黑祓隊、夜闇を廻れ   作:Ruka(るか)

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序章 夏、満月、老人の悔恨

「お前は俺みたいになるんじゃないぞ、宵瓈。」

 

 そう言って__最期には何処かへフラッと消えてしまった祖父は、俺の知る限りずっと夢追い人だった。父母はそんな祖父を嫌っていたが、俺は祖父の夢物語が好きだった。皺だらけの手で頭を撫でられる、あのぞわりとした感覚が好きだった。昔々、とあるものを見たそうだ。それが何かは、何度聞いても教えてはくれなかった。ただ苦々しい表情の中に俺への心配を滲ませて、静かに笑うだけだった。

 

 祖父が呆け始めた時、他の家の年寄りよりもずっと徘徊が多かった。俺は心配していたけれど、ふとした時に『困るな』だとか、『連れ戻すのが大変だな』だとかを思う、『俯瞰』している俺が居た。最低な事は分かっていた。祖父はそれに気づいていたのか、静かに笑うだけだった。

 

 祖父は足腰が頑健だった。移動範囲が広かった。だがそれ以上に、どうしようもない何かに魅入られてしまったようだった。それが何かは、何度聞いても答えられる状態じゃなかった。祖父はただただうわごとのように、静かに笑うだけだった。

 

 ある日、祖父は旅に出た。珍しく正気だった。もう忘れてしまったと思っていた俺の名前を呼んで、皺だらけの手で頭を撫でて、そうして家を出て行った。何かを探しに行くらしい。それが何かは、何度聞いても教えてはくれなかった。ただいつもに増して爽やかな表情で、静かに笑うだけだった。

 

「お前は俺みたいになるんじゃないぞ、宵瓈。」

 

 それが、祖父が最後に残した言葉だった。家を出た数日後、祖父は発見された。ぐちゃぐちゃだった。どうやら飛び出して轢かれたらしい。ドライバーの青年がぺこぺこと謝っているのを見て、『こいつが俺の祖父を』と考えると同時に、『轢いてしまうなんて可哀想に』だとか、『ゼンマイ仕掛けのオモチャみたいだ』とか思いながら、膝小僧の瘡蓋を剥がしていた。パリパリとした感覚が気持ち良くて、気が付けば半ズボンを血塗れにしていた。棺桶に向けて尋ねてみても、何故祖父が飛び出したのかを、もう応えられるはずもなかった。ただ安らかな表情で、閑かに微笑っているだけだった。

 

 祖父はあの時、嬉しくて仕方がないように見えた。足が弾んでいた。でも俺は子供心に、何も分からないまま誰かを見送るのなんてごめんだと思った。それでもやっぱり、日本家屋の天井の梁のあたりから、俺が俺を見つめて、笑っているような気がしていた。祖父はそれに気づいていながら、静かに笑うだけだった。

 

 俺はあの時、待ってくれ、行かないでくれと、ただそれだけを言って縋った。壊れた喋る人形のように繰り返した。

 

 だが俺は、そんな感情的な熱を持った俺とは乖離して冷静で、まるで他所の家を窓から覗き見るみたいに、祖父を止められるわけがないと『俯瞰』していた。泣き喚いてしゃくりあげる俺自身がみっともないな、とすら感じていた。その涙と鼻水でぐしゃぐしゃの汚らしい顔すらもハリボテの仮面のようで、その待って待ってという泣き声すらも壊れたレコードで無理矢理再生しているような滑稽さがあった。

 引き留めようと伸ばして祖父に触れた指先の感覚が、ゴム手袋を隔てたように薄かった。

 

 それでも、執拗に俺に触れさせなかった“何か”とは何だったのか___幼い俺は、どうしようもなく気になったのだ。

 

 俺は昔から、どうしようもない子供だった。好奇心は比較的強かったように思う。ただタチが悪いのは、幼い子供に良くあるような「押したらどうなるかな」という無邪気な好奇心だけではなく、「押したら怪我をするな」と、頭のどこかで『俯瞰』して見る事ができたのだ。

 

 そして十六才の俺は、平常に身を置いたままだった。それでもやはり、俺の心は現実から乖離していた。舞台の上から誰かが俺という人形を操っていて、でもその操り主も俺自身。そんな捻れた感覚だった。それでも祖父と同じように“何かを追い続ける”という行為そのものに憧れていた。

 

 今もなお俺の脳裏には、旅に出る祖父の後ろ姿が焼き付いている。祖父の遺言は守れそうにない。あんなにも祖父が追い求めたものが何なのかは分からないけど、俺も___自分を丸ごと変えてしまうような___そんな理想に、異常に、星に、出逢ってみたい。

 

 それは始めての祈りだった。胸を焦がす煙の匂いが、俺に足りなかった“熱”を、この乖離を埋める鍵をくれる気がした。祖父の遺言に、真っ向から立ち向かう祈りだった。ひしゃげた形で口から飛び出そうだった。天井の俺は、やはり辞めておけと言っていた。

 

 でも今はまだ熱を持たないまま、ただ漫然と過ごす日々だった。俺にはきっと、“余分”が足りない。渇望していたのかもしれない。

 

 ___あの、満月の夜までは。

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