邪念が多い伊波さんには健全な交際を教える必要がある!   作:相竹空区

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第10話 ダメな私を愛してくれる?

 

「どーするかなー」

 

 ベンチに座り、ひとりごちる。

 ショッピングモール内のカフェチェーンで甘いミルクティーを買い、一緒に飲む。

 それをこなす為に取り敢えず買ってはみたものの。

 予定通りに進行するには少し手応えの無かったここまでが気になるところ。

 両手にプラスチックのカップを手にして、そんな思案を口にしてみると背後から声が掛かった。

 

「お待たせ」

「おー、おかえりー」

「次はそれを飲むの?」

「そうだよー美味しい美味しいミルクティーを召し上がれ」

「ティー?それにしては色々な付け合わせがあるのね」

 

 渡したカップを怪訝そうに眺めて、伊波さんは恐る恐るストローに口を付けて、顔を顰めた。

 

「口に合わなかった?」

「甘すぎる……これはティーではないと思うわ。甘さで覆われて殆ど原型が無いじゃない」

「かもね。でも美味しいから良いんだよ」

「甘すぎて歯茎が飛んでいってしまいそうよ」

 

 そんな事を言いつつも私の隣に──太腿が触れ合うほど近くに座った伊波さんはチビチビと飲んでは首を傾げている。

 瞬きしたり、目を見開いたりして驚きながら。

 

「食べ物とかの方が良かったかなぁ」

「お昼ご飯の話?」

「ううん、デートプランの話。食べ歩きの方が伊波さん楽しめたかなって」

「した事が無いから分からないわ。瑠美はそれが楽しいの?」

「楽しいよ。美味しいものを色々食べられるし、そこに楽しくお喋り出来る友達も居れば最高だよね」

「そう……」

 

 相変わらず顔を顰めながらストローを咥える伊波さんは聞いているのか聞いていないのか分からない返事をする。

 何度も飲んではいるものの、この甘さは伊波さんの身体がびっくりしてしまったようで口に含む度に頬が引き攣っているのがすぐ分かってしまった。

 そんな状態でも口にするのは美味しさから飲んでいるというより、勧められたのだからという義務感。

 私が押し付けたタスクでしかない。

 伊波さんを健全にするなんて考えも驕り高ぶったものだし、私の悪い所。

 結局私は伊波さんを支配しようとしてるだけなのが、このデートからも分かってしまった。

 

「ねぇ伊波さん、ルールをひとつ作らない?」

 

 だから変えなくちゃいけないと思う。

 私は、私達はもう少し信頼し合える筈だから。

 

「内容は?卑猥なものだと嬉しいわ」

「お互い嘘は無し。思った事をちゃんと言う」

「気持ち良かったら気持ち良いと言う、という事ね」

「良かったらね。だから教えて?映画とショッピングは楽しくなかった?」

 

 伊波さんの目が泳ぐ。

 叱られた子供のような、そんな居心地の悪さを感じている顔で肩を縮こまらせて何か言葉を発しようとしては唇を震わせて飲み込む。

 そんな事を何度か繰り返したあと、意を決してポツリと呟いた。

 

「正直、楽しくはなかった。何が楽しいのか分からないし、期待していたような感じではなかったわ」

「だよねー。そう言ってくれた方がありがたいや」

「……ごめんなさい」

「何を謝る事があるのさ。伊波さんが楽しんでくれたら良いんだからさ、そうじゃないなら教えてよ」

 

 きっと伊波さんは優しいのだ。

 私が強く押し付けたから、頑張ると言ってしまったから、このデートを否定するような事をあまり言えなかった。

 せっかく私が用意したものだからと、このミルクティーも口に合わないのに飲んでくれる。

 伊波さんはきっと、そんな優しさで抱え込み過ぎて疲れてしまった人なのだ。

 なら私が一緒に出来る事はなんだろうと考えれば、答えはすぐに分かった。

 伊波さんの手からカップを奪い取って、ストローを一気に吸う事!

