Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達 作:NageT
「――A-02最終シーケンスに入りました」
葵の声が、砂塵と焼けた臭いに満ちた戦場の空気を切り裂いた。淡々とした調子はいつも通りだ。だが、その声音の奥には、ほんの僅か――安堵が混じっていた。
「キグナスリードよりレッドキグナス。A-02は現在、砲撃準備態勢で最終コースを侵攻中。60秒後、艦隊による支援砲撃が開始されます。90秒以内に被害想定地域より退避してください」
90秒。
たった90秒で、この地獄の中心から抜けろというのか。
無茶を言う――そう叫びたいのに、涼介の喉から出たのは、逆に腹の底から湧き上がる笑いだった。
「うっし……キグナス01、了解!」
掠れていた声に、力が戻る。
希望がある。いや、希望という名の“手順”が、やっと目の前に差し出された。
「聞いたな野郎ども! 一旦下がるぞ! 撤退戦だ、散り際に付き合ってやるほど俺らは暇じゃねぇ!」
涼介の壱型丙が反転する。
機体をひねると同時、背部懸架の突撃砲が後方へ向き――火線が走った。
ドドドドドッ!
乱射。撃ちっぱなし。狙いは雑だが意味はある。
追い縋る戦車級、要撃級の群れに「近づくな」と言語化する代わりの弾幕。
跳躍ユニットが唸り、壱型丙は瓦礫の海を滑るように駆け抜けた。
「よし、隊長機に続け! 退避ルート、右寄りだ、砲撃線に被るなよ!」
小川が即座に指示を飛ばす。撤退は突撃より難しい。遅れた機体が、追撃に食い裂かれる。
「了解っす! ナベさん!逃げる時も相変わらず突撃すんだな!」
雁部が笑い混じりに叫ぶ。だがその声は、恐怖を打ち消すための“冗談”だと誰もが分かっていた。
「誰が逃げるかよ! んな事いってると置いてくぜ!」
涼介が返すと、松本が不安な表情を見せる。
「え、なべ大尉、置いてくの? ひどくない?」
「お前は置いてっても追いついてくるだろうが!」
「えへへ、バレた?」
松原が呆れた声を挟む。
「松本……今は真面目に撤退して」
「え、してるよ?」
「してるつもりが怖いんだよ」
そのやり取りが一瞬、部隊の呼吸を整えた。
笑う余裕はない。だが、笑えるうちに笑う。
それがキグナスの“生き方”だった。
「……俺はまだやれったっけね」
片腕のない富田が、いつもの焼津訛りでぼそっと呟く。
その声に、小川が即座に噛みつく。
「片腕飛ばしといて何言ってるんですか」
「うるせぇっけ! 片腕でも弾は撃てるっけ!」
「撃てますけど、撃つ方向ミスったら僕が死ぬんでやめてください」
「ははっ! なら死なねぇように俺の後ろに隠れてろっけ!」
富田が笑い、次いで、紗栄の声が重なる。
「正直、これ以上はきつかったです……!」
吐き出すような言葉。砲撃支援の彼女は、ずっと息を止めたまま戦ってきた。
それでも、言葉の最後を“泣き”で終わらせない。
「でも生きてるよ! 真里奈ちゃん、よくやったよ!」
紗栄がすぐに続ける。妹分ではなく、今は同じ戦場の仲間として。
「……あ、ありがとうございます……」
真里奈の声は息も絶え絶えだ。興奮剤で無理矢理繋いだ意識が、まだ震えている。
「おうおう、紗栄がお姉さんぶってらぁ。バカヤベー」
雁部が茶々を入れると、紗栄の頬がぷくっと膨らんだ。
「雁部少尉!」
「うわ、怖っ。姉御じゃん」
「誰が姉御だよ!」
「じゃあ妹御?」
「うるさい!」
大友が苦笑いを挟む。
「……はいはい、二人とも喧嘩はあと。今は撤退、撤退ね」
母性的な声が入るだけで、部隊の温度が少し落ち着く。
だが涼介は、そこで一段、声を硬くした。
「テメェら、まだ気を抜くな。最前線にいた分、退避までは距離も時間もギリギリだ。推進剤の残量、見ろ。足止めたら、蒸発するぞ」
蒸発。
冗談じゃない。重光線級の一撃なら、本当に消える。
「了解!」
全員の声が重なり、雑音の中でも“揃った”と分かる。
キグナス中隊は最大全速で駆ける。
背後の空が、異様に明るい。
艦砲射撃の火球が地平線を叩き、同時にレーザーが幾重にも走る。
最初の支援砲撃の砲弾撃墜率70%――それは、空が“敵のもの”だという現実を突きつけてくる。
その中で、彼らは地面を駆けるしかない。
被害想定地域の境界が近づく。
そこで、涼介がふと口を開いた。
「……さっきから静かだが。あんまり気にしすぎるなよ、大友姐さん」
突然名指しされ、大友は目を見開いた。
「え……? あ、うん……」
一瞬、言葉が詰まる。
「……ごめんね。私のミスで……」
俯きがちの笑顔。
大友の視界には、富田機のデータリンクが映っている。警報が点灯し、左腕損失。装甲損耗。
自分が転んだせいで、富田が身代わりになった。
そこへ、富田がぶち込む。
「気にするなっけ! 俺はピンピンしてる!」
続けて、あまりに富田らしい一言。
「でも今度、豚カツの時は一切れ欲しいっけね」
沈みかけた空気が、一瞬で弾けた。
「バカヤベー! 流石トミさん!」
雁部が腹を抱える。
