ラビリンスパレード~追放令嬢と挑む惑星横断レース   作:源治

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09話:ネートの名前

 

 チーム「エメラルド・アイ」が、その産声を上げてから数日が過ぎた。

 

 汐凪島の一角に立つ、元空き家だった本拠地。

 そのガレージスペースには、カツン、カツン、と規則正しい金属音が響いている。

 

 音の主は、ジン・カミシロ。

 

 彼は、海から引き揚げた古びたフロートバイクを分解し、黙々とオーバーホール作業に没頭していた。

 潮水に浸かった部品を一つ一つ丁寧に磨き上げ、消耗したパーツを交換していく。

 その手つきに、迷いはない。

 

 作業台の上には、彼が描き上げた改造用の設計図面が広げられ、傍らには、どこからか調達してきた工作機械で自作したという、いくつかの簡単なパーツが並べられている。

 その姿は、もはや単なるブレーダーではなく、腕利きのメカニックそのものだった。

 

 そんな彼の姿を、少し離れた場所から、じっと見つめる影が二つ。

 チーム代表のスィラ・マクマハウゼンと、いつの間にか彼女の定位置となった隣に座るネートの幼体だ。

 二人はしばらくジンを見つめて満足すると、手元の大きな本に視線を下ろす。

 

 最初は、ただニコニコと飽きもせず、ジンの作業風景を眺めているだけだったスィラ。

 しかし、「代表なら、最低限のルールくらい頭に叩き込んでおけ」と、ジンから分厚いマニュアル本を数冊渡されてからは、必死に勉強に励んでいた。

 

『ガンマリーグ公式レギュレーションブック』

『LPG公認パーツリスト』

『第7セクター・セルレース参加手続き要項』

 

 積み上げられた本のタイトルは、どれも見るだけで眠気を誘いそうなものばかり。

 しかし、スィラは弱音一つ吐かず、真剣な眼差しでページをめくっていた。

 

 時折、分からない専門用語が出てくると、隣のネートの幼体に「ねえ、これってどういう意味かしら?」と尋ね、ネートは『えーっとねぇ』と、その小さな身体を揺らしながら答える。

 幼体は、ネートリトヴァ神殿のデータベースにアクセスできるらしく、意外なほど助けになってくれた。

 

 会話はない。

 ただ、男が工具を操る音と、少女がページをめくる音だけが、静かにガレージを満たしている。

 やるべきことは違うが、向いている方向は同じ。

 お互いが、それぞれの持ち場で全力を尽くしている。

 そんな無言の信頼関係が、二人の間には確かに芽生え始めていた。

 それは、どこか穏やかで、心地の良い時間だった。

 

『ごめんください。LPGの者ですが』

 

 その静寂を破ったのは、ガレージの入り口から聞こえてきた、来訪者を告げる声だった。

 

 見ると、先日、役場の窓口で対応してくれた、あの眼鏡の青年期ネートが立っていた。

 その手には、業務用のデータ端末と書類袋が握られている。

 

「これは、LPGのご担当者様。わざわざご足労いただき、ありがとうございます。もしかして、注文の品が届きましたのですか?」

 

 スィラが、ぱっと顔を輝かせて駆け寄る。

 しかし、担当ネートは、申し訳なさそうに首を横に振った。

 

『いえ、本日はその件で……。残念なお知らせなのですが、先日からのラビリンス領域のエネルギー異常の影響で、内海の航路が未だ安定しておりません。そのため、本島からの定期輸送便が欠航続きでして。ご注文いただいたパーツのお届けが、大幅に遅れる見込みです』

 

『ありゃー』

 

 スィラとの頭の上で話を聞いていたネートの幼体が、気の抜けた声を上げた。

 ジンも、作業の手を止め、やれやれといった表情で二人の方へ歩いてくる。

 

「まあ、この前のエネルギー異常はヤバかったからな。しょうがないさ」

 

『ご理解いただき、ありがとうございます。一応、最短での到着は八日後を予定しておりますが、天候次第ではさらに延びる可能性も……』

 

 担当ネートは、深々と頭を下げた。

 

「仕方ありませんわ。自然の力には抗えませんものね。気長に待つことにいたします」

 

 スィラがにこやかに言うと、担当ネートは、少しだけほっとした表情を浮かべた。

 そして、ふとガレージの奥で分解されているバイクに目を留める。

 

