Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達 作:NageT
長岡基地の喫煙所は、相変わらず薄暗かった。
換気装置の低い唸りと、灰皿に落ちる吸い殻の音。
戦場から戻ってきた連中にとって、ここは“外でも内でもない場所”だった。
「……ふぅ」
雁部雅史は、深く煙を吸い込み、天井に向かって吐き出した。
紫煙がゆっくりと広がり、やがて消えていく。
「ほんっと、よく生きて帰ってきたもんだわ」
誰に言うでもなく呟く。
喫煙所には他にも数人いたが、皆それぞれ黙っていた。
今は、無理に喋る時間じゃない。
雁部は灰皿に灰を落とし、無意識にポケットを探る。
そこに“いつもの感触”がないことに、今さら気づいた。
「……あーあ」
以前なら、ここで誰かに絡んでいた。
涼介にちょっかいを出し、小川に皮肉を飛ばし、
紗栄をからかって泣かせて――
最後に大友に叱られる。
そんな日常は、もう戻らない。
「バカヤベーよ……」
笑うように言って、でも声は乾いていた。
甲21号作戦。
桜花作戦。
あの撤退戦。
雁部は、はっきり覚えている。
要撃級を叩き潰しながら、
横で戦っていた機体が、次の瞬間にはいなくなっていたことを。
名前を呼ぶ間もなく、通信が途切れたことを。
「……慣れるもんじゃねぇな」
国連軍にいた頃から、何度も見てきた。
死に様も、散り方も、嫌というほど。
それでも――
今回は違った。
「キグナス、か……」
最初は軽い気持ちだった。
“狂犬雁部”が面白がって突っ込んだだけ。
なのに気づけば、
守る側になっていた。
涼介の無茶をフォローして、
松松の背中を押して、
真里奈が遅れれば割って入り、
富田が前に出れば並んで立つ。
「……柄じゃねぇのに」
雁部は煙草を消し、しばらく灰皿を見つめた。
――ナベさん、近衛行くんだよな。
あの時の顔を思い出す。
覚悟を決めた顔だった。
羨ましい、と思った。
同時に、少しだけ悔しかった。
「ま、俺は俺だ」
近衛に行く柄じゃない。
誰かの旗になるタイプでもない。
雁部は、前線で吠える犬でいい。
その時、喫煙所の扉が軋んで開いた。
「……あ、雁部少尉」
声の主は、若い整備兵だった。
少し緊張した様子で、立ち止まる。
「なんだ、どうした?」
「いえ、その……
キグナス中隊の方ですよね?」
「あぁ、そうだが?」
整備兵は、少し躊躇ってから言った。
「ありがとうございました。
あの時……道、開けてくれたの」
雁部は一瞬、何の話かわからなかった。
だがすぐに思い出す。
撤退戦。
壊れかけの激震をかばって、突っ込んだあの瞬間。
「あぁ……あれか」
雁部は肩をすくめる。
「気にすんな。
たまたま前にいただけだ」
「それでも、です」
整備兵は深く頭を下げた。
雁部は、何とも言えない顔でそれを見る。
「……生き残れよ」
ぽつりと、それだけ言った。
整備兵が去った後、
雁部はもう一本煙草を取り出す。
火をつけながら、独り言のように呟いた。
「守る側も、悪くねぇな……」
以前の自分なら、こんなことは言わなかった。
でも今は、違う。
「またどっかで会ったら、一服付き合えよ」
誰に向けた言葉かは、わからない。
涼介かもしれないし、
キグナスの誰かかもしれないし、
もういない仲間かもしれない。
雁部は煙を吐き、笑った。
その笑いは、少しだけ静かで、
それでも確かに“前を向いている”笑いだった。