Fラン大学をギリギリの単位で無い内定のまま卒業し、以後は《ルンプロ》を自称して生きてきた。特に人生設計を考える素振りもなく、大学時代の安アパートに住み続け、気の向くままに日雇いバイトを入れて働きその日暮らしを満喫していた。
芳春の実家は太いというわけでもなかった。まったく一般的なサラリーマン家庭で、中流家庭。
故に彼の生活に後ろ盾というのは全くなく、本当に何の援助も受けずにその日暮らしをしていたのである。
そのような暮らしを3年ほど続けた、26歳の夏の日のことである。
自室に呼んだデリヘル嬢が不細工すぎて不機嫌な朝。芳春が大学時代より愛用するスマートフォンに、一軒の着信が入っていた。
はて、自分のような放蕩者に一体何の用だろうか。
着信履歴は《黒井純也》なる者から電話があったことを示していたが、しかし芳春はその人物が何者であるか、今一ピンとこなかった。高校の友人か?それとも大学か?バーで酔っぱらった時に電話番号でも交換したか?様々な予想が頭の中をぐるぐると駆け巡るが、答えは出ない。頭を使わない放蕩生活の影響か、芳春の記憶力はすっかり衰えてしまっていた。
ルルル、ルルという発信音。
考えてもらちが明かないので、こちらから掛け直してやることにしたのだ。
『お、ヨッシャル!やーっと折り返してきたか!』
5コール後、スマホのスピーカーからは芳春を《ヨッシャル》などという愛称で呼ぶ、親しげな様子の男の声が聞こえてきた。
芳春の記憶に、辛うじて残る、聞き覚えのある声。
そう、確か大学の頃、複数の飲みサーを梯子していたときに聞いた覚えがある。
甲高い声。
茶髪。
黒縁眼鏡。
真面目そうな風体だったが、競馬が趣味だと言っていたあの……。
「ああ、クロヤ先輩」
黒井純也の頭と尻の字を取って、《クロヤ》先輩。そういえばそうだった。いつもクロヤ先輩と呼んでいたし周りからもそう呼ばれていたものだから、すっかり本名を忘れていた。
黒井純也は、玄田芳春の先輩だったのである。
もっとも、彼との思い出は飲みサー連中との飲みの席だけであって、特段親しかった覚えもなかったが。少なくとも芳春を《ヨッシャル》などという珍妙な呼び方をしてくる関係性ではなかったハズだ。
『そうだよクロヤだよ!いやぁ久しいね!』
「はあ、まあ、お久しぶりです」
自分は貴方のことを先ほどまで忘れていたので実質初対面です、と言いそうになった口を無理やり正して曖昧な返事をする。
金の無心だろうか。
クロヤはよく競馬でバイト代を溶かしては友人に泣きついていたから、可能性はなくはない。
だとしたらかけてくる相手を間違ったなと素寒貧の芳春は思った。生憎様で、昨日デリ嬢を呼んで財布が寂しいのだ。
貯蓄はなく、今日の昼めし代くらいしか残っていない。こんな男に、誰かに施しが出来る余裕などあるハズもなかった。
『ヨッシャル今無職なんでしょ?』
「無職というか、ルンプロッスね」
『じゃあ無職だ。そんな無職な君に頼みがあるんだけどさ!』
そら来た、と思った。
だがしかし、予想は外れてクロヤは想定の斜め上のことを言い出した。
『俺、今会社の社長やっててさ!』
――ヨッシャル、その会社の副社長になってよ!
●
そして誇り高きルンプロ玄田芳春は、ルンプロを辞して職を得た。
肩書は株式会社ぶいらーく代表取締役副社長と立派なものであったが、日々の業務はもっぱら事務所の掃除である。
《株式会社ぶいらーく》は、VTuber事務所《ごめんたる》を運営するエンターテイメント企業である。
VTuberとは二次元立ち絵や3Dモデリングされたキャラクターを用い、それになりきって動画配信や生配信をする者のことを指す。その事務所とは即ち配信者のサポートやマネジメントを行い、投げ銭の上前を撥ねる業態のことである。
そんな会社の、副社長。
だというのにもかかわらず、やることが事務所の清掃とは一体どういうことなのか。
怪しいと感じたことは一度や二度ではない。
しかしのんびりお掃除してコーヒーを飲みながら月収20万はあまりにも魅力的過ぎて、もう暫くはこの地位に居座ってやろうというのが芳春の考えであった。
副社長という肩書に対しては安い報酬であったが、実際の業務内容に対しては高すぎる収入だ。
ヤバくなったらさっさと尻尾巻いて逃げようと心に誓う。
所属するVTuberは15人。
チャンネルの平均登録者数は約5万人で、事務所の規模感としては中堅どころであろうか。
副社長という肩書はあれど、芳春がこの会社について知っているのはたったそれだけ。詳細なところは全くのノータッチ、というか触らせてもらえないのでさっぱり知らなかった。
まさに置物副社長という言葉が、今の芳春に相応しい。
「副社長仕事してくださいよ~」
