アドミラル・アーカイブ   作:3タナカモナカ

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第2話

 

 

 オデュッセイア海洋高等学校に反旗を翻し、続けざまに各地の港湾施設を壊滅させた反乱部隊は、トリニティ沿岸から六百八十海里離れた外洋の孤島を拠点としていた。

 

 この“トゥーレ島泊地”には、反乱に加担した多数の生徒たちが共同生活を送っている。とはいえ、島内にあるのは単なる生活施設ばかりではない。

 

 例を挙げれば、港を見下ろす高台には三階建ての煉瓦造りの建物があり、そこは艦隊指揮官をはじめとする幹部級の生徒たちが集う司令部となっていた。会議室では連日のように作戦会議が行われ、反乱の次なる一手について熱を帯びた議論が交わされている。

 

 

「──私としては、昨日のミレニアム港湾施設の破壊をもって、当初の作戦計画は完了したと判断すべきかと」

「その根拠は?」

「作戦の初手でトレードハーバーを潰し、以降ゲヘナ・トリニティ・ミレニアムの主要港を順次破壊しています。これによって、いずれの学園もこの島に向けて大規模戦力を送り込む手段を喪失しました。なにより、我々のような高性能艦艇をあの子たちは保有していない。であれば、制海権は現時点で我々が完全に掌握していると見なすべきです。以上を踏まえ、速やかに第二次作戦への移行を提案します」

「一理ある。だが、ミレニアムの工業力なら、あの程度の損害は短期間で復旧可能だろう。他の港湾施設を転用・拡張して代替する可能性もあるし、ゲヘナやトリニティへの復旧支援に動くかもしれない」

「否定はしません。実際、連邦生徒会長の長期不在──いえ、失踪によって悪化した治安も、少しずつ安定を取り戻しつつあります。とはいえ、我々の第一次作戦の目的は時間を稼ぐこと。その成果を無為にしないためにも──」

 

 

 オデュッセイアに明確な階級制度は存在しない。だが役職ごとの責任範囲と、そこに伴う発言権の差はあった。この反乱部隊においても、母校を離れたからといって、即座に組織構造が変わるわけではない。

 

 提督として艦隊や地上部隊を統括する者を頂点に、艦長や副長、艦内各部門の指揮官らは、一様に“幹部”として会議の場に列席していた。

 ︎︎そんな彼女たちの間にも、学年や実績に基づく上下関係は暗黙のうちに存在していたが、艦という閉鎖空間の中で秩序を保ち、迅速な意思疎通を図るには必要なものでもあった。

 

 もっとも、これだけ大規模な軍事行動を起こした以上、トゥーレ島泊地の生徒たちは、すでに運命を共にする立場だ。

 

 ゆえにこの会議の場に限っては、学年や年齢といった“壁”は一時的に取り払われている。今後の命運を左右する議論において、全員が等しく意見を交わせるように。舵取りを誤れば、即座に命取りとなる状況下では、それが当然の前提だった。

 

 

 アリアは会議室の上座に腰かけ、優雅な仕草でコーヒーを口に運んでいた。普段は紅茶を好む彼女だったが、眠気を誤魔化すには、この黒い液体の方が適していた。

 

 時おり意見を求められると、小さく応じるだけ。まるで会議室に据えられた装飾品のように振る舞っているが、実際にはその逆だ。最終的な決定権は提督である彼女に委ねられており、彼女の一言が、すべての行動方針を左右する。

 

 

 仮にアリアがこの反乱を、衝動的な感情や気まぐれで起こしたのだとしたら、誰も彼女についてきたりはしなかった。

 

 幹部たちが今日も不平ひとつ漏らさずに議論を交わしているのは、アリアの計画に理念と目的があると理解しているからだ。その全容や真意を知る者は少ないが、それでも彼女の選んだ行動が、決して無軌道な暴挙ではないと彼女たちは信じている。

 

