邪念が多い伊波さんには健全な交際を教える必要がある! 作:相竹空区
流れる黒髪、凛々しい顔付きと幼い頃から美人な彼女はそれだけで視線を集めるのだが、運動すればぶっちぎりで勉強すれば100点満点だった。
クラスでは委員長を務めている他、委員会や生徒会長なんかも務めていたものだから別のクラスになった時期すら彼女の事はよくよく見かけていたものだ。
とはいえ伊波さんは高嶺の花。
話し掛ければ誰が相手でも素敵な笑顔と声で対応してはくれるだろうけど、やはり完璧な人には近付き難いもの。
彼女自身のハキハキとした話し方もあって余計に距離は生まれがち。
かくいう私も9年の間、伊波さんの事は遠巻きに見ている事しかしなかった。
そんな伊波さんとは高校も同じ。
しかし別クラス。
高校1年生の始まりの日に伊波さんの姿がクラスに見えなかった事でそれを知りつつも、きっと彼女の事だから生徒会や様々な機会で目にする事があるだろうと思っていた……のだが。
丸1年、伊波さんの姿を見かける事は無かった。
ただ悲しいかな、私はそれを疑問に思う事も無く高校1年生を終えてしまったのだ。
私の生活に伊波さんの姿はさして重要でもなく、背景にある綺麗な花程度の存在。
だからこそ、驚いた。
2年生に進級した時のクラス替えで彼女の姿を見た時には。
昔は長い黒髪は艶やかで、廊下を颯爽と歩く時には風に靡いていたものだが。
それが今では背中を丸く、廊下の隅をパサパサと跳ねた黒髪を背中に貼り付けて歩いているではないか。
更には運動もまるで駄目、テストは返却時に小言を言われるような点数、クラスメイトが話し掛ければかつての気迫が見え隠れするものの、巧みな話術ではなく他者への拒絶が強く出ていた。
あまりの変わりように戸惑いつつも、話し掛けるには動機が足りず。
私は常に1人の伊波さんの姿を遠くから見ている事しかできなかった。
勇気が無かったのだ。
これはどんな感情だろうか?
怖いのか?恐ろしいのか?分からない。
ただ伊波さんに声を掛けてみればいいだけなのに、それが出来ずに数ヶ月。
クラスではすっかり新たな人間関係が築き上げられてしまっている。
休み時間は1人で何処かに消えて、昼食は1人。
放課後は1人で帰るか追試や補習を受ける。
かつての伊波さんは一緒に帰ろうと誘う人に囲まれて、委員会や生徒会の仕事があるからと断る程だったというのに。
なればこそ、再びあの日々のように伊波さんに一緒に帰りませんかと誘ってみるのも良いのではないか。
こんな風に意を決してみたのは放課後、追試を受けた後の伊波さんの姿を教室に見掛けたからだ。
帰宅部の生徒は帰って、部活のある生徒は遠く聞こえる音がそう。
夕陽の差す教室で、伊波さんは自分の席で机に向かっていた。
「綺麗なのになぁ……」
思わず口を突くくらいには美人だ。
昔に比べて黒髪がボサボサだったり、隈があったり肌の状態が良くないけれど。
それでも机に向かう真剣な横顔は過去9年間、みんなの憧れだった伊波さんの姿だった。
「伊波さん?」
背後の方から近付いたものだから真剣な伊波さんは私に気が付いていない。
声を掛けようと意を決したはいいものの、邪魔をするのもなんだと今更思って名前を呼ぶ声を抑えてしまった。
伊波さんは変わらず机に向かっていて、身体が小刻みに動いている。
自習中かな?
