ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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05話:己を知る者の為

 

 そうなるだろうな、という予感はあった。

 

 それは、つい数ヶ月前の光景。

 直近まで所属していたベータリーグの中堅チーム「ブルー・ゲイル」のガレージで、ジンはチーム代表と向き合っていた。

 周囲には、解体途中のベータブレードや、オイルの匂いが漂っている。

 

『……というわけで、ジン。残念だが、今期限りで契約は打ち切りだ』

 

 チーム代表の言葉は、非情なほどに淡々としていた。

 ジンは、特に驚きもせず、ただ黙ってその言葉を受け止める。

 

『お前の腕は確かだ。それは誰もが認めている。だがな……』

 

 チーム代表は、苛立たしげにテーブルを指で叩いた。

 

『お前には、勝利への意欲が感じられん。レースは、ただ速く走ればいいというものじゃない。勝つことへの渇望、トップを奪い取るという執念。それがあって初めて、チームも、スポンサーも、ファンも熱狂するんだ』

 

 チーム代表の言葉は、正論だった。

 レースは、ビジネスだ。

 そして、ビジネスには結果が求められる。

 魅了する走りが、そして勝利という、最も分かりやすい結果が。

 

『俺たちは、お前に何度もチャンスを与えた。エースとして走る機会も、自由に攻める許可も出した。だが、お前は結局、あと一歩のところで勝ちきれない。いや、勝ちにいこうとしない。そんなブレーダーは、うちのチームには必要ない』

 

 その言葉は、本心ではなかったのかもしれない。

 ただ、彼の不甲斐なさに業を煮やし、発破をかけようとしただけだったのかもしれない。

 もっと食い下がってこい、と。お前の本気を見せてみろ、と。

 

『俺たちは今期もラビリンスパレードに参加する。わかってるようでわかってないんだろうが、薄皮一枚の覚悟が生死を分ける危険な場所だ。そこにお前みたいなのを連れて行ける余裕はない。訓練所を出たてのブレーダーの方がまだ覚悟がある。いくら“調整”に優れてるからといっても、そんな奴を置いておく余裕はうちには無い』

 

 ジンにはそれが、チーム代表なりに自分のことを気遣っての言葉だとわかった。

 

 悪いチームじゃなかった。

 スタッフや同僚のブレーダーたちともそれなりにうまくやれてたと思う。

 

『どうした、なにか言い返してみろ?』

 

 だが、ジンは、なにも言わなかった。

 ただ、静かに頷き、こう答えただけだった。

 

『いえ、その通りかもしれません』

 

 心には、怒りも、憤りも、悲しみさえもなかった。

 ただ、どうしようもない虚しさが、凪いだ水面のように広がっているだけ。

 そして、その虚しさは、自分自身に向けられたものだということを、彼はどこかで理解していた。

 

 勝利への意欲。

 

 どうしても自分には、それを持つことができなかった。

 勝利というものに、命を賭けなければならないほどの価値を、見いだせなかった。

 

 あのブレーダーの幻影のせい……いや。

 もしかしたら生まれる前に、ラビリンス領域の深淵にでも置いてきたのかもしれない。

 

『お世話になりました』

 

 チーム代表に一礼し、ジンは静かに部屋を出た。

 ドアが閉まる音だけが、やけに重く響く。

 慣れ親しんだガレージを抜け、出口へ向かって歩き出した、その時だった。

 背後から、硬質な床を叩くブーツの音と、鋭い声が飛んでくる。

 

『待ちやがれ、ジン!』

 

 振り返ると、そこには腕を組んで仁王立ちする同僚の姿があった。

 チームのエースを張るサラだ。

 

 汗で濡れたブロンドのポニーテールが、彼女の気の強さを象徴するように、ぴんと跳ねている。

 

『……なんの話か、聞こえてたぞ』

 

 サラは吐き捨てるように言った。

 その視線は、獲物を射抜くように鋭い。

 

『あっさり認めんな、腑抜けが。アンタが抜けたら、誰が私のブレードを磨くんだ?』

 

 いつもの、素直じゃない物言いだった。

 だが、ジンはなにも答えず、ただ彼女を見つめた。

 その沈黙に苛立ったように、サラは一歩踏み出す。

 

『……いまならまだ間に合う。私が一緒に頭を下げてやる。チーム代表に考え直せって言ってやるから!』

 

『サラ』

 

 ジンは静かに彼女の名前を呼んだ。

 

『次に入ってくるブレーダーが、お前の素直じゃないところを理解してくれる、懐の深いやつとは限らんから気をつけろよ。お前の方が先輩になるんだからな、なるべくやさしくしてやれ』

 

『ッ!? ふざけんな!!』

 

 ジンの軽口にカッとなって詰め寄るサラをなだめるように、落ち着いた声で話を続けるジン。

 

『そのカッとなるところも直した方がいいかもな。いや、それが持ち味でもあるか……まあどんな相手が入ってこようと、サラがいれば来年もリーグ優勝できるだろ』

 

