ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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06話:結成日

 

 夜が明け、汐凪島の港に活気が戻り始める頃、ジンはすでに家を出ていた。

 その足取りには、昨日までの迷いはなく、確かな目的意識が宿っている。

 向かう先は、スィラが滞在しているであろう、島で唯一の小さな旅館だ。

 

 昨夜、父親と交わした言葉が、彼の心を決めていた。

 自分の価値を信じ、全てを賭けてまで自分を必要としてくれる少女。

 

 そんな彼女の夢の手伝いをしてみるのも悪くない……そう、ジンは思ったのだ。

 

 旅館へ向かう途中、村の小さな交差点に差し掛かったとき、ジンは異様な光景に足を止めた。

 早朝だというのに、そこにはすでに人だかりができていたのだ。

 島民たちが、なにかを取り囲むようにして、興奮した様子で騒いでいる。

 

「おい、一体何があったんだ?」

 

 ジンが近くにいた漁師に尋ねると、漁師は興奮した面持ちで答えた。

 

「ジン坊か、見てみろよあれを! まさか、この島にこんなもんができるなんて、夢にも思わなかったぜ!」

 

 漁師が指差す先を見て、ジンは絶句した。

 

 そこは、以前は空き家だったはずの、古びた二階建ての建物だった。

 しかし、その二階部分の壁には、真新しい横断幕が掲げられていたのだ。

 

 その横断幕には、刷毛で直接書き込んだと思われる美しい文字で、こう書かれていた。

 

【レースチーム エメラルド・アイ 本拠地】

 

「……嘘だろ」

 

 ジンは、自分の目を疑った。

 エメラルド・アイ、スィラが言っていたチーム名。

 

 このタイミングで、こんな場所にレースチームの本拠地?

 

 彼の驚きは、ただチームができたということに対してだけではなかった。

 この汐凪島で、外部の人間が土地を手に入れ、拠点を構えること。

 それは、常識的に考えて、あり得ないことだったからだ。

 

 汐凪島に観光で訪れるのは簡単だが、定住となると、そのハードルは相当に高くなる。

 なぜなら、この汐凪島の土地は、その全てがネートリトヴァの所有物だからだ。

 人類は、あくまでその土地を借りて住まわせてもらっているに過ぎない。

 

 その理由は、この島がネートリトヴァにとって、極めて重要な『繁殖地』の一つだからだ。

 成熟期のネートリトヴァが新たな幼体を産み出す、神聖な場所。

 彼女たちは、人類がいなくても困らない。

 むしろ、いない方が静かで良いとさえ思っているかもしれない。

 ただ、いるとそれはそれで賑やかで寂しくない、という程度の認識なのだ。

 

 とくにプラーナ結晶の工場設立の失敗からは、その手の審査は相当に厳しくなった面がある。

 そんな場所に、よそ者が、しかもレースチームのような騒がしい団体が、移住の許可を得て家を借りることなど、本来は不可能なはずだった。

 

 一体、誰が許可を出したんだ……? ジンが心の中でそう思った、その時だった。

 

『ウチが許可したんどす』

 

 脳内に、直接響くような、涼やかでいてどこか艶のある声。

 

 ジンは、びくっとして振り返る。

 そこには、いつの間にか翡翠色の髪の女性が立っていた。

 人間離れした、としか言いようのない絶世の美貌。

 しなやかな身体を、伝統的な着物をアレンジしたような優雅な衣装で包んでいる。

 人間と唯一違うのは、僅かに尖った耳と、髪の間から覗く、繊細な触角のような一対の器官だけ。

 

 人間離れしたとかじゃなく、実際に人類ではない。

 ネートリトヴァの、それも青年期の個体だ。

 

 ネートたちはどんな姿にも変化できるが、人類との共生にあたり、種族的なアイデンティティーもあって目麗しい女性の姿をとることが多い。

 だが、人類ではないと判別できるように、人間とは違う耳の形と、共有思念網への接続を補助するための触覚を生やしているのが一般的だ。

 

 ジンが驚愕に目を見開いていると、そのネートは、いつの間にかジンの手に触れていた。

 ひんやりとした、不思議な感触。

 そして、彼女はくすりと笑った。

 