『……それにしても、見事な分解ですね。これをガンマレース仕様に?』

 

「ああ。チームのブレーダーが微妙で、ちゃんと稼げるかわからんからな。節約できるところは節約しないと」

 

 ジンは、オイルで汚れた手を布で拭いながら、ぶっきらぼうに答えた。

 

『ご謙遜を。あなたの腕が確かであることは、このセクターのネートなら誰もが知るところですよ、ジン・カミシロ様』

 

 担当ネートの言葉には、どこか個人的な敬意が混じっているように聞こえた。

 LPGの職員としてではなく、一人のレースファンとして。

 

『昨年のベータリーグのセクターレース第九戦。あの豪雨の中、チームのエースを護衛しきったあなたの走りは、いまでも私を含め、多くのネートの間で語り草になっています』

 

「……ただの調整役だよ。勝てねぇ、半端者の走りさ」

 

 ジンは、自嘲気味に呟き、再び作業台へと戻っていった。

 その背中には、彼が抱える複雑な心の影が、一瞬だけよぎったように見えた。

 

「それよりも、だ」

 

 不意に、作業台に戻ったはずのジンが、LPGの担当ネートに声をかけた。

 

「あんた、いつこっちに帰ってきてたんだ? 確か……キキョウ様の、580番目の子だよな?」

 

 その言葉に、担当ネートの動きがピタリと止まった。

 彼は、信じられないといった様子で、ゆっくりとジンの方を振り返る。

 

『……なぜ、それを』

 

 その声は、驚きでわずかに上ずっていた。

 

『あの頃とは、姿も声も違うはずです。私がジンさんと最後にお会いした時は、まだ……そこの幼体のような姿で、ふわふわと浮いているだけでしたのに』

 

「まあ、なんとなくな。いや、マジで、フィーリング」

 

 ジンは、レンチでナットを締めながら、こともなげに答える。

 しかし、その答えは、ネートにとって信じがたいものだった。

 たった一度会っただけの幼体を、成長した姿で識別するなど、常人には不可能な芸当だったからだ。

 

 担当ネートの表情は、ネートらしい無表情を保っている。

 しかし、その内側で、喜びと興奮が渦巻いているのが、空気を通じて伝わってくるかのようだった。

 

「むむむ……」

 

 スィラは、ジンと担当ネートの間で視線を行き来させ、なにやら面白くなさそうな顔で唸った。

 ジンの知らない一面が、また一つ現れたことへの、小さな嫉妬心。

 

「ところで、失礼ですが、まだお名前を伺っておりませんでしたわ。LPGのご担当者様」

 

 スィラが、少しだけ対抗心を燃やして尋ねる。

 ネートは、青年期に達すると、神殿で命名の儀が行われ、正式な名と、産みの親である成熟期ネートの名を苗字として授かる。

 担当ネートは、すっと背筋を伸ばし、改めて自己紹介をした。

 

『失礼いたしました。わたくし、キキョウ・ゴーヤと申します』

 

 ガシャン!

 

 その名を聞いた瞬間、ジンが持っていたレンチが、手から滑り落ちた。

 ガレージに、甲高い金属音が響き渡る。

 ジンは、まるで時間が止まったかのように固まり、その視線を一点に集中させていた。

 

「……ゴーヤ?」

 

 スィラが不思議そうに首を傾げる。

 キキョウ・ゴーヤと名乗ったネートは、そんな彼女の反応に、少しだけ誇らしげに胸を張った。

 ネートは人類とは違い、苗字が先に来るため、彼女の名前はゴーヤということになる。

 

『はい、ゴーヤです』

 

 その名前は、偶然ではなかった。

 

 ──あれは、十年も昔のこと。

 

 まだ二十歳そこそこだったジンが、たった一日里帰りのために島に戻ったとき。

 ふらふらと家の近くを散歩していた、一人の幼体と出会った。

 その幼体の識別番号は「580」。

 ジンは、その数字を聞いて、何の気なしにこう呼んだのだ。

 

 『580かぁ……()()だな』

 

 と。

 

 58(ごーや)、それは彼がつけた、ただのあだ名だった。

 だが、本名になっている。

 

 それはこのネートが、自らの意思で、その名を望んだということ。

 その事実に気づいたジンの額から、だらだらと冷や汗が流れ落ちた。

 

 ゴーヤは、そんなジンの内心を知ってか知らずか、嬉しそうに微笑んだ。

 

