Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達 作:NageT
桜花作戦終結から、一ヶ月。
長岡基地の朝は、奇妙なほど静かだった。
爆音も警報もなく、ただ冬の冷たい空気だけが格納庫の隙間を抜けていく。
涼介はその静けさの中で、紙を一枚、机の上に置いた。
婚姻届。
書類としては驚くほどあっさりしていて、これまで死と隣り合わせで生きてきた自分の人生と釣り合わない気すらした。
だが、その横に並ぶ名前を見た瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
鍋島 涼介
鍋島 葵
「……これで、正式に夫婦だな」
小さく呟くと、向かいに座っていた葵が、ほんの少し照れたように微笑った。
「はい。逃げられませんよ、もう」
「逃げる気なんて最初からねぇよ」
冗談めかして言いながら、涼介は椅子に深く腰を下ろした。
一瞬、言葉を選ぶように視線を落とし、それから真っ直ぐに葵を見る。
「俺さ……近衛に行く」
葵は驚いた顔をしなかった。
むしろ、ずっと前からわかっていたような、そんな目で涼介を見返す。
「兄貴の夢だった近衛軍だ。八雲作戦で見た強さも、甲二十一号の最後に救われたあの力も……全部、俺の中に残ってる」
一度、言葉を切る。
「もっと強くなりてぇ。守れる範囲を、広げたい。……だから、一緒に来てほしい」
沈黙。
だがそれは迷いではなく、決意を噛み締めるための時間だった。
「……はい」
葵は静かに頷く。
「あなたが行く場所が、私の行く場所です。生きて帰ってくるなら、どこへでも」
その言葉に、涼介は息を吐き、照れ隠しのように視線を逸らした。
「ありがとな」
その日の午後。
紗栄は格納庫の隅で、愛機の整備記録をぼんやりと眺めていた。
「チビ兄」
背後からの声に、肩が跳ねる。
振り返ると、涼介が立っていた。
「……いなくなっちゃうの?」
紗栄の声は、かすかに震えていた。
「別に消えるわけじゃねぇよ」
涼介は一歩近づき、視線を合わせる。
「もっと強くなって帰ってくる。それだけだ」
「……また、置いてかれる気がして」
俯く紗栄の頭に、涼介は軽く手を置いた。
「お前はもう一人で立てる。レッドキグナスの衛士だろ」
紗栄はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……うん」
長岡基地のゲートが、ゆっくりと開く。
外は冬の空気。
澄んでいて、冷たくて、それでもどこか優しい。
二人並んで歩き出す。
「振り返らなくていいんですか?」
葵が訊く。
2人の後ろにはキグナス中隊8人が整列し直立不動で敬礼していた。
「あいつらには、全部託して来た」
涼介は前を見たまま答えた。
「これから先を見ないと、意味ねぇだろ」
涼介は振り返る事なく右手を振ると真っ直ぐに歩き出す。
その目には止まる事なく涙が溢れていた。
「ふふ、それじゃ振り返れませんね」
葵はクスっと笑い、その一歩半分後ろを歩く。
それが、今の距離だった。
数日後。
涼介は黒い近衛軍の制服に身を包み、格納庫で一機の武御雷を見上げていた。
黒。
威圧感すらあるその姿に、自然と背筋が伸びる。
「……ここからだな」
「久しいな、随分似合ってるではないか」
背後から聞き覚えのある声。
振り返ると、そこには渡凌牙が立っていた。
「久しぶりだな、鍋島」
涼介は笑った。
「ああ……よろしく頼む」
レッドキグナスでの戦いは、ここで幕を閉じる。
だが、鍋島涼介の戦いは、まだ終わらない。
人類の勝利、その日まで。
――彼らは、戦い続ける。