 それはアリアにとって、大きな救いでもあった──でなければ、この反乱を起こした意味などないに等しい。

 

 

 ともかくして会議室の議論は、次第に意見の対立を孕み始めていた。

 

 このまま引き続き港湾施設を破壊し、さらなる混乱と遅滞を誘発するべきだと主張する者と、第一次作戦は十分な成果を挙げたとして、計画通り次の段階へ進むべきだとする者。

 

 どちらの意見も一理あり、容易に折り合えるものではなかった。

 

 結局、しばらくして幹部たちは判断を保留し、静かに視線をアリアへと向けた。最終的に決めるのは、自分たちではない──提督であるアリアの役目。

 ︎︎そんな彼女たちの視線は、口には出さずとも「私たちは意見を出した。あとはあなたが決断を」と告げているようでもある。

 

 彼女はその大勢の無言の圧力に対して、表情ひとつ変えずにコーヒーを啜った。

 

 ︎︎決断を委ねられること。

 ︎︎それ自体は彼女が望んだ形だ。だが実際にその重みを引き受けてみれば、言葉以上に重くのしかかる。

 

 こみ上げかけたため息を抑え、アリアは手元の書類に目を落とす。そこには幹部たちが今ほど提出した意見書が、要点ごとにまとめられていた。

 指先で一枚、また一枚とページをめくりながら黙考する。

 

 

 室内を支配する沈黙は、まるで張り詰めた糸のように鋭く、制服の布がわずかに擦れる音さえも耳につくほどだった。

 

 やがて、アリアは書類から視線を上げると、ゆっくりと瞼を閉じた。静かに、そして確信を持って開いたその唇から、提督としての判断が下される。

 

 

「──これより、我が艦隊は第二次作戦へと移行する」

 

 

 抑揚を抑えたその声が、会議室の空気を切り裂くように響く。

 

 

「目下警戒すべき学園らは我々への軍事的干渉手段を失った。だが、治安の回復に伴い、港湾の復旧は予想よりも早まる可能性がある。ゆえに、躊躇なく経済中枢を叩く必要がある。異論は?」

「──いえ、ありません」

 

 

 一人の幹部が即座に応じる。

 ︎︎それに続くように、他の生徒たちも静かに首を振った。

 

 

「よろしい。では、第二次作戦について話そう。概要はすでに共有済みだが、いくつか確認すべき問題がある」

 

 

 アリアの脳裏には、最終目標へと至るまでの工程が、段階的かつ綿密に描かれていた。

 艦隊の掌握も反乱の勃発も、計画のほんの序章に過ぎない。

 

 

 第一次作戦──すなわち、主要港湾施設の破壊による制海権の掌握。この段階はすでに達成されたとアリアは判断していた。

 ︎︎現時点においてトリニティ、ゲヘナ、ミレニアムの各学園をはじめとする主要勢力は、トゥーレ島泊地の反乱部隊に対して有効な海上戦力を展開できずに居る。連邦生徒会の機能不全も相まって、事実上の無力化が進んでいる。

 

 

 続く第二次作戦の目的──それは、海上交通の遮断と物流の麻痺によるキヴォトス経済への直接的な打撃である。

 

 第一次作戦では、港湾機能の喪失によって干渉手段を封じたが、それ自体もすでに経済に対する一種の圧迫だった。第二次作戦は、さらにその圧力を増幅させる段階である。

 

 ︎︎この作戦では、シーレーン上を航行する貨物船・旅客船の拿捕・臨検を強行し、乗組員の退避を確認した上で撃沈するという、極めて過激な手段がとられる。

 

 トレードハーバーを筆頭とした大規模な港湾は既に機能を喪失しているが、それでも依然として中小規模の出入港施設は多数存在しており、完全な封鎖は物理的にも資源的にも不可能だ。

 ︎︎この島に備蓄した燃料や弾薬の残量を考慮すれば、それら全てを破壊するのは現実的ではない。

 

