Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達   作:NageT

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The Day After ――鍋島葵

静かだった。

 

信じられないほど、静かだった。

 

あれほど通信で埋め尽くされていた耳が、

あれほど数字と生死で満たされていた視界が、

今は白い天井と、規則正しい心拍音だけを映している。

 

鍋島葵は、ゆっくりと息を吸った。

 

吸って、吐く。

それだけのことが、こんなにも難しい日が来るとは思っていなかった。

 

(……大丈夫)

 

自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。

いつも通りだ。

状況を把握し、最悪を想定し、備える。

それが自分の役目だった。

 

けれど――

 

お腹の奥で、確かに“別の鼓動”を感じるたびに、

その冷静さが、少しずつ崩れていくのがわかる。

 

怖かった。

 

戦場で感じた恐怖とは、まるで違う種類のもの。

レーザー属種の捕捉音でも、要塞級の影でもない。

 

「守れなかったらどうしよう」

 

その可能性が、頭から離れない。

 

――私は、ずっと見送る側だった。

 

発進許可を出し、

帰還予定時刻を確認し、

戻らなかった機体の番号を記録する。

 

泣くことも、叫ぶことも許されず、

ただ淡々と、事実を積み上げる。

 

それが、鍋島葵だった。

 

「……」

 

陣痛が強まる。

 

思わず唇を噛み、視線を伏せる。

指先が、シーツを掴む。

 

その瞬間、頭に浮かんだのは――

涼介の背中だった。

 

最前線で、無茶ばかりして、

何度も死にかけて、

それでも笑って帰ってくる人。

 

(あなたは、いつも前に出る)

 

それが誇らしくて、

それが怖くて、

それでも――止められなかった。

 

「……ばか」

 

小さく、でも確かな声で呟く。

 

けれど、同時に思う。

 

(それでも、あなたは帰ってきた)

 

何度も。

約束を破らずに。

 

「……なら」

 

葵は、ゆっくりと息を整えた。

 

(私も、逃げません)

 

今度は、自分が“踏ん張る番”だ。

 

扉の向こうで、足音がする。

聞き慣れた気配。

 

あの人は、きっと今、

戦場より緊張した顔をしている。

 

それを思うと、少しだけ可笑しくなる。

 

(本当に……)

 

――父親になる覚悟は、できていますか?

 

問いかける代わりに、

葵はただ、静かに目を閉じた。

 

そして。

 

新しい命の産声が、世界を震わせた。

 

一瞬、すべての音が遠のく。

 

次に戻ってきたのは、

確かな温もりと、

小さく、力強い鼓動。

 

「……」

 

涙が、止まらなかった。

 

戦場では一度も流さなかった涙が、

今、溢れてくる。

 

守れた。

守りきった。

 

それだけで、十分だった。

 

やがて、涼介が入ってくる。

言葉を失った顔で、こちらを見ている。

 

葵は、腕の中の命を見せる。

 

「……この子は」

 

声が震える。

それでも、はっきりと告げる。

 

「あなたが、何度も帰ってきてくれた理由です」

 

涼介の目が、潤む。

それを見て、葵はようやく、心から笑った。

 

戦いは続く。

世界は、まだ優しくない。

 

それでも。

 

――私たちは、生き延びた。

 

そして、生きる理由を、手に入れた。

 

鍋島葵は、もうただのオペレーターではない。

 

彼女は、

待ち続けた人であり、

選び続けた人であり、

そして――

 

命を、未来へ繋ぐ人になった

 

戦場で数え切れない命を見送ってきた二人は、

その日、たった一つの命を迎えた。

 

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