すぐ近くに街がある、と聞いて歩いてきて着く頃には日が暮れかけていた。これのどこがすぐ近くなのか、と悪態を吐きたくなったがその相手もおらず、初めて通る道をフラフラと迷いながら来たから時間がかかったのだ、と自分を納得させて街に踏み入った。
「ご主人様」
街には仕事を探しに来たはずだが、もうすぐ夜なのに仕事が見つかるとは思えないし、大変に空腹で今すぐにご飯を食べたい。
仕事とはどういうものが一般的なのか。モンスターの討伐なんて仕事があることは容易に想像できるけど、私にはモンスターを倒す力がない。となると他の仕事、例えばなんだろう。想像も付かない。そもそも仕事なんてどうやって探せばいいのか。
「ご主人様」
お金は90gpあって、これがどの程度の価値なのかは知らないが、一食分くらいになるのだろうか。仮に一食分あったとして宿代はどうしよう。眠いしお腹すいたし疲れたし。
「ご主人様」
トントン、と肩を叩かれて振り向くと15歳ほどに見える少女が立っていた。誰この子。
「ごめんね、今忙しいから」
もしかしたら迷子かもしれないが私も知らない場所で迷子だし路頭にも迷いそうな感じなので少女に構っている余裕はない。お父さんお母さんを探しているなら私のような人間ではなくもっと優しい現地人に声をかけることをおすすめする。
ぐぅとお腹が鳴った。限界は近いので早急に食事を用意する必要がある。そう思ったところでようやく店らしき形状の建物を発見した。ここは何屋さんですか食べ物売ってますか、そんな質問を店主にしようと思ったがその必要はなさそうだった。ここはどうみても鍛冶屋だから。なぜか微妙に食欲のそそられる武器がいくつか売ってあったが鍛冶屋であることは間違いないだろう。
「レストランないのかな。いやあったとしてもお金ないけど」
金も金を稼ぐ方法もない。土地勘もなければ食べ物もないし知り合いもいないし、なんなら自分のこともよくわからない。
たぶんきっかけは強い風が吹いたことだったと思う。朧げだが強い風が船を転覆させたを記憶している。その船に乗っていた私はただの人だったが、夢を見てこの土地を訪れたはずだった。
それなのに船は沈んで、怪我をして、腹の立つ男とよくわからない女に助けられて、腐っているかどうかすら分からない謎の肉を食べたフリをして、彼らの親切を受け取った。彼らから僅かばかりのお金を貰えたのは大変な幸運だったのだと思うが、使えなければただのコインだ。ああ、お腹が空いた。
「ご主人様?」
武器屋からしばらく歩いて見つけたのは酒場のような場所だった。大きく開いた扉の奥にはいくらかのテーブルに、閑散とはしているが酒を飲む人が見える。大きめの酒場のようだし軽食でもあれば良い、そう思って私はふらふらと店の中に一歩踏み入って、後悔した。
店内は血まみれだった。正確に言えば店内全体が血まみれなわけではなく、店の奥の方の、ピアノの置かれたパフォーマンススペースのような場所が、血まみれで、肉の破片が散らばっていた。そして*ぶ〜ん*と小さく音を立てながらその肉片の上をゆっくりと通過する巨大な何か。
恐怖でゆっくりと後ずさると何かにぶつかった。
「ご主人様」
「な、何? さっきの子? ごめんねお姉さん今すごく忙しいから……」
さっき武器屋の近くで私の肩を叩いた子だ。さっきは聞き間違いかと思ったけど、この子どうやら「ご主人様」と言っているらしい。あまり聞きなれない言葉だ。
「ご主人様、私の名前はサッキノコではなくトルーログです」
トルーログというらしい。言っちゃ悪いが、なんだか変な名前だ。それともこの土地ではそれが一般的なのだろうか。
「そうなんだ、でも私は君のご主人様じゃないよ」
「いえ、あなたは私のご主人様です」
「違うよ?」
なぜ私がこの子のご主人様ということになっているのだろうか。悪いけど雇用費を払うような余裕はない。こちとら自分のご飯だって危ういのだから。
「いえ、あなたは私のご主人様です。以前からそうでした」
「以前から……?」
少女のトルーログは私を引っ張って近くの街灯に移動した。空を見ればもうじきに暗くなりそうなのがわかる。まだ宿も見つけてないのだが。
「ご主人様が私のご主人様です。そう決まっています」
「雇った覚えがない」
「ですが、私はご主人様のペットです」
「君が私のペットだったとしても私は君にお給金払えないし、悪いけど、どうしようもないよ」
ていうかペットってなんだ。ペットって犬猫に使う言葉だろう。人のペットなんて聞いたことがないし、もはやそれは奴隷ではないかと思う。
「……? 訓練費はご主人様の気が向いたときにいただければ幸いです」
「いやだからそのお金が今全くなくって、雇えないって──」
──何かおかしい。少女と全く話が噛み合っていない、ような気がする。ペットだとか、以前からペットだったとか、最初から決まっているだとか。
「君と私は今日初めて会った?」
「そう記憶しています」
「じゃあなんで君は私のペットなの?」
「そう決まっているからです」
天を仰ぐしかなかった。この少女に話が通じないというよりは、この場合は私が、話が通じていないのだろう。けっこう大きな声で話しているように思うのに往来の人々は一切反応しない。この土地ではこれが普通なのかもしれない。
「私に何を求めてるの?」
「特に何も求めていません」
「じゃあもう勝手にしてて」
思えば少女は街に入ってからというものずっと私に付き纏っていた。そんな少女が私をご主人様と呼び、自分をペットと称して見返りを求めないのならもう好きにすればいい。何がどうなったとしても私にはどうしようもないことなのだから。
