黑祓隊、夜闇を廻れ   作:Ruka(るか)

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第壱章 夏、満月、“異常”に出逢う -弍-

 沈黙だけが場を支配していた。この月下の劇場で、何か大掛かりな殺陣でも魅せられたような気分だった。それでも相変わらず静まっていて、神の社に相応しいはずの静謐さ___一瞬だけそう感じたが、これはきっと別種のものだ。

 

 そう、たった今この時、この空間を支配しているのは、“沈黙”や“神”なんていう名の生優しい現象じゃない。間違いなく、目の前の彼女だった。

 

「オレに名なんて無い。(ソレ)は余分だ。」

 

 こちらを向いた瞳はともすればあのヒトガタよりも漆黒で、呑み込まれてしまいそうでつい目を逸らす。その声は纏う雰囲気と同じ、研ぎ澄まされたナイフ___いや、日本刀のように凛としていた。

 だが、それで当たり前のように言い捨てられた内容。どうしようもなく耳を疑った。気になった。知りたくなった。「……は? 名前が無いって……どういう事だよ。」と、そう聞き返す。

 だが、これまた当たり前のように、何故俺がそんな事を聞くのか分からないとでも言いたげに___目の前の少女は、俺に背を向けて歩き出した。思わず「待て」と呼びかけると、たった一度だけ振り向いて、先程と全く変わらない、冷たい刃のような目をこちらに向ける。

 

(ソレ)をオマエに明かす必要性も無い。今日の(コト)は忘れろ。真っ当に生きていたいならな。」

 

 『漫画やなんかでよく聞くセリフだ』___いつも通りに『俯瞰』する俺がそう考える暇もなく、突如としてあのヒトガタとは比べ物にならない恐怖が俺を襲った。この世界に殺気という物が実在するなら、眼前の少女から発されるあれこそが間違いなく殺気だろう。どこまでも透明で、彼女そのもののような気配だ。

 

 でも___俺はもう、止まれなかった。気になって気になって気になって仕方がない。我慢ができない。耐えられない。異常を知って酷い目に遭うより、見てしまった異常をこれ以上知ることができない事の方が怖い。頭から、たらりと垂れた血を拭う。ヒトガタに殴られた時の怪我。血はどす黒くて、薄茶色の液体と混ざっていて、きっと傷口はあの蟲たちや死体と同じく、腐りかけている。それでも不思議な事に、俺は痛いと思えなかった。だから、なおも彼女に食い下がる。

 

「そうは言っても……俺にだって、自分が巻き込まれた物を知りたいって気持ちぐらい、あって良いだろ。」

 

 だって俺は___そういう性質(タチ)だから。

 祖父が死んだあの日から、何も知らずに終わるのだけは金輪際ごめんだと、ずっとずっと思い続けているから。

 魂レベルで刻み込まれた、俺の行動原理(イデオロギー)、或いは存在意義(レゾンデートル)___呼び方はこの際、なんだっていい。なんなら、祖父の呪いと言い表すのが一番しっくりくるかもしれない。

 好奇心は猫を殺す、だなんて、本当によく言うよ。実際、これはまず間違いなくその類いだろう。関わって仕舞えばきっともう、普通の日常なんて歩めない。『真っ当に生きていたいなら』だって?そんなもの、もうどうだっていい。そんな内容を必死に語った。

 

 俺は基本的に、比較的無口な方だと思っている。実際にあまり喋るのも得意ではない。だからきっと、彼女にとっては聞くに耐えない物だったんだろう。

 今まで一切動かなかった表情が、僅かに歪んだ気がした。

 

「知らん。オレの知った(コト)じゃない。サッサと補導されちまえ。」

 

 当然だ。ありきたりな理由に、ありきたりな好奇心。彼女はきっと俺みたいな奴を、それこそ星の数ほど見ているんだろう。根拠も何もない直感だけど、きっと間違ってはいない。だがだからと言って訳知り顔で黙って去っていくなんて、俺が一番嫌いなパターンだ。

 

 しかし___

 

 ほどう。ホドウ。補導。

 

 超然とした物言いからは信じられないぐらい現実的な単語が出てきて、つい言語の認識が遅くなる。天井の俺すら、その一瞬だけ笑うのをやめた。

 そうか、そう言えば確かに今は補導されるような時間だし、そう言われるのも無理もない。明らかに理の外にあった物が突然、少し近づいたような気がした。風に吹かれて空き缶がコロコロと転がる。赫いエキタイのついたソレは、俺の足元を通り過ぎて尚も、その軌跡を地面に残している。

 