オフィスで優雅にコーヒーの香りを楽しんでいる芳春に文句を言うのは、事務机でモニターと睨めっこする目つきの悪い女――
「そうは言っても、俺の仕事がこれなんだけどなぁ」
「コーヒー飲むだけの仕事があるわけないじゃないですか、馬鹿言わないでください」
「ははは……」
沙代里からの正論に、芳春は苦笑いで返す他なかった。
現在、《株式会社ぶいらーく》の従業員は非正規雇用を除けば沙代里ただ1名のみ。残りは社長と副社長なので従業員カウントはされない。そして元ルンプロ芳春はろくに働いていないので、この会社は実質彼女一人で回っていることになる。
『ヨッシャルは居てくれるだけでいいからさ!簡単でしょ?』
しかし社長がそういうのだから仕方ないではないか。言外に「何もするな」とのお達しである。
「あれ?おっかしいな……数字が合わない」
可愛らしい正社員のぼやきも気にしてはいけない。何の数字が合わないだとか、聞きたくもない。
「副社長~っ」
「聞こえる……豆の囁き、焙煎された彼らの声が。そうだ、旅に出よう、モヘンジョダロとか」
「無視しないでくれませんか?」
「なんだね今俺は忙しいのだよ沙代里くん!コーヒーがモヘンジョダロに行けと言っているんだ!」
「はあ?」
呆れ顔の沙代里は副社長の戯言を無視して、1枚の書類を彼に差し出す。
「なにこれ?」
「見れば分かるでしょう、今月分の収支報告です。どう考えてもおかしいんですよ。入ってくるはずの広告収入と、実際の入金額が一致してないんです」
「広告収入って……YouTubeのやつか?」
「そうです。うちのVTuber15人分の動画に広告が載ってるんだから、Googleからの入金額はもう少し多いはずなんですよ。でも、足りてないんです。しかも数万円とかの誤差じゃない。十万単位で、です」
「へえ……」
芳春は紙を眺めながら、実際には何も読んでいなかった。字が多いと眠くなる。コーヒー片手に現実逃避するのが関の山だった。
「で、それを俺にどうしろと?」
「“副社長”なんだから、ちょっとは考えてくださいよ!」
苛立ちを隠そうともしない沙代里。彼女は普段から気が強く、何かと芳春に食ってかかるタイプだった。が、文句の一つでも言わなければやってられない職場環境でもある。
「クロヤ社長には?」
「連絡がつきません。SlackもLINEも既読つきません。昨日から」
「マジで?」
「マジです。もしかして、逃げたんじゃないですか?」
芳春の脳裏に、例の甲高い声が蘇る。
『ヨッシャルは居てくれるだけでいいからさ!』
そしてついて出た言葉はこうだった。
「あり得る〜〜」
「あり得る〜〜、じゃないですよ!!!!何他人事みたいにしてるんですか!要はこれって、横領だとか粉飾決算だとか、そういう話になってくるんじゃないですか!?」
「んんー、かもね」
「駄目だこの副社長早く何とかしないと!」
確かに彼女の言う通りだった。
LINEもSlackもクロヤ社長に通じない。まったく連絡がつかず、行方も知れない。
そういえば朝から見かけなかったなぁ、と芳春は呑気に思い返していた。
……が、その呑気な心境も、沙代里の次の一言で粉々に砕けた。
「で、副社長。これ、税務署からの封書です。今朝届いてました」
「……は?」
沙代里は無造作に机の上に封筒を投げた。茶封筒には《税務調査のお知らせ》と、威圧的な明朝体で記された文字。
「えっ、税務調査って……アレ? アレってやばい時に来るやつじゃ……?」
「そうです。やばい時に、やばい会社に来るやつです」
「まじかよ……」
頭を抱え、コーヒーをひっくり返す芳春。その染みが書類に滲んでいくのを、沙代里は無言で拭き取った。
「副社長、正直に言ってください。クロヤ社長、どこに行ったんですか?何か知ってること、ありませんか?」
「知らん……ほんとに何も……」
その時だった。
社内の共用PCに、メールの着信音が鳴った。
沙代里が飛びつくように確認すると、差出人はなんと黒井純也。
「来た……!? 社長から……!」
メールの本文は、たった一行。
『ヨッシャルへ。悪いがしばらく日本を離れる。会社、よろしくな!』
添付ファイルが一つ。パスワード付きのzipファイルだった。
「……うわあ、これ、完全に逃げてるやつだわ……」
「……あ〜〜……とっくにヤバかったか、なるほどね」
絶句する沙代里と、悟りを開いた顔つきの芳春。
そして、この瞬間から《株式会社ぶいらーく》の命運は、何も知らない置物副社長と、ブラック企業で過労気味な若手正社員委ねられることとなった――。
登場人物
玄田 芳春……ルンプロマン。副社長。何の役にも立とうとしない。
鎌田 沙代里……就活を嫌ってアルバイト先の正社員になった。会社が潰れそう。
黒井 純也……社長。会社から逃げた。