 

 だが、アリアの艦隊が海上において積極的に拿捕と撃沈を繰り返せばどうなるか──。

 

 ︎︎やがて船籍を問わず、航行を忌避すふ風潮が大なり小なり生まれるだろう。結果として、誰も海へ出たがらなくなり、物流の心臓たる海運が、実質的に停止することになる。

 

 陸路や空路だけでは、輸送量に限界がある。

 ︎︎しかも、キヴォトスでは武装組織による貨物の略奪が頻発しており、海路なしの物流は非効率的かつ高コストだ。

 

 

 物流コストの上昇は、即ち物価の上昇を意味する。

 そして今、キヴォトスの各学園は連邦生徒会の機能不全により政治的な混乱が波及している。主要な学園は治安の悪化以外、その統治機構に差し迫った問題はないだろうが、この状況で物流まで滞れば、混乱に混乱が重なるのは間違いない。

 

 ︎︎アリアの狙いは、まさにそこにあった。

 流通の崩壊と、それに伴う経済基盤の動揺──それは単なる無差別爆破よりもはるかに根深く、回復に長い時間を要する破壊行為だ。

 

 つまりこの第二次作戦は、無関係の市民や生徒たちの生活にまで波及する、極めて悪質な攻撃であった。だがアリアは迷わない。悪と呼ばれようが、非難されようが、今やそのすべてを背負う覚悟があった。

 

 三大校も、連邦生徒会も、真に打倒すべき敵ではない。

 彼女が本当に倒すべきと見なす存在は、もっと別のところにいる──だが、その全容を幹部たちに明かすつもりはなかった。

 

 部下を信じていないわけではない。ただ、それは事前に「そうすべきである」と決められていたからだ。

 故に彼女は罪悪感を押し殺しながらも、淡々と会議を続ける。

 

 

「この第二次作戦において、我々は船舶の拿捕および臨検を実施する。場合によっては撃沈も辞さない。そこで──いくつか確認しておくべき懸念がある」

「補給と、乗組員の扱いについてでしょうか?」

「補給に関しては心配ない」

 

 

 ︎︎アリアは即座に答えた。

 

 

「名は伏せるが、我々の行動を理解し、影から支援してくれるスポンサーがいる。信頼に足る筋だ」

「……は、はあ」

 

 

 一部の幹部たちが、驚いたような視線を交わす。

 この孤島での生活は、明らかに自給自足では賄いきれない。小規模な菜園こそあるものの、食糧はともかく、燃料や弾薬などの戦力維持に不可欠な物資は限られている。

 

 それゆえ、第二次作戦は単なる攻撃だけでなく、物資獲得の意図もあるのだと信じていた者も少なくなかった。しかし突然現れた「スポンサー」という存在は初耳であり、想定外だった。

 

 とはいえ、首謀者であるアリアが「信頼できる」と断言する以上、幹部たちに異を唱える理由も権利もなく、ただ黙って耳を傾ける。

 

 

「ともかく、拿捕した乗組員の取り扱いについて、皆に留意して欲しい点がある」

 

 

 アリアは静かに、しかし明確な意志を込めて言葉を紡いだ。

 その声は、会議室の張り詰めた空気を切り裂くように響いた。

 

 

「怪我の治療は当然として、死者を出すような真似は断じて許さない。乗組員は丁重に拘束し、然るべき手続きを経て、ヴァルキューレの海警へと引き渡す。非人道的な行為が確認された場合は、私自らが制裁を下す。それを全艦各員に周知しろ」

 

 

 その一言一句に、誰ひとりとして異を唱えることはできなかった。いや、そもそも異を唱える必要すらない。拿捕した乗組員に虐待を加えるような阿呆は艦隊に居ないし、非人道的行為を良しとする風潮も風土もここにはないのである。