『そんなわけあるか! 二ヶ月前の第7セクターレースの最終戦、忘れたとは言わせないぞ! アンタのブロックがなきゃ、私は負けてた! アンタのおかげで勝てたレースだ、アンタのおかげでとれたセクター制覇だッ!!』

 

 第7セクターにおける、ベータリーグでの優勝。

 それは彼女にとって、そしてチームにとっても大きな栄光だった。

 だが、彼女が言いたいのは、そんな表面的なことではない。

 ジンにはそれが痛いほど分かった。

 

『……アンタとなら、ラビリンスパレードだって制覇できるって言ってんだよ』

 

 声が、少しだけ震えていた。

 強気な仮面が剥がれ落ち、懇願するような響きが混じる。

 

『だから、いなくなるなよ……』

 

 必死な声だった。

 しかし、ジンの瞳に宿る光は、凪いだ水面のように揺るがない。

 彼は小さく首を横に振った。

 

『もう、いいんだ』

 

『なにがいいんだよ! なにも良くないだろ!』

 

『……ありがとう、サラ。世話になったな』

 

 ジンはサラに背を向け、再び歩き出す。

 サラにはもう、引き留める言葉は出てこない。

 諦めと怒りがごちゃ混ぜになった表情で、ただその背中を見つめることしかできなかった。

 

 一歩、また一歩と遠ざかっていく広い背中。

 その背中に向かって、サラはありったけの声を張り上げた。

 

『バカヤローッ!!』

 

 罵声は、オイルの匂いが染みついたガレージに虚しく響き渡った。

 

 ジンは、一度も振り返らなかった。

 

 

 

 ハッと意識が浮上する。

 

 ジンは、自分の部屋のベッドの上で、汗びっしょりになって目を覚ました。

 外は、静まり返った夜。

 窓から差し込む星の明かりが、部屋の隅をぼんやりと照らしている。

 壁にかけられた時計の針は、深夜の二時を指していた。

 

 昼間の救助劇と、その後の疲労が、彼を深い眠りへと引きずり込んでいたらしい。

 

(生きてる……か)

 

 暗闇の中にうっすらと浮かんでいる幻影が、変わらずこちらを見ていた。

 昔はたまに現れる程度だったが、チームをやめてからは、毎日のように現れる。

 

「……残念だったな」

 

 そう吐き捨てて、喉が、カラカラに渇いていることに気がつく。

 ジンは、寝ているかもしれない両親を起こさないように、そっとベッドを抜け出し、音を立てないように部屋を出た。

 

 居間を通り抜け、縁側へ向かう。

 冷たい水でも一杯飲もうと思ったのだ。

 しかし、その縁側に、意外な人影があった。

 

 星空の光を浴びて、一人の男が静かに座り、夜空を見上げている。

 

「……父さん」

 

 ジンが声をかけると、男はゆっくりとこちらを振り返った。

 ジンの父親、ヤギュウ・カミシロ。

 その姿は、この汐凪島の中でも、一際異彩を放っていた。

 

 角ばった厳つい顔、その両目は、うっすらと向こうが透ける黒い布で覆われている。

 髪型は、鮮やかなオレンジ色のモヒカン。

 常に脱力の極致にあるかのような自然体で、腰には、魚を解体するためのものだという、六十センチほどの細く長い包丁を差している。

 その佇まいは、まるで、人類がこの星に来る遥か昔、テラのどこかのコロニーで「侍」と呼ばれた者たちのようだった。

 

 目に布を巻いているのは、伊達や酔狂ではない。

 彼の両目は、特異体質により、常人とは比較にならないほど「良すぎる」のだという。

 あまりにも多くの情報が流れ込んでくるため、普段はこうして布で視界を制限しているのだと、昔聞かされたことがあった。

 

 ジンは、父親の隣に、どかりと腰を下ろした。

 ヤギュウは、なにも言わず、ただ再び夜空へと視線を戻す。

 

 しばらくの間、二人の間に会話はなかった。

 ただ、夜光虫が放つ微かな光を反射する波の音と、遠くで鳴く夜鳥の声だけが、静寂を優しく満たしている。

 

「……昼間は、助かったよ。ありがとう」

 

 ジンは、ぽつりと礼を言った。

 

「うむ」

 

 ヤギュウは、短い言葉で返すだけ。

 だが、その一言に、労いと安堵の念が込められているのが、ジンには分かった。

 

 ジンも、父親と同じように、ぼーっと夜空を見上げる。

 プラタマの夜空には、衛星がない。

 その代わり、ラビリンス領域から漏れ出す微弱なエネルギーが、まるで天の川のように、無数の光の帯となって空を彩っていた。

 それは、この星でしか見ることのできない、幻想的な光景だった。

 

「……そういえば、嬢ちゃんは……あのチッコイ銀髪の子は、大丈夫だったのか?」

 

 ジンは、思い出したように尋ねた。

 あの後、ジンはあとのことを父親たちに任せ、ふらつきながら家に戻った。

 そのため、スィラがどうなったのか、気になっていたのだ。

 

「問題ない」

 