 ついぼんやりとそれを眺めていると、空き缶はぐしゃりと彼女の足元で断末魔をあげた。より正しく言えば、木っ端微塵に踏み潰された。僅かに残っていたらしい中身が飛び散って、黄色い麦酒(ビール)が地面に吸い込まれていく。血の厭な匂いを押さえつけて少しだけ、アルコールの匂いを漂わせた。

 

「分かった。俺は補導なんて気にしない事にした。俺がゲロ塗れで血塗れなのも……いやそれは不快だけど……まぁとりあえず気にしない。だから___何でも良い。何か一つでも良いから教えてくれ。」

 

 食い下がって聞いてもなお、目の前の少女の表情は一切変わらない。

 だが発されたのは、『では、一つだけ教えてやる』と、何かを押し殺した様な、それでいて相変わらず無感情な声だった。

 

「___オレは、オマエの様な無駄が嫌いだ。オマエの様な愚者が嫌いだ。オマエの陳腐な価値観が嫌いだ。オマエの無価値な理由が嫌いだ。オマエの無意味な理想が嫌いだ。其等(ソレら)をただ振り翳すオマエは最も嫌いだ。自己の存在に於いて他者を理由とするな。自他の境界を曖昧にするな。唾棄すべき理想論に呆れた楽観主義(オプティミズム)、反吐が出るとしか云い様が無い。第一、オマエがオレに対して何かを語った所で何になる。オレが納得して応えてくれるとでも思ったのか? 否。否。断じて否だ。オマエは語りたいだけだ。自らの歪みを自覚して居ながら、(ソレ)を他者へと転嫁する醜悪さこそがオマエだ。オマエの(ソレ)は、断じて好奇心などでは無い。理解したら疾く失せろ。そうすれば、直に此の記憶も消える。」

 

 ここまでの内容を話していながら、彼女の口調は一定の調子のままで、ただただ淡々としていた。あまりに冷静で、まるで機械のようだったので、ともすれば『こうすれば俺は諦めるだろう』とでも思っているから言っただけにも思える独白だった。

 

 それが事実なのかどうか___それはきっと、今の俺には分からない。実際には演技なんかじゃなく本心から、彼女は俺のような人間が嫌いなのかもしれない。そうではなく俺の感じた通り、ただただ俺を諦めさせたいだけなのかもしれない。どっちだって良い。

 ただ、ずっと内心で抱えていた違和感のような物を言語化されて、多少なりとも納得したのは確かだ。俺も、彼女のような人間はあまり好きではない。むしろ嫌いだ。

 

 咽せ返るような血の匂いが、グジュグジュとした汚い音が、屍体から漂っている。夏だから饐えるのが早いのか、さっきのヒトガタが腐食させたのか___多分後者だ。俺の傷の具合から考えて、まず間違いはないんだろう。本当に厭な匂い、厭な音だ。

 

 俺にとっての夏を、今この場に決定付けるようなその臭い___それはもはや血というよりも、爛れた夏そのものの気配だった。

 

 でも___自分でも本当にどうかと思うが、もうそんなもの、“どうだって良い”としか思えなかった。

 

 もう一度、頭から垂れたエキタイを拭う。過去何度か味わった事がある、アドレナリンで痛みが抑えられているあれとは、少しだけ違う感触がした。『生きていたい』『痛いのは嫌だ』___そんな当たり前の感覚よりもまず、『この異常を知りたい』___ただそれだけが、今の俺の中で遥かに優勢。だから、俺の脳は痛覚を遮断した。

 

 日常から一歩、境界に踏み出したような錯覚。肋骨を突き破りかねないほどにバクバクと、もはやこれも異常だと言えるほどにうるさい心臓の音がドラムとして、これまた異常とでも言うべき音量の夏の喧騒に加わる。それはまるで、軽音楽のバンドみたいだった。

 

 そして___どうやら俺は、苛立っているらしい。それも、つい数分前に父母に向けていたものとは比べ物にならないぐらい深く。俺の命を救ったはずのこの少女に対して、俺はとても苛立っている。

 限界を突破した怒りは、台風の目みたいなものだと、昔どこかで聞いた事がある。今はまさに、その状態なんだ。頭の芯が冷えている。

 知らず知らずのうちに、俺は手をぎゅっと握りしめていた。舌に思い切り噛み付いていた。

 食い込ませた爪の先に感じるエキタイで、飲み込んだ唾液の鉄の味で、俺はその事実にようやく気づく。でもそれすらも奇妙な快感で、脳が、心臓が、足が指先が腹の奥が喉の入り口が___ビリビリとキツく痺れる。