 ︎︎加えて、上級生に従順なオデュッセイア生の気風もあり、最高指揮権を有するアリアが自ら制裁を下すとなれば、馬鹿な真似をする生徒は出てこないだろう。怒った時の彼女の怖さは、幹部の誰もが知っている。

 

 

「了解しました。ですが提督。乗組員をヴァルキューレに引き渡すというのは、情報漏洩のリスクを伴うのでは?」

「今さらだ」

 

 

 アリアは即座に切り捨てた。その口調には、冷静さと皮肉と、どこかやるせなさが混ざっている。

 

 

「艦隊の編成も、この島の位置も。とっくに衛星の監視や、オデュッセイアに対する事情聴取で露見しているだろう。いずれ表沙汰になる。隠し通せる段階など、とうに過ぎているさ」

 

 

 そう言って、アリアは肩をすくめ、口元に薄く笑みを浮かべた。その笑顔はどこか儚く、それでいて、彼女の心の奥底から滲み出た本音のようにも見えた。アリアにしては珍しい様子に、旧知の仲にある同級生の幹部などは驚いているようだった。

 

 

「それに、むやみに人道を踏み外す必要はないよ。我々は確かに、テロリストと呼ばれるに相応しい行動をしてきたし、これからもする。だが──この大海で育んできた誇りまで、投げ捨てるつもりは毛頭ない。私はそう信じている。お前たちも、思いは同じはずだ」

「提督……」

 

 

 誰かが呟いた。

 ︎︎重く、それでいて温かい空気が、会議室の中を包み込む。

 

 それは殺気でも威圧でもない。むしろ、静かな熱が立ち昇るような、凛とした気配だった。アリアの言葉が、その場にいる者たちの胸に、確かに火を灯していく。

 

 

 ︎︎アリアは椅子から静かに立ち上がると、腰に佩いたカットラスへと手を伸ばした。次の言葉を発する寸前、何の前触れもなく、その刀身をすらりと抜き放つ。

 

 金属が鞘を滑る微かな音が、会議室の空気を震わせた。

 窓から差し込む陽光に銀の刃が鈍く光り、自然と幹部たちの視線をその動作へと向かわせる。

 

──言葉の中身に意識を深く入り込ませる前に、感情を支配する。

 

 それはアリアの、意図的なパフォーマンスだった。

 これから紡ぐ言葉に含ませるある単語が、聡い者に勘繰られる前に、場の空気ごと握り潰すように。

 

 刃を抜いたことに理由を求める者はいなかった。ただ、その異質な動きに心を奪われ、話の核心がすり抜けていく。

 

 

「正直に言おう。お前たちを巻き込んだ張本人として、恥を忍んで断言する」

 

 

 アリアは静かに刀を下ろした。

 ︎︎ゆっくりと肩の力を抜き、今度は真正面から会議室を見渡す。沈黙の中に、衣擦れの音だけが小さく響いた。

 彼女の視線が、ひとり、またひとりと幹部たちの目を捉えていく。まるで数を数えるように、あるいは、今この場にいる者の顔を心に刻みつけるかのように。

 

 

「──これは、厳しい戦いとなる。キヴォトス全土を敵に回すことになるかもしれない。もう二度と学生生活を送れなくなる可能性だってある」

 

 

 一拍。

 ︎︎まるで言葉の余白に、なにか重いものを落としたような間が生まれた。

 ︎︎誰かが息を呑んだ。けれど、誰も声は発しない。ただ黙って、次の言葉を待っていた。

 

 

「それでも、誰かがやらなければならない。でなければ、我々がこれまで育んできた誇りも、この艦隊の魂さえも──悪辣なハイエナ共に、根こそぎ奪われてしまう。そのような屈辱……私は、絶対に許すつもりはない」

 

 

 言葉の熱量が、空気を変える。

 静寂の中、心臓の鼓動のような幻聴が耳の奥で響く気がした。

 

