Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達 作:NageT
2003年4月9日。
韓国領・江原道鉄原郡。
甲20号目標――鉄原ハイヴ攻略作戦を目前に控え、
レッドキグナス中隊は戦術機母艦の甲板に集結していた。
夜明け前の空気は冷たく、海風が鋼鉄の甲板を撫でるように吹き抜けていく。
照明に照らされた甲板の向こうには、整然と並ぶ戦術機の影。
明日、ここから飛び立つ機体たちだ。
その端で、一人の衛士が手すりにもたれ、煙草を燻らせていた。
――一本だけ。
作戦前に吸うのは、いつも一本だけだ。
普段は吸わない。身体にも、操縦にも良くないことは分かっている。
それでも、この一本だけはやめられなかった。
煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
こうしていると、不思議と落ち着く。
胸の奥に残るざわめきが、少しだけ静まる。
(……兄貴)
自然と、そんな言葉が浮かんだ。
甲21号作戦。
佐渡。
凄乃皇。
そして、背中。
あの時からだ。
作戦前に一本だけ煙草を吸うようになったのは。
兄の真似でも、格好つけでもない。
ただ、戦場に立つ前に、自分を整えるための――儀式。
「ゲホッ……」
慣れない煙に、思わず咳き込む。
……やっぱり、向いてない。
苦笑しながらも、最後にもう一度だけ煙を吸い、海に向かって吐き出した。
その時だった。
「あ〜、またこんな所で吸って〜」
聞き慣れた、少し呆れた声。
振り返ると、甲板を小走りで近づいてくる小柄な女性衛士の姿があった。
通信士官用のタブレットを抱え、少しだけ眉を吊り上げている。
「なべっ、あっ……小川中尉!
ブリーフィング、もう始まりますよ!」
「あー、今行く今行く!」
慌てて煙草を海へ放り投げ、振り向く。
「隊長、怒ってた?」
「そりゃもう。
“C小隊長がいない”って」
「うわ、マジか……」
頭を掻きながら、苦笑する。
煙草の残り香が、潮風に流されていく。
その衛士の名は――小川紗栄。
かつては“妹”と呼ばれ、
守られる側だった少女は、今やレッドキグナス中隊・C小隊の小隊長だ。
後衛砲撃支援の要。
戦況を読み、前線を支える存在。
兄と離れ、
不安と向き合い、
迷い、立ち止まり、それでも前に進んだ。
誰かの背中を追うだけだった自分は、もういない。
「ほら、行きますよ。
置いていきますからね?」
「はいはい……」
並んで歩き出しながら、紗栄は一度だけ、振り返った。
甲板の向こう。
夜明け前の空。
静かに眠る戦術機たち。
(明日も、戦いだ)
それでも、不思議と怖くはなかった。
隣に兄はもういない。
今も別の戦場で戦っているだろうか?
でも、教えてもらったものは残っている。
仲間もいる。
自分の立つ場所も、役割もある。
「……よし」
小さく呟き、前を向く。
レッドキグナス中隊は、まだ戦っている。
そして、彼女もまた――人類奪還を夢見る一人の衛士として、
今日も戦場に立つ。