 ヤギュウは、静かに答えた。

 

「胆力のある、強き少女だ」

 

 珍しい。

 この父親が、誰かを褒めることなど、滅多にない。

 あの無謀とも思えるスィラの行動は、この父親の目にすら、確かなものとして映ったらしい。

 

「それに面白い目をしておった……思考や受け答えも、おおよそあの年齢とは思えぬほどしっかりとしている。さぞ厳しい教育を受けてきたのであろう」

 

「……だよな」

 

 ジンは、少しだけ誇らしいような、それでいて困ったような、複雑な気分で呟いた。

 

「あの子な、若いのに自分のレースチーム立ち上げて、俺をスカウトするために、この島に来たんだとさ。とんでもねえ嬢ちゃんだよ、まったく」

 

 ジンは、誰に言うでもなく、そう零した。

 ヤギュウは、相変わらず無言だ。

 しかし、その全身で、ジンの言葉の続きを静かに待っているのが分かった。

 

「俺が欲しいんだってさ。俺じゃなきゃダメだって。俺しかいないって……ぐいぐいくる感じでさ」

 

 ジンは、昼間のスィラの姿を思い出し、苦笑する。

 あの真っ直ぐすぎる瞳。

 自分の全てを賭けてでも、なにかを成し遂げようとする、あの危ういほどの覚悟。

 

「もっと他に、いいブレーダーもいるだろうしな。あんまり若い子の人生に、深く関わるつもりもねぇから……だから、断るつもりだったんだ。昨日も、今日も……」

 

 言葉にしながら、ジンは自分の考えを整理しようとしていた。

 なぜ、自分は彼女の申し出を断るのか。

 過去のトラウマか。自信のなさか。それとも、ただ面倒なことに関わりたくないだけなのか。

 

 だが、どれも違うような気がした。

 本当の理由は、もっと別のところにあるような……。

 

 考えれば考えるほど、頭の中が混乱してくる。

 理論や理屈では、もう答えは出ない。

 

 だから、ジンは、自分の感情に従って、答えを出すことにした。

 

「……でも、借りができちまったからさ。話くらいは聞いてやろうかと思うんだわ」

 

 昼間の、あの光景。

 荒れ狂う海の中で、自分と、そして見ず知らずの子供のために、命を賭けてくれた少女の姿。

 

 あれは、ただのスカウトのためのパフォーマンスではない。

 彼女は、本気で自分を助けようとしてくれた。

 そして、自分は、彼女に助けられた。

 

 その事実は、どんな理屈よりも重い。

 ジンは、心の中でそう結論付けた。

 

 しばしの沈黙が、二人の間に流れる。

 

 やがて、ヤギュウの肩が、微かに震え始めた。

 

「……く、くくく……」

 

 抑えきれないといった様子で、笑いが漏れ出す。

 それは、ジンが今までの人生で、一度見たか、あるいは見たことすらないかもしれない、父親の心からの笑いだった。

 

「な、なんだよ……」

 

 ジンは、バツが悪そうに頭を掻いた。

 自分の真剣な決意が、笑いの対象にされたようで、少しだけむず痒い。

 

 ヤギュウは、すぐに何事もなかったかのように、スッといつもの無表情に戻った。

 そして、静かに口を開く。

 

「士は己を知る者の為に死す」

 

「……は?」

 

 聞き慣れない言葉に、ジンは疑問符を浮かべた。

 

「遥か過去、我らがこの星に来る前……故郷の星、そのまた故郷の(コロニー)で使われていた言葉よ」

 

 ヤギュウは、夜空を見上げたまま、静かにその意味を説いた。

 

「自分の真の価値を理解し、全幅の信頼を置いて物事を任せてくれる人物。そういった者のためにこそ、己の(じんせい)を賭せ……といった意味だ」

 

 己の(じんせい)を賭せ。

 

 その言葉が、ジンの胸に深く突き刺さった。

 

 ──『わたくしは、レースでジン様の走りを見て、確信いたしました。あなた様こそ、この星で最高のブレーダーです』

 

 ──『他の人なんて、いりません。わたくしには、あなた様がいいのです。あなた様でなければ、ダメなのです!』

 

 ジンの脳裏に、スィラの真剣な眼差しが、鮮やかに蘇る。

 

 彼女は、自分の真の価値を、自分以上に信じてくれているのかもしれない。

 

「……父さんは、俺がもしもまたレースに出るっていったら……どう思う?」

 

「好きにせよ」

 

 ヤギュウは、ポンと、ジンの背中を軽く叩いた。

 

「必要とあらば、我も力を貸そう」

 

 その言葉は、多くを語らずとも、ジンの決意を認め、そして応援するという、父親からの力強いメッセージだった。

 

 ジンは、なにも言わなかった。

 ただ、軽く頭を下げ、その大きな背中に、感謝の意を示した。

 

 夜は、まだ明けない。

 しかし、ジンの内側で何かが確かに瞬いていた。

 

 それは、スィラという少女が灯した、小さな、しかし消えることのない炎だった。

 

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