Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達 作:NageT
兄がいなくなった長岡基地は、想像していたよりもずっと静かだった。
格納庫に響くのは、いつもと変わらない整備員の声と工具の音。
訓練スケジュールも、部隊編成も、昨日までと何ひとつ変わらない。
――変わったのは、自分の中だけだ。
紗栄は不知火のコックピットに座り、ディスプレイに映るチェックリストを淡々と消していった。
指は正確に動いている。確認項目も、操作手順も、何ひとつ間違えていない。
それでも、胸の奥が少しだけ落ち着かない。
(……チビ兄なら、ここで何て言ったかな)
無意識のうちに浮かぶ思考を、紗栄は小さく首を振って振り払った。
もう、いない。
守ってくれる背中も、前に立ってくれる存在も。
今、キグナスにいるのは――自分たちだけだ。
「C小隊、通信チェックいくぞ」
無線に小川の声が入る。
いつもと同じ、落ち着いたトーン。
それだけで、ほんの少しだけ呼吸が楽になった。
「紗栄、聞こえるか」
「……聞こえてる」
短く返す。
声がいつもより素っ気ないことに、自分でも気づいていた。
「砲撃支援位置はいつも通り。今日は模擬目標が多い、焦らずいこう」
「了解」
それだけのやり取り。
慰めも、気遣いもない。
――でも、それがいい。
兄がいなくなったからといって、特別扱いされるのは違う。
同情されるのも、妹扱いされるのも、今は嫌だった。
訓練が始まる。
A小隊が前進し、B小隊がラインを整え、C小隊が後方から砲撃支援に入る。
紗栄はディスプレイ越しに戦況を把握し、狙点を割り出す。
一瞬、判断が遅れた。
(……今の、早すぎた?)
砲撃を一拍遅らせたことで、前線がわずかに乱れる。
大事には至らないが、自分でもわかるミスだった。
「紗栄、次いけるか」
小川の声が飛ぶ。
叱責でも、確認でもない。
ただの問い。
「……いける」
答えながら、紗栄は歯を食いしばった。
兄がいた頃なら、迷わなかった。
背中を追えばよかった。
判断は誰かがしてくれていた。
でも今は違う。
(私が、決めなきゃ)
次の瞬間、紗栄は自分の判断で照準を修正した。
支援突撃砲が火を噴き、模擬目標が次々と消えていく。
「――命中確認。前線、押し返した」
「助かった」
小川の短い一言が、無線に流れた。
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
褒められたわけでも、励まされたわけでもない。
ただ、“頼られた”。
それだけで十分だった。
訓練終了後、格納庫で機体を降りると、雁部がいつもの調子で声をかけてくる。
「おーい紗栄、今日は珍しく静かじゃねぇか。兄貴ロスか?」
「うるさい」
即座に返すと、雁部は「はいはい」と笑った。
松本は相変わらず軽く、
「でも今日の砲撃、キレてたよねー」と無邪気に言う。
松原は少しだけ真面目に、
「判断、悪くなかった」と短く付け加えた。
誰も、特別なことは言わない。
それが、ありがたかった。
片付けを終え、最後に残ったのは小川と紗栄だけだった。
「……なぁ」
小川が珍しく言い淀む。
「さっきの判断、迷ったろ」
「……少し」
正直に答えると、小川は一瞬だけ目を伏せた。
「それでいい。迷って、それでも撃った。それが今の正解だ」
「……チビ兄なら、もっと速かった……かも」
ぽつりと漏れた言葉。
小川は否定しなかった。
「そうだな。でも、兄貴も富田中尉ももういない」
少し間を置いて、続ける。
「今は、紗栄がC小隊の要だ。俺はそこを信じる」
その言葉に、紗栄は顔を上げた。
「……勝手に信じないで」
そう言いながら、声は震えていなかった。
「信じさせろよ」
小川は淡々と、でも確かにそう言った。
その瞬間、紗栄は気づく。
兄達の背中を追うだけだった自分は、もういない。
誰かの隣に立つ場所に、少しだけ近づいたのだと。
「……次は、もっと上手くやるよ」
「期待してる」
それだけで会話は終わった。
格納庫を出る時、紗栄はふと空を見上げた。
兄がいた頃と、同じ空。
(チビ兄……)
心の中で呟き、すぐに首を振る。
紗栄は、紗栄のやり方で進むんだ。
レッドキグナスの後衛として。
鍋島紗栄として。
ゆっくりと、確実に。