焦った顔でこちらに走ってくる,ふたりの住民。
紬は,渡された金槌を握りしめ。
息を荒げ,胸をざわめかせながら——
高速で思考を巡らせていた。
もし,真人に言われるまま,あの人たちを殴ったら,
——自分は"クズ" だ。
罪もない人を殴る。
それは,人間としての一線を踏み越えることになる。
しかし,ここで "できない"と言ったら。
真人はなんて言うだろうか。
「まあ,急に言われても無理だよね」と笑ってくれるだろうか。それならいい。
……ただ,もしも……
「なんだ,つまんない奴だな」なんて突き放されたら。
……既にさっき,瞬間移動をミスって上空転移からの骨折で,真人に治してもらった借りもある。
その上で,さらに "できない"なんて言ったら……
———真人は,なんて言うだろうか。
紬「……っっ」
既に,紬にとっては,家も学校もセピア色。
まだ"人間"でいたい気持ちはある。
ここで,罪を犯したくはない。
———でも。
真人の隣を失うのは……
それよりも,もっと恐ろしかった。
———紬の,緑の瞳から,一瞬。光が消え失せる。
ふたりの住民は,紬のすぐそばまで走ってきていた。
「おい,君,大丈夫か!?」
「今,救急車を———」
——バシュンッ。
紬の姿が掻き消える。
次の瞬間には,住民の背後に。
「え」
ゴッ!!!
振り向くより早く、金槌が,後頭部を直撃。
骨が鈍く軋む感触が、手首から肩へと生々しく伝わる。
ドサッ。
その住民は,声もなく昏倒した。
「うっ…うわぁぁぁ!!」
もう一人が反射的に紬に背を向け、走り出す。
———だが。
真人「はい,逃げちゃ駄目♡」
逃げた方向には……真人。
グジュッ……ブシャァァァ!!……ドサッ。
頭部が異様に膨張し、血と破片を撒き散らして破裂。
その身体は息絶え,力なく崩れ落ちた。
紬「………あ……」
紬は,その場に立ち尽くし,
今,自分が殴って昏倒させた住民を見下ろしていた。
瞬間移動を二回使った後で,
呪力切れの倦怠感が襲ってくる。
しかし,それも今は気にならない。
ただ、金槌を握る右手に残る——
人間の頭を殴った時の、生々しい感触。
それが、シミのようにこびりついて離れない。
真人「やればできるじゃん,紬。上出来だよ」
真人は,今しがた,頭部を破裂させた亡骸には目もくれず。
上機嫌な声でそう告げた。
———が,すぐに,声色を試すような低さに変える。
真人「……で,"ソイツ"。どうする?」
紬「……っっ!!」
その問いに,紬の背筋がビクッとなる。
目の前の住民は,昏倒こそさせたが,生きている。
次に求められるのは……"殺せ"だろうか。
だとしたら,それは……
"殴る"まではやったクズだとしても,
さすがに,話が変わってくる———
その紬の葛藤を読み取ったように。
真人は軽く肩をすくめ、
歩み寄って,紬の肩にポンと手を置いた。
まるで,安心させるかのように。
真人「ごめんごめん,さすがにいじめ過ぎたね」
真人はそう言うと、紬が倒した住民をひょいと持ち上げた。
次の瞬間、その身体は紙細工のようにくしゃりと縮み、
掌に収まる“ストック”へと変形する。
真人「ほら,おいで,紬——」
柔らかく響く声。
真人の腕が変形し、白い羽となって広がる。
———ぎゅっ。
紬「あ………」
その羽のもふもふの感触に,真人の体温に,
張り詰めていた心が溶かされていく。
紬(……あ、やばい。この感触、ずっと覚えていたい)
(昨日も、一昨日も……真人に触れられた時のこと、
頭から離れなかったのに)
(これ以上、覚えてしまったら……もう、ほんとに)
——真人なしじゃ、いられなくなる。
そのまま,倦怠感に飲まれるように,
体重を真人の方へと預けると,
真人はからかう様子もなく,静かに受け止めた。
真人「初陣勝利のご褒美だよ。
よく頑張ったね,紬。期待以上だったよ」
その真人の声色は,紬を安心させるようでありながら。
そこには,確かに,純粋な喜びの色があった。