制服に袖を通し、五条の後ろに続いて歩く。
重たい扉が軋む音と共に開かれ、
視界に飛び込んできたのは——
たった三つしかない机と椅子。
右手の席には、ツンツンした黒髪の男子。
その隣には、茶髪のボブヘアの女子が腕を組んで座っていた。
そして、その横にぽつんと空いた机。おそらく、紬の席だ。
紬(……少なくない? 私以外、ふたりだけ?)
思い返すのは、昨日の尋問の中で五条が口にした言葉。
——「呪術界って、慢性的な人手不足なのよ」
紬(……思ったより深刻な人手不足だな。通りで、殺されなかったわけだ)
目の前のふたりからは、やや警戒混じりの視線。
どう見ても歓迎ムードではない。
そんな空気など意に介さず,五条が前に出てチョークを手に取る。
五条「おはよう、恵、野薔薇! 今日は転校生を連れてきたよ〜!」
紬を黒板の前に立たせると、チョークを走らせる。
《桐生 紬》
紬「……私、桐生紬。よろしく」
それだけ言って,黙る。
こういう場での振る舞いなど知らない。
その横で五条が、いつもの調子で補足を入れる。
五条「紬はお母さんが呪術師で、ちょっとは呪術も教わってたみたい!僕の仲間が駅でスカウトしてきたんだよ〜。ふたりとも仲良くしてね〜!」
まずは黒髪の男子が、軽く顎を引きながら言った。
伏黒「……桐生か。伏黒恵だ」
続いて、ボブヘアの女子が、やや不機嫌そうに。
釘崎「釘崎野薔薇」
名前だけを交わす、そっけない自己紹介。
だが、それで充分だった。紬もまた、他人と打ち解ける気などない。
五条「ちなみに、紬は”瞬間移動”持ち。ラッキースカウトだったんだよ!」
言ってから、紬に向き直り、続けて話す。
五条「恵は“十種影法術”っていう式神術。由緒正しい家系に代々伝わるやつね。野薔薇は“芻霊呪法”、丑の刻参りっぽいやつ!ふたりとも強いから頼るといいよ〜」
釘崎「おい、人の術式ベラベラ喋ってんじゃねーよ」
苛立ちをあらわに、釘崎が低く唸る。
伏黒もやれやれといった顔で口を開いた。
伏黒「転校生の紹介、また実戦投入から始める気ですか。釘崎の時もそうでしたよね」
五条「そりゃあ、実戦が一番手っ取り早いし?」
その軽さに、教室の空気がさらに冷える。
紬(……なにこの人、マジで教師なの?)
頭を抱えたくなりながらも、
五条に促されて空いていた席に座る。
五条「それじゃあ、午前中は座学から始めまーす!」
そうして、紬の“呪術高専での生活”が、幕を開けた。
————
午前中の座学が終わりを告げ。
五条が手をひらひらと振りながら、教室のドアを開ける。
五条「それじゃあ、今から昼休み〜! 午後は近所の廃校に向かうから、校庭集合ね!」
そう言い残し、あっけらかんとした様子で姿を消した。
その直後。
釘崎「ねぇ、桐生とか言ったわね」
唐突に、教室に鋭い声が響いた。
釘崎「……アンタ、本当にスカウトで来たの?」
紬「……っ!?」
予想外の直球に、紬の肩がビクリと跳ねる。
釘崎は、腕を組んだまま真っ直ぐ紬を見据えていた。
釘崎「だってアンタ、朝からずーっと辛気臭い顔してるじゃない。普通さ、スカウトされて転校してきたならもっとこう、ウキウキしてるもんでしょ? “新生活〜!”みたいな」
紬(……やばっ)
確かに、言われてみればその通りだ。
“駅でスカウトされた呪術師”という設定にしては、あまりにも暗すぎる表情だった。
紬はちらりと伏黒に視線をやる。
伏黒は何も言わないが、視線は鋭い。黙っているだけで、完全に釘崎と同意見であることが伝わってくる。
紬(マズい、ごまかさないと……!)