『お久しぶりです、ジンさん。あなたが付けてくださった、大切な名前ですので。命名の儀の際に、神殿に希望を出して、この名前にしていただきました』

 

 サラリと明かされた事実に、ジンは天を仰いだ。

 

「……なんか、すまん」

 

 絞り出すように謝罪の言葉を口にする。

 

 しかし、ゴーヤは『?』と、心底不思議そうな顔で首を傾げた。

 なぜ、謝られるのかが分からない、といった様子だ。

 

 その純粋な反応に、ジンはハッとした。

 そして、恐る恐る、自分の傍らで一連のやり取りを見ていたスィラの方を振り返る。

 

「……おい、嬢ちゃん」

 

「は、はいっ!」

 

「まさかとは思うが……いつの間にかうちのチームに居着いてる、そこのチッコイのに、なんか変なあだ名とかつけてねぇだろうな?」

 

 ジンの鋭い視線に、スィラの身体がびくりと跳ねた。

 彼女は冷や汗を流しながら、視線をあちこちに彷徨わせる。

 

「え、えーっと……その……。し、識別番号が628なので、その……む、むつは……とか、時々……」

 

 その告白が終わるか終わらないかのうちに、ガレージにいる全員の視線が、スィラの頭の上でふわふわと浮いているネートの幼体に、一斉に注がれた。

 

 注目を浴びた幼体は、まるで自己紹介のタイミングを待っていたかのように、その小さな身体を嬉しそうに揺らしながら、気の抜けた、しかしはっきりとした声で宣言した。

 

『わたしのなまえは、ムツハ!』

 

 ジンは、その場で崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえた。

 

(やっちまった……)

 

 後の祭り、という言葉が、これほど身に染みたことはなかった。

 

「……まあ、過ぎたことはしゃーねぇな」

 

 ジンは、頭をガシガシと掻きながら、無理やり気を取り直した。

 本人たちは気に入ってるようだし、いまさらその名前を取り消せなどとは口が裂けても言えなかった。

 

 そんな気まずい空気を察したのか、スィラが、ゴーヤが持っている書類袋の中に、いくつかのパンフレットが入っていることに気がついた。

 

「ゴーヤ様、そちらの冊子は、もしや……?」

 

『ああ、これですか』

 

 ゴーヤは、書類袋から数種類のパンフレットを取り出し、テーブルの上に広げた。

 それは、第7セクター内の各セルで開催される、ガンマリーグのセクターレースやセルレースの日程表や、レースそのものを宣伝する色鮮やかなパンフレットだった。

 

『お届けの件でお伺いするついでに、必要になるかと思いまして』

 

 このセル37、汐凪島ではレースは行われていない。

 しかし、他のセルにとって、レースの開催は島民たちの数少ない娯楽であり、観光客を呼び込むための貴重な収入源でもあった。

 そのため、各セルは競うようにして、レースの宣伝に力を入れているのだ。

 

「助かるよ、ゴーヤさん」

 

「ありがとうございます! とても参考になりますわ!」

 

 思いがけない差し入れに、ジンとスィラは素直に礼を言った。

 ゴーヤは『仕事ですから』と、クールに返すが、その触角が嬉しそうに微かに揺れている。

 

 ジンは、早速レースの日程表に目を通す。

 指で日付を追いながら、各セルの開催地とレースの規模を確認していく。

 そして、ある一点で、その指がピタリと止まった。

 

「……セル3か」

 

『はい。今月末に、セル3主催のガンマリーグのレースが開催されます。初心者からベテラン、企業チームまで参加する、セクターレースに匹敵する規模の、大きなレースですね』

 

 セルの番号は、基本的に第7セクターの本島に近いほど数字が若くなる。

 セル37の汐凪島が辺境だとすれば、セル3は、本島への玄関口とも言える、かなり栄えたセルだった。

 

(復帰戦にしてはちょいとランクが高いかもだが、いける……か?)

