Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達 作:NageT
春の佐渡島は、潮の匂いとまだ冷たい空気とで、どこか背筋が伸びる。
鍋島涼介は朝焼けのなか、港へと続く坂道を全力で駆けていた。
──なんで、何も言わずに行っちまうんだよ!
頭の中は怒りと困惑でいっぱいだった。
隣に住む保科隼人、兄貴分。誰よりも強くて、かっこよくて、何をしても敵わない相手。
それでも、涼介はずっと挑み続けてきた。腕相撲、徒競走、スイカ割りにコマ回し……
どれもこれも勝てなかった。けど、そんなのはどうでもよかった。
「いつか勝つ」って思えるから、負けるのも悔しいけど楽しかった。
戦績?
今のところ……たぶん100戦ちょっとで全敗。
500戦くらいすれば一回くらい勝てるなんて思ってはいたが、まだまだ先の話だ。
けれど、そんな積み重ねすら、今日の現実の前には意味を失っていく。
港に着くと、定期船はすでに沖へと出ていた。
朝霧の向こうに、白い船体がぼんやりと浮かんで見える。
その甲板の端に、白いタオルを頭に巻いた細身の青年の姿があった。
「……兄貴……っ」
涼介は声にならない声で呟いた。胸の奥が焼けるように熱い。
悔しい。悲しい。置いていかれた。そう思うだけで、目頭がじんわりと滲む。
兄貴のバカ野郎、何も言ってなかった。
「一緒に釣りに行こうな」って、昨日の夕方笑って言ったくせに。
その笑顔の裏に、そんな覚悟を隠していたなんて、知らなかった。
──志願兵だってさ。朝、保科のおばさんが言ってた。
「本土に行って、帝国陸軍の衛士になるんだって」
冗談だと思いたかった。でも、目の前の船がそれを否定する。
夢みたいな現実が、じわじわと身体に染み込んでいく。
どうして、自分たちを置いていくのか。
きっと隼人なりの理由があるのだろう。
──お前らが戦わなくて済むように、俺が行く。
そんなセリフ、兄貴なら本当に言いそうだ。
けれど、それでも──言ってほしかった。
バカだって、止めるって、追いかけるって……言いたかった。
「……勝手すぎんだろ、バカ兄貴……」
つぶやいて、涼介は唇を噛みしめる。
頬を伝う風が冷たい。目の奥が熱い。
ふと、船の上の隼人がこちらに背を向けるのが見えた。
もう何も届かない距離だった。
「……くそ……」
初めて、涙がこぼれた。悔し涙だった。
兄貴はもう、本土の空の下に行ってしまった。
自分だけが、まだここに取り残された。
だけど、この悔しさは忘れない。
必ず追いついてやる。
今はまだ100敗でも、絶対に、絶対にいつか勝ってやる。
──その誓いが、鍋島涼介という男を、戦場へと導くことになる。