 戦略も正義も未来も、今は問題ではなかった。

 ︎︎アリアの言葉に込められた決意と、その背中に立ち上がる覚悟の輪郭──それだけが、重く確かにそこにある。

 そしてもはや誰も、彼女に異を唱えようとは思わなかった。しかしそれは盲目的な服従でも、安易な感動でもない。

 

 

 ︎︎ただ、同じものを背負う者同士が、同じ結論に辿り着いただけだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

「(……慣れないことをしたな)」

 

 

 静まり返った執務室の中、アリアは椅子の背にもたれかかりながら眉間を押さえ、深く息をついた。

 

 会議の余韻がまだ体内に残っている。

 ︎︎あの場に立った瞬間から、張り詰めた空気を一身に背負い、指揮官としての顔を貫き通した。だが、今この空間には、それを維持する必要はなかった。誰の視線も責任もない、ただの「アリア」でいられる数少ない時間だ。

 

 人心の掌握──それは本来は人目を気にして内気な性格だった彼女にとって、最も不得手な部類のものだった。しかし僅かでも不信の芽が生まれれば、それはすぐさま全体へと波及し、反乱軍の屋台骨を脆く崩す。指揮権というものは、盤石に見えて、実際には繊細な硝子細工のようなものだ。

 

 平時ならまだしも、今はオデュッセイア生徒会という正規の命令系統から逸脱した反乱の最中。だからこそ、アリアは自分の言葉の一つひとつを軽く見てはいけないとわかっていた。

 

──それでも、疲れるものは疲れる。

 そもそもこの数日、まともに眠れていなかった。

 

 

「良いスピーチでしたよ、提督」

 

 

 机の向こうからかけられた声に、アリアは顔を上げる。執務室の扉を開けた副官の少女が軽やかな足取りで近づいてきていた。

 ︎︎彼女だけは、この艦隊の中でアリアに遠慮なく物を言える数少ない人物だった。

 

 

「皮肉のつもりか?」

「いいえ。奴らを匂わせるような表現を除けば、概ね共感を得られる内容だったと思います」

「エコノミック・アニマルの動物園だぞ、我らのキヴォトスは。奴らを“ハイエナ”と喩えても気づくような連中は何人いるかな」

 

 

 アリアは吐き捨てるように言って、疲れた瞳を天井に向けた。口調こそ皮肉めいていたが、言葉の底には確かな怒りと、そして諦念が混じっていた。

 

 副官の少女は、そんな彼女に対して、呆れと同情の入り混じった視線を向けた。

 

 彼女はすべてを知っている。

 ︎︎この反乱部隊の成立過程も、その動機も──アリアの最終目標さえも。全容を聞かされたとき、彼女は一度だけ目を伏せ、それから毅然と顔を上げてこう言った。

 

 あなたに全部を背負わせるつもりはありません、と。

 その時の表情は、同級生としての誇りと、友人としての義憤がないまぜになったような、不思議な強さを帯びていた。

 

 今の彼女はその面影をそのままに、丁寧な動きで昼食を机の上に置く。まるで給仕のメイドのような動作に、アリアは思わず小さく鼻を鳴らした。

 

 

「……またカレーか」

「昨日の残りです。スポンサーからの最初の補給が来るまでは、我慢してください」

「ん、まあいい。こういう時の食事なんて頻度より味と温かさだしな……で、生徒たちは?」

「この状況では仕方がないと、概ね納得しています。思ったよりは冷静ですね」

「流石に肝が据わってるな。……お前は、食わないのか」

「もう済ませましたので。お気になさらず、提督」

 

 

 そう言って、少女は微笑んだ。遠慮と気遣い、そして心のどこかにある信頼の重みが滲んだその表情に、アリアは思わず目をそらす。まっすぐすぎる視線に、気恥ずかしさのような感情が胸の内に生まれるのを、自覚してしまったからだ。

 

 「いただきます」と呟き、手を合わせて食事に手をつける。副官はアリアの横、少し距離を置いた位置で微動だにせず立ち尽くしていた。

 