 

 ジンの頭の中で、いくつかの情報が繋がり、一つの作戦が形を成していく。

 彼の目に、久しく忘れていたブレーダーとしての鋭い光が宿った。

 

「……チームのデビュー戦だ、ちょっとでもインパクトがあったほうがいいよな」

 

 ジンは、誰に言うでもなく呟くと、スィラの方を振り返った。

 

「嬢ちゃん、悪いが、ちょっと父さんを呼んできてくれるか。相談したいことがある」

 

「お父様を? かまいませんけれど……」

 

「今日は海がしけてて、船は出せないからな。たぶん、港の『かもめ食堂』あたりで、おやっさんと将棋でも指してるはずだ」

 

「わかりましたわ!」

 

 スィラは、ジンの真剣な表情から、なにか重要なことを思いついたのだと察し、二つ返事で頷いた。

 

「すぐにお連れしてまいります!」

 

 そう言うと、彼女は勢いよくガレージを飛び出していく。

 その後を、『まってー』と、ムツハが慌てて追いかけていった。

 

 二人を見送った後、ジンはゴーヤに向き直った。

 

「ゴーヤさんや、一つ頼みがある。注文したパーツの受け取り先を、このセル37じゃなくて、セル3に変更することは可能か?」

 

『セル3、ですか?』

 

 ゴーヤは少しだけ意外そうな顔をしたが、すぐに端末を操作して航路状況を確認する。

 余談だが、端末が無くても彼女たちは情報を確認できるのだが、人類に説明する際に目視できる情報が必要になるため、このような道具を利用している。

 

『……はい、可能です。第7セクター本島とセル3を結ぶ航路は安定しておりますので、そちらの方が早くお届けできるかと』

 

「そうか。なら、それで頼む」

 

 ジンは気持ち不安そうな表情だが、どこか楽しそうに、ニヤリと口の端を上げる。

 その表情は、何か面白いことを思いついた、子供のそれだった。

 

 

 

 

 

【補足:ネートリトヴァの生態と成長段階】

ネートリトヴァの成長には、大きく分けて三つの段階。

そして一つの特殊な段階が存在するとされています。

 

1. 幼体期(一~二十歳)

特定の形態を取る能力が未発達で、多くは直径一メートルほどのクラゲに似た姿で浮遊しています。

弱い超能力を使用でき、知性や身体能力はすでに人類を上回りますが、思考に柔軟性がなく、善悪の判断基準もまだ曖昧な状態。

この段階では、ラビリンス領域を航行(ナビゲート)する能力は持っていません。

声は声帯を用いず、超能力で空気を振動させて発しています。

早ければ十歳ほど、遅くても二十歳までには青年期に変化します。

 

2. 青年期(十~数百歳)

自らの身体を、人間をはじめとする様々な生物の姿へと自在に変化させられるようになります。

人類と接する際は、多くが尖った耳や触角のような器官を持つ、美しい少女から成人女性の姿を取ります。

これは、彼女たちが人類の美的感覚に沿って、形態を決めているためです。

思考回路も柔軟になり、時には嘘や方便を使い分けることも可能になりますが、人類との共存を考慮して、基本的には善性に近い思考に落ち着く個体がほとんどを占めます。

ただ、数百歳クラスの歳を重ねたネートほど、価値観の多様化が進み、一種の人間味が深い性格になる傾向があるとされています。(例:キキョウ・スミレ)

逆に若いネートのほとんどが、俗にいう「クールでお堅いお姉さん」のような性格をしています。

最大の特徴としては、この段階でラビリンス領域の複雑な物理法則を読み解き、航路を見出す超感覚能力が発現します。

彼女たちのこの能力なくして、人類がセクター間を移動することは不可能。

ほとんどのネートは、この状態で寿命を終えるとされています。

 

3. 成熟期(千歳以上)

適性のあった個体が、長い年月の果てにたどり着いた形態。

ラビリンス領域を航行する能力を失う代わりに、新たな幼体を生み出す「繁殖」の能力を得ます。多くは身長三~四メートルの巨大な女性の姿を取り、各地の「祠」と呼ばれる聖域で、同族に守られながら静かに暮らしています。

ナビゲート能力は失いますが、テレパシー(思考を読む力)、念動力、治癒能力、限定的な未来予知といった、より多様な超能力を行使できるようになります。

その姿は、人類の古い伝承に残る「神」や「精霊」を彷彿とさせる、神秘的な外見を好む傾向にあります。

 

例外. 超越期

聖地『ティールタ』へ到達し、より高次元の存在へと昇華を遂げた、極めて稀なネートリトヴァ。

一種の神とも呼べる存在となり、物理的な肉体を離れて宇宙を漂いながら、惑星プラタマの生命の営みを静かに見守っている、と伝えられています。

 

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