だとしたら本当に申し訳ないけれど、ここまで来て帰る方が不自然な気もするので上下する肩に向かって手を伸ばす。
「伊波さん!」
「びっっ!!ひゃあ!」
理知的な伊波さんからは想像出来ないような素っ頓狂な悲鳴が上がり、スマートフォンが宙を舞う。
伊波さんが向かっていたのはどうやらこれだったらしい。
落としては不味いと手を伸ばし、手の中に収まる──瞬間に軌道が変わる。
スマホから伸びた一本の線、イヤホンを伊波さんが手繰ったらしい。
ハチャメチャな軌道でスマホは宙を跳ね、バツリと端子が外れる音と共にスマホは床に転がった。
「はっっ!!あぁ!」
真っ赤な顔の伊波さんはスマホを拾おうと椅子から立って……転けた。
『あぁんっ!もっと!あっあっ!奥にください!先輩の──
そしてスマホからは拍手のような音、そして水っぽい音。
画面には肌色が躍動して──
伊波さんの手がスマホに伸びた。
カチリとロックボタンを押して、画面は暗転。
教室には伊波さんの荒々しい息遣いが響く。
「伊波さん……?」
「うあ……ううぅぅっ!」
床に這いつくばった耳まで真っ赤の伊波さんが、およそ高校生が出すとは思えない泣き声を出している。
なんと言えば良いのだろうか、悩むところだ。
悩むところだが、言葉を選ばずに言えば幻滅とはこの事だと思う。
「ぅぐっ……ひっ……うゔぅぅゔっ!」
ゆっくりと立ち上がった伊波さんの、端正な顔がくしゃくしゃになった泣き顔も中々ひどい。
涙がとめどなく溢れて、スマホを握り締めて幼い子供のよう。
やっていた事が幼くないのが本当に幻滅なのだが……
「ねぇ伊波さん……き、教室で何見てるの?下品だよ……」
「うぐぅっ……」
「そういうのは見ちゃいけないんだよ?それに私達はまだ16歳なんだし……」
「ひぐっ、うえぇ……」
しゃくり上げて、まるで会話にならないというのが本当に……
昔の伊波さんはクールで、笑顔が素敵な人だった。
それがどうだ、目の前に居るのは放課後の教室でいかがわしい動画を見て、それがバレたら幼子のように泣きじゃくるとは。
一体伊波さんに何があったのかと、泣くばかりで話にならない彼女の過去にまで思いを馳せた時、伊波さんが動き出した。
両手をスカートの裾に掛け、ゆっくりとたくし上げて──
「何してるの伊波さん!?」
「ごれで……許しでぐださい……」
「そんなの許しでもなんでもないし──なんで履いてないの!」
伊波さんはマトモな社会性だけではなく下着すら失ってしまったのか!
白い肌ばかりが見えるスカートの内側からは熱気が伝わってくるようで少し引く。
つまりはその……いかがわしい動画を見て、下着を身に付けていないというのはそういう事。
「伊波さんは変態になっちゃったの……?」
「ごべんなざ──ぃえ、
「あっ、ごめんね!言わせたかった訳じゃなくて……」
「お、お詫び……お詫びじばず……」
端正な顔に鼻水すら垂らして伊波さんは跪く。
私は脳の限界までドン引きが蓄積していたものだから反応が遅れたが、伊波さんは私のスカートを捲り上げて下着に手を掛けようと──
「いやホント何してるの!?」
「お詫び……」
「そんな必要ないから!良いから落ち着いてよ伊波さん!」
泣きじゃくり、意味不明な行動を繰り返す伊波さんを椅子に座らせなんとか落ち着けて……会話が出来るくらいまで持って行くのにとても時間が掛かった。
もしかしたら時間はそう掛かっていないのかもしれないが、私の疲労は相当なものだ。
「落ち着いた?」
「私、死ぬわ」
「落ち着いてってば!」
顔面に色んな汁が流れた跡を残した伊波さんはクールに変な事を言う。
それに私が引き金となっては堪らない。
なんとかして平静を取り戻させなければ。
「落ち着いている。ただ少し虚しくなっているだけ……」
「誰にも言わないから、ね?少し私と話してみない?」
伊波さんはズビッと鼻水を啜りながら私の目を見て、頬を赤らめる。
そしてモジモジと膝を擦り合わせ始めた。
「ぽっ!ポルノの話を人とするのは初めてだから緊張するけど──」
「その話じゃない!あぁもう、伊波さんはなんであんなモノを教室で見てたの?」
「アレは放課後の教室で性行為を行う内容だから、ここで見ると没入感が得られると思ったの」
「不潔だよ!」
「でも私の知る学生カップルの大半は学校で性行為をしているのよ!?」
控えめに言ってもどうかしている!