 

「あっ……」

「──ご馳走様でした!伊波さん嫌いなら飲まなくても良いって!」

「間接キスね。ストローだけ頂けるかしら」

「これ捨てちゃうね!」

 

 ゴミ箱が近くにあって良かった。

 私の分も飲んでしまえばあとは身軽だ。

 

「勿体無い……」

「もう予定は全部捨てちゃおう!伊波さんは行きたい所ある?叶えられそうなら叶えちゃう!」

「行きたい場所?」

 

 少し悩む素振りを見せつつも、続く言葉が出ないのは多分躊躇っているから。

 まだ少し遠慮があるけど、伺うようにこちらを見る視線に段々とはっきりした意思が見え始めた。

 だから少し、背を押してみる。

 

「あるなら言ってよ。ルールだからね」

「なら、プリクラ。あとカラオケ」

「それだけ?なら早速撮りに行こう!カラオケならご飯も食べられるしね!」

 

 伊波さんの手を引いてベンチを飛び出す。

 急に手を引かれて困った顔をしていた伊波さんも、いつの間にか笑顔になっていたからこれが正解。

 きっと必要だったのは会話だった。

 ひとりで悩むより、相手の求めるものを聞く事が1番近い解決策だ。

 

「人と手を繋ぐの初めて」

「あっ、どうしよう私手汗大丈夫かな?」

「少しビチャビチャするわ」

「うわごめん……」

「気にしてないわ。私も緊張してるから」

 

 格好付かないなぁ、と思う気持ちもあるけど楽しいからヨシ。

 伊波さんを連れてモール内のゲームコーナーに駆け込んで、プリクラコーナーへ向かう。

 

「はい到着!伊波さんの行きたい所に可能な限り連れて行くから、取り敢えず言ってみて!」

「ありがとう……機械が沢山あるのね、まずはここを案内してくれる?」

「任せとけ!……と言ってもあんまり分からないかも。美白とか書いてるし機能が違うんじゃない?」

「周って見てみましょう。もしかしたら──」

「もしかしたら?」

 

 と、聞き返してみてから少し後悔。

 伊波さんの顔は意気揚々、鼻息荒く、前のめり。

 ああ、これは何か卑猥な勘違いから行きたがっていたんだなぁと気が付いた。

 

「他のカップルが居るかもしれない、少し耳を澄ませて歩きましょう」

「うーん、伊波さんが求めているような物は見つからないと思うけど……まぁいっか、満足するまで付き合うよ」

 

 今度は手を引くのが伊波さんに変わって、ゆっくりとしたペースで歩き回る。

 犬が思うままに匂いを辿って散歩をするような、そんな感じ。

 

「うん……居ないわ」

「伊波さんの事だから、中でヘンな事してるカップルが居るんじゃないかって思ったんでしょ」

「瑠美は凄いわ。私の考えをなんでも分かるのね」

「伊波さんの頭の中は邪念でいっぱいだからね。それにこんな布一枚隔てた場所で出来る訳ないじゃん」

「そうなの?」

「そう……じゃない?」

 

 不意に握った手が強く握り返される。

 伊波さんは誘うように手を軽く引いて、笑う。

 楽しそうな笑顔を向けられると、ずるいなぁと思ってしまった。

 

「試してもいないのに断言出来ないでしょう?」

「いや待って、ヘンな事はしないからね」

「ヘンって何?具体的に教えて欲しいわ」

「映画館でやったような事!」

「……怒ってる?」

「あれに関してはね!もうやんないで」

「分かった……その、ごめんなさい」

「嫌がる相手にしつこくしない。これを覚えて帰ろうね」

 

 これだけ守ってくれたら伊波さんと気長に付き合っていけると思う。

 改善は少しづつすれば良い。

 今日はその一歩を踏み出せたのだから満点だ。

 

「その、触ったりしないから一緒に撮って欲しいの」

「いいよ、思い出だもんね」

「思い出……ええ、思い出。大切にするから」

「よぉし!気合い入れて色々描いちゃうから!」

 

 これはご褒美だ。

 満点の伊波さんへのご褒美。

 こんな楽しみがあるんだって、沢山教えてあげたい。

 まるで証明写真を撮るみたいに緊張して固まった伊波さんと撮った写真なんて形に残る良いご褒美だ。

 沢山のデコレーションでもう訳が分からない状態になったそれを、伊波さんは宝物でも見るような顔をして大切そうにしてくれた。

 ならこれは大成功だ。

 

