Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達   作:NageT

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第百四十七話 嵐の前の笑い

「――A-02最終シーケンスに入りました」

 

葵の声が、砂塵と焼けた臭いに満ちた戦場の空気を切り裂いた。淡々とした調子はいつも通りだ。だが、その声音の奥には、ほんの僅か――安堵が混じっていた。

 

「キグナスリードよりレッドキグナス。A-02は現在、砲撃準備態勢で最終コースを侵攻中。60秒後、艦隊による支援砲撃が開始されます。90秒以内に被害想定地域より退避してください」

 

90秒。

 

たった90秒で、この地獄の中心から抜けろというのか。

無茶を言う――そう叫びたいのに、涼介の喉から出たのは、逆に腹の底から湧き上がる笑いだった。

 

「うっし……キグナス01、了解!」

 

掠れていた声に、力が戻る。

希望がある。いや、希望という名の“手順”が、やっと目の前に差し出された。

 

「聞いたな野郎ども! 一旦下がるぞ! 撤退戦だ、散り際に付き合ってやるほど俺らは暇じゃねぇ!」

 

涼介の壱型丙が反転する。

機体をひねると同時、背部懸架の突撃砲が後方へ向き――火線が走った。

 

ドドドドドッ!

 

乱射。撃ちっぱなし。狙いは雑だが意味はある。

追い縋る戦車級、要撃級の群れに「近づくな」と言語化する代わりの弾幕。

跳躍ユニットが唸り、壱型丙は瓦礫の海を滑るように駆け抜けた。

 

「よし、隊長機に続け! 退避ルート、右寄りだ、砲撃線に被るなよ!」

小川が即座に指示を飛ばす。撤退は突撃より難しい。遅れた機体が、追撃に食い裂かれる。

 

「了解っす! ナベさん!逃げる時も相変わらず突撃すんだな!」

雁部が笑い混じりに叫ぶ。だがその声は、恐怖を打ち消すための“冗談”だと誰もが分かっていた。

 

「誰が逃げるかよ! んな事いってると置いてくぜ!」

涼介が返すと、松本が不安な表情を見せる。

 

「え、なべ大尉、置いてくの? ひどくない?」

「お前は置いてっても追いついてくるだろうが!」

「えへへ、バレた?」

 

松原が呆れた声を挟む。

 

「松本……今は真面目に撤退して」

「え、してるよ?」

「してるつもりが怖いんだよ」

 

そのやり取りが一瞬、部隊の呼吸を整えた。

笑う余裕はない。だが、笑えるうちに笑う。

それがキグナスの“生き方”だった。

 

「……俺はまだやれったっけね」

 

片腕のない富田が、いつもの焼津訛りでぼそっと呟く。

その声に、小川が即座に噛みつく。

 

「片腕飛ばしといて何言ってるんですか」

「うるせぇっけ! 片腕でも弾は撃てるっけ!」

「撃てますけど、撃つ方向ミスったら僕が死ぬんでやめてください」

「ははっ! なら死なねぇように俺の後ろに隠れてろっけ!」

 

富田が笑い、次いで、紗栄の声が重なる。

 

「正直、これ以上はきつかったです……!」

吐き出すような言葉。砲撃支援の彼女は、ずっと息を止めたまま戦ってきた。

それでも、言葉の最後を“泣き”で終わらせない。

 

「でも生きてるよ! 真里奈ちゃん、よくやったよ!」

紗栄がすぐに続ける。妹分ではなく、今は同じ戦場の仲間として。

 

「……あ、ありがとうございます……」

真里奈の声は息も絶え絶えだ。興奮剤で無理矢理繋いだ意識が、まだ震えている。

 

「おうおう、紗栄がお姉さんぶってらぁ。バカヤベー」

雁部が茶々を入れると、紗栄の頬がぷくっと膨らんだ。

 

「雁部少尉!」

「うわ、怖っ。姉御じゃん」

「誰が姉御だよ!」

「じゃあ妹御?」

「うるさい!」

 