「ちょ、心読まないで下さいよ、スミレさん!」

 

 ジンは、慌ててその手を振り払った。

 彼女は、この汐凪島にいるネートリトヴァたちのまとめ役であり、このセルの実質的なトップでもある、スミレという名のネートだった。

 

『いやどすわぁ、子供やあるまいし、そんなマナーの無いことしやしまへん。ジンさんがなに考えてはるかなんて、顔見たらわかりますわぁ。それに、だったとしてもつれないどすなぁ、ジンさん。ウチとあんさんの仲やないですか』

 

 スミレは、スリスリと甘えるようにジンに擦り寄ってくる。

 その仕草は、彼女の荘厳な美貌とは裏腹に、妙に人間臭くて親しみやすい。

 

「仲とかそういう問題じゃなくて!」

 

 ジンは、後ずさりしながら距離を取る。

 スミレは、ばっと離れたジンに、少しだけ名残惜しそうな表情を浮かべたが、すぐにスッと表情を切り替え、業務モードに入った。

 

『まあ、冗談はさておき……昨日は、うちの子がお世話になりました。お礼を申し上げます』

 

 その声には、先ほどまでの砕けた雰囲気はなく、このセルを統べる者としての威厳が感じられた。

 

「ああ……」ジンは、ようやく昨日の出来事を思い出した。

 

「キキョウ様の、628番目の子でしたか。こっちも、あの子に助けられましたんで」

 

 ネートの幼体は、成熟期の個体から産み出される。

 彼らには、青年期になるまで固有名は与えられず、産みの親である成熟体のネートの名前と番号で呼ばれるのが常だった。

 ジンが、膨大な数の幼体の中から、昨日助けた個体を正確に識別したことに、スミレは僅かに目を細めた。

 

『……そういうとこやわぁ』

 

 スミレは、ボソッと何かを呟いたが、ジンには聞こえなかった。

 彼女は、コホンと一つ咳払いをすると、話を本題に戻す。

 

『あの子を助けていただいた恩もありますし、なにより、あの人間のお嬢さんが、それはもう熱心に頼み込んできはりましたので。あなた様を口説き落とすためなら、どんなことでもすると。そこまで言われては、ウチとしても無下にはできまへん。しぶしぶ、しぶしーぶ許可を出したんどす』

 

 しぶしぶ、ねぇ。

 ジンは、スミレの言葉を鵜呑みにはしなかった。

 

「しぶしぶ許可したって顔じゃないですよ、スミレさん。なんか、楽しんでません?」

 

 無表情なはずのネートの顔から、ジンは微細な感情の変化を読み取っていた。

 それは、長年この島で彼女たちと付き合ってきたからこそ可能な、特殊なスキルだった。

 

 スミレは、図星を突かれたのか、わずかに触角を揺らす。

 

『ほ、ほほほ、なにを言わはるんどすか。ウチは、ただ契約に従ったまで。それでは、仕事がありますので、これで失礼しますえ』

 

 スミレは、優雅に袖を翻すと、人混みの中へとすっと消えていった。

 その去り際は、まるで幻のように、掴みどころがない。

 

(……やっぱり、面白がってるな、あの人)

 

 ジンは、頭を抱えたくなった。

 どうやら、この島のトップであるネートまでもが、スィラの計画に一枚噛んでいるらしい。

 もはや、逃げ道は完全に塞がれたと言っていい、まあ逃げる気はなかったが。

 

 呆然と立ち尽くすジンの耳に、再びあの明るい声が届いた。

 

「ジン様ー! おはようございます! 我がチームの本拠地へようこそ!」

 

 見上げると、建物の二階の窓から、スィラがひょっこりと顔を出し、満面の笑みで手を振っていた。

 

 その瞬間、広場に集まっていた島民たちの興奮は最高潮に達し、一斉にどよめいた。

 

「おい、あの娘、スィラちゃんじゃないか!?」

「スィラっておとといの晩、かもめで大食い記録更新したスィラちゃん?」

「ヤマシロのせがれを助けてくれた子だっけ?」

「ってことは、あのチーム、スィラちゃんのチームなのか!?」

「しかも、ジン坊の名前を呼んでたぞ! まさか、ジン坊もあのチームに!?」

「この汐凪島に、レースチームができるなんて……マジかよ!?」

「こうしちゃいられねぇ! みんなに知らせてやらねぇと!」

 