「よし、伊波さん!時間が惜しいから早くカラオケ行くよ!」

 

 伊波さんが喜んでいると私まで同じ気持ちになる。

 だからもっと沢山、早く笑って欲しいと思ってしまう。

 そんな気持ちが溢れて居ても立っても居られずに、再び手を引いて走り出す。

 

「ねえ瑠美!カラオケってどう楽しいの!?」

「行けば分かる!楽しくなかったら次に行けばいいしさ!」

 

 どうせ世の中には幾つも幾つも楽しめるものがあるんだから、ひとつに拘る必要なんてない。

 何かが合わなくたって別のものを探せば良いだけ。

 伊波さんが楽しめる何かを、笑ってくれるものを探してみよう。

 

◆◆◆

 

 もう陽が傾いて夕方から夜に変わろうという時間。

 遊び疲れた私達は、あとは帰るだけという状態ながら公園で休憩をしていた。

 並んでベンチに座り、夏の湿度の高い風を浴びながら何をするでもなく。

 これは多分、名残惜しいから。

 楽しかった時間が終わってしまうのを少しでも先延ばしにしたくて、その余韻に浸っている。

 

「楽しかったわ」

「それなら良かった」

 

 こんな事を何度も言いながら、ベンチからは動こうとせずに。

 

「カラオケでも性行為をしているカップルは居なかったわ」

「他人の部屋を覗くのマジでやめてね。怖いから」

「ファミリーレストランでもテーブルの下で猥褻を行うカップルは居なかった」

「あんな丸見えの場所でする訳ないじゃん……」

「何処にも居ないのね」

 

 夢から覚めたようにそんな事を言って、伊波さんはぼーっと空を眺めている。

 

「期待外れだった?」

「そうね。思っていたよりも世界は健全で清らかで……」

「退屈?」

「いいえ、瑠美が楽しくしてくれた」

 

 もうすっかり慣れた様子で私の手を握り、伊波さんは笑い掛けてくる。

 これは中々、破壊力が凄い。

 

「じゃあさ、今日のデートに点数を付けるなら?」

「基準が分からないもの。点数なんて付けられない」

「じゃあ次を約束しよっか。それならどう?」

「今日のデートだってまだ終わってないわ。それなのに次を決めるの?」

「えぇ?流石に時間がなぁ……もう行ける所ないよ?」

 

 流石に伊波さんを夜まで連れ歩くは健全とは言い難い。

 予定ではもう少し早くに終わる予定だったけど、楽しくてつい長引いてしまった現状があるのだからそろそろ切り上げたいところ。

 

「時間も良い頃合いだし、デートの最後にはやる事があるでしょう?」

「は?ホテルは嫌だからね」

 

 私の言葉に伊波さんはキョトン、と目を丸くして少しの間を置く。

 そして気不味そうな様子でボソボソと。

 

「あの、違うの。何処に行かなくても良いからキスを……」

「え?あぁ……」

 

 なるほど、キスね。

 漫画とか映画でもデートのラストはキスで締めるもの、定番じゃん。

 そう、定番中の定番ど真ん中……ホテル、ホテルは無いわ……

 

「──あああ!!!恥ずかしい!もうヤダ!」

「確かにホテルも見てみたいわ。瑠美は流石ね!私の気付かない所まで分かっているなんて」

「ひぃ!ひいいぃぃぃ!もう嫌埋めて……」

 

 恥ずかしい。

 そのひと言で片付けられないくらいには恥ずかしい。

 顔を見られまいと俯いて膝を抱えてみたけど、むしろ首筋に当たる湿ったぬるい風すら涼しく感じる顔の熱さを自覚してしまって逃げ場がなかった。

 

「首まで真っ赤ね。瑠美の弱点を初めて見れて嬉しいわ。ありがとう」

「どういたしまして……」

「それでしてくれるの?キス」

 

 チラリと横目で伊波さんを伺ってみると、期待に満ちた表情でこちらを見ていた。

 

「しなきゃ駄目かな」

「デートを教えてくれるのでしょう?」

「教えるだけだからさ、ここから先は自分で頑張ってってのは……ナシ?」

「正直落胆するわ。デートって言ったのに、教えてくれるって言ったのに、瑠美は嘘を吐いたんだって」

 

 期待があった表情が悲しそうなものに変わってしまう。

 終わり良ければ全て良し、と言うけど逆に終わりで全てにケチが付く事だってある。

 でもこれはどうなんだろう?