一拍の沈黙のあと、紬は咄嗟に、即席の“ストーリー”を口にした。
紬「……いや、実はさ、私、本当はここ来るの怖かったんだよね。母さんが呪術師だったから、私がスカウトされたことすごい喜んじゃって……。なんか、断りきれなくてズルズルって感じで来ちゃっただけ」
ワクワクしてたなんて今さら言っても説得力がない。
だから、あえて“辛気臭い顔”はそのまま肯定しつつ、
五条が捏造した「母親が呪術師」という設定を利用したのだった。
だが。
その返答に、釘崎と伏黒の眉がピクリと跳ね上がった。
釘崎「ハァ!? つまりアンタ、人から“ここ行け”って言われて“はいそうですか”って素直に来たわけ? なにそれ、アンタ親の操り人形かなんかなの?」
口調はますます鋭くなる。
伏黒も低い声で追い討ちをかける。
伏黒「そんな中途半端な覚悟じゃ、呪術師なんて続かない。大怪我どころか、死ぬことだってある。嫌々来たくらいなら、今からでもスカウトを蹴って帰った方がいい」
紬(…………っっ!!)
その瞬間、紬の中に湧き上がったのは——苛立ち。
(は? そりゃ、こっちは強制連行されてんだよ……!
選択肢なんてなかったくせに!)
叫び出したい衝動を抑え込みながらも、
心の中では反論が渦を巻いていた。
(……“帰れ”だと? 帰れたらとっくにそうしてるっつーの。ていうか、何様? なんで初対面の同級生に説教されなきゃなんないの?)
五条の前ではある程度、従順にしていた。
けれど——この二人にまでへりくだるつもりは、まるでなかった。
紬「……うるさいな」
噛み殺したような低い声で、吐き捨てる。
昨日からの出来事で,堪忍袋の尾は,もう限界だった。
紬「こっちにも……事情があるんだよ! わかったような口ぶりで偉そうに言ってくんなっての!!!」
ついに、感情を爆発させた紬。
しかし——伏黒と釘崎は、引かなかった。
静かに。けれど、鋭く釘崎が問いかける。
釘崎「……事情って、どんなよ」
先ほどまでの攻撃的な口調とは打って変わり、
そこにはどこか“人間らしさ”が滲んでいた。
釘崎「……桐生。アンタは知らないだろうけどね、同級生ってもうひとりいたのよ。虎杖悠仁っていうやつが。……でも、死んだわ。先月の、少年院での任務で」
少しの間を置き、静かに続ける。
釘崎「ここはね。そういう場所なの」
その言葉に、伏黒もまた口を開いた。
伏黒「オマエの事情がどういうものかは知らない。……ただ、これだけは言える。自分の意思で呪術界に飛び込む覚悟がないなら——やめた方がいい」
その瞳は、真っ直ぐで。
強い言葉ではあったが、そこに込められたのは紬への敵意ではなかった。
(もう、誰にも死んでほしくない)
(軽い気持ちで呪術師になって、命を落とす人間を、これ以上見たくない)
そんな伏黒なりの“警鐘”だった。
——しかし。
それは、今の紬には“ただの上から目線”にしか思えなかった。
紬(なんだよこいつら……ずっと自分が正しいって顔して……)
(私だって……いたくてここにいるわけじゃない)
(“同級生が死んだ”とか知らないだろって? 舐めんなよ……
こっちはずっと、真人と一緒にいたんだよ……
死なんて、とっくにすぐ隣にあったんだよ!!)
張り詰めていた感情が、再び爆ぜた。
紬「だから……っ、その“上から目線”が鬱陶しいって言ってんの!!」
怒鳴るような声に、教室の空気がぴしりと軋んだ。
紬「私だって……死ぬかもってことくらい、わかってんだよ……
……母親が呪術師なんだから!!!」
——それは、嘘。
だけど、“死を覚悟している”という言葉だけは、紛れもない本音。
だってもう,死ぬような思いなど,沢山してきたんだから。
呻くような叫びのあと、
紬は唇を噛みしめて、目を伏せた。
その後は,もう,誰も何も言わず。
重い沈黙が、教室を包んでいた。