 

 汗ばんだ血塗れの手をゆっくりと開く。突発的な真夏の野外ライブは心臓の音を失って、また無軌道な音の羅列へと戻っていた。

 

 これまで信じてきた物が根こそぎにひっくり返るような、そんな予感と共に思考を巡らせる。自分の内面に沈むと同時に、辺りの音を拾う機能が落ちていく。夏の喧騒が、トプン、とプールに沈んだように聞こえなくなる。

 

 転嫁。あぁ、確かにそうなんだろうな。俺の好奇心はきっと、祖父なんて関係ない。俺は俺自身に嘘をついたままだ。自分の本質を分かった気になっている道化だ。でもそれが何だ。

 

 蚊が耳の周りを飛んでいる。音では気がつく事ができなかった。頬に止まられて、ようやく気づいた。おそらく、汗だらけの俺は見つけやすい良い餌なんだろう。おまけに動かないから、蚊は俺に近づき放題。馬鹿だ馬鹿だと嘲笑われているような気すらする。

 

 確かに、俺がやっている事は馬鹿馬鹿しい。

 だが___俺の好奇心は、そんな(理屈)では止まらない。俺の本質が何であろうと、彼女がなんと言おうと、今この状況を知りたいという欲求には本質的に関係がない。知る事___それこそが、人間にとって原初の力。

 

 好奇心があるから、人は一歩一歩暗闇の荒野を切り拓いたんだ。

 

 だから俺は、彼女の論理を受け入れられない。俺は今、俺としての“熱”を、ようやく得た。乖離している感覚が消えたわけじゃない。むしろ窓の向こうで俺を見つめる俺は、完全に俺とは乖離していった。

 

「奇遇だな、俺もあんたが嫌いだよ。俺の動く理由___あんた曰く、歪み___は、「知りたい」という欲求だ。そしてあんたは、その『歪み』が生まれた原因を他者に依存していることが我慢ならないと。あぁ、理解はした。だが共感はできない。だってそうだろ、人間ってのは大なり小なり他人の影響を受けて育つんだ。語りたいだけの何が悪い。自分が誰かに影響を与える事を願って何が悪い。あんたはいきなり何もかも全て自力でできる状態で生まれたのか?違うだろ。この際あんたが命の恩人だとか気にせずに言わせて貰うけど、俺からすればあんたの方こそ馬鹿だ。自分の知っている事を振り翳して、自分の尺度で全てを判断して、自分以外を認めない。自己中心的にも程がある。無価値?無意味?無駄?それが何だ。無駄を極限までなくした先にあるのは、『みんな死ねば良い』って結論だけだろ。人生に必要なのは余分だ。あんたは自分の名前を余分だと言ったが、余分こそ必要な物だとは思わないのか。」

 

 言い切った。言ってやった。脳裏によぎるのはあの時の記憶。俺の原点。祖父の声音。「お前は俺みたいになるな」という、夢追い人の最期の悔恨。逆に興味を持ってしまった、幼い愚かな俺自身。本当の“余分”を持て余して___そしてようやくそれを埋める鍵を得た、今日の俺。

 

 俺という名前は、本当に俺だけのものだったことがない。俺の中の余分の鍵はいつも、世界の外の裂け目にあった。

 

 言いたい事は全部言った。だが___不思議と、爽快感はない。むしろ、何かを遮断してしまったようで気分が悪い。ヒトガタに作られた傷が、俺の世界が、淡々と壊死しかかっている。蝉の声を鳴らす壊れたオルゴールの無常感を欠損として、壊れたままで世界の輪郭が固まる。

 風が吹いてもなおベタつく汗の重みと、ようやく耳に戻ってきた夏の喧騒が、境界をさらに際立てる。月を背負って、なおも彼女は際立っている。

 

 多分彼女と俺は、根本的に相容れない。このやりとりは、それを決定付けてしまったのかもしれない。でも、だからなんだ。

 

 「知らない方が良い」を漫然と振りかざす傲慢さ。己の『嫌い』を論理にまで昇華する、ロボットのような口調。無駄を絶対に、徹底的に認めない自己中心性。そのどれもが俺には、()()()()()()()気に食わない。

 理解そのものは不可能じゃないが、現状じゃ到底、お互いに共感なんてできやしない。

 

 月下で交錯した一瞬の視線だけで、世界が歪んでいくような気がした。彼女のそれは、皮膚を凍てつかせる透明な殺気を孕んでいた。

 

 それがどんな意味を持つか___今の俺には、理解できるはずもなかったのだ。

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