 私は教えると言った、でも伊波さんの恋人になると言った訳ではない。

 これは詭弁かな?

 

「でもそれは恋人同士がする事だよ」

「じゃあ恋人になりましょう。それなら問題無い筈よね?」

「そんな簡単に決めるものじゃないでしょ」

「簡単じゃない。とても重要で重大な決断よ」

「伊波さんは私以外の人との交流をしてないからそう考えちゃったんだよ。私に全部の役割を求めちゃってる」

「それは駄目な事?」

「私の負担が大きいかなぁ」

 

 嘘無く言えばそうなる。

 私は伊波さんの全てを背負える程強くない。

 伊波さんがずっと私に依存して、そのまま全てを委ねられてもいつか限界が来てしまう。

 そうなった時に私はどうするだろうと考えた時、伊波さんを捨ててしまうと思うのだ。

 そんな不誠実な事は出来ない。

 だって最初に伊波さんへ手を差し伸べたのは私だから、伊波さんが自分で歩いていけるように手を引く役目だけは全うしなくちゃ。

 

「なら何故、瑠美は私に色々な事を教えてくれて、助けてくれるの?」

「そりゃ、私が邪な悪い人だから。他に頼る人が居ない伊波さんに頼られると嬉しくて、心を満たしてる」

「私も心が満たされてる。これでは不足があるの?」

「健全じゃないんだよ。お互いに自立してないと」

「な、なら期間限定のお試しの恋人は?次のデートの約束をして、それまでは恋人なの。そして次のデートを約束したら契約更新」

「そこまでして私と付き合いたいかね」

 

 必死に縋るような言葉に思わず笑ってしまう。

 泣き出す寸前みたいな顔をして、綺麗な顔が涙を堪えてくしゃくしゃだ。

 

「わ、分かるでしょう?私には瑠美しか居ないの……お願い私の恋人になって……」

「いやぁ……困ったな」

 

 ぐすぐす、と完全に泣き落としの姿勢に入った伊波さんのなんと情けない事か。

 私達の妙な関係の始まりを思い出すこの泣き顔はなんとも私の庇護欲を刺激する。

 ああ、良くない。

 私の邪なら部分が顔を出しているのが分かる。

 誰にだってあるだろう、頼られると嬉しいという気持ちが。

 こんな形で満たせてしまうのは健全じゃないと分かっている筈なのに。

 

「おでがい……私、瑠美の為ならいつでも舐めたり出来るがらぁ……!」

「鼻水ヤバいよ。あと私のパンツに手を掛けるのやめて」

「うぇ……っうぐぅ……」

「だからって胸揉もうとしないで!」

「わだじに出来ることなんでこれくらいだから……」

「耳年増が何言ってんのさ!変な事するなら付き合わないからね!」

 

 どうやらこの言葉は良く効いたらしく、伊波さんは必死に泣き止もうと押し込めて、乱れた呼吸を元に戻している。

 それでも変わらず鼻水は垂れているけど……

 

「……変な事しないなら付き合ってくれるって事?」

「あー口滑った」

「ねえ、そういう事でしょう?本当は瑠美も私と付き合いたいのね!」

「調子乗らないの。あと鼻かんで。ちょっ……服に鼻水が付くから!」

 

 何があっても大丈夫かようにと多めにポケットティッシュを持っていて良かった。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの伊波さんの顔を、赤みがかってはいるものの元に戻すのに全部を消費したけど。

 

「それで付き合ってくれるのよね?恋人?キスは?」

「がっつき過ぎでしょ。まだ何も言ってないし」

「ふん、今度は瑠美の服で涙と鼻水拭うから」

「何その脅し。やめてよ借り物の服なんだから……」

 