 ︎︎開け放たれた窓からは、どこまでも青く続く水平線と、その波が船体に打ちつける穏やかな音が流れ込んでくる。

 

 

 アリアはスプーンを手に取り、オデュッセイア伝統のカレーライスを一口すくう。湯気とともに立ちのぼるガラムマサラやターメリックの香りが、ほんの少しだけ緊張をほぐした。

 

 制服の袖に気を遣いながら口に運ぶと、程よい辛味と深みのある旨味が舌に広がる。

 

 相変わらず、うちの部下は料理が上手い。

 思わず小さく唇が緩み、次の一口を口に運ぼうとしたその時、ふと副官へと視線を向けた。

 

 

「お前、どう思う?」

「どう、とは?」

「連邦生徒会のことだ。あの超人が居なくなって以降、動きが鈍い。SRTは仕方ないとしても、せめてヴァルキューレの海警をけしかけてくるくらいの真似はしてくると思っていたんだがな」

 

 アリアの声には、予想外の静けさがあった。先程までにあった苛立ちではない、あくまで観察者のような視線で物事を見ているような、そんな声色だ。

 

 

「……まぁ、それどころではないのでは? 連邦生徒会長の失踪なんて、前代未聞の事件ですし。先の混乱で、相当な被害もあったとか。SNSで見た話ですが、ミレニアムじゃ発電所も止まっていたらしいですよ」

「発電所、か……」

 

 

 彼女の目が僅かに細められる。

 だがその瞬間、アリアの思考の奥底に浮かんだ過激な選択肢を、副官は直感的に察知する。三年近いこれまでの経験と理解が為せる業だった。

 

 

「あの、提督……ただでさえ主要な港湾施設を破壊しているというのに、今度は電力インフラまで狙うおつもりですか? そんなことをすれば計画の達成どころか、多学籍連合軍に艦隊を潰されかねませんよ」

 

 

 その口調は、畏れや非難ではなかった。あくまでも冷静に、そして真摯に上司を諌める副官としての忠告だった。それに対してアリアは、彼女をジッと眺めて深いため息をつく。

 

 

「わかっているよ。私も流石にそこまではやらないさ」

 

 

 ︎︎アリアはスプーンを皿に置き、椅子にもたれながら長く息を吐く。否定はしない。破壊的な手段が頭に浮かんだのは事実だ。だが、それを行動に移す気はなかった。

 

 副官の指摘にあった、各学園の連携による“多学籍連合軍”など現実的には絵空事に近い。だがキヴォトスの経済が臨界を迎えれば、その不可能も揺らぎ始める。

 ︎︎歴史的経緯から不仲で有名なゲヘナとトリニティが手を組むなど信じがたいが、「共通の敵」の存在が理性をねじ曲げる例など、過去の資料を少し紐解けばいくらでもある。

 

 

「海にいるからこそ、私たちの首はまだ繋がっている。わざわざ陸に上がってまで破壊工作する必要は少なくとも、現時点ではない」

「“現時点”……ですか。それは、つまり──」

「少し、気になる組織があってな」

 

 

 アリアは窓の外に視線をやり、波間の彼方に思考を漂わせるように言葉を継いだ。

 

 

「お前も、連邦生徒会の会見は見ただろ。“シャーレ”とかいう、あの組織だ」

 

 

 副官は数秒の沈黙のあと、ふと小さく「ああ……」と呟いた。

 

 ︎︎先日のあの記者会見。

 ︎︎連邦生徒会長の失踪が正式に発表され、クロノススクールの協力のもと、全キヴォトスへとライブ配信された異例の会見。

 

 アリアたちはその時間、すでに艦隊行動中で海上に居たものの、艦内のネット接続は許可されており、後に録画で内容を確認していた。副官もその要点は把握している。

 

