Muv-Luv Alternative:Red Cygnus 血染めの白鳥達   作:NageT

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第八十二話 隼人の迷いと渦巻く感情

 時は少し遡る。

 鍋島兄妹と別れた保科は、一人、ゆっくりと歩き出していた。仙台で見た光景と、胸に渦巻く重い感情が、靴底に鉛を詰め込んだように歩みを鈍らせる。

 向かう先は決まっていた。キグナス中隊の副隊長、小林のもとだ。

 

「小林、少しいいか?」

 廊下の角を曲がったところで見つけた背中に、保科は低く声をかけた。

 振り返った小林は、保科の顔を真っすぐに見つめ、表情を変えぬまま短く言う。

「帰られたのですね。そして……見て来たのでしょう」

 

 保科は小さく頷く。

「……あぁ」

 それ以上言葉を続けず、ただ視線で「場所を変えよう」と促す。

 二人は無言のまま歩き出した。その途中、視界の端に松原の姿が映ったが、保科は何も言わず、小林を伴って通り過ぎた。

 

 やがて二人は基地の屋上に辿り着く。

 フェンス際まで歩み寄ると、保科は腰を預け、ポケットから煙草を取り出した。カチリと音を立てて火を点け、紫煙を大きく吸い込む。

 吐き出された煙は、低く垂れこめた曇天に溶けていった。

 

「……大尉殿には、お会いになられましたか?」

 沈黙を破ったのは小林だった。

「あぁ……色々話を聞いてきたよ」

 保科の声には疲労と苛立ちが混じっていた。

「……この国は、ここまで腐ってたのか?」

 その瞳は怒りとも悲しみともつかぬ色を帯び、遠くを見つめる。

 

 小林は視線を逸らさず、短く、しかし重く言葉を投げた。

「見てきたのでしょう?」

「あぁ……見てきたさ」

 保科の口調は低く、押し殺されているが、そこにある感情は明らかだった。

 

「動かねばならぬのです。こうしている間にも、苦しんでいる国民がいる。誰かが――いや、我々が、この国の膿を出し切らねばならない」

 小林の声は、最初は静かだったが、徐々に語気を強めていく。

 

 保科は黙って煙草を吸い込み、視線を地面に落とす。

「わかってる……だがな……」

 頭に浮かぶのは、涼介や紗栄、そしてキグナス中隊の仲間たちの顔。

 戦友であり、家族のように過ごしてきた彼らの笑顔と、戦場での真剣な横顔が交互に脳裏をよぎる。

 

「キグナス中隊から離れられませんか?」

 小林は核心を突く言葉を投げた。

 保科は短く息を呑む。

「……それもあるな」

 歯切れの悪い返答。彼の中で、忠義と責任、そして仲間への情が絡み合っていた。

 

「あなたの行動が、彼らを救うことにもなる。今の政府のもとで戦っても……先は見えています。あなたも、明星作戦に参加されたはずです」

 小林の声に、あの日の光景が保科の脳裏に鮮烈に蘇る。

 G弾の閃光が空を裂き、横浜が崩壊していく様子。

 炎と瓦礫と、逃げ惑う人々の悲鳴。

 そして、仲間たちの通信が一つ、また一つと途絶えていったあの夜。

 

 もし、この先また同じことが起きれば――

 あの地獄が、今度は仲間たちの上に降り注ぐ。

 その想像だけで、背筋を冷たいものが這い上がってきた。

 

「……小林、言いたいことはわかった。だが……もう少しだけ、待ってくれ」

 保科は視線を逸らし、空を見上げた。曇天の切れ間から、かすかな光が差し込んでいる。

 

「大尉……時間は、あまり残されていませんよ」

 小林の声には焦燥が滲んでいた。

 その視線から逃げるように、保科はフェンスから離れ、屋上を後にする。

 

 足音だけが階段に響く中、胸の奥で怒りと悲しみが渦を巻く。

(……親父が死んだことも知らず、お袋の死に目にも間に合わなかった。俺だって、何も考えたくねぇ時だって……あんだよ!)

 

 握りしめた拳の中で、爪が掌に食い込む。

 保科の瞳には、迷いと決意、そして未だ晴れぬ喪失感が同時に揺れていた。

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