大友が苦笑いを挟む。

 

「……はいはい、二人とも喧嘩はあと。今は撤退、撤退ね」

母性的な声が入るだけで、部隊の温度が少し落ち着く。

 

だが涼介は、そこで一段、声を硬くした。

 

「テメェら、まだ気を抜くな。最前線にいた分、退避までは距離も時間もギリギリだ。推進剤の残量、見ろ。足止めたら、蒸発するぞ」

 

蒸発。

冗談じゃない。重光線級の一撃なら、本当に消える。

 

「了解!」

全員の声が重なり、雑音の中でも“揃った”と分かる。

 

キグナス中隊は最大全速で駆ける。

背後の空が、異様に明るい。

艦砲射撃の火球が地平線を叩き、同時にレーザーが幾重にも走る。

最初の支援砲撃の砲弾撃墜率70%――それは、空が“敵のもの”だという現実を突きつけてくる。

 

その中で、彼らは地面を駆けるしかない。

 

被害想定地域の境界が近づく。

そこで、涼介がふと口を開いた。

 

「……さっきから静かだが。あんまり気にしすぎるなよ、大友姐さん」

 

突然名指しされ、大友は目を見開いた。

 

「え……? あ、うん……」

一瞬、言葉が詰まる。

「……ごめんね。私のミスで……」

 

俯きがちの笑顔。

大友の視界には、富田機のデータリンクが映っている。警報が点灯し、左腕損失。装甲損耗。

自分が転んだせいで、富田が身代わりになった。

 

そこへ、富田がぶち込む。

 

「気にするなっけ! 俺はピンピンしてる!」

続けて、あまりに富田らしい一言。

「でも今度、豚カツの時は一切れ欲しいっけね」

 

沈みかけた空気が、一瞬で弾けた。

 

「バカヤベー! 流石トミさん!」

雁部が腹を抱える。

 

「こんな時まで食い意地ですか」

小川が呆れを装う。だが声の端が少し笑っている。

 

松原が追撃する。

「豚カツは5切れくらいあるから……あと4回転べますね、大友少尉」

「計算すんなよ!!」

涼介がツッコミを入れる。

 

紗栄が笑いながら続けた。

「一切れじゃ足りないよ、富田中尉。大友さん、全部あげた方がいいんじゃない?」

「紗栄ちゃん、悪い顔してる!」

 

大友の表情が、ようやく“いつもの”に戻った。

 

「一切れと言わず全部あげちゃうよ! サービスであーんもしてあげちゃう!」

その言葉に、富田の声が裏返る。

 

「お、おいっ……!」

「さっきの富田中尉、カッコよかったよ?」

ウィンクまで添えてくる。

 

「うわ、富田中尉、顔真っ赤!」

紗栄が笑う。

 

実際、富田の顔は真っ赤だった。

通信越しでも分かるくらいに、照れている。

それがまた笑いを呼び、全員が一瞬だけ、呼吸を取り戻した。

 

そうしているうちに、彼らは被害想定地域を抜け、補給コンテナ集積地点へと辿り着く。

 

「補給に入る! 機体から降りるなよ、弾薬と推進剤だけ素早くだ!」

 

涼介が短く指示する。

コンテナの周囲では、他部隊の戦術機も同様に“停車”し、補給アームが機体へ伸びていた。

ここは安全地帯ではない。

だが、死地の中心から一歩だけ離れた場所だ。

 

「補給はB小隊からA、Cの順だ! まずC小隊で警戒態勢!」

「了解!」

富田が左腕の無い機体で、砲身を振る。

紗栄と大友も射線を作り、周囲を警戒する。

 

「補給終わり次第、小川。警戒の指揮、頼む」

「了解です。……隊長、背中任されるの慣れてきましたね」

小川の軽口に、涼介が鼻で笑う。

 