 中でも異彩を放ったのは、連邦生徒会長代行を務める七神リン首席行政官が名を挙げた、連邦捜査部シャーレ。そしてその顧問を務める「先生」と呼ばれる大人の存在だ。

 

 失踪した連邦生徒会長自らが外部から招いたというその人物は、自治区を跨いで自由に行動できるという。武装組織ではないが、その特殊な立場にSRTを連想した者も少なくない。

 

 

「……しかし、我々にとって脅威となるような組織には見えませんでしたが」

 

 

 副官は慎重に言葉を選びつつ、控えめに疑問を呈す。

 アリアはその反応に、肩をひとつ竦めてみせた。

 

 

「なんだその顔は。何も分からないから、警戒してるだけだ」

「“先生”とやら一人で我々を相手にどうこうできるとは……」

「だろうな。ただ、あの組織の性質がまだ見えていない。自治区を越えて動けるなら──お前が言っていた“多学籍連合軍”とやらの中継役となる可能性もあるだろう。旗を振る者がいれば、人は意外と簡単に集まるものだよ。それこそ、この艦隊のようにな」

 

 

 トリニティとゲヘナ、ミレニアム、百鬼夜行、さらにはレッドウィンター。どれも決して一枚岩ではない。

 ︎︎だが、それぞれの勢力が“対オデュッセイア反乱部隊”という大義で手を結べば、この艦隊はひとたまりもないだろう。そこにSRTやヴァルキューレまで加わったら、正しく悪夢のような光景が海に広がる。

 

 ︎︎とはいえ、やはり仲の悪さはそう簡単に解せられない。多学籍連合軍実現の可能性という面においては、アリアは限りなく低いとは思っている。

 再びスプーンを手に取り、冷めかけたカレーを口に運んだ。スパイスの香りが鼻腔をくすぐり、表情がわずかに和らぐ。

 

 

「いいか、キミ。敵というのは力があるから怖いんじゃない。正体が見えないから怖いんだよ」

「……」

 

 

 言葉に込められた重みを受け、副官は静かに目を伏せる。

 

 

「情報収集が必要だな。シャーレの動きを知りたい」

「陸戦隊は第二次作戦で動員予定ですし、乗組員も手が離せません。となると、島内の生徒から選抜するしか……」

「……いや、ミサイル管制も対空砲も空ける訳にはいかない。調理班も農業班も手一杯。ああ、まったく……本当に猫の手も借りたい有様だよ」

 

 

 スプーンを口に運びながら、アリアは小さくため息を吐く。

 だが次の瞬間、何か思いついたようにふと目を細めた。

 

 

「まさか私が行く訳にもいかんし──……いや待てよ。お前が居たな」

「えっ……?」

 

 

 副官の目が驚きに見開かれる。

 だがアリアは、もはやそれすら視界に入っていないかのように、悠々とカレーを食べ続けていた。満足げに頷きながら、さらりと命じる。

 

 

「シャーレの“先生”と接触しろ。組織の実態、連邦生徒会との関係性、あの大人の人となり──とにかく、分かることは何でも調べてこい」

「か、構いませんが……本当に、私が行くんですか?」

 

 

 副官の声には、ほんのりとした動揺と不満が滲む。

 しかしアリアは平然とした調子で返した。

 

 

「この島で自由に動かせる生徒なんて、お前くらいしか居ないじゃないか。私の副官といっても、普段は私の身の回りの世話ばかり。たまには外に出て街の空気でも吸ってきたらどうだ?」

 

 

 からかうような言い方だったが、その実、かなり本気であることは副官も分かっている。抵抗は無意味と悟った彼女は、ため息をついて深く頷いた。

 

 

「……“休息がてら”の情報収集なんて、聞いたことありませんよ」

「そうか? 私はよくやるがな」

 

 

 それは冗談か、それとも真実か。付き合いの長い副官でも判断がつかなかった。ただ一つ言えるのは、この反乱提督にとって“疲れ”とは行動の抑止にならない、ということだった。

 

 

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