 島民たちの興奮は、瞬く間に島全体へと伝播していく。

 何人かの漁師は、他の島民にこのビッグニュースを知らせようと、勢いよく駆け出していく。

 その顔は、まるで豊漁を祝う祭りの日のように、喜びに満ち溢れていた。

 

 ジンは、その光景を、ただ呆然と見つめるしかなかった。

 口はポカンと開いたままで、言葉も出ない。

 

 二階の窓からは、スィラが最高の笑みを浮かべて、ジンに手を振り続けている。

 その笑顔は、まるで「計画通りですわ!」とでも言っているかのようだった。

 

 喧騒の中心で、ジンは天を仰いだ。

 

 完全に、外堀を埋められた。

 いや、城ごと乗っ取られたと言った方が正しいかもしれない。

 

 二階の窓から満面の笑みで手を振るスィラと、祭りのような騒ぎで自分たちの名を呼ぶ島民たち。

 もはや、この流れに抗う術も、気力もなかった。

 

「……はぁ」

 

 観念のため息を一つ吐くと、ジンは群衆をかき分け、ちょっと古びた建物の扉を開けた。

 

 中では、スィラが腕を組み、仁王立ちで彼を待ち構えていた。

 その顔には「どうです、驚きましたか?」とでも言いたげな、悪戯が成功した子供のような得意満面の笑みが浮かんでいる。

 

「……」

 

 ジンはなにも言わず、ただ黙ってスィラの前に立った。

 

 その目は、怒っているわけでも、呆れているわけでもない。

 ただ静かに、目の前の少女を見据えていた。

 

 ジンの予期せぬ沈黙に、スィラの得意げな表情が、みるみるうちに不安の色へと変わっていく。

 さっきまでの自信はどこへやら、そのグリーンの瞳がうろうろと彷徨い始めた。

 

「あ、あの……ジン様……? その、ごめんなさい……ですの? わたくし、その、もしかしたらジン様の気が変わってくださるかと思って……えっと、その……」

 

 スィラはあわあわとしながら、しどろもどろに言い訳を始める。

 その小さな両手は、落ち着きなく自身のケープの裾を弄っていた。

 

 そんな彼女の姿を見て、ジンはふっと口元を緩めた。

 

「……怒ってない」

 

「えっ?」

 

 スィラは、きょとんとした顔でジンを見上げる。

 てっきり、激しく叱責されるものだと思っていたのだろう。

 

「まず、このことは一旦置いといて……だ」

 

 ジンは、一歩前に出て、スィラと視線の高さを合わせるように、少しだけ屈んだ。

 

「昨日、助けてくれてありがとうな。嬢ちゃんがいなきゃ、俺は今頃、海の底だったかもしれん」

 

 真摯な、心からの感謝の言葉だった。

 予想外の言葉に、スィラは一瞬戸惑いながらも、頬を微かに赤らめて「あ、はい……」と小さく頷いた。

 

 そして、ジンは続けた。

 

「なあ嬢ちゃん、本当の本当に俺が必要か?」

 

「……はい」

 

 ジンの真剣な問いかけに、スィラはすっと向き合い、静かに、力強く返答する。

 スィラから目をそらさず、ジンは言葉を続ける。

 

「ラビリンスパレードの制覇。夢はでっかくってのはいいことだが、実際に目指すとなると、口で言うほど簡単じゃない。それでもやるつもりか?」

 

「そのつもりですわ」

 

「楽しいことばっかりじゃない。むしろ面倒なことやしんどいこと、つらいことや苦しいことのほうが多いのは間違いない。それでもか?」

 

「以前にも申し上げましたが、わたくし、あきらめがわるいんですの」

 

「正直、俺がある程度成績残せてたのも、前のチームの体制が良かったところがある。何十何百ってスタッフのサポート込みで、ようやくあの程度だ……。嬢ちゃんと組んだところで、結果を出せない可能性の方が高いぞ?」