「慣れたんじゃねぇ。慣れざるを得ねぇんだよ」

その声は、少しだけ本音だった。

 

補給アームが作動し、弾薬が流し込まれる。推進剤残量が上がっていく。

スッカラカンだったタンクに推進剤が満たされていく。

 

後方では艦砲の爆音が腹を揺らし、

空にはレーザーが蜘蛛の巣のように走っている。

 

その光の下で、松本がぼそっと言った。

 

「……ナベ大尉が隊長っぽい……」

 

松原が即座にツッコむ。

「松本、お前……キグナスの隊長は鍋島大尉しかいないだろ……」

「そっか、そうだったね」

「軽く流すな!」

 

雁部が「バカヤベー!」と笑い、場が少し和む。

 

涼介はそのやり取りを聞き流し、

壱型丙のコックピットの中で、ひとり呟いた。

 

「……たっくよ。兄貴から隊長の座、預かったんだ。隊長らしくもしねぇと……だろ」

 

背中にあるのは、保科隼人の影。

前にあるのは、今生きている仲間の命。

 

涼介は頬をパンと叩いた。

痛みで意識が引き締まる。

 

そして全員に通信を繋ぐ。

声を張る。

この戦場で、言葉だけが命綱になる瞬間がある。

 

「――全員、補給は終わったな!」

 

各機から肯定の返答が返る。

 

「もう少しで、件の国連新兵器様の砲撃が始まる」

涼介はわざと“様”を付けた。

懐疑と苛立ちを冗談にして飲み込むための言い回しだ。

 

「結果次第じゃ、ハイヴへの突入もありえる。……ミスしてもいい。誰かがカバーしてくれる」

 

その言葉に、真里奈が小さく息を呑む。

“誰かがカバーしてくれる”――それは、岸本が死んだ時に叶わなかった言葉でもある。

 

涼介は続けた。

声を、さらに強くする。

 

「だけど死ぬな! 生きて、死ぬ気でミスを取り返せ!」

 

雁部が笑い混じりに返す。

「バカヤベー!難しいこと言うなぁ、隊長。死ぬ気で生きろってか?」

「うるせぇ! そういうこった!」

 

富田が吠える。

「生きて帰るっけ! 豚カツのために!」

「結局そこですか!」

小川の即ツッコミ。

 

紗栄が声を張った。

「帰ったら佐渡の海産物も食べる! だから死なない!」

「え?お魚!、お腹減る!」

松本が妙に真剣に言い、松原が呆れる。

「戦場で食欲出るの、松本と富田中尉くらいだよ……」

 

大友がいつもの姉御肌でまとめる。

「はいはい、全員生きて帰って、みんなでご飯ね。約束」

その一言に、全員の声が少し柔らかくなる。

 

真里奈が、はっきりと言った。

「……私も、生きて帰ります……私として」

小川が短く返す。

「それでいい。……死ぬなよ、真里奈」

「はい!」

 

涼介は最後に、噛み締めるように言い放つ。

 

「――全員で、生きて帰るぞ!」

 

「了解!!」

 

9人の声が重なった。

疲労も、恐怖も、後悔も、全部抱えたまま。

それでも、その声は折れていなかった。

 

遠くで、空が一段明るくなった。

艦隊の支援砲撃が、再び火線を引き直していく。

レーザーの線が、そこに絡みつき、空はまるで戦場の“檻”のように光る。

 

そして、彼らは見えない場所で進む“国連の新兵器”を思う。

本当に撃つのか。

本当にハイヴの門を黙らせられるのか。

 

信じるしかない。

軍人だからではない。

 

――生き残りたいからだ。

 

レッドキグナス中隊、10人の目に決意の炎が宿る。

その炎は、砲火より小さい。

だが、消えない。

 

次の通信が来るまで、あと少し。

 

A-02が撃つ。

世界が変わるかもしれない、その“秒読み”の中で。

 

彼らは再び操縦桿を握り直し、

地獄の先へと視線を向けた。

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