 伊波さんは水分が抜け切ってクタクタだ。

 疲れて、落胆して、肩を落としてしょんぼりと。

 良くないなぁ、と自分でも思う。

 思うけど、こんな顔を見たら出てくる言葉はひとつだけだった。

 

「あーもう。仕方ないなぁ」

 

 この言葉ひとつで伊波さんの顔がぱっと明るくなるのだから面白い。

 面白いし、心の何処かをくすぐるのだ。

 他の何にも変え難い、とても気持ちの良い部分を。

 

「ねえ、それって付き合ってくれるって事よね!」

「あくまで仮の、ね。伊波さんが言ったんだからね?期間限定の恋人を更新するの」

「やったっ……やった!」

「そしてさ、更新する時は今回みたいにテストをしようよ」

「良いわ。瑠美のテストなら頑張れるから」

「よしよし、ちゃんと頑張るんだよ?達成出来なかったら別れるからね?」

「頑張るから、ほら!」

「あーうん、分かった分かった。ははは……」

 

 ウキウキで顔を突き出す伊波さんのなんと前のめりで圧が強くてがっつき過ぎな事か。

 正直、少し引く。

 顔が引き攣らないようにしつつも、熱量の差がどうにも埋められない。

 

「キスってどうしたら良いのかしら?胸を触る?」

「しないよ。適当に手は膝に置いといて」

「分かったわ」

「はい。よく出来ました」

 

 手を膝に、そのまま腕が肩まで一直線。

 それをほぐすように、両手を乗せる。

 真正面から向かい合うと、緊張で固まった伊波さんの見開かれた眼がやけに大きく見えた。

 

「あの、まだ?」

「緊張し過ぎ。あと雰囲気がなぁ」

「あっ!眼を瞑った方が良いのかしら?私が見たものだと……確か閉じてたような気がするわ!」

「じゃあ閉じて、リラックスだよ」

 

 軽く肩を揉んで、首筋までほぐす。

 緊張しているのは私もそうだ。

 教えるなんて言ったけど、教えられる程の経験なんて無いし。

 そんな状態で強がってリードするような事を言ってみたけど合っているのかどうか自信が無い。

 無い無い尽くしで困ってしまうけど、それでも目の前には目を閉じて期待に胸を膨らませる伊波さんが居る。

 長いまつ毛は瞼を落とすとよく見えるし、整った目鼻立ちも今なら不躾に見放題だ。

 この人に今からキスをする?

 緊張は当然するし、これは良いのかどうかと今更な事を考えたり。

 

 でも全てが現実逃避だ。

 私は言ってしまったのだから、嘘にしない為には伊波さんとキスをしなければ。

 これは明確に関係性が変わる行いだ。

 今までも、頼られて嬉しいだとかあの伊波彩希を独占したいるなんて暗い欲望を満たしたりしてきたけど。

 それとは明らかに違うものになってしまう。

 でも期間限定なんて予防線を張ってみた臆病さの向こうには、間違いなく嬉しい気持ちがあった。

 ならもう考え過ぎても良くない事は今日身をもって味わったばかりだ。

 そろそろ無駄に引き伸ばすのをやめて、覚悟を決める時。

 

「────」

 

 伊波さんの顔に、私の顔を近付ける。

 普通ならお互いに冒す事のないパーソナルスペースを共有する不思議な緊張感。

 そしてはらりと揺れる伊波さんの黒髪が漂わせる甘い香りで心臓が高鳴る。

 位置は大丈夫、あとは目を閉じて真っ直ぐ進むだけで──

 

 触れたかな、と少し疑問に思う程度の柔らかい刺激が唇の先から伝わる。

 特になんて事のない接触。

 ただそれが唇と唇で行われているだけ。

 そう表現すれば気にする事でもないのに、やけに心臓がうるさい。

 緊張のあまり息を止めていて少し苦しくなりだした頃、不意に唇に何かが触れた。

 驚いて身動ぎするより先にソレは舌の上を這い進んで口内へと──

 

「──ぶはっ!?」

 

 反射的に身体を仰け反らせ呼吸を再開して唇に手を当てる。

 口の中にまだ熱いナメクジみたいな何かが入って来た感覚が残っていた。

 

「瑠美?……どうしたの?」

「いまっ!今、舌入れた!?」

「ええ」

 

 伊波さんの舌を仕舞い忘れた猫のような顔が何よりの証拠だった。

 本人の自白付き。

 突き付けられた現実で、余計に落ち着かない!

