【TS転生】気づいたら、大好きだったカードゲームのディストピアアニメの世界で幼女になっていた件 作:銀層
ダンジョン内は、どこまでも静かだった。
だが、その静けさを覆うように、無数の蝶が宙を舞っている。
羽ばたく音すらない。
ただ、ゆらり、ゆらりと──死の前触れのように、淡く、儚げに。
「蝶に対して、嫌悪感なんて今までなかったんだけどな……」
俺は思わず口の中で呟いた。
美しいはずの翅が、ここでは不気味に見える。
あまりに多すぎる。
壁にも、天井にも、床にも。
そこかしこで、触れるか触れないかの距離で、蝶の群れがうごめいている。
まるで何かを監視しているかのように。
いや、違う。
まるで──餌を待っているかのように。
辺りの空気はひどく薄い。
目の前を通り過ぎた蝶の翅が、かすかに毒のような粉を舞わせていた。
「気をつけた方がいい。あいつら、ただの飾りじゃないかもしれない」
龍華が呟くように言った。
俺たちは、注意深く歩を進めた。
風の神殿──“蝶の巣”とでも呼ぶべきその場所は、見た目以上に、危険な匂いを孕んでいた。
「それにしても……龍華さんって、探索慣れしてますよね」
俺がそう言うと、彼女はちらりと振り返り、肩をすくめるように笑った。
「何度も行ってるからな。じゃなきゃ、こんな場所、平気な顔で歩けないさ」
「そんなに何度も?」
「そりゃあ、他のメンバーに行かせるわけにはいかないだろう。命がいくつあっても足りない」
そう言いながら、龍華は足元の罠をあっさりと見抜き、迂回する。
さすがというべきか、彼女の視線は常に先を見据え、隙がない。
「私より強いのはいないよ。少なくとも、このエリアではね」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
つい数日前、自分たちの目の前で繰り広げられた圧倒的な“ドラゴンの召喚”──
まさに軍勢と呼ぶにふさわしい展開力。
あれを見せられてしまえば、誰だって認めざるを得ない。
「……ですね」
俺は、ただその背中を追いながら、小さくうなずくことしかできなかった。
~~~
龍華が巨大な《ダークバタフライ・クイーン》と対峙している間、俺はその陰で蠢く小型の蝶型モンスターたちと向き合っていた。
──それは人間ほどの大きさ。翼を震わせ、不気味な羽音を響かせながら、次々と数を増やしていく。
数で押すつもりか……だが、全体攻撃には弱いな
手札から、俺は迷いなくカードを場に叩きつけた。
「出てこい──《紅蓮獣バーサク・タイガー》!」
赤熱した炎のようなタテガミを揺らし、獣が咆哮と共に姿を現す。
その瞬間、効果が発動する。
「効果発動。全体1ダメージ」
バーサク・タイガーが地を踏み鳴らすたびに、無数の小型ダークバタフライが爆ぜるように舞い散る。
──一撃。だが、それだけで十分だった。
《バーサク・タイガー》の爪にかかったのは6体。
つまり、6体分の追加ダメージが相手ライフに直撃する。
ライフカウンターがゼロになると同時に、対戦相手だった蝶モンスターは黒煙を上げて消滅した。
「君も、なかなかやるね」
視線を上げると、龍華が少し驚いたような顔でこちらを見ていた。
「そこら辺にいるモンスターより強いよ。……いや、それ以上かもね」
火の粉を払うように笑う彼女の目には、ほんのわずかに興味の光が宿っていた。
俺は肩で息をしながら、無言でカードを手札に戻した。
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「君も、ここのモンスターを狩れるくらいになったから、少し話しておくよ」
龍華は、倒れたダークバタフライの羽を踏みながら立ち止まった。
その横顔は、いつになく真剣だった。
「実はね、この世界のモンスターにも“弱肉強食”ってやつがあるんだ」
「……モンスターにも?」
「そう。強いモンスターは、弱いモンスターを食って、力を得る。吸収とか、融合とか、方法は種族によって違うけど──結果は同じ。数をこなせば、いずれ上位個体が生まれる」
彼女は、剣を収めながら続けた。
「だからこそ、君たちに任せている依頼は“最下層の個体”の狩りなんだ。言ってしまえば、Dランクのモンスターの駆除だよ」
「駆除……」
「そう。“戦い”でも“探索”でもなく、“掃除”。この手間を怠るとね、あっという間にBランク、Aランクのモンスターが生まれる」
「……つまり、私たちは強いモンスターを生み出さないために動いてるってことですか?」
「そういうこと。見た目以上に地味で、成果が見えにくい。でも、絶対に必要な任務なんだ」
一瞬の静寂が、森の奥からの風とともに通り過ぎた。
「まぁ、今君たちが倒してるのはDランクくらいだけど……ここにいる“本物の上位種”は、まったくの別物だよ。覚悟しておいて」
龍華の声には、重みがあった。
その背中に、俺は改めて“格の違い”と、彼女が見ている世界の広さを感じた。
気がつくと、俺たちはダンジョンの最奥──空気が異様に張り詰め、音ひとつしない空間に立っていた。
そして、目の前に現れたのは──
家ほどもある巨大な蝶だった。
羽を広げた瞬間、まるで周囲の空気が吸い取られるような感覚に襲われる。
虹色にきらめく鱗粉が舞い、視界が霞む。
「……どうやら、最上級のモンスターが現れたみたいだね」
龍華が静かに呟く。
だが、その声には怯えも焦りもない。むしろ、久々の“本物”に対するわずかな高揚すら感じられた。
「……あれが、上位個体……?」
「おそらく、ここの“捕食連鎖”の頂点に立つ存在だよ」
蝶はゆっくりと羽ばたいた。
その一振りだけで、風が吹き荒れ、俺たちの足元の砂利が巻き上がる。
「このまま帰ってもいい。でも──戦うなら、命を懸ける覚悟はしておいて」
龍華が振り返る。
俺は、その瞳に宿る光を見て──心に決めた。
巨大な蝶──家屋ほどもあるそのモンスターが、宙に浮かびながらこちらを見下ろしている。
羽ばたくたびに風が巻き起こり、視界が揺れる。虹色の鱗粉がゆらめき、空間そのものが歪んで見えた。
そんな中で、龍華は一歩前に出る。
「下がっていろ、狼華。これは私が狩る。」
彼女の声は静かだった。けれど、どこか決して逆らえないような気迫を含んでいる。
「私が、こいつを狩るところを──しっかりと見ておいて」
その背中はどこまでも大きく、頼もしく、そして孤高だった。