「こんな時まで食い意地ですか」
小川が呆れを装う。だが声の端が少し笑っている。
松原が追撃する。
「豚カツは5切れくらいあるから……あと4回転べますね、大友少尉」
「計算すんなよ!!」
涼介がツッコミを入れる。
紗栄が笑いながら続けた。
「一切れじゃ足りないよ、富田中尉。大友さん、全部あげた方がいいんじゃない?」
「紗栄ちゃん、悪い顔してる!」
大友の表情が、ようやく“いつもの”に戻った。
「一切れと言わず全部あげちゃうよ! サービスであーんもしてあげちゃう!」
その言葉に、富田の声が裏返る。
「お、おいっ……!」
「さっきの富田中尉、カッコよかったよ?」
ウィンクまで添えてくる。
「うわ、富田中尉、顔真っ赤!」
紗栄が笑う。
実際、富田の顔は真っ赤だった。
通信越しでも分かるくらいに、照れている。
それがまた笑いを呼び、全員が一瞬だけ、呼吸を取り戻した。
そうしているうちに、彼らは被害想定地域を抜け、補給コンテナ集積地点へと辿り着く。
「補給に入る! 機体から降りるなよ、弾薬と推進剤だけ素早くだ!」
涼介が短く指示する。
コンテナの周囲では、他部隊の戦術機も同様に“停車”し、補給アームが機体へ伸びていた。
ここは安全地帯ではない。
だが、死地の中心から一歩だけ離れた場所だ。
「補給はB小隊からA、Cの順だ! まずC小隊で警戒態勢!」
「了解!」
富田が左腕の無い機体で、砲身を振る。
紗栄と大友も射線を作り、周囲を警戒する。
「補給終わり次第、小川。警戒の指揮、頼む」
「了解です。……隊長、背中任されるの慣れてきましたね」
小川の軽口に、涼介が鼻で笑う。
「慣れたんじゃねぇ。慣れざるを得ねぇんだよ」
その声は、少しだけ本音だった。
補給アームが作動し、弾薬が流し込まれる。推進剤残量が上がっていく。
スッカラカンだったタンクに推進剤が満たされていく。
後方では艦砲の爆音が腹を揺らし、
空にはレーザーが蜘蛛の巣のように走っている。
その光の下で、松本がぼそっと言った。
「……ナベ大尉が隊長っぽい……」
松原が即座にツッコむ。
「松本、お前……キグナスの隊長は鍋島大尉しかいないだろ……」
「そっか、そうだったね」
「軽く流すな!」
雁部が「バカヤベー!」と笑い、場が少し和む。
涼介はそのやり取りを聞き流し、
壱型丙のコックピットの中で、ひとり呟いた。
「……たっくよ。兄貴から隊長の座、預かったんだ。隊長らしくもしねぇと……だろ」
背中にあるのは、保科隼人の影。
前にあるのは、今生きている仲間の命。
涼介は頬をパンと叩いた。
痛みで意識が引き締まる。
そして全員に通信を繋ぐ。
声を張る。
この戦場で、言葉だけが命綱になる瞬間がある。
「――全員、補給は終わったな!」
各機から肯定の返答が返る。
「もう少しで、件の国連新兵器様の砲撃が始まる」
涼介はわざと“様”を付けた。
懐疑と苛立ちを冗談にして飲み込むための言い回しだ。
「結果次第じゃ、ハイヴへの突入もありえる。……ミスしてもいい。誰かがカバーしてくれる」
その言葉に、真里奈が小さく息を呑む。
“誰かがカバーしてくれる”――それは、岸本が死んだ時に叶わなかった言葉でもある。
涼介は続けた。
声を、さらに強くする。
「だけど死ぬな! 生きて、死ぬ気でミスを取り返せ!」
雁部が笑い混じりに返す。
「バカヤベー!難しいこと言うなぁ、隊長。死ぬ気で生きろってか?」
「うるせぇ! そういうこった!」
富田が吠える。
「生きて帰るっけ! 豚カツのために!」
「結局そこですか!」
小川の即ツッコミ。
紗栄が声を張った。
「帰ったら佐渡の海産物も食べる! だから死なない!」
「え?お魚!、お腹減る!」
松本が妙に真剣に言い、松原が呆れる。
「戦場で食欲出るの、松本と富田中尉くらいだよ……」
大友がいつもの姉御肌でまとめる。
「はいはい、全員生きて帰って、みんなでご飯ね。約束」
その一言に、全員の声が少し柔らかくなる。
真里奈が、はっきりと言った。
「……私も、生きて帰ります……私として」
小川が短く返す。
「それでいい。……死ぬなよ、真里奈」
「はい!」
涼介は最後に、噛み締めるように言い放つ。
「――全員で、生きて帰るぞ!」
「了解!!」
9人の声が重なった。
疲労も、恐怖も、後悔も、全部抱えたまま。
それでも、その声は折れていなかった。
遠くで、空が一段明るくなった。
艦隊の支援砲撃が、再び火線を引き直していく。
レーザーの線が、そこに絡みつき、空はまるで戦場の“檻”のように光る。
そして、彼らは見えない場所で進む“国連の新兵器”を思う。
本当に撃つのか。
本当にハイヴの門を黙らせられるのか。
信じるしかない。
軍人だからではない。
――生き残りたいからだ。
レッドキグナス中隊、10人の目に決意の炎が宿る。
その炎は、砲火より小さい。
だが、消えない。
次の通信が来るまで、あと少し。
A-02が撃つ。
世界が変わるかもしれない、その“秒読み”の中で。
彼らは再び操縦桿を握り直し、
地獄の先へと視線を向けた。