる子供を強く抱きしめる。

 

 海面に浮かび上がると、すぐそばに宙に浮かんでいるネートの姿があった。

 彼女もまた、衝撃でバイクから投げ出されたようだ。

 

「この子を……!」

 

 ジンは、必死で子供の身体を水面から掲げながら叫んだ。

 

「この子だけなら、お前でも運べるだろう! この子を港まで……!」

 

『ッ! うん、わかった!』

 

 ネートは、すぐにジンの意図を理解し、再び触手を伸ばして子供の身体を受け取った。

 しかし、一本の触手をジンに向かって伸ばし、彼の腕に絡みつけようとする。

 

「な!? バカ! 俺まで運べるわけねぇだろう! このままじゃ、全員沈んじまうぞ!」

 

『いや、ジン、だめ! いっしょに!』

 

 幼体のネートに、子供と成人男性の二人を抱えて、この荒波の中を航行する力はない。

 

「いいから、行け! 俺のことはいい! いい子だから、な?」

 

 ジンは、諭すように言う。

 しかし、ネートは頑としてジンを離そうとしない。

 

『ダメ、ジン、いや! いやだ!』

 

 その声には、悲鳴のようなものが浮かんでいるように聞こえた。

 純粋で、頑固な優しさが、この絶望的な状況で、彼ら全員を危険に晒そうとしている。

 

(まずいな……このままじゃ……)

 

 冷たい海の底、沈む、みんな、沈んでしまう。

 

 それだけは、避けなければ、それだけは。

 

 ジンの視界の端に、あのブレーダーの幻影がちらつく。

 まるで、そちら側にいざなわれているようで、悪寒が背骨を這い上がる。

 

(連れて行くならおれ一人にしやがれッ!)

 

 必死に足掻くが、冷たい液体が肺に染み込み、外部と内部の区別が曖昧になっていく。

 心臓の鼓動が弱くなっていく、身体の構造そのものが冷えていくような感覚。

 一刻を争う状況のプレッシャーのせか、ジンの意識が次第に混濁していく。

 

 その時だった。

 

「ジン様───ッ!!!」

 

 遠くから少女の叫び声が響く。

 

 ジンが、おぼろげな視線を向けると、そこには、荒波をかき分けるようにして突き進んでくる一隻の漁船。

 船体には、見慣れた「カミシロ丸」の文字。

 

 そして、その船の先端には、ずぶ濡れのスィラが立ち、必死の形相でこちらを指差しながら、なにかを叫んでいる。

 

(来てくれた……のか?)

 

 希望の灯がジンの身体にともり、意識をかろうじて保たせる。

 

 大型の漁船であるカミシロ丸は、ジンたちの少し手前で停船した。

 このまま突き進めば、船体がジンたちに当たって、大けがを負わせてしまう可能性が高い。

 

 ジンたちの姿を確認した船員たちは思案する。

 この高波の中、この距離から、どう救助を行うか。

 浮き輪を投げる、救命ボートを下ろす、ネートの幼体と連携する。

 時間がない、ジンはいまにも沈みそうだ。

 様々な手段が、船員たちの頭の中で浮かび、検討される。

 

 だが、その答えを誰よりも早く出したのは、予想もしない人物だった。

 

 船主から甲板中央に移動したスィラは、おもむろに自分の腹にロープを巻きつける。

 そしてロープの端を船員に握らせると、ためらうことなく、荒れ狂う海へと飛び込んだ。

 

「おい、馬鹿! なにやってんだ! あああっ!?」

 

 船員の制止は、届かなかった。あるいは、最初から意味を持たなかった。

 スィラは、人間離れした驚異的な泳力で、あっという間にジンの元へとたどり着くと、その小さな身体で、がしっと彼を抱きしめた。

 

 一歩間違えれば、自分も命を落としかねない、あまりにも危険な行為。

 それを、彼女はなんのためらいもなくやってのけたのだ。

 ジンは、驚きと、そしてなにか得体の知れない感情に、言葉を失った。

 

「捕まえましたわ♪」

 

 腕の中で、スィラは楽しそうに笑った。

 その笑顔は、この状況において、あまりにも場違いで、そして、あまりにも眩しかった。

 

 ネートの幼体はジンが大丈夫そうなのを確認したあと、子供をカミシロ丸へと引き渡す。

 そしてジンとスィラは、駆けつけたジンの父親とその仲間たちによって、荒れ狂う海から引き上げられたのだった。

 

 船の甲板に倒れ込み、激しく咳き込みながら、ジンはスィラの顔を見る。

 彼女もまた、ずぶ濡れで息を切らしていたが、その表情は、確かな喜びに満ちて輝いていた。

 

「無事でよかった……」

 

 そうつぶやきながら、スィラはそっとジンの頬に触れ、優しく撫でる。

 

 細くて繊細な、固い氷のような感触の指。

 どちらの体温も下がりきっているので、そう感じるのだろうか。

 

 だがその手つきは、柔らかく、慈愛にあふれていた。

 ジンの弱さ全てを受け入れ、優しく愛おしむように。

 

 スィラに触れられると―――

 

 ジンはなぜだか心が安らぐように感じた。

 疲れだけでなく、自身が抱えている様々な負の感情が、ゆっくりと溶けていくような錯覚を覚える。

 

 そんなジンの心境を知ってか知らずか、彼をじっと見つめているスィラ。

 彼女の瞳の色は、とても深い緑を湛えている。

 

 この眼は、なにを通ってきたのか。

 どんな世界を、どれだけ見たら、こんな色になる?

 

 無意識にジンはスィラから顔をそむけた。

 

 この少女は、一体何者なのだろう。

 ジンは、ふらつく意識の中で、ただそれだけを考えていた。

  

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