私はふらふらと歩いて酒場の近くの建物に歩いた。少女は追従し、ときおり私から離れては何かしていた。広場に出ると、中心には井戸があり、隅には大きな木の実をいくつもつけた果実の木があった。空腹の身にはその謎の果実がとても美味しそうに見えたが、100%誰かの所有物であろうその木には近づこうと思えなかった。私は異国で生き抜くには小心が過ぎるのだと思う。自覚しても是正できる性格ではないが。
*ごくん*
井戸にもたれかかって広場を見渡していると少女が水を飲んでいた。誰の井戸だ、これは。こんな公共らしい広場にあるわけだから、多分国有のものだと思うのだが。飲んでいいなら私も飲みたかったので「勝手に飲んでいいの?」と聞こうとしたら少女が急に咳き込んだ。咽せたかな、と思って今度は「大丈夫?」と聞こうとした。しかし自分の想定よりも遥かに深刻な声が出た。
「大丈夫!?」
少女は血を吐いていた。
「毒でした」
「何が!?」
「水ですが」
なんで冷静なんだよ。
エウダーナ人、19歳、女。職業はない。無職と言っていいだろう。私はエウダーナ人でありながらどれだけ学んでも魔法の才能は初学者並みで、祖国に私の居場所はなかった。魔法使いを名乗るのは烏滸がましいと自分でも感じている。
「私はこんなにお腹空いてるのに、なんで君は平気そうにしてるわけ?」
「定期的に食事をとっているからです」
「何食べてんの。私にも分けてよ」
「なぜですか?」
「なぜって……」
このトルーログという少女はローランらしい。常識がなく、意味不明な言動を繰り返し、私をご主人様などと宣う謎に満ちた人物だ。しかしながらことノースティリスにおいてはおそらく私の方が常識がないし意味不明なことを言っているんだろうと思う。この地は異常だが、この地にとっては私の方が異常だ。
「お腹空いてるんだけど」
「食べればいいのでは」
「何を?」
少女は指さして私が食べるべきソレを示した。
説明していなかったが、私と少女は今宿屋にいる。一人用の宿で、一部屋に一つのベッドが置いてある。宿屋で食事をとることもできるとのことだったがそれをするにはお金が足りないらしかった。なおパン屋が併設されていて、私はお金さえあればパンを買うことができる。のだが、これまた残念なことにパンを買うお金にはわずかに届いていなかった。小麦なら買えるが小麦を買ったところでそれは食事にはならない。
さて、少女が指さしたソレについてだが、パン屋部分に置かれたバケットだ。カゴに入れられて置かれているソレは確かに食べ物であったが、どう考えても店の所有物だ。犯罪行為に手を染めるつもりはない。
「あれは食べていいやつじゃないでしょ」
「ご主人様、食べるならこっそり食べてください」
「そんな話はしてない。大体、食べていいならみんな食べるでしょ。でも実際は誰も食べてない。だから食べちゃダメなやつなんだよ」
「よくわかりませんが、そんな乞食みたいなことするのはご主人様だけですよ」
「私もしてない」
「でも今からします」
「しないから」
「ではご主人様は何を食べるんですか?」
言葉に詰まる。食べるもの、あるわけがない。私には食べていいものとそうでないものの区別すらつかないし、おそらくお金で食事を買うほどの資金はない。であれば選択肢は一つしかない。
「仕事して、そのお金でご飯食べる」
「立派です、ご主人様。その前に餓死しないといいですね」
さっきから少女がめっちゃイヤミで心が痛い。だがこんなところで挫けるわけにはいかない。私は恥を偲んで少女に訊かなければならないことがあるのだ。
「仕事はどう見つければいいですか」
「掲示板に行ってください」
イヤミな少女だが役には立つ。
a 狙った獲物
b ベイベー!
c 廃品回収
d 死ぬ前に一度だけ
なんか……結構報酬額が高いような気がする。ベイベー!と書かれた謎の依頼を除けば平均800gpプラスで現物支給があるということだ。どのような依頼か皆目見当もつかない依頼もあるが、今すぐに始められそうな依頼もある。さて私はどんな仕事をすべきだろうか。
「ご主人様、迷っているのであればこちらがおすすめですよ」
少女は「狙った獲物」の依頼書をとって私に手渡した。依頼主は市民のワーロンという人らしい。詳しい内容はワーロン氏に聞けばいいのだろう。早速会いに行ってみることにしたが、そもそもこの人はどこに住んでいるのか。と思ったが依頼書に地図が書かれていて、そこに印がしてある。なるほど、ここに住んでいるのだな、と理解したので歩いて向かってみたが、それらしき人は寝ていた。
ちなみに少女が当たり前のようにドアを開けて屋内に入ったので私もそれに続いたが、ノースティリスではこれが普通なのだろうか。
「そっか、夜だもんね」
「起こしましょう」
「悪いでしょ」
「朝まで待てばご主人様は餓死してしまいます」
「そんなに切羽詰まってない」
「仕事を0秒で終わらせられるならそうでしょうね」
「どれくらいかかる仕事なの?」
「わかりませんが、ご主人様が死ぬのは看過できません」
「うーん、まあそれなら」
私は寝ている人の肩を揺すって声をかけた。
「こんばんは、起きてください」
「ご主人様、起こし方が違います」
「起こし方? どうやって起こすのがいいの?」
ノースティリスは人を起こすのにも手順があるのか。
「体重を乗せてタックルが正解です」
さすがにそれは嘘だろ。