 

「かまいませんわ。わたくしはジン様と一緒なら、二人きりだったとしても、いくらでも頑張れますもの。逆にジン様がいなかったら、どんな素晴らしいチームでも価値なんてありませんわ」

 

「……そうか」

 

 ジンは静かにうなずき、少し考えこむそぶりを見せる。

 そして軽く天を仰いだ後、一つの覚悟きめた表情で、言った。

 

「わかった。今回のこの騒動とは関係なく、俺は、嬢ちゃんのチームに入ることを決めたよ。ブレーダーとして、嬢ちゃんのために走る。正直どれだけ力になれるかはわからんが、まあ、やれるだけのことはやってみるわ」

 

「……え?」

 

 スィラの思考が、完全に停止する。

 

 彼女は、この強引な本拠地設立が失敗に終わっても、決して諦めるつもりはなかった。

 次の一手、そのまた次の一手まで考えていた。

 それなのに、いま、目の前の男は、いともあっさりと、彼女の誘いを受け入れたのだ。

 

「ほんと……ですの? ほんとうに……?」

 

 信じられない、といった様子で、スィラは何度も問い返す。

 その声は、微かに震えていた。

 

「ああ、本当だ。嬢ちゃんがあきらめない限り、付き合ってやる」

 

「で、でも……わたくし、こんな……昨日の出来事の後なら、ジン様が断りづらいと思って、勝手なこと……!」

 

 ようやく事態を呑み込んだスィラの心に、今度は罪悪感が波のように押し寄せてきた。

 助けた恩に付け込んで、なんてことをしようとしてしまったのだろう、と。

 

 俯いてしまうスィラに、ジンは優しく言った。

 

「いいんだよそれで。それくらい強かじゃなきゃ、魑魅魍魎ひしめくレースの世界でやってけん。それにこの島の連中だけじゃなく、あのネートリトヴァのスミレさんまで動かしたんだろ? 大したもんだよ、チーム代表ならそれぐらいの根回しや腹芸はできたほうが心強い」

 

 その言葉は、紛れもない本心だった。

 この少女の持つ、人を巻き込む力、不可能を可能にしてしまう規格外の行動力は、確かに称賛に値するものだ。

 

「でも、でも……」

 

 それでもなお、なにかを言おうとするスィラの言葉を、ジンは遮った。

 彼は、彼女の小さな肩に、そっと手を置く。

 

「安心してくれていい、俺は決めたんだ。嬢ちゃんのために走る、ってな」

 

 その言葉が、最後の引き金になった。

 スィラのグリーンの瞳から、堪えていた涙が、ぽろり、ぽろりと大粒の雫となってこぼれ落ちた。

 

「……あっ」

 

 自分の涙に気がついたスィラは、慌てて両手で顔を覆い隠す。

 しゃくり上げるのを必死で堪える、小さな肩が震えていた。

 

「ちょ、ちょっと……ちょっとだけ、待って、くださいまし……っ」

 

「……ああ」

 

 か細く、震える声。

 ジンはただ静かに頷いた。

 

 彼は、少女が自分の力で立ち上がるのを、辛抱強く待った。

 

 数秒か、あるいは数分か。

 やがて、スィラは顔を覆っていた手を下ろし、涙で濡れた顔を上げた。

 その瞳には、先ほどまでの不安や罪悪感はなく、確固たる決意の光が、雨上がりの空のように澄み切った輝きを放っていた。

 

 彼女は、涙の跡が残る頬のまま、しかし、いまでで一番誇らしげな笑みを浮かべると、高らかに宣言した。

 

「本日、ただいまをもちまして……チーム『エメラルド・アイ』は、真の結成を迎えます!」

 

 ジンは、そんな彼女の姿を、どこか眩しそうに見つめながら、穏やかに言った。

 

「了解だ。よろしくな、スィラ」

 

 その言葉に、スィラははっと息を呑み、そして、太陽のように輝く笑みを浮かべて、元気よく返事をした。

 

「はいっ! ジン様!」

 

 うだつの上がらないブレーダーと、謎多き行動派お嬢様。

 二人の運命が、この汐凪島で、確かに交わった。

 

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