教室は勉強をする場所だ、それをそんな事に利用するなんてその動画も伊波さんも明らかにおかしい。
他人が利用する場所でそんな行為に及ぶなんて道徳的に間違っていると思うんだけど……
「伊波さん……!」
「ひ、ひゃいっ!」
伊波さんの肩に手を置き、目を合わせる。
目の前に道を外れてしまった級友が居るのなら、それを助けなくては。
胸に熱いものが灯った事を自覚する。
「正しい知識を身に付けよう……!」
「わ、私はこれでも頭が良いのよ!ポルノサイトの英語だって読めるんだから!」
「嘘付け!伊波さん今日も追試受けてたじゃん!」
「うぐぅ……」
「保険の授業で習ったでしょ?その……そういった欲は勉強やスポーツで発散するの!どれも伊波さんが高校生になって出来なくなったものだよ!」
「ゔぅ……」
反論出来ずに唇を噛む伊波さんを見ると悪い事をしたような気がしてくるが仕方ない。
これは至って正論だ。
学校で教えている事を、学校で行うべきでない事をした人に説く。
でも優位を取った事で得意げになってしまいそうになる心を抑えて、泣く子供をあやすように優しく言葉を掛けなければ。
「伊波さん昔はもっとキリッとして頭も良かったじゃん。どうしちゃったの?」
「その……高校受験に失敗して」
後ろめたそうにそう言う伊波さんの、まるで咎められる子供のような姿に胸が痛む。
痛みはするが、地元とはいえ私的にはそこそこ頑張って入った高校が伊波さんにとっては滑り止めだったのか……
「だからって人生が終わる訳じゃないんだよ?いやホント……このままだと公然猥褻とか猥褻物陳列とかで終わるから」
「でも私には、ママには重要だったから」
「おおう……ご家庭の事情には踏み込みにくいけどさ、それでも伊波さんの人生は伊波さんのものだし自暴自棄になって変なものにのめり込んじゃいけないよ」
「……変じゃない」
弱々しかった伊波さんが不意にポツリと、明確な意思を持って言葉を発した。
「いや変──」
「変じゃないっ!三大欲求って言うでしょ!ポルノを見た事あるの!?」
「いや無いけど……」
「ふん!無いのによく言えたものねっ!なんでみんなは好きなだけ性行為をしているのになんで私にはその存在すら隠すのよ!」
まるで完璧な論理を説いたとでも言わんばかりのドヤ顔で伊波さんは胸を張る。
それはもう逆に惨めだよ。
「別にみんなセッ──性行為をしている訳じゃないでしょ……」
「そうなの!?」
「それは一般的に爛れてるって言うよ」
「だってカップルはみんな僅かな時間すら使って性行為をして、夫婦は性行為で簡単に婚姻関係を破棄して、性行為だけを目的とした友人関係があるって……」
「無いから!あとその性行為って言うのやめない!?」
「適切な表現でしょう?」
「もう少し濁した言い方しようって話」
放課後の教室で、加えて大声で話す話題ではないのだから流石になんというか、恥ずかしい。
「はっ!その隠そうとする態度が気に食わないわ!」
「一般的には隠すものだよ!」
「一般って何!私そんなの知らない!」
伊波さんの絹を裂くような叫びがこだまする。
2人きりの教室には叫びの余韻が耳を突く。
「みんな知ってる事、私だけ知らない!友達も居ないし彼氏も居ないんだから仕方ないでしょ!?」
ここまで伊波さんの言葉には即座に返せていたのだが、これは言葉に詰まってしまった。
思い返せば伊波さんは常に人に囲まれていたが、そこに友人は1人も居なかった気がする。
小学生の頃も中学生の頃もいつも生徒会があるから、塾があるからとひとりで帰っていた。
休みの日に伊波さんの事を見掛けた事があっただろうか?
誰かと遊ぶ姿も、恋をしている姿も見た事が無い。
彼女の青春は今、これからなんだ。
今まで溜まっていた分を取り返そうとして、その方向を見誤っているだけ。
それなら私に出来る事がある筈だと、そう思えば言葉は自然と出てきた。
「じゃあ、私が教えるよ」
「なんで……」
「これから友達になるから、とか?」
「……友達じゃわからない」
「え?」
「友達だけじゃカップルがどう交際してるのか分からない!」
「じゃあ健全な交際の仕方も教えるよ!伊波さんが分かるように!」
「ありがとう……えっと、貴女の名前を知らない」
「これでも私、伊波さんと小学校も中学校も同じなんだけどなぁ」
「ごめんなさい……」
「いいよ、私は
少し芝居がかっている気もするけど、こういう時は手を差し出すのが良いだろう。
「よろしく、瑠美……」
「うぉっなんか湿ってる……」
握り返してくれた伊波さんの手の湿り気の由来は気にしないでおく。
いやホント、だいぶ、かなり、ドン引きだけど。