呪霊を斬った“感触”に、紬は耐えきれなかった。
手首から肩にまで残る、ぐちゃりとした肉を裂いた感覚。
それも,一回じゃない。
呪霊が飛んでくるたびに連続で味わわされる。
その余韻が腕の中で脈打ち、
体の奥から吐き気がこみ上げる。
紬「っ……ぅ……!」
息が荒くなり、
片手で壁をつかんでどうにか立っている。
視界はにじみ、全身から脂汗が噴き出す。
そんな紬の様子に、釘崎が振り返って声をあげた。
釘崎「ちょっと桐生!? どうしたの、アンタ汗びっしょりよ!? もしかして深手!?」
紬「……あ、えと……っ」
なんとか言葉を返そうとするも、
喉が締め付けられて声にならない。
目の前がじわりと霞んでいく。
そのときだった。
伏黒「来るぞ!!」
伏黒の鋭い叫びが響く。
次の瞬間——
廊下の奥の壁をぶち破って現れたのは,
全身にいくつもの目玉を持つ巨大な呪霊、
ぬめるような肌。
肥大化した身体には短い手足が生え、
その巨体で迫ってくる様は、まるで異形のナメクジ。
伏黒(……親玉……っ!)
伏黒が即座に印を切る。
伏黒「——鵺!!」
バチィッ!!
電撃が炸裂し、呪霊の動きが一瞬止まる。
——しかし、それでも止まりきらない。
鵺の衝撃を受けながらも、
親玉呪霊は苦悶の声をあげたまま、
なおも三人めがけて突進してくる!
伏黒・釘崎「!!!」
伏黒と釘崎はとっさに左右へ飛び退き、
間一髪でその巨体をかわす。
——だが、紬だけが。
吐き気でもう,それどころではなかった。
釘崎「桐生!!」
伏黒「避けろ、桐生!!!」
ふたりの叫びが、悲鳴のように飛ぶ。
けれど紬の耳には、もうぼんやりとしか届かない。
頭がぐらりと揺れる。
足が動かない。
体が言うことを聞かない——
そして、次の瞬間。
ドン……ッッッ!!
重たい音が響く。
巨体の呪霊が、紬の身体を真正面から弾き飛ばした。
細い身体はまるで人形のように宙を舞い、
そのまま——
ガッシャアァァァン!!!
廃校の二階の窓ガラスを突き破り、外へと投げ出される。
釘崎「桐生ッッ!!」
釘崎の絶叫が、虚空に響く。
遠く、地面に叩きつけられる鈍い音。
ドサッ。
粉塵と割れたガラスが舞う中で、
自分自身から流れ出た血に塗れたまま,
桐生紬は動かなくなった。
その胸が、わずかに上下しているのが、
かろうじて「まだ生きている」証だが。
意識は,すでに———闇の中に沈んでいた。
◼︎
紬が意識を取り戻したのは、
ある一室のベッドの上だった。
紬「……………」
しばらく、ただぼんやりと天井を見つめる。
自分の体が、どこか浮いているような感覚。
——思い出す。
呪霊を斬ったときの、“ぐちゃり”とした手応え。
骨と肉が、生々しい音と共に潰れるあの感触。
その直後、吐き気に襲われて、体が言うことをきかなくなったこと。
そして。
あの呪霊の突進。
逃げられず、直撃を受けて。
廃校の二階から外へ、宙を舞い———
??「——あ、起きた?」
低く、だるそうな声が部屋に響いた。
紬がゆっくり顔を横に向けると、
そこにいたのは、白衣姿の女性だった。
茶髪のロングヘアに、タバコのような煙の残り香。
呪術高専の専属医師——家入硝子。
家入「まだ動かない方がいいよ。治してはあるけど、結構ひどかったからね」
ベッドの側に腰かけると、淡々と告げる。
家入「出血多量。肋骨は数本折れてたし、右脚は——粉砕骨折だったよ」
紬「……あ、え……と……」
頭が回らない。
とにかく,気分が悪かった。
手首から肩へ。
斬った瞬間の“ぐちゃり”とした感覚が、
脈のように何度もよみがえる。
そんな紬を、家入がちらりと見下ろして言う。
家入「……恵と野薔薇が、血相変えて運び込んできたよ」
「親玉の呪霊は、恵の“玉犬・渾”で祓えたみたいだけどね。
まあ……アンタが直撃受けた後の話だけど」
淡々と話す口調の中には,
わずかな怒気が混じっていらようにも聞こえた。
家入「……君、まだ実戦は早かったか」
そのひと言に、紬の肩がぴくりと震える。
家入「五条の悪いクセなんだよね。アイツ、最強だからさ。普通の術師が“死ぬ気”で祓ってるような呪霊でも、“雑魚じゃん”で済ませちゃう」
「それで生徒が潰れることも、分かってるのかどうか……。
あのバカ、加減って言葉を知らないんだよ」
家入は,紬を責めなかった。
初めて,紬に寄り添い,
"仕方ない"と言ってくれる大人がそこにいた。
しかし—— 紬は、胎児のような体勢で、
怯えるようにぎゅっと縮まった。
もう、関わる人間全てが怖い。
一言も発せなかった。
家入の優しさも——
紬の側の,それを受け取る器が,もう,壊れていた。
黙り込む紬を見て、家入がもう一度ため息をつく。
家入「……トラウマ、だね。呪霊との実戦が」
「これじゃ、当分は任務も無理そうだし……」
白衣の裾を直しながら、ぽつりと続けた。
家入「……“アイツ”のとこ、一緒に入れとくか」