 

「ええ!?舌……絶対に違う!」

「だからあってるわ。舌を入れたの」

「初デートでするキスに舌は要らない!」

「それではキスと呼べないと思うわ」

「呼べるよ!ホント……えぇ!?私伊波さんとディープキスしたの!?」

 

 何か、凄く変な感じがする。

 残る感触も、口内の唾液も変な感じ。

 伊波さんの舌から伝って来た伊波さんの唾液が口の中にあるんじゃないかと、そう思うと……これは、比べものにならないくらい、顔が熱くなる……

 

「もっと舌を絡め合わせないとキスとは呼べないんじゃないかしら」

「しないから!唇と唇を合わせるだけ!これがキス!接吻!ベーゼ!」

「つまらないのね。瑠美とだからそれでも嬉しいけれど」

「そう!なら今日はこれで満足してね!」

「という事は次のデートでは舌を入れても良い?」

「テストの内容難しくしてやるから……!」

「や、やめて……」

 

 終わり良ければ全て良しなんて言うけど、結果的に私達のデートは散々な過程に散々な終わり方をした気がする。

 でもこれが丁度良い気がするのは、そもそも私達の関係の始まりからしておかしなきっかけだったからかも。

 私も伊波さんも独占欲が強くて、私は頼られると嬉しいし伊波さんは私に全てを求めてる。

 お互い歪で破れ鍋に綴じ蓋って感じの2人だからこそ、それなりのデートやキスがあったりする。

 そう思えば悪くないと思うのだ。

 だって結果的に、帰り道もまだ名残惜しくてゆっくり歩いているのだから。

 

「結局、私が好きなものは全部が無駄」

 

 伊波さんはポツリと溢すようにそう言って、街頭に照らされている。

 夜の暗さの中で、光の中の伊波さんはひとりぼっちのように見えた。

 

「瑠美は私が好きなものを嫌っているけれど、それでも真っ当に高校生が出来ている。私は勉強しか知らなかったけれど中学生までやって来れた」

 

 でもやって来れた伊波さんがひとりぼっちなのは分かってしまったんだから、私はそれが良かったなんて言えはしない。

 

「でも猥褻な、邪な、無駄なものと言われていた事柄を知った私は駄目になってしまったの」

 

 こんな自分を卑下するような事を言っているのに、伊波さんの笑顔は晴れやかだ。

 夜の暗い空で輝く月のような、太陽にはなれなくても明るい笑顔。

 

「でもこれが好き。今の私が1番幸せに思えるの」

 

 そんな笑顔を私は見ている。

 私だけが見ている。

 期間限定でも恋人だから、私の恋人の笑顔。

 

「伊波さん、無駄だなんて言われても伊波さんにとって大切ならそれは宝物だよ。愛おしい無駄、それこそ生きる意味とか活力なんじゃないかな」

「なら今の私は健全?」

「いや全く。健全さのカケラも無いね」

「酷いわ。これでもテスト勉強頑張ったのに」

「それだけじゃなぁー。私、不健全な人と付き合いたくなーい」

「わ、私早寝早起きするわ!いつもは1日4回のところを2回にしても良い!」

「何の回数……?いや言わなくていいから」

 

 他愛のない話も楽しい。

 なら今を楽しめばいいだけ。

 後の事は後で考えて、今はこれだけあれば満足。

 

「ねぇ、瑠美」

「んー?何?」

「ダメな私を愛してくれる?」

「愛は、重いかな」

 

 これは正直な気持ち。

 そしてこれから言う言葉にも嘘は無い。

 

「好きではあるよ。それで良い?」

「今は良い。でも、いつか愛して欲しい」

 

 期待は重い。

 今の私では抱えきれないくらいだ。

 でも未来の私がどうかは分からない。

 なら今はこのままで。

 

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